竪琴の乙女

ライヒェル

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八章

宵月のもとで

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王子の目に映るランプの炎がゆらゆらと揺れている。瞬きもせず、真っ直ぐに私を見つめるその目には、冗談や戯れの色はない。
子供?
ルシア王子の、子供?
彼は、本気でそんな事を口にしたのか?
私の心の叫びが聞こえたかのように、王子が私の額に優しい口付けを落とす。激しい動揺が走り、体が強ばる。狼狽えている私を見て、静かに笑いを零す王子が、宥めるように私の髪を指で梳く。
「婚礼の儀を待つまでもない。身籠もれば、おまえの寂しさも紛れるであろう」
想像だにしなかった言葉に、頭のヒューズが飛ぶ。妃という話から、一気に、子供という具体的なところまで飛躍している。
いつの間にかドレスが捲れて、王子の手が太ももに直に触れているのに気が付き、瞬時に血圧が上がる。
「やめ……」
その手から逃れようと身をよじると、ルシア王子の声が耳元で響く。
「誰のために身を守ろうとしているのだ。セイラ、おまえは信じた男に裏切られたのだろう」
その容赦ない言葉にグサリと傷つく。
「辛い過去など、忘れさせてやる。私がおまえを幸せにしてやろう」
傷ついた直後にかけられた、優しい響きのある言葉に、意思に反して揺れてしまう自分がいた。
例えようもない強烈な寂しさが、私をどんどん弱くしていく。この世界で、私は今、たった一人だ。
私がこの世界に留まる、唯一の理由だったカスピアンと離れ、アンリやヘレンに会う手段もない。ずっと支えてくれた、サリー達にもきっと、二度と会えない上、一緒にラベロアを出たエリオットともはぐれてしまった。
頼れる人といえば、このルシア王子しかいないのだ。
こんな私を側に置き、何不自由のない生活を保証してくれると言っている。
私を気に入っているというのが、どこまで真実なのかは読めないけれど、少なくとも、私を気遣ってくれているのは確かだ。市場へ気晴らしに連れて行ってくれたのも、本当に慰めようと思う気持ちがあったのだと思う。
もうこのまま、流されてもいい気がしてきた。
過去のしがらみに捕われて、悪い人と思っていたけれど、本来の彼は、自国の国民に深く愛され、子供達にも優しく接する人格者のようだった。それに、私を沈没しそうだった船から救ってくれた人なのだ。彼はどこか信用ならないとは思うけど、今日一日一緒に居る間、根本的な所に偽りは感じなかった。例え複数のお妃様が居たとしても、最初から知っていることだし、もうそれ自体、どうでもいいことのように思える。
投げやりな気持ちが、私を楽な方へと導こうとする。
ぼんやりする頭の中で考えながら、ルシア王子の口付けを受け入れてしまう。私は、この人を、愛せるのだろうか。寂しくて誰かに支えてほしいこの時に、手を差し伸べてくれる人。酔いのせいか、思いのほか優しい口づけに、自分の意思というものが、溶けて消えてしまいそうな気がした。
全てを忘れ、もう未来だけを見るべきか。
失恋の傷が自然に癒えるのを待たずに、その傷を無理矢理覆い隠し、見ないふりをする。そんな選択をしていいのか。
複雑に絡み合う感情で胸が詰まり、涙が溢れる。
この涙が、どういう涙なのかもわからない。
私の気持ちは、どこかに忘れて来てしまったのか。
ルシア王子の唇が、剥き出しになっていた肩に触れた時、頭の中で突然、何かが大きく弾けて、思わず叫んだ。
「だめ!やめて!」
ルシア王子が訝しげに眉をひそめ、私の顔を覗き込む。
「どうした。怖いのか」
「ちが……やめて」
うまく言えずにしどろもどろになると、ルシア王子はくすりと笑いをこぼし、私の腰を抱き寄せ、宥めるように口付けを落とす。茫然自失になっている私の髪を撫でながら、熱っぽく掠れた声で囁いた。
「何も恐れることはない」
「でも」
「乱暴にはせぬ。大切に、じっくりと抱いてやる」
「ま、まって」
「力を抜け。私を見ろ」
うっとりするくらい優しい微笑みをたたえた王子が、私の頬を伝っていた涙を指でそっと拭う。
返す言葉が見つからず焦っていると、ドレスの胸元に手をかけた王子が迷いもなく引き下ろした。咄嗟にその手を両手で掴んだが、逆に両腕を掴まれ、左右に縛り付けられてしまう。まさかの急展開に、頭の中が真っ白になる。ショックと羞恥で石のように硬直した私。王子は、はだけてしまった私の胸を、真っ直ぐに見下ろしている。やがて彼は、甘やかな微笑みを浮かべ私を見つめた。
「おまえの肌はまるで、汚れの無い雪のようだ。近いうちに、この美しい胸元を飾るに相応しい、真珠の首飾りをつくってやろう」
人の半裸を直視し冷静に観察するという、余裕たっぷりなルシア王子とは真逆に、頭が爆発しそうなほど血圧があがる。隠そうにも、両腕を押さえつけられて、身動きも出来ない。あまりのことに声さえ出ず、放心状態に陥る。素肌に王子の髪が流れ落ちたのを感じ、更に距離が縮まるのを見て恐怖に震え上がった。
どうしても、これを止めなければならない。
パニックのせいか、何か言おうとしても、まるで酸欠の魚のように呼吸を繰り返すことしか出来ない。
激しく動悸する心臓の真上に、王子が頰を寄せるのが見える。その体温を感じた瞬間、ようやく声を絞り出した。
「ルシア、とにかく止めて……お願い、今は、やめて」
ルシア王子には、全然聞こえていない。
何かいい理由がないかと必死で考え、突発的に頭に浮かんだ言葉を口にする。
「私、もしかしたら、今、もう、すでに……」
私の口走った言葉に、ルシア王子が顔をあげた。そして彼は、慎重に私の目をじっと見た。そして、まるで私の心を内を読もうとするかのように静かに問う。
「……おまえは、カスピアンに抱かれたのか」
その時、反射的に小さく頷いた。
激しく動悸する心臓が、今にも飛び出しそうになる。
嘘がバレないよう目を伏せながら、密かに考えを巡らす。
妊娠の可能性をほのめかせば、ここは逃げ切れると気がついた。
ここでルシア王子に襲われた後、妊娠したとしても、それが誰の子がわからないなんて可能性があるとしたら、絶対に、今は手を出してこない。
勿論、この嘘がバレるのは時間の問題だとはわかっているけれど、とにかく、この状況は今の私が望んでいるものではなかった。
緊張のあまりに、押さえつけられている両手が小刻みに震えている。不自然に俯いていると、後ろめたさを認めているようなものだと気づき、恐る恐る顔を上げた。
何か考え込むように私の目をじっと見ているルシア王子。この人を騙すのは、ほぼ不可能なんじゃないかという恐怖に襲われながら、必死の思いで目を逸らさず視線を返す。
やがて、ルシア王子は表情を緩めると、黙って私のドレスを直し、ゆっくりと身を起こした。彼は、人形のように動けない私の背を抱き起こすと、後ろから抱きかかえるようにして座り直した。未だに心臓が緊張のあまり激しく動悸しているが、危機を脱したことにホッとする。
「しばらく、待ってやろう」
背後から聞こえる静かな声は、落ち着いており、怒っている感じでもない。以前、ヴォルガの河の離宮で同じ質問をされた時は、首を絞められ、正直に答えろと脅迫された。あの時の恐怖が忘れられないが、今回は、全く違うようだ。安堵する反面、不思議な気もしたが、すでにお妃様が二人もいるのだから、精神的にも大人だということかもしれない。カスピアンなら激怒するようなことも、ルシア王子にとっては、取るに足らないことだろう。
気がつけばまた、カスピアンを思い出していたことに気がつき、胸がズキリと痛んだ。
私がこうしてルシア王子と一緒にいると知ったら、きっと炎のように激怒するに違いない。でも……彼は、私だけの人じゃ、なかった。私よりもずっと、長い間、深い関係を持つ人がいたのだ。しかも、子供までなして……その尊い命は、大人の勝手な理由でこの世から消されてしまって……それはきっと、私がこの世に現れてしまったせいだ。
周りの人々を犠牲にして、私だけが幸せになるなんて、到底許される事じゃない。
何度思い返しても、ずたずたに傷ついた心は一向に修復される兆しはない。
例えようのない孤独感に襲われ、背中に感じるルシア王子の胸のぬくもりからさえ、離れ難かった。寂しさで気がおかしくなりそうだ。誰かに助けを乞いたい自分を否定出来ない。
カスピアンが母シルビアを失った時はきっと、こんな耐えられないほどの寂しさを感じていたのだろうと思った。そんな時に近くで支えていたのがサーシャなのだ。深い関係に落ちたのも、無理は無い。
現に、今の私は、襲われかけたというのに、その当人、ルシア王子の側から動けずにいるくらい、弱いのだ。人肌が恋しいとはこういうことなのだろう。
「幾つの灯りが浮いていると思うか」
ルシア王子が、波にゆらゆら揺れているたくさんのオレンジ色の灯籠に目を向けた。漆黒の空と海の境目に広がる、幻想的な光の帯。
「400くらいですか?」
「700はあるだろう」
王子が笑いながらそう反論する。
テーブルにあった葡萄酒の瓶を手に取り、グラスに注ぎ入れる。ランプの光に反射してキラキラするグラスを優雅に口に運び、一気に飲み干すと、グラスをテーブルに戻す。カウチの背もたれに寄りかかると、両腕で私を抱え直したルシア王子は、ひとつ、静かにため息を零した。
「しばらくこうしていろ。今宵は気分がいい」
私はおとなしくルシア王子に背を預け、海面を漂う灯籠の大群を見つめた。平和で美しい光の大群を見つめていると、心が落ち着いてくる気がした。世界の終わりが来たかのように、もう未来はないと絶望していた私の心。身動き出来ない私の心の鎖を解くのは、この私自身のはずだ。
失った愛を埋めるような、新しい愛に巡り会えるのだろうか。
もし、ルシア王子が本当に私を望んでいるとしたら、彼に対して、偽りの気持ちで接してはならない。人の心を裏切ることが、どれほど残酷なのかは身を以て知った。
私は、自分の本当の気持ちをちゃんと探し出さなければならない。もう、これ以上、傷つく人が増える必要はないのだから。
漆黒の空に煌煌と輝く月を見上げ、ラベロア王宮に居る彼に思いを馳せた。
今頃、どうしているのだろうか。



いつの間にか、ルシアの腕に抱かれたまま眠りに落ちていたセイラ。閉じた瞳の睫毛から、涙が落ちる。その様子を、ルシアは複雑な想いで眺め、濡れた頬をそっと指で拭う。
セイラはきっと、カスピアンのことを思い浮かべながら眠りに落ちだのだ。
まだ、ラベロアを離れて四日と日が浅いことを考えれば、致し方ないだろう。だが、セイラの心が完全に落ち着くのを気長に待つほど、ルシアは我慢強いわけではない。
ルシアは、セイラの嘘に気がついていた。
肌に触れただけであれほど動揺する様子を見れば、男など知らぬ娘だとすぐに分かる。ルシアがそれ以上無理強いしなかったのには、いくつか考えるところがあったからだ。
セイラが清い身のままであることを確信し、恐怖を植え付けるやり方は好ましくないと考えた。
しかし同時に、悠長に待ち続けるわけにもいかないと気付く。
あれほど強く、妃にと望んでいたカスピアンが、未だに手を出していないということは、婚儀まで待つことを耐えられるほどに、セイラを深く愛していたからだ。それほどに愛していながら、幼馴染みと深い関係にあったという話には、どこか信憑性がない。ルシアは、この幼馴染みとカスピアンの間には、実際は何もなかったのではないかという疑いを持った。カスピアンとその幼馴染みの姫君との関係の有無など、ルシアにとっては取るに足らないことではあったが、もし、実はすべてが誤解であったとし、それがセイラの知るところになれば、状況は変わってくる。何故なら、今のセイラであれば、間違いなく、必ずカスピアンのもとへ戻ろうとするはずだからだ。
当然、セイラの耳にそのような話が入らぬよう、細心の注意を払う必要がある。
ルシアは、いずれカスピアンがセイラの居所を掴み、また、奪還を試みるのは時間の問題だとわかっていた。
ここでのんびりと構えている余裕などないのだ。
近日中に、エヴァールを離れ、王都へと戻るべく、出立の準備も始めた。
そして、セイラの心をこちらに傾かせた上で、純潔を奪っておくことも必須だ。
本来ならば、今晩、この腕に抱き、我がものにしていたはずだったが、それが実現しなかった以上、セイラが我が手にあるのを世に知らしめるのは、しばらく待たねばならない。3年前の屈辱を晴らすためにも、全ては秘密裏に、慎重に進める必要がある。
カスピアンが動き出すまで、まだしばらく時間がかかると判断し、今晩はあえて、セイラの嘘を信じたように振る舞った。


ひんやりとする艶やかな黒髪を指で梳き、たおやかなその体を抱きしめて、ルシアは悩まし気にため息を零した。すべてが思い通りに運んでいたように思えていたが、期待通りの結果とはならず、ここで、一旦足踏みをすることを余儀なくされてしまった。
世の姫君は皆、自ずからその身をルシアの前に投げ出す。だが、セイラはやはり、自分の常識から大きく外れていた。
ルシアは夜空に浮かぶ満月を見上げた。
この腕の中に抱く娘の心を占めているのは、あの男。
心が怪しく掻き乱されるのを感じ、苦笑する。
これが恋の駆け引きというものか。
まさかこの自分が、女心を手繰り寄せる方法などに思いを巡らせることになろうとは。

ラベロア王国に忍ばせていた間者のうち、最もセイラに接近していたのはエリオット。セイラは、このエリオットが、実は3年前、セイラをエティグスへ連れ出した間者、エリックだとは気づいていない。
当時はまだ少年であったエリオット。ルシアは、カスピアンがセイラを奪還した直後に、このエリオットを再度、ラベロアへ忍び込ませていた。愛称のエリックではなく、本名のエリオットと名乗らせ、出生を問わない騎士団にうまく入隊させる。ラベロアに馴染ませて待つこと3年、ついに、セイラが戻った時、エリオットは少年から青年に成長し、恐らく、見た目や声からも、エリックとは気がつかないほどの変化を遂げていたはずだ。3年前の真夜中の逃走劇で、ほんの僅かな時間しか共に過ごさなかったセイラが、その事実に気づくことはなかった。

一度、セイラが一人で森の離宮へ向かうという情報が入り、エリオットを人質に仕立ててセイラを連れ去ることを計画したが、失敗に終わってしまう。その後、エリックから新たな知らせが届く。カスピアンの幼馴染みの姫君が、茶会の場でひと騒動を起こし、セイラを王宮から追い出そうと企んでいるとの情報を入手したとのことだった。そして今回、その機に便乗し、うまくセイラをラベロア王宮から連れ出すことに成功した。
まさか、その姫君がセイラの暗殺まで企んでいたとまでは知らず、報告を受けた時は驚いたが、怪我の程度は脱出に影響するほどではなかったのが幸いし、計画通り、セイラはルシアが買収していた船に乗り込んだ。
一昨日の晩、セイラを眠らせている間に離宮内へ運びこませる段取りを整えていたが、大荒れの天候となり、船が水殿には近づけず、急遽、こちらから船を出し、海上でセイラの受け渡しが行われた。表面上、ルシアが大荒れの海上にいた船から、セイラを救出したというのは、間違ってはいないことになる。
離宮内でも、すべてを知っているのはダミアンくらいだ。ジョセフィも、何らかの事情でセイラがラベロアからここへ来るとしか聞かされておらず、現在まで、どのように裏で綿密なやりとりがされていたかなどは知る由もない。
軍事戦略と同じく、必要最小限の情報を、極限られた人間と共有することが肝要だ。
セイラが知る必要のないことが、その耳に入る事があってはならない。そして、セイラが見るべきでないものを、その目に触れさせてはならない。当然、エリオットはセイラの目につかないところに置いてある。
いつか、すべてを明かしてやる時が来るとすれば、それはセイラがこの国を祖国と想えるようになった時だろう。

3年ぶりに目の前に現れたセイラは、記憶の中より一層に美しさを増し、類い稀な宝石のように特別な輝きを纏っていた。清らかな百合のような気品に溢れるその姿は、儚気でもあり、時折見せる純真な素顔は愛らしく、構ってやりたくなるような魅力がある。
男女の違いを理解するようになった年頃から、女というものはすべて、自分になびく生き物だと信じて疑うこともなかったルシア。その自分が、たった一人の姫君の機嫌を取るために心を砕くなど、己が滑稽に思えて仕方がなかった。セイラの心を捕らえようという打算があったとはいえ、実際にセイラの体調を気遣い、気晴らしになることをやってやろうとあれこれ考えたのも事実。
視察に妃を連れて行くことなどなかったルシアが、突如姫君を伴って街に現れたため、国民は興奮し、街はお祭り騒ぎになった。国民の興味と憧れを一身に集め、遠慮がちに微笑むセイラはとても可愛らしく、辛い記憶を紛らわせるためにも、さらに喜ばせてやりたいと思った。
この自分がセイラに惹かれてやまない理由のひとつが、他の誰とも一線を画する、希有な存在であるということだ。
カスピアンがついに婚儀をあげるという知らせが世界を走り抜けた時、王妃になるセイラが、非常に賢く驚くほどの知識を持つという異国生まれの姫君であり、奏でる竪琴の音色は、ラベロアの伝説の乙女そのものだと伝わった。世界中がそのような姫君を手に入れたカスピアンを羨み、きっと多くの男が嫉妬したに違いない。
現に今日も、セイラが紙で作り出した様々な鳥に驚かされ、ますますこの娘の素性を深く知りたいという欲求が膨らんだ。何か大きな秘密を抱えている、不思議なこの娘。その全てを暴くのは、確実に自分のものにしてからでも十分だ。
まずは、如何にしてその心を自分のものにするか。
ルシアは想いを巡らせながら、無防備に眠りに落ちているセイラを抱く腕に力を込めた。ルシアの胸に頭を預けたセイラ。咲き始めの薔薇の花びらのように淡い赤みを差す唇が、僅かに開く。頬にかかる艶やかな黒髪に触れると、漆黒の河が流れるように白い肩を滑り落ちていった。
惹き込まれるような艶やかさに、胸の奥に熱い疼きを感じる。ルシアはそれが、いわゆる肉欲だけではなく、更に強い感情を伴うものだ気がつく。この娘の体を征服するだけでは、この欲望は満たされない。この娘に愛され、求められることがなければ、例え体を奪っても虚しさは残るだろう。セイラの愛を独り占めにしていたカスピアンを思い浮かべ、強い憎しみと激しい嫉妬を感じた。そんな自分を愚かに思えばこそ、この自分が恋の病に罹っているというのはあながち大袈裟でもないと苦笑を漏らす。
恋は人を狂わせる。
自分もその例外ではなかった。
海上でゆらゆらと揺れながら辺りを照らしていた灯籠の灯りが、ひとつずつ、消えてゆく。
愛しい者よ。
今宵は安らかな夢が訪れるように。
漆黒の空に浮かぶ宵月の下、ルシアは眠るセイラに優しく微笑みかけた。
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