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10 真実との差異
しおりを挟む「シイナに、何をしたんですか?」
部屋に入るなり、フジオミはカタオカを問いつめた。
居住区の同じフロアだから大丈夫だというシイナを廊下で見送ったのは1時間ほど前のことだ。
シイナの部屋で待っていたフジオミは、帰って来るなり寝室に入り鍵をかけてしまったシイナに驚いて、ドアの前で根気強く何度も尋ねた。
だが、シイナは何も答えず、ドアの向こうでは声を殺して泣いている気配さえした。
シイナに問いただすことを諦めると、真っ直ぐにカタオカのところへ来た。
「フジオミ」
「あなたのところから戻るなり、寝室に閉じこもってしまいました。何をしたんです?」
寝室に入っていく前に垣間見たシイナの表情は青ざめて、泣き濡れた瞳をしていた。
カタオカもまた、青ざめて疲れたような顔をして椅子に座り込んでいた。
「私が、あの時、彼女に義務を強いた理由を話したのだ」
その言葉を理解するのに、数秒もかからなかった。
唇を噛みしめ、フジオミは沸き上がる怒りを抑えようとした。
「なぜそんなことを今更シイナに話したんですか――?」
すでに終わってしまったことを、こんな風に蒸し返されるとは思ってもいなかった。
「すまない」
だが、短い謝罪でしか、カタオカは答えない。
ここでのシイナとの会話を話す気がないのだ。
それにもまた、苛立ちを感じた。
「彼女への権限は僕にあるんです。あなたじゃない」
「フジオミ――」
「シイナをこれ以上傷つけるのは許さない。せっかく体調もよくなっていたのに、あなたが余計なことを言ったから、また――」
せっかく近づいた距離が、また遠ざかるのをフジオミは恐れていた。
どんなに時間がかかっても、その過程さえも喜びだったのに。
頑なな蕾がほころぶように、少しずつ垣間見えるシイナの変化を、フジオミは大切に見ていたかった。
過去などもうどうでもいい。
ただ、今が大事だった。
「彼女に、もう余計なことを言わないでください。ただでさえ、マナを失って弱っていたのに、こんな追い打ちをかけるなんてあなたらしくない。シイナのことは、僕に任せてもらいます」
強い口調で言い切って、フジオミはカタオカに背を向けた。
「フジオミ、待ちなさい」
「何故引き留めるんです? 今更シイナに話した理由を、僕にまで話す気はないんでしょう?」
振り返ったフジオミに、カタオカは意を決したように告げる。
「フジオミ、シイナをこれ以上追いつめてはいけない」
「追いつめる? 僕が?」
納得できないフジオミに、カタオカは静かに続ける。
「シイナには、君を愛せない。愛せないことを、いずれ彼女は苦痛に思うだろう。
愛したくないのではなく、愛せないのだ。
そしてそれは、君のせいでもなく、ましてやシイナのせいでもない。決して持てない感情を、彼女にこれからも求め続けていくなら、いずれ君も不幸になる」
「そんなこと、信じない」
フジオミは笑った。
「あなたにはわからないでしょう。僕は今、幸せなんです。これまで生きてきた中で、今が、一番。僕は不幸にはならない。シイナさえいてくれれば」
それ以上語らず、フジオミはシイナの部屋へ戻った。
寝室のドアは、閉ざされたままだった。
ざわめく心を落ち着かせようと大きく息をつく。
声をかけたかった。
だが、今のシイナには何を言っても無駄だろう。
時間が必要だ。
待てばいい。
いくらでも待てる。
今なら。
鍵をかけたドアの向こうから、何度もフジオミの声が聞こえる。
だが、シイナは声を殺して泣くだけで、答えることが出来なかった。
やがて、沈黙が訪れ、部屋の扉が開いた音がした。
きっと、フジオミはカタオカのところへ行ったのだ。
何があったのかを聞きに。
フジオミと話をしなければならないのに、そうする勇気がなかった。
信じられなかった。
自分が知らない間に、そんな提案がされていたなんて。
案件が承認されていたら、生殖能力のない自分が、意味のない生殖行為を何人もの男達としなければならなかったのか。
「――」
そのおぞましさに、今更ながら背筋が震えた。
フジオミが己の権限を主張しなければ、そうなっていたのだ。
フジオミ一人だろうが、他のたくさんの男達だろうが同じこと。
カタオカには、そう言ったが、本当に、同じだったのか。
フジオミ一人でも、あれほどに傷ついた自分が、たった一度襲われかけただけでこんなにも弱り切った自分が、他の何人もの男達を相手にできたのだろうか。
否――できるはずがない。
遅かれ早かれ、自分は耐えきれなくなっただろう。
発狂していたとしても、おかしくない。
フジオミは、それを、防いでくれたのだ。
自らが悪者になることで。
今思い返せば、心当たりもあった。
ユカが妊娠してから、何かと自分と接してくるようになった大人達。
あからさまにではないが、頭や肩、背中など身体に触れてくることも多かった。
そして、いつも近くにはフジオミかカタオカがいたような気がする。
決してシイナが一人で大人達と接しないように。
守ってくれていた。
自分の望んだものとは違うやり方だったけれど、それでも、その時最善を尽くしてくれていたのだ。
自分には、わからなかっただけで。
「――そんな……」
行き着く思考に、シイナは驚愕する。
自分を支えていた怒りに、意味がなかったなんて。
見当違いの怒りを、今まで抱えてきただなんて。
この十数年は、一体何だったのだ。
結局、自分は一人でからまわってもとの場所に戻ってきただけなのか。
「――」
身体の震えが止まらない。
恐怖や焦燥、苦痛や後悔、様々な感情が甦ってくるのを止められない。
自分の中の、何かが崩れていく。
崩れ落ちた後に、何が残るのか。
「シイナ。食事の時間だよ。食べられる?」
寝室のドアの前で、声をかける。
返事はない。
無理かも知れないと、諦めかけた時、ドアの向こうでかちりと鍵を解く音がした。
「シイナ――」
待ち望んでいた姿が現れる。
「――あなたは、食事はしたの?」
問いかける声音は頼りなかった。
「まだだよ。君が食べてくれたら、僕も食べるよ。入ってもいい?」
手に持っていたトレイを持ち上げる。
シイナは、それを見て、静かに首を横に振る。
「こっちで食べるわ。だから、あなたも食べて」
フジオミが身体を引くと、シイナは寝室を出て、テーブルに着いた。
フジオミはシイナの前にトレイを置き、自分も向かいに座る。
それを確認して、シイナは静かに箸を付ける。
食べ出したシイナに安堵して、自分も箸をとる。
会話のない食事が、今はありがたかった。
話せることが、なかった。
シイナはもう泣いてはいなかったが、目の周りは赤く、ついさっきまで泣いていたことが見て取れる。
シイナの食事はいつもよりゆっくりだった。
フジオミが全て食べ終えても、半分近く残っていた。
そうして、その食事すら止まった。
「もういいの?」
「ええ」
「じゃあ、お茶の準備をするよ」
トレイを脇に寄せると、いつものようにハーブティをいれた。
「熱いから、気をつけて」
「――」
シイナは、しばらくカップから立ち上る湯気を見つめていた。
カップを持ち上げ、一口飲んで、もう一度テーブルに置く。
そうして、またカップの湯気を見つめる。
何かを言おうとしているようだが、言うべきことがわからない――そんな風に見えた。
「カタオカの言ったことは、気にしなくていい」
「――」
「過ぎたことだ。何も変わらない」
短く、何事もなかったかのようにフジオミは告げた。
「――でも、私は、知らなかった」
震える声が漏れる。
「どうして言ってくれなかったの? 言ってくれていたら――」
「君は、何も悪くない。どうであれ、僕が君を傷つけたことには変わりない」
フジオミは過去の話をしたくなかった。
今の話を、したいのだ。
そうして、これからの話を。
だが、シイナはそれでは納得できないのだろう。
「カタオカがどう言ったかは知らないが、以前の僕は、決していい人間じゃなかった。君を、対等な人間として見ていなかった。だから、君に義務を強いたんだ。無理に、僕を許さないでくれ。そんな許しが、欲しいんじゃない。できることなら、過去は過去として割り切って、今の僕を、見て欲しいんだ」
「あなたは、それでいいの?」
カップに触れているシイナの手に、そっと自分の手を重ねる。
「以前の僕とは、違う人間になれる。今なら、間違いを正せるんだ。機会が欲しい。シイナ、今の君を愛してる。だから、君も今の僕を見てくれ」
「――」
シイナは何も答えなかった。
混乱しているようにも見えた。
これ以上は、彼女も受け入れられないだろう。
「今日はもう休むんだ。話はいつでもできる。僕も君も冷静に話せるようになってからにした方がいいと思う」
優しく促すと、シイナは素直にそれに従った。
ドアの前で、何か言いたげに振り返ったが、結局何も言わずに寝室に入っていった。
「――」
ドアの向こうに消えたシイナは、このまま消えてしまいそうに儚げだった。
それだけ、衝撃を受けたのだろう。
シイナにとって苦痛でしかない行為を、たくさんの男達に強いられるところだったなど、考えてもいなかっただろうに。
だが、自分に対して負い目など、感じて欲しくなかった。
そんなもの必要ない。
自分は、純粋な気持ちでシイナを救ったのではないのだから。
あの頃の自分は、何もわかっていない愚かな子供だった。
最後の世代として、大人達に厳しく義務を教え込まされる毎日。
義務を強いられることには、内心うんざりだった。
大人達は、自分を教育することで、未来への希望を託そうとしていたが、そんなものに全く興味が持てなかったのだ。
先は見えていた。
どうせ、自分達を最後に、人間はいなくなる。
残るのはクローンだけ。
所詮、全て無駄な行為だ。
そんな簡単な未来が、何故、誰にもわからないのだろう。
あの聡明なカタオカでさえも、最後の希望に縋っている。
シイナはそんな中でも異質だった。
女性体であるだけではない。
彼女は、本当に子供らしい子供だったのだ。
何にでも興味を示し、知りたがり、彼女の前では、来るべき未来も色褪せたものではなく輝かしいものに思えた。
そんな彼女と一緒にいることは、退屈ではなかった。
自分達は、最後の一対。
未来がどうあろうと、二人で最後まで一緒にいるのだ。
彼女が未来に何も残せなくても、どうせ、終わりは変わらない。
ならば、このままでいればいい。
世界も、彼女も、自分も、何も変わらなくていい。
それで良かったのに。
ユカの妊娠が、全てを覆した。
議会でなされた恐ろしい提案。
シイナを、他の男達に差し出すなど、考えもしなかった。
そんな恥知らずな提案をした獣のような男達にぞっとした。
シイナをユカの代わりにしようだなんて。
これまで反論したことのない議会で、初めて彼らの提案をはねつけ、自分の主張を押し通した。
頑なな自分に、反論できる大人はいなかった。
己の疚しさを、自覚していたからだろう。
それでも、カタオカが自分の提案を優先させるまで、気が気ではなかった。
次の議会で正式に自分の主張が通っても、安心できなかった。
大人達は諦めていなかった。
提案は却下されたが、それを守るようにも思えなかった。
自分の知らないところで、シイナが奪われたら――そんな疑心が心を占めるようになった。
四六時中一緒にいられるわけではない。
同じ疑念を抱いているカタオカと監視し続けるにも限界があった。
気の休まらない現状に疲れてもいた。
それなのに、シイナだけは何も気づかず、変わらずにいる。
大人達に囲まれて、楽しそうに談笑している。
何も知らないくせに。
無邪気なシイナにもどこか苛立ちを感じていた。
男達の眼差しに気づかないのか。
隙あらば触れようとする、邪な感情に。
優しそうな振りをして、影ではあんな案件を出した。
シイナを大切にしているのではない。
大切にしているなら、あんなことはできない。
男という生物は、自分の欲求を満たすためなら、平気で嘘がつけるのだ。
そんなどす黒い感情もあるのだと思い知らせたくて。
泣いて嫌がるシイナを、義務を盾に無理矢理抱いた。
あれは、愛じゃなかった。
自分も、あの見境のない大人達と何も変わらない。
自分の欲求を満たすだけの、独りよがりな行為だった。
あれから、シイナは変わってしまった。
誰も寄せ付けず、何も語らなくなった。
最初のように泣き喚くこともなく、大人しく抱かれていたが、それは、彼女にとって苦痛に耐えるだけの時間となった。
苦痛から逃れるように研究に没頭し、妊娠中のユカとともに第一ドームへ移った。
第二ドームへ戻ってくることは、ほとんどなくなった。
安堵した。
これでもう、彼女は自分から男達には近寄らないだろう。
彼女を抱きたくなれば、自分が行けばいい。
これは、義務なのだから。
そうして、自分もごまかした。
間違いを、認めたくなくて。
平気な振りをした。
これでいいのだと。
互いの義務を果たせばいいのだ。
そこに、愛など必要ない。
どんなに自分を嫌っても、彼女は自分から逃れられない。
永遠に解けない枷を、自分は彼女につけたのだ。
「――」
いくら悔やんでも、取り戻せないものがある。
だが、それを偽りで塗り替えようとは思わない。
解くつもりのなかった、解けるはずがないと思っていた枷を、解き放ち、自由にしてやりたい。
彼女が、幸せであるように。
そうできると、フジオミは信じていた。
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