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16 きっと、ずっと

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「花音。今日も、ピアノ弾きに行かないの?」
 火曜日の昼休み、優希が尋ねてくる。
「うん、――いいの」
 昨日、今日と、私は昼休みメグと優希と一緒にいた。
 ピアノを弾きたかったけど、行けなかった。
 今は、空良に近づけない。
 彼の心と私の心があまりにも遠すぎて。
 家ですら、ほとんどピアノに触れられなかった。
 いつもはピアノを弾いていれば、嫌なことは全部忘れられたのに、今回は違った。
 ピアノを弾けば空良を思い出して弾けなくなる。
 その繰り返しだった。
「昨日から、何か元気ないよね。何か悩んでる。何があったんだ、言うのだ」
 メグが身を乗り出してくる。
 じっと見つめられて、返答に困ってしまう。
「あのね――今回の、ドラマの展開が早すぎて」
「あー、わかるわかる。あたしも思った」
 優希が相づちをうつ。
「いきなり元カノの登場ってひどくない? すんごいいいムードだったのにさぁ」
 学園ミステリードラマを言い訳にすると、呆気ないほど話題はそれた。
「確かに、それまでも、何か元カノいたの?的な話はあったけど、ここで出すかってなひきだったね」
「ありがちな展開に、正直ショックだった」
「え? 花音が?」
「だって、ヒロインは初めて好きになったのに、彼のほうはそうじゃないってなんだか悲しかった」
「ああ、そういうこと」
「でもさー、何か、元カノのおかげで盛り上がる展開だから仕方なくない?」
「え?」
「元カノ、悪入ってんじゃん。こりゃあヒロインとの距離がぐっと縮まるよ。きっと、ヒロインのよさにますます気づくおいしい展開に」
「そうなの?」
「そうだよ。再認識するさ。今カノのほうがずっといいって」

 そうなのかな。

 空良のキスはすごく慣れているように感じた。
 わたしは、どうしていいかわからなくて動けなくて、ただ泣いてた。
「それにさー高校生なら、誰かと付き合っててもおかしくないから仕方ないよね」
 確かに、高校生なら、わかる。
 でも、こんな小さい町の、しかもほとんど同級生との接点のない空良が、誰かと付き合っていたのかと思うと、信じられない。

 それとも、空良は、小学生の時に、もうそんな経験したってこと?

 ますます混乱して、何だかわけがわからなくなってきた。




 5時間目も、6時間目も、私は上の空だった。
 私だって、空良が好きだから、キスとかそういうことをしたくないなんて思わない。
 でも、あの時のキスは何かが違った。
 ひどく、いつもの空良とはアンバランスだった。
 まるで、そうでもしないと私が怖がって逃げてしまうと思い込んでいるようだった。
 なぜそう思ったのだろう。
 東堂くんを殴る空良を、見てしまったから?
 確かに驚いたけど、そんなことで空良を怖がったり、嫌いになったりすることなんてないのに。

 空良が好きだった。

 でも、口に出したなら、それが何だかとても薄っぺらい、汚いものになってしまうような気がした。
 だから、私はそれをきちんと空良に言わなかった。
 空良も聞かなかった。
 ただ、怖いかと聞いただけ。
 怖くなかった。
 ただ、驚いただけ。
 そして、悲しかった。
 あのとき、一緒にいながら、私達の心は遠く離れていた。
 何も通じなかった。
 それが悲しい。
 そして、私は、今、怖がっている。

 それまでの空良との優しくて、美しい世界が壊れてしまうような気がする。

 それが怖くて、空良のところへは行けない。




 そして、水曜日。
 今日のピアノは練習時間まで弾ききったけど、どこかやっぱり上の空だった。
 美園先生には隠せない。
「今日はもう終わろっか」
 二十分前にはそう言われてしまった。
「はい――」
 それでも、どこかほっとしていた。
 今は、ピアノを弾きたくなかった。
 私は、私の音を見失っていた。
 弾くべき音楽が、わからなくなった。
 音楽は、私の心だったのに。
「――美園先生」
「ん? なあに?」
「先生は、素敵な旦那様とどこで知り合ったんですか?」
美園先生は、一瞬きょとんとした顔をした。
 私がこんな質問をするとは思っていなかった顔だ。
 それでも、先生は大人だ。
 にっこり笑って答えてくれた。
「高校生のときだったわね」
「旦那様を怖いと思ったことは?」
「ないわ。基本、優しい人だから」
「そうですか――」
 それ以上黙り込む私を、美園先生は静かに待ってくれる。
「――誰にも、言わないでくれますか?」
「うん。花音ちゃんとの秘密は守る」
 美園先生は、こういう時、絶対にせかしたりしない。
 だから、結局は何でも相談しちゃうのかな。
「――すごく優しかった人の、冷たい部分を見ちゃったんです。でも、怖いとは思わなかった。ただ、悲しかったんです。その人がそんなことをしたのは、私のためだったから。でも、見られたその人は、私が、怖がってるんだと思ったみたいで。違うって言いたいのに、会いに行けないんです」
「会いに行って、言ってあげればいいじゃない」
「そうですよね。でも、それが怖いんです。私がそう言っても、信じてくれない気がして」
「信じてもらえないことは、怖いこと? その人の冷たいところより?」
 私は頷く。
「今まで、すごく、心が通じてるって思ってたのに、何だか、目に見えない壁みたいなものを感じちゃって。彼のほうが怖がってるんです。違うのに。そうじゃないのに」
「――なるほど」
 美園先生は、腕を組んで、それから溜息をついた。
「でも、花音ちゃん。それならなおさら会いに行かないと」
「え?」
「信じてもらえないのが怖くても言わなきゃ。信じてくれるまで、何度でも。彼のほうが怖がってたんなら、きっと、今もずっと怖がってる。花音ちゃんの、『怖くない』って言葉を、ずっと待ってるはずよ」
「――」
 胸が、痛かった。
「――先生、私、行かないと」
「うん。行っといで」
 笑う美園先生に、急いでお辞儀をして、私は練習室を飛び出した。




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