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最後の一週間
冷たい雨と熱い涙
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それから3時間後。
10時過ぎになってくると、テーブルを埋め尽くしていたお皿も、大半が空になっていた。
アボカドサラダ、チリポテト、チョリソ ケサディアス、イカの香味揚げ、ブリトーにエンチラーダ、タコス。
私の目の前には、4杯目のマルガリータ。1杯目はノーマル、2杯目はマンゴーベース、3杯目はラムベース、そしてこの4杯目はカシスベースのマルガリータ。
フルーツベースのものは飲み易いからつい飲み過ぎてしまうことがあるから、これくらいで止めておいたほうがいいかもしれない。
「すっごく満足した感じ」
私がそう言うと、アナマリーが大きな欠伸をして頷いた。
「喋りすぎて、顎が痛くなっちゃった」
アナマリーはそう言って、外に立って電話中のジョーを振り返る。こんな時間に仕事の電話がかかってきて、先ほど席を立って外に出たのだ。
オリビアとヴィクターは、しばらく前にカウンターバーのほうに飲み物を取りに行ったっきり、こちらには戻って来ていない。
「俺は、眠くなって来た」
クリスティアンも欠伸をしながら、チリワインのグラスを傾ける。
「眠いんなら、もう飲むの止めたら?」
「平気平気、ぶっ倒れたらリオが介抱してくれるだろ」
「またそんなこと言って」
しばらくまた三人でたわいない話をしていたが、やがてクリスティアンは飲み干したワイングラスをテーブルに置くと、私の腕を取って立ち上がる。
「リオ、場所を変えよう」
「え、場所って?」
驚いて聞き返しながらもすでに引っ張られて立ち上がる羽目になる。
クリスティアンは私のバッグを取り、1人、テーブルで目を丸くしているアナマリーにウインクすると、50ユーロ札を2枚、テーブルに置いた。
「アナマリー、悪い。先に出るから、また、今度な」
「え?あっ、ちょっとクリスティアン!」
アナマリーが中腰になって止めようとしたけれど、私はもう、アルコールで体の力があまり入らなくなっているせいで、彼に腕を引かれるままに歩き出す。
「クリスティアン!場所を変えるって、ちょっと、勝手にそんな」
ずっと座っていたせいで体が思うように動かず、少し足がもつれそうになりながら、腕を引かれて歩いていると、出口近くのカウンターバーに座っていたオリビアとヴィクターの近くを通りかかる。
私達に気がついた二人が振り返った。
「おい、クリスティアン、リオに無理させるなよ」
ヴィクターがクリスティアンの肩を掴んでそう言うと、クリスティアンがずる賢そうに笑い、掴んでいた私の腕を離すと今度は肩を抱いた。
「こうすれば、安心か?」
「こらっ」
私は調子に乗るクリスティアンの手を肩から外した。
「これからどこに行くつもりなのよ。もう、飲むつもりはないんだけど」
「俺は、口説く時は二人きりって決めてるから」
「は?」
驚いていると、クリスティアンは私の背中を押し、私はまるで連行される罪人のように歩き出す。
「待てよ、彼女を何処に連れて行くつもりなんだ?」
ハイチェアから降りて声をあげたヴィクターを振り返る。
明らかに不安気に目を曇らせたヴィクターに視線を向けたクリスティアンは、不敵な笑みを浮かべ、カウンターの二人に片手を挙げた。
「心配するな。そっちも、スペイン組同士、仲良くしとけよ?じゃぁな、ヴィクター、オリビア」
その言葉に、ヴィクターが大きく目を見開く。隣にいたオリビアが、彼の肩を片腕で抱いて、笑顔でこちらに手を振るのが見えた。
私は思わずパッと目を逸らし、すぐに出口のほうへ目を向けて歩き出す。
そのまま、二度と振り返る事も無くレストランの外へ出ると、外はひんやりと肌寒くなっていた。
「ほら、タクシー呼んどいた。送るから、乗って」
レストラン前に停車していたタクシーのドアを開けるクリスティアンに驚く。
彼はとても優しい目をして、純粋に楽しそうな微笑みを浮かべていた。
「……有り難う」
私は素直に頷いてタクシーに乗り込み、続いて乗り込んで来たクリスティアンが運転手に行き先を告げる。それは確かに、私のウイークリーのアパートの住所だった。
もしかすると、私の様子を見て、もう帰った方がいいと思ったから連れ出してくれたのかもしれない。そうだとすると、クリスティアンは本当にいいヤツだ。
タクシーの背もたれに両腕を伸ばしてふんぞりかえっているクリスティアンは、どこか憂いを帯びた微笑みを浮かべて前方を見ている。
ファッション雑誌の見開きページに載っているような、人並み外れた美男。
頬に掛かるダークブロンドの長髪に、明るいブラウンの目と、すらりと伸びる長い手足。
きっと、モテすぎることで、彼なりの苦労もあるだろうな、などと勝手に同情する。
何か、物思いをしているような表情のクリスティアンはしばらく何も言わなかったが、やがて私のアパートの近くに来ると、ようやく、大きな欠伸をひとつして、苦笑した。
「俺も実は、限界。昨日もバーで2時まで粘ってたから」
「えー、連夜だったの?週中の水曜日に、夜中2時までってすごいね」
「シングルに戻ると、やたら声がかかるようになるんだ。正直、有り難迷惑だけどね」
「ふうん、確かに、貴方はモテそうだから」
私がそう言うと、クリスティアンはくすっと小さく笑い、私にウインクした。
「リオ、相手が決まらなかったら、俺も選択肢に入れとけよ。これでも、本気で言ってるからさ」
私はぷっと吹き出し、頷いた。
なんだかよく分らないけれど、不思議と励まされたような気分になる。
「有り難う、クリスティアン。貴方って、やっぱり、いいヤツみたい」
「やっぱり、は必要ないだろ?」
「あ、そうだね」
ひとしきり二人で笑った後、タクシーはもう、アパートの前まで来ていた。
スピードを落としたタクシーの中で、クリスティアンが小さく溜め息をつく。
「もう、明日で終わりだな。明後日は早いんだろ?」
「そうだね。明日は、昔からの友達とランチして、出発準備するだけ」
「そうか」
クリスティアンは笑って、片手で私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「じゃぁまた、だな」
「うん」
頷くと、私はクリスティアンが差し出した手を握って、ぎゅっと握手をした。温かく、優しい感触の握手に、重かった心がふわりと浮く様な気がした。
タクシーで支払をしようとしたけれど、彼が断固拒否をしたので諦めて、素直にお礼を言ってタクシーを降りる。去って行くクリスティアンの乗ったタクシーが見えなくなるまで、私は手を振り続けた。
タクシーが夜の闇に消えた時、ポツポツと音がして、頬に水滴を感じたかと思うと、一気に雨音が強まり、駐車されている車のボンネットに叩き付けるような大雨になる。
ザーザーという激しい雨音に慌てて柵を開け、アパートの棟のほうへ駆け出す。
階段を駆け上がる私の頬は、冷たい雨と、溢れ出る熱い涙で濡れていた。
10時過ぎになってくると、テーブルを埋め尽くしていたお皿も、大半が空になっていた。
アボカドサラダ、チリポテト、チョリソ ケサディアス、イカの香味揚げ、ブリトーにエンチラーダ、タコス。
私の目の前には、4杯目のマルガリータ。1杯目はノーマル、2杯目はマンゴーベース、3杯目はラムベース、そしてこの4杯目はカシスベースのマルガリータ。
フルーツベースのものは飲み易いからつい飲み過ぎてしまうことがあるから、これくらいで止めておいたほうがいいかもしれない。
「すっごく満足した感じ」
私がそう言うと、アナマリーが大きな欠伸をして頷いた。
「喋りすぎて、顎が痛くなっちゃった」
アナマリーはそう言って、外に立って電話中のジョーを振り返る。こんな時間に仕事の電話がかかってきて、先ほど席を立って外に出たのだ。
オリビアとヴィクターは、しばらく前にカウンターバーのほうに飲み物を取りに行ったっきり、こちらには戻って来ていない。
「俺は、眠くなって来た」
クリスティアンも欠伸をしながら、チリワインのグラスを傾ける。
「眠いんなら、もう飲むの止めたら?」
「平気平気、ぶっ倒れたらリオが介抱してくれるだろ」
「またそんなこと言って」
しばらくまた三人でたわいない話をしていたが、やがてクリスティアンは飲み干したワイングラスをテーブルに置くと、私の腕を取って立ち上がる。
「リオ、場所を変えよう」
「え、場所って?」
驚いて聞き返しながらもすでに引っ張られて立ち上がる羽目になる。
クリスティアンは私のバッグを取り、1人、テーブルで目を丸くしているアナマリーにウインクすると、50ユーロ札を2枚、テーブルに置いた。
「アナマリー、悪い。先に出るから、また、今度な」
「え?あっ、ちょっとクリスティアン!」
アナマリーが中腰になって止めようとしたけれど、私はもう、アルコールで体の力があまり入らなくなっているせいで、彼に腕を引かれるままに歩き出す。
「クリスティアン!場所を変えるって、ちょっと、勝手にそんな」
ずっと座っていたせいで体が思うように動かず、少し足がもつれそうになりながら、腕を引かれて歩いていると、出口近くのカウンターバーに座っていたオリビアとヴィクターの近くを通りかかる。
私達に気がついた二人が振り返った。
「おい、クリスティアン、リオに無理させるなよ」
ヴィクターがクリスティアンの肩を掴んでそう言うと、クリスティアンがずる賢そうに笑い、掴んでいた私の腕を離すと今度は肩を抱いた。
「こうすれば、安心か?」
「こらっ」
私は調子に乗るクリスティアンの手を肩から外した。
「これからどこに行くつもりなのよ。もう、飲むつもりはないんだけど」
「俺は、口説く時は二人きりって決めてるから」
「は?」
驚いていると、クリスティアンは私の背中を押し、私はまるで連行される罪人のように歩き出す。
「待てよ、彼女を何処に連れて行くつもりなんだ?」
ハイチェアから降りて声をあげたヴィクターを振り返る。
明らかに不安気に目を曇らせたヴィクターに視線を向けたクリスティアンは、不敵な笑みを浮かべ、カウンターの二人に片手を挙げた。
「心配するな。そっちも、スペイン組同士、仲良くしとけよ?じゃぁな、ヴィクター、オリビア」
その言葉に、ヴィクターが大きく目を見開く。隣にいたオリビアが、彼の肩を片腕で抱いて、笑顔でこちらに手を振るのが見えた。
私は思わずパッと目を逸らし、すぐに出口のほうへ目を向けて歩き出す。
そのまま、二度と振り返る事も無くレストランの外へ出ると、外はひんやりと肌寒くなっていた。
「ほら、タクシー呼んどいた。送るから、乗って」
レストラン前に停車していたタクシーのドアを開けるクリスティアンに驚く。
彼はとても優しい目をして、純粋に楽しそうな微笑みを浮かべていた。
「……有り難う」
私は素直に頷いてタクシーに乗り込み、続いて乗り込んで来たクリスティアンが運転手に行き先を告げる。それは確かに、私のウイークリーのアパートの住所だった。
もしかすると、私の様子を見て、もう帰った方がいいと思ったから連れ出してくれたのかもしれない。そうだとすると、クリスティアンは本当にいいヤツだ。
タクシーの背もたれに両腕を伸ばしてふんぞりかえっているクリスティアンは、どこか憂いを帯びた微笑みを浮かべて前方を見ている。
ファッション雑誌の見開きページに載っているような、人並み外れた美男。
頬に掛かるダークブロンドの長髪に、明るいブラウンの目と、すらりと伸びる長い手足。
きっと、モテすぎることで、彼なりの苦労もあるだろうな、などと勝手に同情する。
何か、物思いをしているような表情のクリスティアンはしばらく何も言わなかったが、やがて私のアパートの近くに来ると、ようやく、大きな欠伸をひとつして、苦笑した。
「俺も実は、限界。昨日もバーで2時まで粘ってたから」
「えー、連夜だったの?週中の水曜日に、夜中2時までってすごいね」
「シングルに戻ると、やたら声がかかるようになるんだ。正直、有り難迷惑だけどね」
「ふうん、確かに、貴方はモテそうだから」
私がそう言うと、クリスティアンはくすっと小さく笑い、私にウインクした。
「リオ、相手が決まらなかったら、俺も選択肢に入れとけよ。これでも、本気で言ってるからさ」
私はぷっと吹き出し、頷いた。
なんだかよく分らないけれど、不思議と励まされたような気分になる。
「有り難う、クリスティアン。貴方って、やっぱり、いいヤツみたい」
「やっぱり、は必要ないだろ?」
「あ、そうだね」
ひとしきり二人で笑った後、タクシーはもう、アパートの前まで来ていた。
スピードを落としたタクシーの中で、クリスティアンが小さく溜め息をつく。
「もう、明日で終わりだな。明後日は早いんだろ?」
「そうだね。明日は、昔からの友達とランチして、出発準備するだけ」
「そうか」
クリスティアンは笑って、片手で私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「じゃぁまた、だな」
「うん」
頷くと、私はクリスティアンが差し出した手を握って、ぎゅっと握手をした。温かく、優しい感触の握手に、重かった心がふわりと浮く様な気がした。
タクシーで支払をしようとしたけれど、彼が断固拒否をしたので諦めて、素直にお礼を言ってタクシーを降りる。去って行くクリスティアンの乗ったタクシーが見えなくなるまで、私は手を振り続けた。
タクシーが夜の闇に消えた時、ポツポツと音がして、頬に水滴を感じたかと思うと、一気に雨音が強まり、駐車されている車のボンネットに叩き付けるような大雨になる。
ザーザーという激しい雨音に慌てて柵を開け、アパートの棟のほうへ駆け出す。
階段を駆け上がる私の頬は、冷たい雨と、溢れ出る熱い涙で濡れていた。
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