ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~

ラサ

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9 事実

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 シロウの提案――ユカの再クローニングの報告を受けた時、カタオカはほんの少し驚いたような顔をした。
 それはもしかしたら、シイナの思い過しかもしれないが。
 言葉もなく、じっとシイナを見つめている。
 彼女は、その視線を受け止め、見つめ返した。
 以前の自分なら視線を合わせることも厭わしかったのに、この心境の変化は何なのだろう。
 長い時が過ぎたからか。
 カタオカは老いた。
 あの頃より増えた白髪に、目尻の皺。
 彼とまともに話をしなくなってから、十年以上経ったのだ。
 子供の頃、頼もしく見えた父親のような男が、今は少し、頼りなげに見えた。
「許可を出す前に、質問を、いいかね」
「――どうぞ」
「フジオミは、もう君を傷つけたりはしていないかい?」
 報告とは全く関係のない問いに、シイナは眉根を寄せたが、正直に答える。
「ええ」
「そうか」
 カタオカは椅子から背を起こし、座りなおす。
「それで、君は幸せなのかい?」
「? 意味がわかりません」
「フジオミといて、君は幸せなのかい? 苦痛を感じたりは、していないのかい?」
「なぜそんな質問を?」
「聞いているのは私だよ。答えてくれ。君は今、幸せなのかい」
「――」
 答えられなかった。
 幸せだと、言うことはできない。
 それは事実ではない。
 だが、自分が不幸だとは思えなかった。
「わかりません。私には誰かを愛することはできませんし、誰かといて幸福を感じたことなど、正直言ってマナと一緒に過ごしてさえ、感じることはありませんでした。
 ですが、フジオミはもう私を傷つけたりはしませんし、彼といることに、以前のような不快感や嫌悪を感じることもありません。それだけです」
「愛しては、いないのか――」
「彼はそれでいいと言いました」
 あくまでも事務的な態度を、シイナは崩さなかった。
 カタオカは大きく息をつくと、もう一度背もたれに身体を預けた。
「クローニングの件に関して、私は異を唱えるつもりはないよ。ただ、賛成もできかねるが」
「あなたらしくもない曖昧な答えですね」
「私が許可を出さねば、君はあきらめるのかね」
「――」
「私はもう、君に対して、何の権限も発動しない。私はそろそろ議長をフジオミに任せたいと思っているんだ」
「フジオミに?」
「おかしいかね。だが、彼以外に後任はいないと思うが」
「あなたがそう思うのなら――では、先程の件は話を進めてもよろしいのですね」
「進める前に、フジオミへの報告も忘れないでくれ。私が望むのはそれだけだ」
「わかりました。失礼します」
「――シイナ」
 立ち去ろうとする背後にかかる声。
「心から愛するものに、同じように愛されないというのは、つらいものなのだよ」
 シイナは振り返る。
「フジオミが、嘘を言っていると?」
「いや、違う――そうではないんだ。だが、ある意味、それは正しい」
 シイナにはカタオカの話の趣旨がみえなかった。
 曖昧な物言いにはうんざりする。
「結局、あなたは反対なのですか」
「言ったろう、私はこの件に関して、何も権限を発動しない。私が賛成しようが反対しようが、君とフジオミが決めるんだ。当事者が決断を下すべきだ」
 当事者。
 では、カタオカには関係ないということか。
 議長でありながら、無関係だと?
 その言葉を、シイナはいつもの逃げ口上ととった。
 鋭い語調でカタオカを糾弾する。
「そうやって逃げるんですね。責任をとることを恐れて、いつだって誤魔化してばかり。いつだって、あなた達はそうなんだわ」
 穏やかな表情が、一瞬苦痛に歪んだ。
「同じ過ちを繰り返せというのか」
 シイナが初めて見る険しい顔つきで、カタオカは続けた。
「そうやって、私は君の信頼を失った。同じ過ちを繰り返して、今度は何を失うのだ。
 信じなくてもいい。だが、何度でも私は言うだろう。
 君を、フジオミを、愛していた。今でも愛している。父親のように、大切に思ってきたつもりだ。
 だが、私だとて完璧な人間ではない。間違いだって犯す。
 それでも、いくら愚かな私でも、これ以上不幸な人間をつくろうとは思わない」
「ユカの再クローニングは、我々を不幸にするというのですか」
「今ここにいる誰も幸福にはならんよ。君は信じているのかね、人類が滅びを迎えなければ、全てが幸福であれるなどと」
「――」
 カタオカの問いに、シイナは言葉を返せなかった。
 全ての幸福など有り得ない。
 それを、自分自身が一番よくわかっているのだから。
「まだ、フジオミから逃れたいと思っているのなら、クローニングを繰り返す必要もないだろう。彼はもう、君に無理強いしたりしないはずだし、君が苦痛を感じるというのなら正直に言えばいい。今の彼は、決して君を不幸にしようとはしない」
 宥めるようなその言葉に、シイナはかっとした。
「私個人の話をしているのではありません。私達人間の存亡について話しているのです。可能性があるのに、何を躊躇うのですか。以前なら、躊躇わなかったくせに!!」
 最後は、シイナは叫んでいた。
 そうして、カタオカを見据えた。
 もしも、視線で人を殺せるなら、射殺してしまうだろう強い眼差しで。
「シイナ。躊躇うのは、他に選択の余地があるからだ。あの時は、なかった。君をフジオミに与える以外、選択がなかったのだ」
 カタオカの表情は苦痛に満ちていた。
 話すことを恐れるように。

「あの時、結果的にだが、フジオミは君を守ったんだよ」





「どういうことですか――」

 カタオカの言葉の意味が、シイナにはわからなかった。
 フジオミが自分を守った?
 どうして、そんなことが言える?
 彼女を一番に傷つけたのは、他でもないフジオミだったのに。

「君に関して、提案が出たのだ。妊娠したユカの代わりに、〈夫〉達の相手を務めるようにと」
「――」

 ユカが凍結保存されていた精子による人工授精で妊娠に成功し、出産したことで、他の男性体はユカに対する権限を持たなくなった。
 ユカは妊娠できるのだ。
 だとすれば、今まで彼女が出産できなかった原因は、彼女自身にあるのではなく男の側にあるのだと見なされたからだ。
 今後、ユカには凍結された精子を使っての人工授精が再び試みられる。
 男達には、ユカの代わりが必要だった。
 それが、シイナだったのだ。

「あの時、君はまだ十三だった。いくら生殖能力を持たないとはいえ、親子ほど歳の離れた男達の相手には選べなかった。だが、正統な理由もなく提案を断ることはできない。フジオミが、それを言うまでは」

 シイナへの権限は自分にあると、フジオミは主張した。
 同世代であり、本来シイナが生殖能力を持っていたら、当然自分の伴侶となるべきなのだからと。

「私は彼らを止めたかった。だから、フジオミの提案を優先した」
「――」
 十年以上経って語られた経緯に、シイナは心の中で葛藤していた。
 あの頃の、様々な負の感情が自分の中で渦巻いていた。
 熱いものが喉までせり上がってくる。
 叫びだしたかった。
 だが、そうしたくなかった。
 ようやく折り合いをつけた感情を、また呼び起こすのは苦痛でしかない。
 それなのに、カタオカの語った事実が、たやすく彼女を引き戻す。
 あの絶望の中に。

 たくさんの男達の欲望のはけ口になるよりは、フジオミ一人のほうがましだったと。
 彼には彼なりの正義があったと、そう言いたいのか。

 だが、今となってはどんな言葉も言い訳にしかならない。
 今更――そう、今更だ。
 こんな事実を知って、何になると言うのだ。
「それでも、あなたにはわからないんだわ、私がどんなに傷ついたかなんて。フジオミ一人であろうが、他の何人もの男達であろうが、結果は同じことだもの。
 あなたは私を守ってくれなかった――守ってくれなかった。それだけよ」
「だが、今なら守れる」
  椅子から立ち上がり、カタオカはシイナの前に立った。
「シイナ、私と同じ過ちを、繰り返してはいけない。君は、君自身のために生きていい」
「今更っ!!」
 吐き出すように、シイナは叫んだ。
「今更、都合のいいことを言わないで。裏切ったくせに。裏切ったくせに。信じていたわ、あの頃の私は。信じていたのよ、あなたを!!」
 感情が、コントロールできなかった。
 長年押さえてきた感情が、語られなかった言葉が、今はたやすく口をついて出る。
 自分の感情を制御できずに取り乱すことを、彼女は誰よりも軽蔑していたのに。
 でも、今はもう彼の前で虚勢を張ったりしなくてもいいのだ。
 愚かな子供のように泣き喚いても、彼は甘んじて受けとめるだろうこともわかっていた。
 そして、何より、彼女自身が言いたかったのだ。
 言っても無駄だとわかっている。
 今更それを糾弾しても、もう遅い。
 それでも、裏切られた痛みを、悲しみを、カタオカは知るべきなのだ。
 今が、その時なのだと互いがわかったから。
「どうして――どうしてそれをもっと早く言ってくれなかったの。
 私が一番その言葉を必要としていたときに言ってくれなかったくせに。
 遅いのよ。今更そんなことを言われたって、私が受けた傷は消せない」
 そんなシイナを、カタオカは父親のように優しく抱きしめる。
「すまない。何度でも、謝るよ。すまなかった。だからもう、傷つかないでくれ。私を許さなくてもいい。君の気が済むまで、責めてもいい。だからもう、これ以上不幸にはならないでくれ」
 子供のように抱きしめられて、シイナはただ泣くことしかできなかった。
 本当は、わかっている。
 誰かを責めても、もう過去は取り戻せない。
 わかっていても、自分はもう引き返せない。
 こうなることを、他ならぬ自分が、選んだのだ。

 それでも。

 あの時、こうやって抱きしめていてくれたなら、自分はこんな風にはならなかった。
 こんな、無力で惨めな自分にはならなかった。
 そして、そんな自分を嫌悪せずにすんだ。
 そう思ってしまう自分が嫌だった。
 なぜ、今なのだ。
 全て失った今、なぜ新たな苦痛を得るのだ。

 今はもう、何が幸福で、何が不幸なのかさえわからなかった。

 彼女がそれまで信じてきたものは、全て覆されてしまったのだから。





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