竪琴の乙女

ライヒェル

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七章

寄り添う心

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「どうしたの?なにか……」
刺すような視線に不安を感じながら尋ねてみた。
「おまえは」
カスピアンは、一度、黙った後、不機嫌そうな声で続けた。
「おまえは前の世界に、好いた男がいたのか」
「えっ?」
まさかこちらに矛先が来るとは思ってもいなかったため、驚いて目が点になる。
「答えろ」
「こ、答えろって……」
動揺を見て取られたのか、すでに不快感を満面に浮かべたカスピアンの目が射るように私を見つめる。
下手な言い逃れや嘘は通じないことだけは確かだ。
「あの……ずっと前に……」
「つまり、いたのか」
「……は、い」
カスピアンはショックを受けたように顔色が悪くなった。
彼は傷ついたような目で私を見下ろし、静かに問いを重ねる。
「それは、いつ頃の話だ」
「6年くらい前、です」
びくびくしながらも、正直に答える。
カスピアンはしばし沈黙した。
苛立ちを収めようとしているのか、きつく唇を結んでいる。
そして尋問は続く。
「おまえが19の時か」
「はい」
「その男と、二人きりになったのか」
嫌な方向に質問が飛んだが、黙秘出来ない事は分かっているので、渋々返答する。
「……は、い」
「何をしたのだ!」
突然すごい剣幕で詰問され、慌てて即座に説明した。
「ただ、一緒に食事して、公園で散歩をしただけだから!好きだったけど、友達の延長というか、そんな感じで……」
怒気をこめた目が、じろりと私を睨みつけている。
嘘じゃない!
その彼は、大学のゼミで一緒だった人。二次会で参加したダーツのトーナメントで仲良くなって、その後何度か、食事をしたくらいの仲だ。彼が海外に留学してしまい、それ以上の進展はなかった。
カスピアンはしばらく私を食い入るように見ていたが、やがて、私の様子に偽りはないと思ったのか、少し落ち着きを取り戻した。
注意深く私の顔を見ながら、更に質問を重ねる。
「その男は、おまえに触れたのか」
いい加減この尋問が終わらないかと思いつつ、嫌々ながらも正直に答えた。
「……手を、繋ぎました」
「……手、か……」
カスピアンは不満げに鼻を鳴らしたが、手くらいは許される範囲だったらしく、そこでまた口をつぐんだ。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、彼はハッとしたように目を開き、私の顔を見た。
「ルシアに、何かされたのか?あやつが、おまえを抱いて、髪に口づけたのは見たが、もしや何か」
「えっ?ルシア王子……」
咄嗟に記憶をたぐり寄せ思い出そうとする。
あの人は、乱暴だったり、かと思えば貴公子のように丁重だったりと、先の行動が読めない人だった……
首を絞められたことなんて、到底彼に告白出来ないだろう。どれだけ怒る事か。
ふと、ある瞬間が脳裏に蘇る。
……妃にすると言われキスされたことがあった。
ドッキンと心臓が跳ね、血の気が引いた。
すっかり記憶から抜けていたが、確か、そんなこともあった。
でも、あんなの、口づけとは呼べないだろう!
そもそも、私は一切、求めてもいない!
ただ、唇と唇がぶつかっただけ!
事故だと思おう!事故!
「あ、あの」
別に、何もなかった、と言おうと顔を上げた時、既に、カスピアンは鬼の形相になって私を睨みつけていた。
私の反応を見て、確かに何かがあったと察したらしい。
凄まじい殺気のある目に見据えられ、ぞわっと鳥肌が立つ。
ここで嘘を言っても、確実にバレる。
がっくりと首を垂れた。
「……一度……」
「一度?何が一度だ、はっきりと言え!」
「……く……口づけ……」
恐る恐る返事をすると、案の定、カスピアンは激怒した。
「何故、黙っていた!」
「だ、黙っていたんじゃない!全然、気にもしてなかったから、忘れてただけ!」
必死で弁解するが、逆に火に油を注いでしまったのか、カスピアンの怒りは爆発した。
「忘れただと?許さん!クソッ、ルシアのやつめ!今に息の根を止め、八つ裂きにしてやる!」
耳にギンギン響く怒声に思わず両手で耳を塞いだ。
眉間の血管が浮き、顔を真っ赤にして怒っているカスピアンに本気でびびる。この至近距離で彼の鬼の形相を見ることになろうとは。
「おまえも、なぜそのような隙を与えたのだ!」
「す、隙もなにも、怪力で不意打ちされて、防ぎようもなかったの!」
「馬鹿者!不意打ちされる前になぜ逃げなかったのだ!」
「そんな、無茶言わないで!不意打ちばかりしてる貴方なら、そう簡単には逃げられないって分かるでしょっ」
「……くっ……」
図星だったのか、唇をきつく噛み締めるカスピアン。
別にけんかしたいわけじゃないんだから、なんとかこの場をおさめようと、私は必死で考えた。
「でも、私の初めての口づけは、貴方だから……」
窒息させられたあれを、果たして口づけと呼んでいいのかは疑問だが。
ふと、さっきの場面を思い出す。
「ねぇ……貴方はさっき、サーシャと口づけしてたよね」
そう指摘しながら、だんだん自分も嫌な気分になる。
「以前も、お妃にするって、約束の口づけをしたんでしょう」
隠しきれない嫉妬で、心なしか責めるような言い方になってしまう。
「あれは、断じて口づけではない」
きっぱりと言い切るカスピアン。
「何故なら、愛しいと思う相手ではないからだ」
「だったら、ルシア王子のことだって、同じでしょ」
「おまえがそうでも、ルシアがおまえを好いていたのは確かだ」
「それを言うなら、サーシャは貴方のことを」
そこまで言いかけて、私はもう黙った。
いくら言ったところで、終わった事は変わりはしない。不毛な会話を繰り返しても、結局は単に、やきもちを焼いているだけのことだ。
そう考えると、だんだん可笑しくなってくる。
こんな他愛も無いことで真剣に喧嘩するほど、心を許し合えていると気がついた。
「カスピアン」
怒りが収まらずに目を釣り上げているカスピアンの頬を引き寄せた。チュッとその頬にキスして、耳元で、愛してる、と囁いた。
そのまま、彼の逞しい首に両腕を回して抱きつく。
本当に、こんな取るに足らないことで揉めてしまうくらい、私は彼に恋をしている。
ふて腐れたように目元をうっすらと赤らめたカスピアンが、大きくため息を零す。やがて、私を抱く腕に力を込めると、再びゆっくりと歩き始めた。



ガゼボに到着してまもなく、画師が助手2名を連れてやって来た。
王室お抱えの画師が何人かいるらしいが、その中でも一番、才能を認められた芸術家で、名前はロレンツォという、初老の男性。
まずはどういった構図にするかを決め、それから衣装や背景を考えるという。
「これまでの国王陛下、妃殿下の肖像画は、別々に描かれておりました。なぜなら、お妃様が複数いらっしゃったからです」
なるほどと頷く。
国王の周りにお妃様全員を並べた図というのも変な感じだから、だったら、それぞれ別に描くというのが無難だろう。
「本来なら、セイラ様お一人の肖像画を、陛下の肖像画の隣に飾るのですが、陛下のご希望で、お二人揃っての肖像画と伺っております」
ロレンツォがにっこりと微笑んで、大きな紙を取り出し、私たちへ見せた。
「いくつか、構図をご提案しようと思って準備して参りました」
さすがに王室お抱えの画家だ。
黒檀でさっと描いたらしい構図のデッサンがいくつもある。
カスピアンが王座に腰掛け、私が後ろに立っているもの。
また逆に、私がカウチに腰掛け、カスピアンがカウチに手を置いて立っているもの。
あるいは、二人とも王座、王妃の座に座り、正面を見ているもの。
二人で立って、正面を見ているものもあった。
「ですが、体格の差がございますので、お二人が揃って立たれる構図は良くないかもしれませんね」
実際に私に会って気がついたらしい。二人で並んで立つ様子を正確に模写しようとすると、大柄なカスピアンに小柄な私の差が大きすぎてバランスが悪くなる。
カスピアンは紙を眺めていたが、それを画師に返す。
「背景は室内ではなく、湖畔だ」
「湖畔ですか?」
それが私たちが初めて会った湖畔のことを指しているのだとすぐに気がついた。
あれが出会いの瞬間。
突然暗闇を馬で追いかけ回される羽目になって、決して素敵な出会い方ではなかったけれど。
まるでそれが昨夜のことのように鮮明に思い出しながら、笑顔でカスピアンを見上げると、彼も同じように懐かしそうな目をしていた。
「王座も不要だ。こうして、二人でいる自然なままを描いてほしい」
カスピアンはそう言うと、私を両腕の中に閉じ込める。頬が熱くなった私の顔を覗き込む彼は、とても幸せそうに微笑んでいた。
ロレンツォが白い髭を触りながら目を細めて何度も頷く。
「なるほど、よくわかりました。では、一度、その湖畔で、お二人がくつろがれている様子を素描させていただきましょう。いつがよろしいですか」
「明日明後日には、セイラの竪琴が届く予定だ。その後に日時を決めて通達する」
「かしこまりました」
竪琴も肖像画に入れるつもりだと分かって嬉しくなる。二人を繋げる魔法の力を持つ竪琴なしでは、今こうして一緒にいることはなかった。
ロレンツォが片付けをして、助手と共にガゼボを去った頃、すでに日が落ちかけ夕暮れ時になっていた。オレンジ色の夕日が、秋色に染まった木々を黄金色に輝かせる。いたるところで赤毛のリスが忙しそうに走り回っていた。
時折舞い落ちる様々な色合いの落葉を見ていると、時を忘れてしまいそうなくらいゆったりとした気持ちになる。
最近は朝夕の冷え込みが強くなり、秋から冬へと季節が移り変わり始めたのを肌で感じるようになった。
ラベロア王国で迎える、初めての冬。
ひんやりした風が吹いて、思わずぶるっと身震いをした。
身じろぎをして、温かいカスピアンの胸にぴったりとくっつくと、彼がマントを広げて私を包み込んでくれた。
すっぽりくるまれると、こたつの中の猫のような気分になる。
「冬の衣装はまだ届いていないのか?」
「あと、2、3日だってサリーが言ってたよ」
そう答えると、カスピアンが眉間に皺を寄せた。
「その間にも、気温がさらに下がる可能性がある」
「大丈夫、夕方は外に出ないようにするから」
心配性が出て来たのを察して、早めに解決策を出したら、カスピアンが、何か名案を思いついたように微笑んだ。
「マゼッタにいいつけて、母が使っていた冬用のマントを出してやろう」
「シルビア様の?」
「そうだ。母が使っていた衣装や宝石もおまえに全て譲り渡す。採寸して合うように作り直せばよい」
「いいの?シルビア様のものを私が使うなんて。一度、エスタス様にも伺った方が」
「母のものは息子の私が譲り受けたのだ。おまえが使えば、母も喜ぶだろう」
「……ありがとう。大事に、大事に使わせてもらうね」
そんな特別な想いのあるものを私に譲ってくれるなんてと、胸がいっぱいになる。カスピアンを生んだ母、シルビア前王妃に会えない事が残念でならない。
私も、もとの世界にいる自分の家族のことを思い出す度に、切なくなる。出来る事ならば、私がここで幸せに暮らしていることを知らせたい。せめて、手紙のひとつでも送る事ができればと、やるせない思いに駆られることはある。
でも、ここで、カスピアンと一緒に生きて行くと決めたことを後悔することだけは、絶対にない。
「セイラ」
名を呼ばれて顔を上げれば、愛しい人の顔があり、私は自然と笑顔になる。
引き寄せられるように唇が重なり、カスピアンは何度も優しい口づけを繰り返した。私の頬にも、額にも、首にも、髪にも、至る所に口づけの雨を降らせるカスピアン。くすぐったくなってついに笑い出すと、彼は私の耳に唇を寄せ、まるで秘密を打ち明けるように、愛している、と囁いた。
心臓がドキンと大きく跳ねてときめく。
うっすらと目元を染めたカスピアン。どこまでも真っすぐな、私の愛しい人。
眼力だけで周りを震え上がらせるような強面の国王が、実はこんな可愛い表情を見せるなんて、きっと誰も知らない。
激高して怒鳴り散らしているところはやっぱりまだ怖いけど、そんな時だって、大好きだという気持ちは変わらない。
幸せな気持ちで心が満たされると、もう、笑顔が止まらなくなる。
私の様子をじっと見つめるカスピアンの耳元に唇を寄せて、愛してる、と囁き返す。照れを隠すように目を伏せた彼の横顔が、一瞬、少年のように見えた。
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