13 / 31
最初の一週間
消えたシルバーのラインピアス
しおりを挟む
昼間のガーデンハウスでは、強烈な眠気に襲われながらも、しっかり食事は取ったらしく、帰宅後も全然空腹にはならない。サビーナが帰宅するという9時までまだ少し時間があるので、私はベッドに転がってベルリン観光情報誌を開いている。
BBQの後にアントーニオが車で送ってくれた。
その車が、黒光りするポルシェのニューケイマンだったので、最初は乗るのを躊躇したくらいびびってしまった。初めて間近で見る、車体の低い美しいフォルムの高級車。アントーニオは足がすくんでいる私を見て、紳士的に微笑むと、助手席のドアを開けてそっと背中を押した。戸惑いながらも遠慮がちに乗り込んで、初めてその内部を見る。スタイリッシュな車内を汚さないように緊張して、乗車中は微動だに出来なかった。聞こえる低音のエンジン音までも、エレガントな響きを持っているような気がした。
初めて乗るポルシェに、またしても会話が上の空だったのだが、話の最後で、明日は日曜日で暇だから、どこかへ連れて行こうかという提案を受けた。
BBQの時に彼のメールアドレスをもらっただけだったから、まさかメールのひとつも交換する前に、翌日のデートの話だなんて、さすがは気の早いイタリア人だと驚いた。でも、断る理由もないし、この人がどんな人か知る機会を先延ばしにする意味もないだろうと思い、有り難く申し出を受けた。緊張はしたけれど、特に違和感もないし、自分よりも年上で尊敬出来そうな人と話すのは心地良い。
次に拓海に会うのはそう遠くない。
自分の気持ちが分らない今、チャンスがあればいろんな人と話してみて、自身の深層心理を探るべきだ。
アントーニオが、私が行きたいところあがればそこに連れて行くし、特に考えつかなければ明日、会った時に彼が提案してくれるとのことだった。車で移動するからベルリン市街から少し離れたところでもいいと言っていたので、観光情報誌の「ベルリン近郊」ページをチェックする。
いくつか行ってみたいところを絞ったので、後でそのページをじっくり読んでみることにして、雑誌を閉じる。
あと15分くらいでサビーナのところへ行こうと思ってベッドから下りた。
ふと、手ぶらでお邪魔するのも失礼かもしれないと思う。
アントーニオに車で送ってもらったから、スーパーに寄ることもなく帰って来てしまった。
一番簡単なのは、自分が何か作って持って行くことだろう。サビーナは遅番で夜までお店で仕事という話だったから、帰宅するまできっと夕食は食べてないはずだ。
キッチンを見渡して目についたのは、昨日買ったじゃがいもの残り。ふと、サビーナがスペイン人であることを思い出し、冷蔵庫の卵の数を確認してみる。この間、6個入りを買って、2回、卵焼きを作っただけだから、まだ4個、残っているはずだ。
見てみると、やっぱり卵が4個、あった。
スパニッシュオムレツにしよう!
これだったら冷えてもまた温めて食べられるし、スペイン人がスパニッシュオムレツを嫌いということはないはずだ。
東京でダンス仲間とスペイン料理に行くと、パエリヤとスパニッシュオムレツだけは必ずテーブルに並ぶ定番メニューだった。私も、ほかほかのオムレツは大好きだ。
レシピを見なくても簡単に作れるから、もう迷うことなくすぐに作業を始める。
じゃがいも、卵、タマネギがあれば、後はオリーブオイルと塩胡椒だけと材料もシンプル。
タマネギのみじん切りをフライパンで飴色になるまでゆっくり炒めながら、じゃがいもをさいの目切りにして、フライパンに投入し、軽く混ぜたら、蓋を閉めて蒸すように火を通す。何度か蓋を開けてかき混ぜ、ちょっと濃いめに塩胡椒で味付け。
じゃがいもがホクホクになったら、かき混ぜた卵の入ったボウルに入れて全体を馴染ませて、もう一度フライパンへ戻す。
片面が焼けたら、お皿を被せてフライパンをひっくり返し、それをフライパンへスライドさえてもう片面も焼く。
弱火でこんがり焼けたら、もう出来上がりだ。
所要時間およそ20分、昨日のポテサラバゲットとは比較にならないお手軽な一品。
お皿に乗せて、アルミホイルの覆いをかけると、私は下に行くことにする。
呼び鈴を鳴らすと、バタバタと足音がして、すぐにサビーナが出て来て、私を招き入れてくれた。
「まだ昨日のままだから、家具も動いてないわよ」
リビングのほうを見ると、片付いてはいるけれど、ソファも窓際に寄せたままで昨日と同じレイアウトだった。
「ありがとう。ちょっとだけ探してみるね」
私はそう言って、持って来たお皿をサビーナに差し出した。彼女がびっくりしたように目を丸くしてお皿を受け取り、アルミホイルを少しめくって中を見ると、嬉しそうな声をあげた。
「スパニッシュオムレツ!?作ってくれたの?」
「うん、じゃがいもが沢山余ってたから……よかったら食べて」
「ありがとう!今からパンでも食べようと思ってたのよ。温かいのを食べれるなんて嬉しい!大急ぎでシャワーしてからこれを頂くことにするわ」
サビーナはぎゅっと私の肩を抱いて、笑顔でお礼を言うと、お皿を持ってキッチンのほうへ消えて行く。
やがて、バスルームのシャワーの音が聞こえて来た。
持って来てよかったなとほっとして、私はもう一度リビングを見渡した。
あんな小さいものを探すのは、決して大きくないこのリビングルームとはいえ、そう簡単ではないだろう。見つかったらラッキーということにして、あまり期待しないよう自分に言い聞かせ、無くしたピアスを探し始めた。
まもなくバスルームのほうからドライヤーの音が聞こえて来たので、察するにサビーナはもう、シャワーを終えたらしい。5分もかかってないだろう。私もさっき、BBQの煙を落とすためにシャワーしたが、15分はお湯を浴びてた。無駄にシャワーを長々と浴びる私とは大違いだと感心しつつ、ソファの隙間や、テーブルの下、重ねられた雑誌のあたりを探してみる。
置かれている鉢植えや、ステレオの周り。クッションの下、置かれている楕円形のマットの下もめくってまんべんなく見たが、ピアスは見つからない。
ふと、白いカーテンが閉まっている窓に目がいく。
そういえば、開いた窓の近くで、髪をほどいてまとめたりしたから、その時に髪にひっかかって落ちたということも多いにありえるだろう。カーテンを開けて窓の縁を見てみたが、そこには何もない。窓の外には長くて割と大きいプランターが掛けてあるのに気がつき、そこに落ちた可能性もあると思い、窓を開けた。
少し身を乗り出して、手入れがされずにボウボウと雑草が生えているプランターに手を伸ばす。暗いせいで良く見えないけれど、シルバーならキラリと光ってわかるはずだと思って、更に身を乗り出して、雑草を両手で掻き分けてみる。まるで犬の毛に隠れているノミを探しているみたいだなと自分にツッコミを入れつつ、丁寧に雑草をかきわけていると、突然背後から叫び声がした。
「リオ?!」
不意に大声で呼ばれ驚いて振り返ると、目の前に現れたヴィクターが私に飛びつくように両手を伸ばして来るのが見えた。肩に伸ばされた彼の手に驚いて、思わず後ろに身を引きそうになったところをぐいと引き寄せられ、その勢いで今度は前のめりに倒れかける。躓きそうによろめいた所を、ヴィクターの胸に飛び込む体勢で力強く抱え込まれ、なんとか転ばずにすんだ。
「な、なにっ!?」
ものすごく驚いて声をあげると、少し怒った様な目をしたヴィクターが私を見下ろした。
「なにって、それはこっちが聞きたい質問だ!今にも窓から落ちそうになってた!」
「え、落ちそうだったかな……?」
つま先立ちして身を乗り出していたのは確かだが、お腹のあたりに窓枠があったし、特にバランス悪くは感じてなかった。でも、自分の後ろ姿は見えないから、何も知らない人が見たら、自殺行為に見えたのかもしれない。そう思うと、なんだか可笑しくなって笑い出してしまう。
笑っている私を見て呆れ顔で、はぁ、と溜め息をついたヴィクターが、ようやく私の背中から手を離した。
「窓で何やってんの」
「昨晩、ピアスを片方なくしたから、もしかしてこのプランターに落ちたかと」
「ピアス?あの、シルバーのやつ?」
「そう」
すると、ヴィクターは窓辺に寄って両手を伸ばし、プランターを持ち上げ、リビングのフロアにドン、と置いた。
なるほど、こうすれば明かりで良く見えるし、落ちる心配もない。
「昨晩の片付けの時には、俺も気がつかなかったなぁ」
そう呟きながら、ヴィクターはしゃがみ込んでプランターの雑草をいじり始めた。
「いいよ、仕事から帰って来たばかりでしょ?私、自分で探すから」
私は床に膝をついてプランターに手を伸ばし、もう一度はじのほうから雑草の隙間を調べる。しばらく無言で雑草をいじっていると、バタバタと足音がしてサビーナがリビングに入って来て、私達を見るとびっくりして吹き出した。
「リビングで農作業してるみたい!リオ、まだ、見つからないの?」
「うん……やっぱり、このプランターにも無いみたい。もう、いいや」
私は諦めて、プランターから手を離した。
「ヴィクター、もういいよ。有り難う。せっかくプランターまで動かしてくれたのに」
そう言うと、彼は少し申し訳なさそうな顔をして、プランターの雑草から手を離した。
「窓から落ちたということはないかもな。もし、後で見つけたら、帰国後でも郵送するから」
「いいよ、そこまでは。また、似たの探して買えばいいし。でも、ありがとう」
私はあくまで親切なヴィクターに笑顔でお礼を言うと、立ち上がった。
サビーナが私の前にお皿を見せて、にっこりした。
「もう、半分食べちゃった」
「ほんとに」
気に入ってもらえたんだと思ってほっとしていると、プランターを窓の外に出したヴィクターが振り返って、サビーナの持っているオムレツを珍しそうに見た。
「あれ、オムレツ?サビーナが作るなんて珍しい」
サビーナは肩をすくめて笑って、お皿を彼に差し出した。
「違うわよ。リオが持って来てくれたの。美味しいわよ」
「へぇ、リオが作ったんだ」
クスッと笑ってこちらを見たので、私はちょっと照れて笑った。
「スペイン人に、スパニッシュオムレツを持って行くなんて、失礼かなと思ったけど」
「そんなことないわ!バルセロナのおばぁちゃんのオムレツ、思い出しちゃった。懐かしい味がする」
サビーナがにっこり微笑んだ。
隣のヴィクターがサビーナに差し出されたフォークを取り、オムレツに手を伸ばした。
「うん、美味しい。それにまだ、温かい。リオ、上出来だ」
「オムレツはやっぱり、家庭料理よね。レストランで食べるのとは違うわ」
サビーナとヴィクターが美味しそうに食べてくれるのを見てくすぐったいような嬉しさを覚えた。私はめくりっぱなしだったカーペットを元に戻し、リビングの出口へ寄る。
「それじゃ、帰るね。お騒がせしました!」
そう言うと、サビーナがにっこり笑ってフォークを持った片手を挙げ、ヴィクターも片手をあげて「チャオ」と笑顔を向ける。
なんとなく温かい気持ちになりながら、私はリビングの二人に背を向けたのだった。
BBQの後にアントーニオが車で送ってくれた。
その車が、黒光りするポルシェのニューケイマンだったので、最初は乗るのを躊躇したくらいびびってしまった。初めて間近で見る、車体の低い美しいフォルムの高級車。アントーニオは足がすくんでいる私を見て、紳士的に微笑むと、助手席のドアを開けてそっと背中を押した。戸惑いながらも遠慮がちに乗り込んで、初めてその内部を見る。スタイリッシュな車内を汚さないように緊張して、乗車中は微動だに出来なかった。聞こえる低音のエンジン音までも、エレガントな響きを持っているような気がした。
初めて乗るポルシェに、またしても会話が上の空だったのだが、話の最後で、明日は日曜日で暇だから、どこかへ連れて行こうかという提案を受けた。
BBQの時に彼のメールアドレスをもらっただけだったから、まさかメールのひとつも交換する前に、翌日のデートの話だなんて、さすがは気の早いイタリア人だと驚いた。でも、断る理由もないし、この人がどんな人か知る機会を先延ばしにする意味もないだろうと思い、有り難く申し出を受けた。緊張はしたけれど、特に違和感もないし、自分よりも年上で尊敬出来そうな人と話すのは心地良い。
次に拓海に会うのはそう遠くない。
自分の気持ちが分らない今、チャンスがあればいろんな人と話してみて、自身の深層心理を探るべきだ。
アントーニオが、私が行きたいところあがればそこに連れて行くし、特に考えつかなければ明日、会った時に彼が提案してくれるとのことだった。車で移動するからベルリン市街から少し離れたところでもいいと言っていたので、観光情報誌の「ベルリン近郊」ページをチェックする。
いくつか行ってみたいところを絞ったので、後でそのページをじっくり読んでみることにして、雑誌を閉じる。
あと15分くらいでサビーナのところへ行こうと思ってベッドから下りた。
ふと、手ぶらでお邪魔するのも失礼かもしれないと思う。
アントーニオに車で送ってもらったから、スーパーに寄ることもなく帰って来てしまった。
一番簡単なのは、自分が何か作って持って行くことだろう。サビーナは遅番で夜までお店で仕事という話だったから、帰宅するまできっと夕食は食べてないはずだ。
キッチンを見渡して目についたのは、昨日買ったじゃがいもの残り。ふと、サビーナがスペイン人であることを思い出し、冷蔵庫の卵の数を確認してみる。この間、6個入りを買って、2回、卵焼きを作っただけだから、まだ4個、残っているはずだ。
見てみると、やっぱり卵が4個、あった。
スパニッシュオムレツにしよう!
これだったら冷えてもまた温めて食べられるし、スペイン人がスパニッシュオムレツを嫌いということはないはずだ。
東京でダンス仲間とスペイン料理に行くと、パエリヤとスパニッシュオムレツだけは必ずテーブルに並ぶ定番メニューだった。私も、ほかほかのオムレツは大好きだ。
レシピを見なくても簡単に作れるから、もう迷うことなくすぐに作業を始める。
じゃがいも、卵、タマネギがあれば、後はオリーブオイルと塩胡椒だけと材料もシンプル。
タマネギのみじん切りをフライパンで飴色になるまでゆっくり炒めながら、じゃがいもをさいの目切りにして、フライパンに投入し、軽く混ぜたら、蓋を閉めて蒸すように火を通す。何度か蓋を開けてかき混ぜ、ちょっと濃いめに塩胡椒で味付け。
じゃがいもがホクホクになったら、かき混ぜた卵の入ったボウルに入れて全体を馴染ませて、もう一度フライパンへ戻す。
片面が焼けたら、お皿を被せてフライパンをひっくり返し、それをフライパンへスライドさえてもう片面も焼く。
弱火でこんがり焼けたら、もう出来上がりだ。
所要時間およそ20分、昨日のポテサラバゲットとは比較にならないお手軽な一品。
お皿に乗せて、アルミホイルの覆いをかけると、私は下に行くことにする。
呼び鈴を鳴らすと、バタバタと足音がして、すぐにサビーナが出て来て、私を招き入れてくれた。
「まだ昨日のままだから、家具も動いてないわよ」
リビングのほうを見ると、片付いてはいるけれど、ソファも窓際に寄せたままで昨日と同じレイアウトだった。
「ありがとう。ちょっとだけ探してみるね」
私はそう言って、持って来たお皿をサビーナに差し出した。彼女がびっくりしたように目を丸くしてお皿を受け取り、アルミホイルを少しめくって中を見ると、嬉しそうな声をあげた。
「スパニッシュオムレツ!?作ってくれたの?」
「うん、じゃがいもが沢山余ってたから……よかったら食べて」
「ありがとう!今からパンでも食べようと思ってたのよ。温かいのを食べれるなんて嬉しい!大急ぎでシャワーしてからこれを頂くことにするわ」
サビーナはぎゅっと私の肩を抱いて、笑顔でお礼を言うと、お皿を持ってキッチンのほうへ消えて行く。
やがて、バスルームのシャワーの音が聞こえて来た。
持って来てよかったなとほっとして、私はもう一度リビングを見渡した。
あんな小さいものを探すのは、決して大きくないこのリビングルームとはいえ、そう簡単ではないだろう。見つかったらラッキーということにして、あまり期待しないよう自分に言い聞かせ、無くしたピアスを探し始めた。
まもなくバスルームのほうからドライヤーの音が聞こえて来たので、察するにサビーナはもう、シャワーを終えたらしい。5分もかかってないだろう。私もさっき、BBQの煙を落とすためにシャワーしたが、15分はお湯を浴びてた。無駄にシャワーを長々と浴びる私とは大違いだと感心しつつ、ソファの隙間や、テーブルの下、重ねられた雑誌のあたりを探してみる。
置かれている鉢植えや、ステレオの周り。クッションの下、置かれている楕円形のマットの下もめくってまんべんなく見たが、ピアスは見つからない。
ふと、白いカーテンが閉まっている窓に目がいく。
そういえば、開いた窓の近くで、髪をほどいてまとめたりしたから、その時に髪にひっかかって落ちたということも多いにありえるだろう。カーテンを開けて窓の縁を見てみたが、そこには何もない。窓の外には長くて割と大きいプランターが掛けてあるのに気がつき、そこに落ちた可能性もあると思い、窓を開けた。
少し身を乗り出して、手入れがされずにボウボウと雑草が生えているプランターに手を伸ばす。暗いせいで良く見えないけれど、シルバーならキラリと光ってわかるはずだと思って、更に身を乗り出して、雑草を両手で掻き分けてみる。まるで犬の毛に隠れているノミを探しているみたいだなと自分にツッコミを入れつつ、丁寧に雑草をかきわけていると、突然背後から叫び声がした。
「リオ?!」
不意に大声で呼ばれ驚いて振り返ると、目の前に現れたヴィクターが私に飛びつくように両手を伸ばして来るのが見えた。肩に伸ばされた彼の手に驚いて、思わず後ろに身を引きそうになったところをぐいと引き寄せられ、その勢いで今度は前のめりに倒れかける。躓きそうによろめいた所を、ヴィクターの胸に飛び込む体勢で力強く抱え込まれ、なんとか転ばずにすんだ。
「な、なにっ!?」
ものすごく驚いて声をあげると、少し怒った様な目をしたヴィクターが私を見下ろした。
「なにって、それはこっちが聞きたい質問だ!今にも窓から落ちそうになってた!」
「え、落ちそうだったかな……?」
つま先立ちして身を乗り出していたのは確かだが、お腹のあたりに窓枠があったし、特にバランス悪くは感じてなかった。でも、自分の後ろ姿は見えないから、何も知らない人が見たら、自殺行為に見えたのかもしれない。そう思うと、なんだか可笑しくなって笑い出してしまう。
笑っている私を見て呆れ顔で、はぁ、と溜め息をついたヴィクターが、ようやく私の背中から手を離した。
「窓で何やってんの」
「昨晩、ピアスを片方なくしたから、もしかしてこのプランターに落ちたかと」
「ピアス?あの、シルバーのやつ?」
「そう」
すると、ヴィクターは窓辺に寄って両手を伸ばし、プランターを持ち上げ、リビングのフロアにドン、と置いた。
なるほど、こうすれば明かりで良く見えるし、落ちる心配もない。
「昨晩の片付けの時には、俺も気がつかなかったなぁ」
そう呟きながら、ヴィクターはしゃがみ込んでプランターの雑草をいじり始めた。
「いいよ、仕事から帰って来たばかりでしょ?私、自分で探すから」
私は床に膝をついてプランターに手を伸ばし、もう一度はじのほうから雑草の隙間を調べる。しばらく無言で雑草をいじっていると、バタバタと足音がしてサビーナがリビングに入って来て、私達を見るとびっくりして吹き出した。
「リビングで農作業してるみたい!リオ、まだ、見つからないの?」
「うん……やっぱり、このプランターにも無いみたい。もう、いいや」
私は諦めて、プランターから手を離した。
「ヴィクター、もういいよ。有り難う。せっかくプランターまで動かしてくれたのに」
そう言うと、彼は少し申し訳なさそうな顔をして、プランターの雑草から手を離した。
「窓から落ちたということはないかもな。もし、後で見つけたら、帰国後でも郵送するから」
「いいよ、そこまでは。また、似たの探して買えばいいし。でも、ありがとう」
私はあくまで親切なヴィクターに笑顔でお礼を言うと、立ち上がった。
サビーナが私の前にお皿を見せて、にっこりした。
「もう、半分食べちゃった」
「ほんとに」
気に入ってもらえたんだと思ってほっとしていると、プランターを窓の外に出したヴィクターが振り返って、サビーナの持っているオムレツを珍しそうに見た。
「あれ、オムレツ?サビーナが作るなんて珍しい」
サビーナは肩をすくめて笑って、お皿を彼に差し出した。
「違うわよ。リオが持って来てくれたの。美味しいわよ」
「へぇ、リオが作ったんだ」
クスッと笑ってこちらを見たので、私はちょっと照れて笑った。
「スペイン人に、スパニッシュオムレツを持って行くなんて、失礼かなと思ったけど」
「そんなことないわ!バルセロナのおばぁちゃんのオムレツ、思い出しちゃった。懐かしい味がする」
サビーナがにっこり微笑んだ。
隣のヴィクターがサビーナに差し出されたフォークを取り、オムレツに手を伸ばした。
「うん、美味しい。それにまだ、温かい。リオ、上出来だ」
「オムレツはやっぱり、家庭料理よね。レストランで食べるのとは違うわ」
サビーナとヴィクターが美味しそうに食べてくれるのを見てくすぐったいような嬉しさを覚えた。私はめくりっぱなしだったカーペットを元に戻し、リビングの出口へ寄る。
「それじゃ、帰るね。お騒がせしました!」
そう言うと、サビーナがにっこり笑ってフォークを持った片手を挙げ、ヴィクターも片手をあげて「チャオ」と笑顔を向ける。
なんとなく温かい気持ちになりながら、私はリビングの二人に背を向けたのだった。
0
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
思い出のチョコレートエッグ
ライヒェル
恋愛
失恋傷心旅行に出た花音は、思い出の地、オランダでの出会いをきっかけに、ワーキングホリデー制度を利用し、ドイツの首都、ベルリンに1年限定で住むことを決意する。
慣れない海外生活に戸惑い、異国ならではの苦労もするが、やがて、日々の生活がリズムに乗り始めたころ、とてつもなく魅力的な男性と出会う。
秘密の多い彼との恋愛、彼を取り巻く複雑な人間関係、初めて経験するセレブの世界。
主人公、花音の人生パズルが、紆余曲折を経て、ついに最後のピースがぴったりはまり完成するまでを追う、胸キュン&溺愛系ラブストーリーです。
* ドイツ在住の作者がお届けする、ヨーロッパを舞台にした、喜怒哀楽満載のラブストーリー。
* 外国での生活や、外国人との恋愛の様子をリアルに感じて、主人公の日々を間近に見ているような気分になれる内容となっています。
* 実在する場所と人物を一部モデルにした、リアリティ感の溢れる長編小説です。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
10 sweet wedding
国樹田 樹
恋愛
『十年後もお互い独身だったら、結婚しよう』 そんな、どこかのドラマで見た様な約束をした私達。 けれど十年後の今日、私は彼の妻になった。 ……そんな二人の、式後のお話。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
一夜限りのお相手は
栗原さとみ
恋愛
私は大学3年の倉持ひより。サークルにも属さず、いたって地味にキャンパスライフを送っている。大学の図書館で一人読書をしたり、好きな写真のスタジオでバイトをして過ごす毎日だ。ある日、アニメサークルに入っている友達の亜美に頼みごとを懇願されて、私はそれを引き受けてしまう。その事がきっかけで思いがけない人と思わぬ展開に……。『その人』は、私が尊敬する写真家で憧れの人だった。R5.1月
人違いラブレターに慣れていたので今回の手紙もスルーしたら、片思いしていた男の子に告白されました。この手紙が、間違いじゃないって本当ですか?
石河 翠
恋愛
クラス内に「ワタナベ」がふたりいるため、「可愛いほうのワタナベさん」宛のラブレターをしょっちゅう受け取ってしまう「そうじゃないほうのワタナベさん」こと主人公の「わたし」。
ある日「わたし」は下駄箱で、万年筆で丁寧に宛名を書いたラブレターを見つける。またかとがっかりした「わたし」は、その手紙をもうひとりの「ワタナベ」の下駄箱へ入れる。
ところが、その話を聞いた隣のクラスのサイトウくんは、「わたし」が驚くほど動揺してしまう。 実はその手紙は本当に彼女宛だったことが判明する。そしてその手紙を書いた「地味なほうのサイトウくん」にも大きな秘密があって……。
「真面目」以外にとりえがないと思っている「わたし」と、そんな彼女を見守るサイトウくんの少女マンガのような恋のおはなし。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しています。
扉絵は汐の音さまに描いていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる