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十章
伝えたい気持ち
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二人で中庭の散歩から戻って来たら、エイドリアンが待ち構えていた。
離宮の管理者が、カスピアンに挨拶をしたいとのことだった。
アンカール国の衛兵達に誘導されてサロンへと向かう。
この離宮を管理しているのは、マルシオ国王の叔父、フィリペ公爵。普段はこちらには来ていないのだが、たまたま都合で近郊まで来ていたため、立ち寄ったらしい。
この世界の王侯貴族の男性は、よほど禿げが酷くならない限り、基本的に長髪だ。だが、全然薄くなってもいないのに、フィリペ公爵はロマンスグレーの短髪だった。思い返せば、ウォルシュ公爵も、ダークブロンドの髪を肩のあたりで切りそろえていたので、もしかすると、アンカール国の王侯貴族の男子の間では、他国より短めの髪型が流行っているのかもしれない。まるでハリウッドの中年イケメン男優のように見える公爵は、王族の血筋と納得させる気品と貫禄があり、流石に国王の叔父だけのことはあった。
静かに会話を交わす公爵とカスピアンを見ていると、まるで中世ヨーロッパの映画撮影現場に居合わせたような錯覚を覚える。
隣に立つカスピアンも、自分より随分と年上相手だというのに、いつもと変わらず、対等に堂々と対峙していた。立場的には、国王である彼が上ということもあるが、もともとこの人は、いわゆる緊張という感覚がなさそうではある。
二人が挨拶を交わし、カスピアンが私を紹介した後、きちんとお辞儀して挨拶を述べた。
礼儀に則った挨拶が終わると、カウチに向かい合って座る。
カスピアンが、今回受けた助力全般について、マルシオ国王への感謝の気持ちを伝えた。お礼の言葉は、カスピアンからだけではなく、私からもきちんとお伝えした。
しばらく話をしていると、サロンの扉のノックの音がする。扉の向こうに目を向けると、フォリオが現れた。
無事に問題なく国境を通過したのだと知り、ホッとして笑顔を向けると、フォリオがにっこり微笑んでお辞儀をする。こちらへやってきて、フィリペ公爵の後ろに控えた彼が、カスピアンに丁重な挨拶を述べた。
フィリペ公爵が、今晩、宴を催して私達もてなしたいと提案したが、カスピアンは、明日の朝の出発が早いことを理由に辞退した。その後、公爵より、私のアンカール訪問についての話が出されたが、カスピアンは、正確な日程等については、外交担当のユリアスを通して相談するということで明言を避けた。
一通りの話が終わり、フィリペ公爵が離宮を後にするのを見送ると、エイドリアンがやってきて、明日からの帰国旅程について打ち合わせたいと提案する。
ラベロアから同行してきた騎士団のメンバー達が、エイドリアンの後をついて次々とサロンに入って来た。扉の側で控えていたサリーが私に近寄ってくる。
「では、セイラ様はお部屋に御連れしましょう」
カウチから立ち上がったら、カスピアンが手で制した。
どうしたのかと思って彼を見ると、座れ、と目で指示をする。
「おまえも同席すればいい」
「いいの?」
「軍議ではない。ただの旅程の確認だ」
軍人ばかりの打ち合わせに同席するのは違和感があったが、特に反対する理由もないので、再度、カウチに座り直した。初めてこういう場に同席するため、緊張する。
軍議などが行われる会議室などではなく、サロンという優雅な空間ではあるが、軍服の面子がずらりと並び、テーブルを囲む様子は緊迫感があった。
エイドリアンがテーブルに出した旅程図と地図を見下ろしながら、予想される天候の話や道の状態を報告し、休憩を取る場所などを確認していく。まず、大まかな予定を確認した後、細かいところを詰めるらしい。
明日は夜明けと共に出発し、夜にはラベロア領域に入る予定だとのこと。
国境近くにある離宮に宿泊し、翌日の朝早くまた出発。
二日目の晩は、王都ルシュカから半日ほど離れたところにある離宮で宿泊し、明々後日の午後には王宮に到着するとのことだった。
「明後日の朝の出発を遅らせる。王宮への到着は夜にずれても構わない」
カスピアンの指示に、エイドリアンが腑に落ちない表情で聞き返す。
「何故でしょうか。可能な限り早く戻られたいとのことでしたが……」
「離宮のあるメルベクには、我が国でも有数の鉱山がある」
カスピアンは隣に座っている私に目を向け、意志の強そうな口元に僅かな微笑みを浮かべた。
「鉱山……?」
お妃教育で学んだラベロアの産物の項目一覧を思い出す。
国内数カ所に、金や銀、銅の鉱山資源があり、産出量は近隣諸国ではトップ。ラベロアの王室が裕福な理由のひとつが、この恵まれた資源を保有することだった。
「メルベクには優れた金細工師がいる。おまえの王妃の冠もメルベクで作らせていた」
「あ、もしかして……」
私はつい先ほど、結婚指輪の話をしたことを思い出す。
彼は、メルベクで早速指輪の発注をしてくれるつもりなのだ。
カスピアンは、驚いて目を丸くしている私に頷くと、エイドリアンに指示を出した。
「明後日の午前中に、金鉱の責任者と金細工師を離宮に呼ぶ手配をしろ」
エイドリアンが私の方を見て、納得したというように微笑み頷いた。彼も、私がカスピアンに何かお願い事をしたと察したらしい。
「かしこまりました。謁見の手配をします。早速、現地へ連絡を飛ばしましょう」
エイドリアンは脇に控えていた部下に何やら指令を出し、その衛兵はすぐに退室した。
こんなにすぐ、指輪を作る準備に取りかかってもらうことになるとは予測していなかった。びっくりしたが、同時に、カスピアンが私のお願いを真剣に捉え、出来るだけ早く叶えようとしていることに感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
引き続き旅程について細かい打ち合わせをしている彼等を見ながら、何か私がカスピアンにしてあげられることがないかと考える。この国では自分のお金なんて持っていないから、彼にプレゼントを買ってあげるということは不可能。ましてや、ラベロアで最も裕福な国王に贈るものなんて、そう簡単に考えつかない。女性相手なら、花束や香水などもよかっただろうが、彼に相応しいとは言えず……どうにかして、彼を喜ばせることが出来ないかと考え込む。
ラベロアから同行していた女官がお茶を運んで来た。打ち合わせ中の皆に、湯気の立つお茶を配っている女官を眺めながら、あるアイデアが頭に浮かぶ。
私に出来て、彼がきっと喜ぶものといえば、やっぱりアレだろうか。
これだったらきっと、自己満足に終わらず、彼も笑顔になってくれる。
要は、それが実行可能かどうかだ。
外の明るさを確認し、時間は、まだ十分に有ると確信する。
心を決めると、もう、ここでじっと座っているわけにもいかず、私は隣のカスピアンの腕に触れた。
「ごめんなさい。ちょっと、離席していい?サリーと話したいことがあるから」
彼は不機嫌そうに眉をしかめた。
「急ぎではないだろう。後にしろ」
まさか渋るとは思っていなかったので困惑したが、もしかすると、私がまた逃げ出すとか、危険な事をするのではと疑っているのかもしれないと気づく。
「お願い。サリーと一緒にいるし、危ないこととかは絶対にしない。後で、ちゃんと説明するから!」
嘘はついていない!
しっかり伝わるように、まっすぐに彼の目を見上げてお願いした。
私の真剣さに折れたのか、彼は苦い表情を浮かべながらも、私の隣に来たサリーに目をやった。サリーが、まかせてください、というように大きく頷いたので、彼は渋々許可を出した。
「用事が済み次第戻れ」
「はい!」
私は勢い良く立ち上がり、カスピアンやエイドリアン、他の皆を振り返った。
「あ、そういえば……」
私は重要な事を聞きそびれそうになり、慌ててエイドリアンに目をやった。
「エイドリアン。今回、ラベロアからここへ同行して来たのは、何人だったの?」
私の唐突な質問に、エイドリアンが面食らったように目を見開いたが、すぐに答えた。
「30人です」
「カスピアンも含めて?」
「いいえ」
「じゃ、皆で31人?」
「左様でございます」
「そう。わかった。ありがとう」
非公式で来ているらしいから、予想より人数はもっと少ないことにホッとする。
私は笑顔で頷くと、皆に向かってきちんとお辞儀をした。カスピアンが私の言動を怪しむような視線をこちらに向けたが、素知らぬ顔で彼に微笑みかけ、サリーを急かしてサロンを出た。
「セイラ様、一体どういう御用ですか」
サリーが少し心配そうに私に聞く。彼女もまた、私が突飛な行動を取るのではと不安なのかもしれない。身から出た錆といえばその通りなので、私は苦笑した。
サリーを連れてサロンを離れ、回廊の隅っこにいくと、私は辺りを見渡して誰も聞いていないのを確認した。
「厨房を使わせてもらえるようにしてほしいんだけど」
「えっ?厨房ですか?」
度肝を抜かれたように聞き返すサリー。
「夕食を作りたいの。全員分」
「夕食をですか?セイラ様が?」
ますます驚いたように目をまん丸くしたサリーが、しばらく固まっていたが、やがて、呆れたように笑い出した。
「そう言えば、もともと焼き菓子作りなどがお得意でいらっしゃいましたね。失念しておりました」
「だって庶民だから」
私の答えに、サリーがくすくすと笑いを零す。
「流石に自分一人じゃ無理だけど、厨房のスタッフに手伝ってもらえたら大丈夫だと思う。突然こんな無茶苦茶なお願いをして悪いと思うんだけど、どうしても、皆にお礼の気持ちを伝えたくて。なんとかなるように、交渉してくれないかな」
「かしこまりました。そういうことでしたら、お任せください」
頼もしいサリーは、拳で胸を叩き、力強く頷いた。
それからまもなく、敏腕女官のサリーの努力のお陰で、私はちゃっかりアンカール国の厨房用の作業着を借り、厨房に居た。厨房のスタッフは、突然現れた私にすごく驚いていた様子だったが、幸か不幸か、ラベロアの次期王妃は普通じゃない、という噂は彼等の耳にまで入っていたらしく、笑顔で迎え入れてくれた。
丁度、夕食の準備を始めるところだったという良いタイミングに間に合った事にホッとする。サリーが、出来るだけ、包丁や火を私に扱わせないでほしいと料理長に頼み込んでいるのが聞こえたが、細かいことは気にしない事にした。
大きな作業台を囲み、私が希望している夕食のメニューについて、材料の有無や、作業分担について打ち合わせる。これも一種の作戦会議みたいで、場を仕切りながらだんだん興奮してくる。
打ち合わせが終了すると、さすがにプロの料理人達の動きは素早かった。多い時は、数百人以上の食事を作る厨房スタッフなのだ。アンカール国の離宮スタッフ用の食事はもう殆ど出来上がっているということだったので、ラベロア王国のメンバーだけの食事を作る事となる。
私を含めて、32人分。
メニューに従い、適量の野菜や肉を取り出し、それぞれのスタッフが下準備を始めた。私も、野菜を切ったり、混ぜたりと、出来る限りの作業を請け負う。手持ち無沙汰らしいサリーと、後をついてきた2名のラベロアから来ている女官達も、お皿を出したりと協力してくれた。
カスピアンは喜んでくれるだろうか。
焼き菓子は以前も食べてもらったことはあるけれど、いわゆる食事を私が作るのは初めてだ。私が作りたいものは、当然、私が自分の世界で作ったことのあるものなので、この国では目新しいものもある。彼の口に合わなかったらどうしようか、と心配になったが、基本、好き嫌いのない彼なら大丈夫だろうと思い直す。
それに、例えまずくても、彼は私の努力と気持ちを喜んでくれる。
もちろん、まずいものを出すつもりはないけれど……
厨房で走り回っていると、時間も忘れ、寡黙になる。
どれくらいの間作業をしていたのか、時計も見ていないからわからなかったが、はっと気がつくと、外は真っ暗になっていた。冬がもうそこまで来ているから、日が落ちる時間も早くなっている。
そろそろ、夕食の時間になったのは確かだった。
離宮の管理者が、カスピアンに挨拶をしたいとのことだった。
アンカール国の衛兵達に誘導されてサロンへと向かう。
この離宮を管理しているのは、マルシオ国王の叔父、フィリペ公爵。普段はこちらには来ていないのだが、たまたま都合で近郊まで来ていたため、立ち寄ったらしい。
この世界の王侯貴族の男性は、よほど禿げが酷くならない限り、基本的に長髪だ。だが、全然薄くなってもいないのに、フィリペ公爵はロマンスグレーの短髪だった。思い返せば、ウォルシュ公爵も、ダークブロンドの髪を肩のあたりで切りそろえていたので、もしかすると、アンカール国の王侯貴族の男子の間では、他国より短めの髪型が流行っているのかもしれない。まるでハリウッドの中年イケメン男優のように見える公爵は、王族の血筋と納得させる気品と貫禄があり、流石に国王の叔父だけのことはあった。
静かに会話を交わす公爵とカスピアンを見ていると、まるで中世ヨーロッパの映画撮影現場に居合わせたような錯覚を覚える。
隣に立つカスピアンも、自分より随分と年上相手だというのに、いつもと変わらず、対等に堂々と対峙していた。立場的には、国王である彼が上ということもあるが、もともとこの人は、いわゆる緊張という感覚がなさそうではある。
二人が挨拶を交わし、カスピアンが私を紹介した後、きちんとお辞儀して挨拶を述べた。
礼儀に則った挨拶が終わると、カウチに向かい合って座る。
カスピアンが、今回受けた助力全般について、マルシオ国王への感謝の気持ちを伝えた。お礼の言葉は、カスピアンからだけではなく、私からもきちんとお伝えした。
しばらく話をしていると、サロンの扉のノックの音がする。扉の向こうに目を向けると、フォリオが現れた。
無事に問題なく国境を通過したのだと知り、ホッとして笑顔を向けると、フォリオがにっこり微笑んでお辞儀をする。こちらへやってきて、フィリペ公爵の後ろに控えた彼が、カスピアンに丁重な挨拶を述べた。
フィリペ公爵が、今晩、宴を催して私達もてなしたいと提案したが、カスピアンは、明日の朝の出発が早いことを理由に辞退した。その後、公爵より、私のアンカール訪問についての話が出されたが、カスピアンは、正確な日程等については、外交担当のユリアスを通して相談するということで明言を避けた。
一通りの話が終わり、フィリペ公爵が離宮を後にするのを見送ると、エイドリアンがやってきて、明日からの帰国旅程について打ち合わせたいと提案する。
ラベロアから同行してきた騎士団のメンバー達が、エイドリアンの後をついて次々とサロンに入って来た。扉の側で控えていたサリーが私に近寄ってくる。
「では、セイラ様はお部屋に御連れしましょう」
カウチから立ち上がったら、カスピアンが手で制した。
どうしたのかと思って彼を見ると、座れ、と目で指示をする。
「おまえも同席すればいい」
「いいの?」
「軍議ではない。ただの旅程の確認だ」
軍人ばかりの打ち合わせに同席するのは違和感があったが、特に反対する理由もないので、再度、カウチに座り直した。初めてこういう場に同席するため、緊張する。
軍議などが行われる会議室などではなく、サロンという優雅な空間ではあるが、軍服の面子がずらりと並び、テーブルを囲む様子は緊迫感があった。
エイドリアンがテーブルに出した旅程図と地図を見下ろしながら、予想される天候の話や道の状態を報告し、休憩を取る場所などを確認していく。まず、大まかな予定を確認した後、細かいところを詰めるらしい。
明日は夜明けと共に出発し、夜にはラベロア領域に入る予定だとのこと。
国境近くにある離宮に宿泊し、翌日の朝早くまた出発。
二日目の晩は、王都ルシュカから半日ほど離れたところにある離宮で宿泊し、明々後日の午後には王宮に到着するとのことだった。
「明後日の朝の出発を遅らせる。王宮への到着は夜にずれても構わない」
カスピアンの指示に、エイドリアンが腑に落ちない表情で聞き返す。
「何故でしょうか。可能な限り早く戻られたいとのことでしたが……」
「離宮のあるメルベクには、我が国でも有数の鉱山がある」
カスピアンは隣に座っている私に目を向け、意志の強そうな口元に僅かな微笑みを浮かべた。
「鉱山……?」
お妃教育で学んだラベロアの産物の項目一覧を思い出す。
国内数カ所に、金や銀、銅の鉱山資源があり、産出量は近隣諸国ではトップ。ラベロアの王室が裕福な理由のひとつが、この恵まれた資源を保有することだった。
「メルベクには優れた金細工師がいる。おまえの王妃の冠もメルベクで作らせていた」
「あ、もしかして……」
私はつい先ほど、結婚指輪の話をしたことを思い出す。
彼は、メルベクで早速指輪の発注をしてくれるつもりなのだ。
カスピアンは、驚いて目を丸くしている私に頷くと、エイドリアンに指示を出した。
「明後日の午前中に、金鉱の責任者と金細工師を離宮に呼ぶ手配をしろ」
エイドリアンが私の方を見て、納得したというように微笑み頷いた。彼も、私がカスピアンに何かお願い事をしたと察したらしい。
「かしこまりました。謁見の手配をします。早速、現地へ連絡を飛ばしましょう」
エイドリアンは脇に控えていた部下に何やら指令を出し、その衛兵はすぐに退室した。
こんなにすぐ、指輪を作る準備に取りかかってもらうことになるとは予測していなかった。びっくりしたが、同時に、カスピアンが私のお願いを真剣に捉え、出来るだけ早く叶えようとしていることに感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。
引き続き旅程について細かい打ち合わせをしている彼等を見ながら、何か私がカスピアンにしてあげられることがないかと考える。この国では自分のお金なんて持っていないから、彼にプレゼントを買ってあげるということは不可能。ましてや、ラベロアで最も裕福な国王に贈るものなんて、そう簡単に考えつかない。女性相手なら、花束や香水などもよかっただろうが、彼に相応しいとは言えず……どうにかして、彼を喜ばせることが出来ないかと考え込む。
ラベロアから同行していた女官がお茶を運んで来た。打ち合わせ中の皆に、湯気の立つお茶を配っている女官を眺めながら、あるアイデアが頭に浮かぶ。
私に出来て、彼がきっと喜ぶものといえば、やっぱりアレだろうか。
これだったらきっと、自己満足に終わらず、彼も笑顔になってくれる。
要は、それが実行可能かどうかだ。
外の明るさを確認し、時間は、まだ十分に有ると確信する。
心を決めると、もう、ここでじっと座っているわけにもいかず、私は隣のカスピアンの腕に触れた。
「ごめんなさい。ちょっと、離席していい?サリーと話したいことがあるから」
彼は不機嫌そうに眉をしかめた。
「急ぎではないだろう。後にしろ」
まさか渋るとは思っていなかったので困惑したが、もしかすると、私がまた逃げ出すとか、危険な事をするのではと疑っているのかもしれないと気づく。
「お願い。サリーと一緒にいるし、危ないこととかは絶対にしない。後で、ちゃんと説明するから!」
嘘はついていない!
しっかり伝わるように、まっすぐに彼の目を見上げてお願いした。
私の真剣さに折れたのか、彼は苦い表情を浮かべながらも、私の隣に来たサリーに目をやった。サリーが、まかせてください、というように大きく頷いたので、彼は渋々許可を出した。
「用事が済み次第戻れ」
「はい!」
私は勢い良く立ち上がり、カスピアンやエイドリアン、他の皆を振り返った。
「あ、そういえば……」
私は重要な事を聞きそびれそうになり、慌ててエイドリアンに目をやった。
「エイドリアン。今回、ラベロアからここへ同行して来たのは、何人だったの?」
私の唐突な質問に、エイドリアンが面食らったように目を見開いたが、すぐに答えた。
「30人です」
「カスピアンも含めて?」
「いいえ」
「じゃ、皆で31人?」
「左様でございます」
「そう。わかった。ありがとう」
非公式で来ているらしいから、予想より人数はもっと少ないことにホッとする。
私は笑顔で頷くと、皆に向かってきちんとお辞儀をした。カスピアンが私の言動を怪しむような視線をこちらに向けたが、素知らぬ顔で彼に微笑みかけ、サリーを急かしてサロンを出た。
「セイラ様、一体どういう御用ですか」
サリーが少し心配そうに私に聞く。彼女もまた、私が突飛な行動を取るのではと不安なのかもしれない。身から出た錆といえばその通りなので、私は苦笑した。
サリーを連れてサロンを離れ、回廊の隅っこにいくと、私は辺りを見渡して誰も聞いていないのを確認した。
「厨房を使わせてもらえるようにしてほしいんだけど」
「えっ?厨房ですか?」
度肝を抜かれたように聞き返すサリー。
「夕食を作りたいの。全員分」
「夕食をですか?セイラ様が?」
ますます驚いたように目をまん丸くしたサリーが、しばらく固まっていたが、やがて、呆れたように笑い出した。
「そう言えば、もともと焼き菓子作りなどがお得意でいらっしゃいましたね。失念しておりました」
「だって庶民だから」
私の答えに、サリーがくすくすと笑いを零す。
「流石に自分一人じゃ無理だけど、厨房のスタッフに手伝ってもらえたら大丈夫だと思う。突然こんな無茶苦茶なお願いをして悪いと思うんだけど、どうしても、皆にお礼の気持ちを伝えたくて。なんとかなるように、交渉してくれないかな」
「かしこまりました。そういうことでしたら、お任せください」
頼もしいサリーは、拳で胸を叩き、力強く頷いた。
それからまもなく、敏腕女官のサリーの努力のお陰で、私はちゃっかりアンカール国の厨房用の作業着を借り、厨房に居た。厨房のスタッフは、突然現れた私にすごく驚いていた様子だったが、幸か不幸か、ラベロアの次期王妃は普通じゃない、という噂は彼等の耳にまで入っていたらしく、笑顔で迎え入れてくれた。
丁度、夕食の準備を始めるところだったという良いタイミングに間に合った事にホッとする。サリーが、出来るだけ、包丁や火を私に扱わせないでほしいと料理長に頼み込んでいるのが聞こえたが、細かいことは気にしない事にした。
大きな作業台を囲み、私が希望している夕食のメニューについて、材料の有無や、作業分担について打ち合わせる。これも一種の作戦会議みたいで、場を仕切りながらだんだん興奮してくる。
打ち合わせが終了すると、さすがにプロの料理人達の動きは素早かった。多い時は、数百人以上の食事を作る厨房スタッフなのだ。アンカール国の離宮スタッフ用の食事はもう殆ど出来上がっているということだったので、ラベロア王国のメンバーだけの食事を作る事となる。
私を含めて、32人分。
メニューに従い、適量の野菜や肉を取り出し、それぞれのスタッフが下準備を始めた。私も、野菜を切ったり、混ぜたりと、出来る限りの作業を請け負う。手持ち無沙汰らしいサリーと、後をついてきた2名のラベロアから来ている女官達も、お皿を出したりと協力してくれた。
カスピアンは喜んでくれるだろうか。
焼き菓子は以前も食べてもらったことはあるけれど、いわゆる食事を私が作るのは初めてだ。私が作りたいものは、当然、私が自分の世界で作ったことのあるものなので、この国では目新しいものもある。彼の口に合わなかったらどうしようか、と心配になったが、基本、好き嫌いのない彼なら大丈夫だろうと思い直す。
それに、例えまずくても、彼は私の努力と気持ちを喜んでくれる。
もちろん、まずいものを出すつもりはないけれど……
厨房で走り回っていると、時間も忘れ、寡黙になる。
どれくらいの間作業をしていたのか、時計も見ていないからわからなかったが、はっと気がつくと、外は真っ暗になっていた。冬がもうそこまで来ているから、日が落ちる時間も早くなっている。
そろそろ、夕食の時間になったのは確かだった。
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