竪琴の乙女

ライヒェル

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七章

ハントリー侯爵家令嬢 サーシャ

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昼食の後、休憩を兼ね、書庫でいつものように午前中の勉強の復習をしていると、扉をノックする音がした。サリーがすぐに扉の方へ向かう。
ここは、カスピアンが母シルビアから受け継いだ書庫で、基本的に誰も来る事はない。一体誰だろうと思い扉へ目を向けた。
「セイラ、やっと君をみつけた」
明るい声が聞こえたかと思うと、カスピアンの兄、ユリアスが現れた。
護衛に外で待つように指示をして、ユリアスが中に入ると、サリーが扉を閉めた。
「少し邪魔するよ」
おっとりとした笑顔を浮かべ、こちらへやってくる。
歩き方ひとつでも華麗さが際立つユリアスは、本当に絵に描いたような王子様だ。
エレガントに波打つ、濃いブロンドの髪。
純粋無垢に煌めく、金色の目。
すらりとした長身はファッションモデルのよう。
チョコレート色のパンツに黒のロングブーツ、金糸の豪華な刺繍が施された、丈の長い紺色の上着を羽織ったその姿は、宝塚の主演男役という表現も合うかもしれない。
どこか中性的な雰囲気があるのも、一緒にいて気疲れしない理由のひとつだろう。
しかしこの人は、実は、半端無い毒舌家なのだ。
あのカスピアンを、未練未釈なく打ちのめすのだから。しかも、笑顔でというのが怖い。
いやはや、すごいギャップの持ち主だ。
私は立ち上がり、出来るだけ丁寧にお辞儀をした。
「こんにちは、ユリアス様」
ユリアスが目を瞬かせて私を眺めた。
「そんなにかしこまらなくていい」
「有り難うございます」
「君は私の義妹になる。しかも次期王妃だ」
ユリアスはにっこりとお日様のように微笑んだ。
「ユリアスと呼べばいい」
「……ですが、そういうわけには……」
国王の兄君を呼び捨てなんて、マゼッタ女官長が許す筈が無い。
私の胸の内を読んだらしいユリアスが、くすりと笑った。
「そうか。では、これは命令ということにしておく」
「ご命令ですか」
「そうだ。義兄直々の命令だ」
困惑してサリーのほうを見ると、苦笑して頷くので、どうやらこの場合は言われる通りにすべきだと判断する。
「わかりました」
「早速練習してごらん」
「はい、ユリアスさ……ユリアス」
意外と難しくて、早速つっかえてしまい、自分でも可笑しくて笑ってしまった。
「素直でいい」
ユリアスはにこにこしながら、向かいの椅子に腰掛け、長い足を優雅に組むと、私が見ていたラベロア王室の家系図を手に取った。
「こんなものを学んでいるのか」
「はい。とても複雑で、これを覚えるのはとても難しいです」
何故なら、歴代国王が妃を何人も抱えてるから。
おかげで、半端ない横広がりの家系図になって、複雑極まりない。
親戚同士の婚姻もあれば、酷いのなんて、姉妹で揃ってお妃になってたり、まるでどこかのメロドラマを地でいく世代もある。かと思えば、近隣諸国から嫁いできたお妃もいたり、逆に、王子が婿入りみたいく外国へ行ってしまって、そこで生まれた子孫が数世代後にラベロアに戻って来てたりと、難解な歴史を図式化した感じになっている。
「ラベロア王国の歴史がこの家系図に詰まっているので、歴代国王が残した偉業と照らし合わせながら見ているところです」
「……すごいね」
私が模写していた王室の家系図やメモ書きに目を落とし、ユリアスが目を丸くする。
「勉強が好きなのか?」
「嫌いではないです。興味があることなら楽しいですし」
「これに興味がある?」
「はい。ラベロア王国を知るための重要な記録ですから」
こんな質問は、別に偽るような内容でもなく、普通に受け答えする。
それにしても、ユリアスはここへ何をしに来たのだろう。
「あの、書庫へは何かお探し物でも?」
まさか油を売りに来たとか、私の邪魔をしに来たわけでもないだろうと思って訊ねると、ユリアスが思い出したように手を打った。
「そうそう、ここに来た目的を危うく忘れるところだった」
なんだろうと思っていると、ユリアスが私の手を取り立ち上がる。
「今、ロリアンとテオドールが近くに来ている。君に紹介しようと思ってね」
「えっ」
びっくりして立ち上がると、ユリアスがサリーに目を向けた。
「セイラを少し借りる。この後の予定は」
「もうしばらくしたら、ガゼボのほうで、肖像画を担当する画師に面会されるご予定ですが」
「わかった。それでは、私がセイラをガゼボへ連れて行く。マゼッタにもそう伝えておけばいい」
サリーは少し迷うような顔をしたが、相手がカスピアンの兄だけに、断ることなど出来ないと考えたらしく、かしこまりました、と答えた。
マゼッタに確認し許可が出ない限り、基本的に予定外のことは出来ない事になっている。先日も、気分転換に書物を持って中庭に行きたいとお願いしたら、翌日ならいいけれど、当日は駄目だと言われた。
何故なら、私の予定は、その前日にカスピアンに報告されているので、急な変更は許されないということだ。たかが中庭くらいと思わないでもないが、私の行動に合わせて護衛の配置をしたり、警備の重点を変更したりと、知らぬところで様々な調整や手配がされているためらしい。
「セイラの護衛は不要だ。私が居るし、もう護衛はいる」
ユリアスがそう言ったので、扉の外で待機していた私の護衛は置いて、ユリアスが連れていた護衛と共に書庫を後にした。
急な事で多少戸惑いはあったけれど、カスピアンの兄家族に会わせてもらうのかと思うと、気分が高揚してきた。つかみ所が無く、いかにもプレイボーイという印象の強いユリアスだけど、その彼のお妃様、ロリアンとは、一体どういう人なのか。
だが、単純に興味がある面会とはいえ、気を緩めてはダメだ。
友達に紹介してもらうようなノリではいけない、と己を戒める。
サリーが繰り返し、「呼吸ひとつも、次期王妃であるという自覚を忘れずに」と呪文のように言い続けていることを思い出す。
ユリアスに手を引かれて回廊を歩いていると、向こうのほうから別の集団がやってくるのが見えた。この広い王宮では、滅多に使用人以外を見かけることはない。
誰だろうと思いながらそのまま歩いていると、見覚えのある姿にハッとする。
あれは、サーシャ姫だ。
シーラ公国のヴェルヘン侯爵を見送る際、カスピアンの御連れとして式に出ていたサーシャだと気がつき、胸がざわつく。
すらりと背が高く、ブロンドの髪を美しく結い上げ、目の覚めるような青いドレスを身にまとった、正真正銘の姫君。豊かな胸元を飾る大粒の真珠とダイヤの首飾りが、彼女の女性らしさを一際引き立たせている。
侍女、護衛も総勢10人と多く、彼女がラベロアきっての大貴族出身なのは一目瞭然だった。
サーシャ姫は立ち止まり、優雅にお辞儀をする。一切の無駄の無い完璧な身のこなしと、美しく上品な微笑みに圧倒された。
「御機嫌よう、ユリアス様」
「やぁ、サーシャ」
「先ほど、ロリアン様、テオドール様にご挨拶して参りました」
「そうか。ありがとう」
サーシャは顔を挙げると、にっこりと大輪の薔薇が咲くように微笑み、首を傾げる。
「陛下がお呼びですので、失礼いたします。また近いうちに」
音も無く静かに脇を通り過ぎたサーシャの甘い残り香が漂う。
私は完全にノックアウトされていた。
存在を無視された!
視線さえこちらに向けなかった。
驚きというか衝撃といえばいいのか。
友好的な対面までは期待していなかったけれど、相手にもされないとは。
「さぁ、セイラ。先を行こう」
私がショックを受けているのに気がついているのかよくわからない口調で、ユリアスが歩き始める。
私の頭の中では、さっきのサーシャの様子がぐるぐると回っていた。
ただ一人の妃候補として、カスピアンの即位後一年ずっと、彼の片腕として公務に出ていた人だ。
しかも、今現在も任務続行中。
彼女がいずれ王妃になることを期待していたのは間違いなかっただろう。
常識的に考えれば、誰だってそう思っていたはず。
私が戻ってこなければ、サーシャが一番、王妃の座に近い場所にいたわけだから。
きっと、カスピアンのことも好きで、お妃になりたいと思っていたに違いない。
私が戻って来たのは、彼女にとってまさに、青天の霹靂だっただろう。
敵視されるのは当たり前だ。
無視される理由は理解している。
だが、あれだけ完全に、しかも堂々と、存在まで否定されると、かなり傷つく。
カスピアンが世継ぎ王子の時から、縁談は山のようにあって、沢山の姫君が妃の座を夢見ていたということは、女官達からもさんざん聞いていた。しかも、それは過去の話ではなく、いまだに打診があるとの話。
それほど競争率の高い王妃の座なのだ。
いきなりポッと現れた私が王妃に納まるなんて、到底納得出来ないと思われても仕方が無い。
この先が思いやられるとがっくり落ち込む。
王宮に居る限り、サーシャを避け続けるなんて無理だろうから、どうにかして付き合っていかなくてはならないだろう。
「サーシャはロリアンの従妹でね。とても頭のいい子だったから、普通、男子のみが通う王立学校にも来ていた」
突然、ユリアスがサーシャの話を始めたので、びっくりしながら頷く。
「もちろん、マナー教育があるから、6年間しか通学していなかったけれどね。アンジェと同じ年で二人は姉妹のように仲が良い。サーシャは幼いころからよく王宮に遊びに来たりして、王室とも付き合いが長いんだ」
「そうですか……」
なんと答えればいいのかも分からず、ただ相づちをうつ。
姉妹のようなアンジェ王女とサーシャ姫。
聞けば聞くほど、不安になってくる。
最近、アンジェ王女がふさぎ込んでいるとの噂を聞いた。
アンカール国ウォルシュ公爵が訪れ、二日間滞在した。当初は、滞在中に婚約に至ると思われていたが、公爵の意向がうやむやにされたまま帰国し、現在もまだ知らせは来ていないという。
もしかすると、公爵に、私の野蛮な行動を見られ、ラベロア王室の印象を悪くしてしまったせいなのではと思い、心配でその事についてカスピアンに聞いたが、機嫌が悪くなって、その話をするなと怒り出す。情報通のサリーに聞いても、苦々しく笑うだけ。
二人の不自然な反応に、ウォルシュ公爵からの返事が遅れているのは、少なからず私が関係していることは確かな気がした。それが事実だとすると、ルシア王子の縁談に引き続き、またしても私が、せっかくの縁談に悪影響を及ぼしたことになる。
ラベロア王国の良家のご令嬢の結婚適齢期は、17歳から20歳。
アンジェ王女は未だに縁談が決まらない。
サーシャ姫は、妃候補という任務のため、独身を余儀なくされてきた。
二人とも、この私のせいで、婚期が遅れる恐れがあるといっても過言ではないのだ。
どう考えても、私が嫌われる理由しかない。
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