竪琴の乙女

ライヒェル

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五章

時空を超えて

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暗闇の向こうに見えてきた、城壁に囲まれた巨大な王宮。
横殴りの激しい雨が打ちつける中、重厚な正門を照らす松明は勢い良く燃え続けている。
遠目にカスピアンの白馬の姿を確認したらしい兵士達が、既に門を開け始めているのが見えた。重々しい金属の軋む音が厳かに響く。カスピアンを先頭に、同行していた兵士達が宮殿内へと入って行った。
ゆっくりと歩む馬の背に揺れながらあたりを見渡す。
通路沿いに連立する街灯の中をしばらく進むと、以前と変わらぬ豪奢で美しい王宮の佇まいが見えてきた。王宮を囲うようにずらりと設置されている、数えきれないほどのランプに照らし出されたその荘厳な雰囲気に、心なしか緊張を覚えた。
激しい雨音が絶え間なく打ち付け、時折、遠くで落雷の音が聞こえる。
まるでバケツをひっくり返したような豪雨。
カスピアンのマントが強風で飛び散る小枝や石などから私の身を守ってくれたけど、さすがにこの大雨で私もずぶ濡れになってしまい、その冷たさに思わず身震いした。
ようやく一番近い入口に到着し、カスピアンが手綱を引いて馬が止まる。
「おかえりなさいませ」
数人の女官達が迎えに出て並んでいるのが見えた。
カスピアンは馬を下りると、私を腕に抱きかかえ、そまま王宮内へ足を踏み入れた。
ずぶ濡れのカスピアンの周りに、乾いた布を持って一斉に集まった女官達が、私に気がつき、驚いたように目を見開いた。
「サリーを呼べ!」
「は、はい!」
一番近くに居た女官が小走りで奥へと急ぐのを目視して、カスピアンはずぶ濡れのまま大股で奥へと歩き出し、水浸しになる床を女官達が慌てて拭き始めるのが見えた。
「あの、私、歩けるよ」
怪我しているわけでもないので、抱えられているのが恥ずかしくなりそう言ったが、カスピアンは返事もせず、どんどん奥へと歩いて行く。どこに連れて行かれるのかと思っていたら、記憶に残っていた奥宮に向かっていることに気がついた。
螺旋階段を昇り、一晩だけ過ごした正妃の間の前まで来ると、相変わらず直立して警備していた衛兵の二人が驚いたように目を丸くした。彼等は慌てたように扉を開け、真っ暗だった室内のランプを灯し始めた。
ようやく私を絨毯の上に下ろしたカスピアンが、私がしっかり立とうと足下を見るのも待たずに、濡れてずっしり重くなったマントを荒々しく剥ぎ取った。あまりの勢いに、体に貼り付いていたマントにひっぱられ、危うく倒れそうになる。
よろめいた私の両腕を掴んだカスピアンが、再度確認するように私の顔を覗き込んだ。
明るくなった室内で、はっきりと見えるお互いの顔。
カスピアンは、大きく目を見開いて私を見つめた。
「セイラ……帰ってきたのか」
「う、うん」
帰ってきたという言葉が果たしてこの状況を正確に表しているのかはわからなかったけれど、間違ってるわけでもない。
2年ぶりで緊張して彼を見上げていると、カスピアンは、私の全身を一瞥し、眉を吊り上げた。
「おまえはなぜ、このような妙な格好をしているのだ!危うく牢にぶち込むところだったではないか!しかも、あのような暗がりで、たった一人で現れるなど、何を考えている!」
山を警備をしていた兵士達に、男の子と間違われてしまったらしいことはすでに察していた。ジーンズを穿いて、髪を纏めていたのが一番の要因だろうが、ましてやあの薄暗い中では尚更、女だと判別できなくても当然だ。
しかも今は、穿いていたジーンズが濡れ、足にぴったり貼り付いているし、セーターも水分を吸って手が見えないくらいダボダボに伸び、更に見苦しい格好になっている。女性は子供から大人までドレス着用が常識なこの世界では、確かに異常な服装だろう。
どうしてこんな服を着ていたか、なぜあんな所に一人で居たかなんて問われても、一言では説明のしようもなく、私はただ、肩をすくめた。
返事をしない私に憤慨したのか、カスピアンは我慢ならないというように眉間の皺を深くした。
「あの場に私がおらねば、おまえは投獄されていたのだぞ?そもそも、何故、戻るなら戻ると連絡をよこさなかった!」
そんな事言われても、戻るなんて連絡出来る場所にもいなかったし、大体戻る事になるなんて考えてもいなかった。それ以前に、ラベロア王国が実在するのか、過去の記憶が現実だったのかもはっきりしなかったのだから。
やはり、どうにも答えることも出来ず、黙って下を向く。
カスピアンが、私が投獄されていたかもしれない状況にあった事実について怒るのは至極当然のことで、反論の余地もない。仕方なく、あたかも親に叱られている子供のごとく、大人しく説教を聞くに徹する。
「陛下?!」
そこへ、慌てた様子のサリーがエリサとアリアンナを引き連れて部屋に入ってきて、カスピアンの背中で後ろからは見えなかった私を確認すると、仰天したように口を大きくあけ、目をまん丸に見開いた。
「セ、セイラ様!?」
最初は、私がここにいることに驚いたようだが、その後、私の格好を見てさらにびっくりしたように声をあげた。
「まぁ!なんて格好でいらっしゃるんです?!しかも、そんなに濡れて!さぁ、陛下も、すぐにお召し替えを!」




濡れたジーンズを脱ぐのに一苦労した。
雨の日に、スリムジーンズなんて穿くもんじゃないとつくづく後悔した。
アリアンナとエリサが二人掛かりで、かけ声をかけて引っ張る騒ぎになったが、なんとか切り裂かずに脱ぐ事が出来た。
一面に色とりどりの薔薇が浮かぶ温かい湯船に身を沈める。
甘い香りと湯気が立ちこめて、ホッと安堵のため息が出た。
サリーが丁寧に私の髪を洗いながら、何度も、ずっと戻ってくるのを待っていたと繰り返し言ってくれる。
心の中がふわりと軽く、宙に浮くような気持ちになった。
ようやく湯浴みが終わると、以前のようにシルクのナイトドレスを着せてもらう。
私は鏡の中の自分を見て、本当にラベロア王国に戻ってきたのだと改めて実感した。そして、私はこの国へ戻ってきたかったのだと確信する。
「雨も止みましたよ」
サリーがホッとしたように笑顔で窓の外を見た。
いつの間にか雨音も止み、雨雲が薄くなり夜空に月が姿を現し始めている。
部屋に戻ってみると、既に湯浴みを終え着替えたカスピアンが、カウチで腕組みをし待ち構えていた。
アリアンナとエリサがバスルームを手早く片付け、サリーが飲み物などをガラスのテーブルに準備すると、三人は揃って退出した。
この広い部屋に二人きりになった。
何から話せばいいのかもわからない。
ここへ戻ってくるなんて思ってもいなかったから、心の準備をする暇さえなかった。
緊張と戸惑いでなかなか足が動かない。
暖炉の側で立ち尽くしている私を見たカスピアンが、苛々したような表情でカウチから立ち上がった。
私に向けられた彼の視線。
食い入るように目を見開き、こちらへ来い、と言っているのが聞こえるようだ。
ドキドキと心臓が早鐘を打つ。
勇気を奮い立たせ、絨毯を踏みしめてカウチのほうへと歩く。
近づくに連れて、彼の表情が和らぎ始めるのが見える。
私のほうへ差し出された両方の手に、そっと自分の手を重ねた時、胸に炎が点いたように熱くなった。
ヴォルガの河で葦の影にいたカスピアンの姿を見つけた時と同じように、心臓が大きく跳ねるのを感じる。
もう、気づかない振りなんて出来なかった。
私は、彼に恋をしてしまっているんだと。
この2年、ずっと胸にあった痛みは、この想いを失った痛みだった。
いつかのように、両手を繋いで向き合って、懐かしいその目を見上げると、胸に込み上げてくる熱い感情が止められず、視界が揺れた。
瞬きをすると、熱い涙が溢れて頬を伝うのを感じた。
私の涙を見てハッと目を見開いたカスピアン。
悲しい涙じゃない。
これは、嬉しくて、胸がいっぱいだから流れた涙。
彼を心配させないよう、笑顔で彼をまっすぐに見上げた。
そしてその温かくて大きな手をぎゅっと握り返すと、カスピアンは表情を弛め、穏やかな微笑みを浮かべた。ゆっくりと手を引かれて、その胸の中に身を寄せると、カスピアンは両腕を私の背に回し、しっかりと抱きしめた。
大きくて逞しいその胸の中に閉じ込められて、懐かしさと同時に、積もり積もっていた寂しさが膨れ上がり、胸がはち切れそうになる。
私は初めて、自分の腕を彼の背に回して抱きしめ返した。
会いたかった、と言葉に出来ないほど胸がいっぱいだから、せめて、自分の腕でその気持ちを伝えたかった。
両腕で抱えきれないほど大きくて逞しい背中。
ずっと会いたかった人に、また会う事が出来た。
目を閉じて、彼の力強い心臓の鼓動を聞く。
「待ちわびたぞ」
優しさを帯びた彼の声が耳元で響いた。
私は頷いて、微笑みを浮かべている彼を見上げた。
懐かしい深緑の目が穏やかに煌めいて、まっすぐに私を見つめている。
ずっと思い描いていたその優しい眼差しに微笑み返した。
「あれから、2年、経ったよね」
「2年?」
カスピアンは解せないというように首をひねった。
「3年だ」
「3年?」
ということは、私の世界とラベロア王国は、過ぎる時間のスピードが違うのか。それとも、単に、私が戻る時に時軸がずれたのか。
いや、でも前回、数ヶ月ラベロア王国にいたのに、自分の世界に戻った時はたった15分くらいしか経ってなかった。異世界と私の世界の時間の流れは、数式では説明出来ないものなのかもしれない。
「この3年もの間、おまえはどこに行っていたのだ。おまえは、あの日、突然姿を消した。ヘレンが、おまえが悲鳴をあげて倒れたと思ったら、透き通るように姿を消したと言っていた」
カスピアンは、答えを探るように私の目を覗き込む。
私はついに、本当のことを正確に話さなければいけない時が来たと確信した。
「カスピアン。きちんと全部話すから、信じてくれる?」
私が真剣にそう言うと、カスピアンはまっすぐに私を見つめ、ゆっくりと頷いた。
カウチに腰掛けると、私は覚えている限りのことを、順序を追って、話し始めた。
自分の居た世界は、こことは異なる世界であること。
頭の痛みやグラスハープの音がきっかけで、目覚めたらこの国に飛ばされていたこと。
あの日、ドライフラワーの準備をしていた時、不快な音が聞こえ強烈な頭の痛みを感じて意識を失い、目覚めたらまた、自分の世界に戻っていたこと。
そして、今日、同じ場所でライアーを奏でているうちに、なぜか、ライアーが消えて、自分はまた、この世界に戻っていたこと。
私が話している間、カスピアンは一言も発さず、黙って耳を傾けていた。
ようやく事の有様を説明し終わり、大きな仕事を終えたような気持ちになって、ふぅ、とため息をついた。
そして、カスピアンの反応を待つ。
意外な事に彼は特に驚いた様子でもなく、どちらかというと逆に落ち着いた様子で、私の顔を眺めていた。
「これまでなぜ、その真実を話さなかったかについては今更言っても遅いが……」
やや腹立たし気にそう呟いた後、カスピアンは眉をひそめた。
「だが、どうやら、竪琴が所以の前触れがあるのは確かなようだ」
「前触れ?」
「おまえが消えたあの日。エティグスから竪琴が届いたのだが、一部燃やされ、弦も切れて、手に取ると崩れ落ちた。その時、おまえの身に何かが起きる予感がして様子を見に行ったところ、姿が消えていた」
「そうだったの!」
「そして今回」
カスピアンはゆっくりと私の髪を撫でながら、柔らかな笑みを浮かべた。
「おまえが消えてから、竪琴を蘇らせるために何度も試作させていたが、ようやく今朝、完成したとの報告が入ったばかりだった」
「えっ」
「完成した竪琴は、あの湖畔に神殿を建て保管するつもりで、場所の下見に訪れていた。そこへ、あれほど厳重に警備していたにも関わらず、侵入者を発見したとの報告があったわけだ」
つまり、竪琴が壊れた時に私はもとの世界に戻り、竪琴を蘇らせたタイミングで、私がここへ戻ってきたというわけだ。恐らく今回は、あの湖の側で私がライアーを奏でたことと、竪琴の蘇りが、この二つの世界を繋げるきっかけになったのだろう。
「不思議だけど、そう言われると筋が通ってる!」
確かにこれは、竪琴が魔力的な力を持ち、私の身に奇跡を起こしたのは間違いなさそうだ。
「いずれにせよ、今後は竪琴を厳重に守ればよいだけのことだ。竪琴が無事である限り、おまえがここから消えることはない」
カスピアンは独り言のようにそう呟いた。
「もう二度と側を離れることは許さぬぞ」
安堵の笑みを浮かべたカスピアンが、両腕で私を抱き寄せた。
温かい胸の中に閉じ込められると、胸がいっぱいになって言葉が出てこなくなる。カスピアンの力強い心臓の鼓動を聞きながら自分の心と向き合う。
彼の大きな背に手を回し、力の限り抱きしめ返した。
私はここに残りたい。
ずっと、彼の側に居たい。
はっきりと、自分の気持ちが見えた。
「カスピアン、私……」
自分の気持ちを口にしようとしたが、何故か声が続かない。
ずっと背負っていた大きな重荷を下ろしたように、ホッとした気持ちになったからだろうか。
急に体の力が抜けて行く気がした。
湯冷めしたのか、寒気がして思わず身震いする。
私は温もりを求めて、カスピアンの腕の中で身を丸めた。
「セイラ?」
呼びかけられて返事をしようとしたれど、体も頭もずっしりと重く、泥沼に沈んで行くようだ。のろのろと顔をあげて、カスピアンの顔を見ようとしたが、瞼がひとりでに閉じていき、やがてあたりは真っ暗になった。





急に眠りに落ちるように目を閉じて、カスピアンの腕の中でぐったりとしたセイラ。
さっきまで遠慮がちにカスピアンの背を抱き返していた細い腕が、力なくぱたりと落ちたのを見て、カスピアンは顔色を変えた。
「セイラ!」
再度呼びかけたが、反応はない。
カスピアンの腕に脱力した身を預けているセイラを見下ろし、愕然とする。
口元に耳を寄せると、浅い呼吸をしているのが聞こえた。
額に手を触れてみると、燃えるように熱い。
力なく垂れている手に触れてみると、氷のように冷たかった。
急に高熱を出し、気を失ったらしい。
カスピアンは即座にセイラを抱き上げ、ベッドに寝かせると、表の衛兵に言いつけてサリーと医師を呼ぶように指示を出した。
すぐにベッドの側に戻り、セイラの様子を確認する。
熱を出しているのは明らかで、呼吸が早い。
冷たい雨に濡れたせいだと判断し、頭では状況を理解していても、カスピアンは激しく動揺した。
3年の時を経てやっと戻って来たという喜びも束の間、異世界の存在を知らされるや否や、セイラは意識を失ってしまった。
「陛下、医師を御連れしました」
サリーが慌てた様子で医師を連れて入って来た。
王宮に常駐しているフレドリック医師は、助手に補助させながら、セイラの発熱の具合や脈などを取って、注意深く診察をした後、青ざめているカスピアンに微笑みかけた。
「陛下。姫君はお風邪を召されてしまっただけですよ。数日、しっかりお休みになれば回復されます。水の代わりに、薬湯を飲んでいただきましょう」
「……そうか」
少しホッとしたように頷いたカスピアンだったが、苦しそうに浅い呼吸をするセイラを見下ろし、眉間に深い皺を寄せた。
「しかし、かなり熱が高い。意識まで失っている」
「体力が落ちているところにお風邪を召されたからでしょう。ゆっくり休まれるのが何より大事です」
医師はカスピアンを宥めるように言うと、助手に言いつけて薬湯の手配をさせる。
「陛下、私どもが付き添いますので、どうぞご安心ください。ただいま、準備を整えてまいります」
サリーはにっこり微笑むと、足早に部屋を出て行く。
片付けを終えたフレドリック医師は、また明朝、様子を見に来ると告げて、退室した。
カスピアンは深いため息をつき、再度セイラの様子を確認する。
出来る事ならばずっと側に居てやりたいが、自分のやるべきことを代わりにやれる者がいないため、それは叶わない。
大切な者が苦しんでいる時だというのに。
一言で国を動かせる地位にありながら、逆にこのような単純なことが思い通りにならない。国王という立場の難しさと理不尽さに、きつく奥歯を噛み締めた。
3年もの間、いつ戻るか、あるいは、戻って来るかさえわからないまま、この日をずっと待ち続けていた。
異世界からここへ移動した際に、かなりの体力を消耗した可能性もあるだろう。
隣に身を横たえ、セイラが間違いなくそこにいることを確認しようと、手を伸ばしてセイラの熱い頬に触れる。
夢にまで描き続けたこの瞬間。
自分がどれほどこの再会を待ちわびたか、セイラはわかっているのだろうか。
セイラに伝えたい事、話すべき事も山のようにある。
冷たいその手を両手で包んでやり、あの、ヴォルガの河の激流に流された後、セイラの意識が無く心配した時と記憶がだぶった。
熱い頬にまとわりつく艶やかな漆黒の髪に触れ、ゆっくりと撫でてやりながら、祈るような気持ちでセイラを見つめた。
異世界から来たというこの娘。
3年もの月日が経ち、記憶の中よりもさらに美しく艶やかさが増したセイラ。その眠る姿を見つめているだけで胸が激しく騒ぐ。
ほんの少し前まで、その瞳を輝かせ微笑んでいた。セイラが自ずからこの腕に抱かれ、身を寄せてきた時の胸の高鳴りが蘇り、今は自分の声さえ届かないことに苛立ちが募る。
これまで何故、セイラが他の誰とも違うのかはわからなかった。
今ならば、その理由も理解出来る。
自分は、未知の世界で生まれた娘と巡り会ったのだ。
これが神の悪戯なのか、思し召しなのかは、誰にも分からないだろう。
ただひとつ確かなのは、自分の心は永遠にこの娘にしか動かないということだ。
セイラが異世界から来た娘であるという奇跡に畏敬の念を抱く。しかしその事実は、カスピアンの心に新たな恐怖も植え付けた。
いつかまた、セイラは目の前から消えてしまうのだろうか。
カスピアンは自分の両手が白むほどきつく拳を握りしめた。
例え何があろうとも、二度と手放しはしないと、強く念じる。
竪琴もこの娘も、自分が必ず守り続けてみせよう。
閉じられた瞼に、祈りを込めて口づけを落とした。
一瞬でも早く目覚め、その優しい蜂蜜色の瞳で自分を見てほしい。
浅い呼吸を繰り返しているセイラを見つめていると、サリーがアリアンナ、エリサを伴って戻って来た。
看病に必要なものを運び入れ、医師が手配した薬湯の準備を始める。
扉を叩く音が聞こえ、続けて、カスピアン付きの女官マーゴットの声がする。
「陛下。サーシャ様のご準備が整い、お部屋で陛下のお迎えをお待ちです。そろそろ夜宴のほうへお越しください」
カスピアンは険しい顔で扉の方を見ると、もう一度セイラに目を戻した。
「陛下、セイラ様は私どもにお任せください。ご心配はいりません」
サリーがはっきりとそう伝えると、カスピアンは僅かに微笑んで頷いた。
「頼むぞ」
セイラの熱い額にそっと口づけを落とすと、カスピアンは身を起こしてベッドを下りた。
「セイラの様子を定期的に報告しろ」
「かしこまりました」
後ろ髪を引かれるように、再度セイラを振り返る。
苦渋の表情を浮かべたカスピアンは、諦めたようにため息をつくと、マーゴットを伴い部屋を出た。
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