竪琴の乙女

ライヒェル

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七章

竪琴の帰還

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「ね、サリー、もうそろそろ時間かな」
私はそわそわしながら、鏡の前に立って横向きになり、自分の姿勢をチェックした。
昨晩、ついにアンリとヘレンが王都に戻って来て、同行していた護衛により、竪琴が無事王宮内へ運び込まれたと連絡があったのだ。
竪琴は今日の午前中に、音楽の女神エランティカの神器として、国王へ納められることになっている。非公式ながら、この竪琴は、国王の命により、婚約者である私のために作られた贈り物となっているので、受け取る私もその式に出席するのだ。
つまり、アンリとヘレンに会える!
マゼッタ女官長に何度もしつこく確認されたが、他にたくさんの出席者がいるので、いくら嬉しくても、アンリやヘレンに抱きついたり、親し気に話しかけたりしては駄目。今日が初めての公務なので、基本、黙って微笑んでいるだけに留めなくてはならない。
今日は、ろくに話も出来ないというのがじれったいが、カスピアンが、いずれ、二人を王宮に招いてくれると言ってくれた。私達が心置きなく話せるように、私の部屋で会うことが出来るように取り計らってくれるらしいので、それまでの我慢だとのこと。彼の気遣いが嬉しくて、それを聞いた時はつい、飛び上がって彼に抱きついてしまったのだが、勢いのあまり彼の顎に頭突きし彼の唇を流血させてしまった。
「まもなくですね。さぁ、こちらを……」
サリーが先ほど衣装部屋から運んで来た箱を開き、その中身を私に見せた。
純白のクッションの上で、銀色のティアラがキラキラと輝いていた。
「ラベロア王国では、王室の方の婚約式の際、姫君はティアラを授かるのがしきたりです。でも、セイラ様は婚約式もないまま婚儀を迎えられるので、陛下より、王妃の冠を授けるまでは、公務の際はこちらを使うようにとのご指示がありました。前王妃シルビア様が婚約式で授かったティアラです」
「シルビア様の……」
サリーが細心の注意を払いながら、輝くティアラを手に取るのを見つめる。
パールとダイヤモンドで作られた沢山の小花のモチーフが、絡み合うように繋がり輪となった、銀の花冠。正面中央はダイヤモンドで象られた蝶。繊細で美しいティアラに、感動のため息が漏れる。
「沢山のお花に蝶のモチーフだなんて、シルビア様はきっと、自然を深く愛された、心のお優しい方だったのね」
そう言うと、サリーが懐かしそうに微笑んで頷いた。
「ええ、とてもお優しくて思いやりに溢れたお方でした」
サリーは注意深くティアラの輪を開き、結い上げられた私の髪に、ゆっくりと差し込むと、鏡を見ながら、高さや位置を念入りに調整する。
今日、身につけているドレスは、上半身がホワイト、裾は淡いブルーのグラデーション。ピンクのコスモスの刺繍が一面に施されたオーバードレスは、シルビア様のものだ。
「そして、こちらがシルビア様がお気に入りだったマントです」
サリーが光沢のある深い藍色のマントを肩にかけると、ずしりとその重みを感じた。金の留め金で胸元を留め、横向きに鏡を見ると、藍色の表生地の一面に広がる金糸の花模様が見えた。花の刺繍の中央に小さな真珠が縫い付けられていて、とても可憐なデザインだ。
「すごく、奇麗……」
鏡に映るマントの美しさにうっとりと見とれる。
馬子にも衣装、とは言うけれど、豪華さもここまで来ると、流石に違和感を感じてしまう。
「うーん……身につけるものが素晴らしすぎて、中身が釣り合わないのが悲しすぎる……」
「そんなことないですよ!」
私のオーバードレスの裾を直していたエリサが声をあげる。
「セイラ様は本当に立派な姫君になられました!」
「もっと自信を持たれてください!」
横からアリアンナも賛同する。
「もう……二人とも、ほんと、優しいんだから」
照れくさくなってそう言った瞬間、お腹がぐぅ~と小さく鳴いた。
一瞬、皆が沈黙する。
「……何か、召し上がってから行かれたほうがいいですね」
笑いを堪えながらサリーがそう言って、アリアンナに指示を出した。
急ぎ足で部屋を出て行くアリアンナ。
恥ずかしくなって顔を赤らめていると、エリサがクスクスと笑う。
「セイラ様も人間だから、お腹が空きますよね」
不可抗力とはいえ、お腹の音が鳴るのはマナー的にも大問題だろう。
「お腹の音、マゼッタ女官長に聞かれなくてよかった!これは、秘密にしておいてね」
笑顔で大きく頷くエリサに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
「本当に、いつも助けてくれてありがとう」
普段から、サリー、エリサとアリアンナには本当によくしてもらっている。彼女達は、心許せる仲間という感じで、精神的にも大きな支えになっていた。
エリサは照れたように頬を染めて、控えめに頷いた。
「セイラ様からそのような言葉をいただくなんて、身に余る思いです。私達、セイラ様の直属女官というお役目をいただいて、いつも感謝しています。それに、セイラ様直属だからこそ、恐れ多くも陛下からお声をかけていただいたりして、本当に恵まれているんです。長年女官としてお仕えしていても、国王陛下から一度も声をかけていただけないまま、最後の日を迎えるものなんです」
「そうなのね……確かに、王宮には何百人も女官がいるものね。衛兵もたくさんいるし……国王も、一人一人に気を配るなんて、難しいよね」
エリサが、ハッとしたように私を見て、心配そうに聞く。
「あの、セイラ様?」
「なぁに?」
「王妃様になられても、私達、直属で御世話させていただけるのでしょうか」
ものすごく不安げにまじめな顔をして聞くので、可笑しくなって笑い出した。
「そんなこと、聞くまでもないよ!他の人になったら私が一番困っちゃう」
「そうですか、安心しました」
心底安堵したように胸を撫で下ろしたエリサ。
ちょうど、アリアンナがワゴンを押して部屋に戻って来た。
「セイラ様、お待たせしました」
「ありがとう!」
「ドレスを汚さないように、クッキーやお水くらいですけど」
「うん、助かる。いただきます」
私は早速、お皿の上に乗るバタークッキーに手を伸ばしながら、ヘレンと一緒に焼いていたお菓子の甘く香ばしい香りを思い出した。いつかまた、二人で一緒にケーキやクッキーを焼けるかもしれないと、期待で胸がドキドキした。





緊張で呼吸もいちいち意識しないと忘れそうだ。
カスピアンに手を引かれて、広間へ入った後、指示されていた通りに、王座に座るカスピアンの隣に、寄り添うように立つ。
婚儀が済めば、王座の隣に、王妃の座が用意されるらしいけど、今はまだ出されていないからだ。
広間全体を囲うように衛兵が直立不動でずらりと並んでおり、王座のあるところから一段下の左右には、有力貴族や神官達も整列している。
カスピアンもいつもの略装ではなく、王冠を被り、深紅のマントを羽織った正装だ。とても23歳には見えない落ち着きと威厳。国王としての貫禄がついて、彼の周りだけ特別なオーラがあり、空気がピリッとしている。
お妃教育のいろはを一秒たりとも忘れないよう肝に命じ、私は広間の入り口のほうをまっすぐに見つめていた。
何やら山脈から王都への道中について長い報告がされており、まだ、アンリとヘレン、竪琴の姿は見えない。
形式張った話はもういいから、早く先に進めてほしい!
心の中でそう愚痴りながらも、我慢は美徳、と自分に言い聞かせる。
イライラしているのがバレないよう、微笑みを浮かべたまま、報告をちゃんと聞こうと努力する。
要は、竪琴を守りながらの道中は思ったより困難だったという話だった。高度の違うところを移動した時に発生する、天気、気圧、温湿度の変化の関係で、その都度、竪琴の状態を確認したりと手間がかかったため、予定より到着が遅れたという。
ようやく、カスピアンが報告書を受け取り、ついに、広間の扉が開かれた。
衛兵の一人が竪琴が入っていると思われる木箱を持っており、その後ろに、アンリとヘレンの姿が見えた。
王座の後ろに隠れている右手をぎゅっと握りしめる。
ドキドキと胸が激しく高鳴り、心臓が今にも口から飛び出しそうだ。
こちらに近づいていたアンリとヘレンが、私を見て、ハッとしたように目を見開き立ち止まる。私と目が合うと二人は顔を歪め、目元を拭った。
私も一気に涙が溢れ出しそうになったけど、必死でこらえて、涙が落ちないようにゆっくり瞬きをした。
アンリはカスピアンの前に跪き、声を震わせながら、これまでの助力への感謝と、無事に竪琴が完成し、帰ってくる事が出来た事を報告した。
カスピアンが、大きく頷いて、ねぎらいの言葉をかけた後、竪琴が入った箱がカスピアンの前に運ばれた。衛兵が膝を折り、箱を彼の前に掲げる。
カスピアンはゆっくりと立ち上がり、その箱の蓋を開け、かぶせてあった布を掴み、中から竪琴を取り出した。
広間にいる全ての人が彼の手に注目する。
思わず、ため息をついて、カスピアンの手にある竪琴を見つめた。
美しい曲線を描く、柔らかなクリーム色の木目が美しい竪琴。私が使っていたライアーより一回り大きく、ピンと張られた弦の本数も多い。金色の唐草模様が輪郭を彩り、ラベロア王国の王家の紋章も刻まれていて、それは本当に神秘的な芸術品だった。
カスピアンも満足げに微笑み、じっくりと竪琴を眺めている。
こんな素晴らしい竪琴を、遥か遠くまで出向いて、3年の月日をかけて作ってくれたんだ。
感極まって、膝が震えていた。
「セイラ、ここへ」
呼ばれて、カスピアンの側に寄ると、彼が竪琴を手渡してくれた。
震える手で、やや重みを感じるその竪琴に触れると、その木目がまるで自分の肌の一部のように馴染むのを感じた。
懐かしい感覚が蘇る。
私とひとつになってくれる特別な竪琴だと、その瞬間確信した。
きっと魂に届くような素晴らしい音を奏でてくれる。
涙を流してはダメだと、何度も自分に言い聞かせるけれど、今にもこぼれ落ちそうだった。
大きく目を見開き、食い入るように私の様子を見ているアンリとヘレン。
私はこの感動と感謝の気持ちを言葉で伝えることが出来ない代わりに、二人をまっすぐに見つめ返しながら、ゆっくりと、竪琴を胸に抱きしめてみせた。
私をここへ導いてくれた、魔法の竪琴。
私の新しい宝物。
ありがとう。
そう心の中で叫びながら、大切に竪琴を抱きしめて、二人だけをまっすぐに見つめた。
アンリとヘレンの顔に、安堵と喜びの色が浮かびあがり、二人は手を取り合って微笑み合った。
やがて、国王側近のアルベルトが、二人に褒美として金貨が詰まった壷を出したが、二人は辞退した。
彼等は、褒美などではなく、ただ、私のためを思って、この3年をひとつの竪琴に費やしてくれたのだと、言われずともわかっていた。
困惑したように金貨が詰まった壷を抱え立ち尽くすアルベルト。
カスピアンが、アンリを見下ろし、声をかけた。
「アンリ、前へ出よ」
アンリが、少し怯えたような表情で前に数歩出る。
初老の小人であるアンリが、大柄なカスピアンの前ではものすごく小さく見えた。
カスピアンが、腰にかけていた剣をするりと抜いたので、アンリが驚いてよろめくように跪いた。
私もびっくりしたが、決して切るつもりじゃないとわかっていたので、黙って見守る。
カスピアンは、剣先をアンリに頭上に向け、まっすぐにその怯えた目を見下ろす。そして、彼は、口元に柔らかな微笑みを浮かべた。
目を丸くし、呆然と彼を見上げているアンリ。
カスピアンは、剣の腹でゆっくりと、アンリの右肩に触れ、そして左肩にも触れた。
「子爵の爵位を授ける。長い間、ご苦労だった」
広間に響いたカスピアンの声に、驚いた出席者のどよめきが広がった。
アンリが呆然として、カスピアンを見上げている。
カスピアンは剣をしまうと、アンリとヘレンを交互に見た。
「おまえたちには私の婚儀への列席を許す。セイラとの目通りの日時は追って通達する。まずはゆっくり長旅の疲れをとるがよい」
カスピアンは横にいる私を見下ろした。
威厳のあるその表情に隠れている、溢れるほどの優しさに、胸がいっぱいになる。
彼が、アンリとヘレンに爵位を授けたのは、婚儀に出てもらうため、そして、王宮への出入りを可能にさせるためもあったのだ。
アンリとヘレンが顔を見合わせて、手を取り合っている。
「セイラ、おまえも声をかけてやればよい」
一言も喋るなとマゼッタに言われていたので、突然のカスピアンの言葉にびっくりする。
本当なら今すぐ、二人に飛びついて、ありがとう、と言いたい。
広間で皆が見ている今は、そこまでは出来ないけれど。
私は一歩前に出ると、跪いて私を見上げる二人に心から微笑んでみせた。
私は今、とてつもなく幸せだ。
また、大好きな二人に会えた。
そして、これは私の、新しい宝物。
私とカスピアンを繋いでくれた、魔法の竪琴。
「ずっと大切にします。アンリ、ヘレン、ありがとう」
そう言って、竪琴をもう一度抱きしめる。
二人は頬を紅潮させて頷き、満面の笑顔を見せてくれた。
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