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21 愛することの意味
しおりを挟む泣き疲れ、シイナはようやく部屋に戻ろうと立ち上がる。
エレベータを出て部屋の扉の前へと着いた時、そこにはすでにフジオミの姿があった。
「フジオミ……」
声をかけるのを躊躇うように、フジオミは立っていた。
「ごめん、待ちきれなくて」
フジオミの顔を見たら、また泣き出したくなったが、ぐっと堪える。
「話したいことがあるの。クローンの事よ」
「部屋に入ろう。君の話を聞く前に、僕も君に話さなきゃいけないことがある」
促されて、シイナはフジオミの部屋へ入った。
自分の部屋とさほど変わらない造りだが、どこか寂しい印象だった。
リビングのソファにシイナが座ると、その横に、フジオミも座った。
少し離れて座るフジオミが、自分との距離を測りかねていることが伝わった。
「あなたの話って何?」
「さっき研究区から君の端末に報告があったんだ」
憂いを帯びた表情でやわらかく微笑んでいる彼は、どこか哀しげでもあった。
「――ユカのクローニングは、失敗だったそうだよ」
なんの感情も含みもない言葉だった。
そして意外なほど冷静な自分を、シイナは感じていた。
長い沈黙が、二人の間を通り過ぎていく。
「そう――」
静かに、口を開いたのはシイナだった。
「もう、いいわ――いいえ、違う。これでよかったのよ。私達は、あまりに多くの哀しみを生み出しすぎた。あまりに哀しい人達を、作りすぎた……もう私達はそれをやめるべきなのよ。もう解放されてもいい時が来たのよ」
「シイナ――?」
「シロウが死んだわ。フジオミ、もう全てのクローニングをやめたいの。私達、もうこれ以上、あがくのは終わりにしたい」
シイナはフジオミに全てを話した。
自分を襲ったのは、シロウだったということ。
なぜ、彼がそんな行動に出たか。
クローンの哀しみ。
怒り。
心。
それを目の当たりにした自分が感じた全てを。
「――」
「今だから、わかるわ。初めから、私達は間違えていた。それを正しいことだと、今まで疑いもせずに生きてきた。いつまでも、続くわけもないのに。
それなのに、見苦しくあがいて、そうして、さらに犠牲を強いてきた。
気づかなかったの。こんなになるまで、気づけなかったんだわ」
憐れだった。
シロウが。
ユカが。
ユウが。
マナが。
カタオカが。
フジオミが。
自分自身が。
自分達のしたことは、結局滅びへの歩みを速めたにすぎないのだ。
救いも何もないところへ自分達を追いやって、そうして思い知らされるのだ。
所詮、人間は、生きるに値せぬ生命だと。
新たな涙が、静かにシイナの頬を流れ落ちていく。
「――」
フジオミはシイナが話し終わるまで、ただ黙って、聞いていてくれた。
思うところは色々あっただろうに、それでも、シイナの話を、理解しようとしてくれた。
そのことが、シイナには嬉しかった。
フジオミが、シイナに触れようと手を伸ばし、途中でその手を下ろす。
「シイナ」
「何?」
「彼を、愛していた――?」
控えめな問いに、シイナは首を横に振る。
「愛せなかった。
だから、苦しかった。
罪悪感と後悔で、今も苦しい。
それでも、どんなに申し訳なく思っていても、彼を愛することはできなかった。
だって、私に愛するということがどんなことか教えてくれたのは、あなただったから」
かすむ視界の中、シイナは真っすぐにフジオミを捕らえた。彼だけを。
「シイナ――?」
「フジオミ、あなたを愛してる」
シイナはそのままフジオミの胸へと身体を預けた。
強ばった彼の身体をしっかりと捕まえた。
「苦しかったの。あなたのことを思うだけで、胸が痛くて、息もできないくらい苦しかった。
でも私は知らなかったわ、これこそが、愛するということなのだと。
わかれなかったから、苦しいだけだった……」
触れた身体から、早鐘を打つような鼓動が伝わる。
動揺して動けないフジオミが動けるようになるまで、シイナは待った。
やがて、フジオミの手が、確かめるように頼りなげにシイナへと回された。
「……本当に、シイナ?」
「ええ」
「本当に、嘘ではなく?」
「ええ。あなたを、愛しているの」
シイナは少しだけ身体を離して、フジオミを見た。
不安げなフジオミを安心させるように自分も微笑んだ。
そうして、フジオミの頬を引き寄せて、自分から唇を重ねた。
触れ合う事への嫌悪も恐怖もない。
ただ、温かな、嬉しいような、切ないようなもどかしさが広がる。
これが、愛しいという気持ちなのだとやっと気づいた。
不意にフジオミの手に力が入って、ぐっと引き寄せられる。
シイナも手を回して、フジオミの首にしがみつく。
昨日の夜のように、舌を絡め合うと、触れ合う事への安堵と歓びに、心が満たされていく。
呼吸が苦しくなるまで、くちづけを交わす。
くちづけが終わっても、離れがたくて、額を合わせたまま呼吸を整える。
「僕が触れても、嫌じゃない?」
「嫌じゃないわ。嬉しいし、気持ちいい」
シイナの言葉に、フジオミの顔に笑みが広がる。
「ああ、シイナ。信じられない。夢みたいだ――」
甘えるように自分を抱きしめるフジオミが、今は素直に嬉しく、愛しかった。
自分のほうが信じられない。
こんな気持ちを、持てる日が来るなんて。
彼を愛して死んでいく。
それだけだ。
それだけのことが、今は最も価値あるように思える。
そしてそれだけでも、この生命は生きるに値すると思うことができる。
「私達には、あと二十年ある。その二十年、息が止まるその瞬間まで、私はあなたを愛するわ。だからお願い。私から離れないで。愛することをやめないで。あなたを失えば、私には意味がないことになる――」
「約束する。あと二十年。僕は息が止まるその瞬間まで、君を愛する。決して離れない。愛することをやめたりしない。君は、僕の生きる意味そのものだから――」
重なり合った二つの影が、確かめるように離れてはまた重なる。
ようやく重なり合った心と心が、互いを求めてやまないのだ。
だが、これから二人は、いくつもの壁にぶつかるだろう。
互いの全てを知ったわけでもない。
そうなるには、まだ長い時間が必要だった。
そして、幸せな時間だけが流れることもまた、決してありえなかった。
その間、傷つき、傷つけ、さまざまな後悔と苦しみの夜を迎える時もあったが、それでも二人は、息が止まるその瞬間まで、互いを愛することをやめなかった――
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