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5 予期せぬ悪夢
しおりを挟む結局、シイナはあれからできるだけシロウと二人きりになることを避けるようになった。
報告や研究室にいる時もなるべく別のクローンを傍に置き、様々な雑用をさせた。
そうして、気づいたことがある。
クローンによって仕事の手際や効率に違いがあるということに。
クローンの部署はコンピュータによって自動で振り分けられている。
寿命が来たら、新たに補充するための措置でもある。
だが、その方法は、非効率なのではないかとシイナは今更ながらに気づいた。
もしも、クローンにも得手不得手があるなら、能力に見合った部署に就かせるべきだろう。
今も、とある資料を分類させていたクローンに声をかける。
「あなたは何が得意なの」
「わ、私は書類の作成です。端末を使わせて頂ければすぐにできます」
「好都合だわ。これを作成して、研究区内のクローンに書かせなさい」
手書きでメモした項目をクローンに渡す。
「わかりました」
シイナはクローンの識別番号と現在の部署、そして、得意だと思われることを書き出して提出させるよう指示した。
それによって、ある程度の仕事の効率化は図れるはずだった。
「何日かかる?」
「あの、分類や集計もお望みですか?」
「できるの?」
「得意なクローンがいますので、分担すれば明日の午前中には書類として提出できます」
「――なら、任せるわ」
不意に、シロウの言葉を思い出し、シイナは目の前のクローンを見上げた。
見つめられたクローンは何か粗相があったのかと蒼白となり、不自然なほどに姿勢を正した。
「名前は――タクミ=イトウね」
「は、はい」
「タクミ、急いでいるの。できるだけ早く、でも、正確に仕事をしてちょうだい」
見つめられていたクローンの顔が見る間に赤くなる。
だが、表情は驚きと喜びを隠さなかった。
「はい。至急作業にとりかかります!」
大げさなほど大きく礼をして、大慌てでタクミというクローンは出て行った。
入れ違うように、今度はフジオミが入ってくる。
「シイナ? 今のクローン、何か失敗でも? 廊下を走っていったけど」
「急ぎの用を頼んだのよ。フジオミ、丁度良かったわ。あなたの許可を貰いたい案件ができたの」
シイナは書類を持って自分の机から離れ、会議用の机へと移動する。
フジオミがその隣に座る。
書類を見せながら、説明する。
「クローンにも得手不得手があるから、効率を上げるために、配置換えをしたいの」
「適材適所――だね。いいよ。以前から、僕もそれを考えていた。取りあえず管理区では、重要なポストでの配置換えはもう終わっているんだ」
その言葉に、シイナは驚く。
「あなたが指示したの?」
「ああ、ドームを維持する管理区が一番重要だからね。効果は十分にあったよ。君へ届く煩わしい書類、ほとんどないだろう?」
「――」
そう言えば、以前だったら、事故報告や修繕許可の申請書やらがとにかく提出されていたが、この半年は、ほとんどというか、全くなかった。
「どうして、あなたが――」
「だって、君が言っていたから。クローンに任せられないから自分がやるって。
一人で何もかも処理するなんて無理だよ、シイナ。彼らも、能力を発揮できるところにさえ行けば、与えられた仕事をきちんとこなすことはできる。そうすれば、ミスもなくなるし、君の負担も減るだろう」
確かに、ドームの維持に関することはシイナにとっては雑務だった。
しかし、それを軽減してくれたのがフジオミだと言うことが素直に喜べない。
そんなことをされても、返せるものが何もないからだ。
借りを作るようで後ろめたい。
だが、次のフジオミの言葉が、シイナの心中をさらに複雑にした。
「僕は、君の役に立った?」
褒められることを期待する子供のような眼差しで見つめられ、シイナはいたたまれないような気持ちになる。
何とか平静を装い、応える。
「ええ――すごく、助かったわ」
その言葉に、フジオミは嬉しそうに笑った。
胸が、どくんと大きく脈打った。
その動悸が、後ろめたさから来るものなのかどうかさえわからない。
フジオミが机の上のシイナの手に優しく触れる。
あまりにそっと触れるので、シイナのいたたまれなさはさらに募った。
「君の役に立てたのなら、僕はそれだけで満足だ」
「――」
目の前の、この男は誰なのだろう。
本当に、フジオミなのか。
自分の世界が揺らぐのを、シイナは感じた。
背筋がぞくりとする。
自分は、今どこにいるのだろう。
本当に、ここは、自分がそれまで暮らしていたところなのか。
悪い夢を見ているようだった。
だが、悪夢のような感覚はそれだけでは終わらなかった。
次の日の午前中、書類を作成したタクミがやってきた。
まだ早朝と言っていいほどの時間だ。
「おはようございます、博士」
「おはよう。早いわね」
「お言いつけの書類を提出しに来ました」
「もうできたの?」
「はい」
手渡された書類に目を通す。
「これは――」
シイナは驚いた。
完璧だった。
シイナは、識別番号から、現在の部署と変更可能な部署を聞き出し、自分で配置換えをしようと思っていた。
しかし、タクミはシイナが調べるよう指示した項目をきちんと調べつつ、さらに現在の部署から変更した方がよいクローンまで、全て網羅している。
これならば、明日からでも試験的に配置換えすることができる。
急な配置換えでも、仕事に支障がないように十分な配慮がされた内容の書類に、驚きを禁じえない。
クローンに、これほどの作業ができようとは。
「あなた、これを一人でやったの?」
「いいえ。昨日申しましたように、集計と分類の得意なクローンと作業を分担しました」
不意に、タクミの表情が曇る。
「あ、あの、お気に召しませんでしたか……? 指示された項目から、配置換えをなさるおつもりだと考えましたので、集計したデータから、配置換えをシミュレートしてみたのですが」
叱責されると思ったのか、おどおどと問いかけるタクミに、シイナは首を振る。
「いいえ。その逆よ。手間が省けた上に、完璧だわ」
シイナの言葉に、タクミの頬が上気する。
「あ、ありがとうございます!!」
「早速、明日から試験的に二週間の配置換えをするわ。告知して」
「わかりました。すぐに手配します」
昨日と同じように大慌てでタクミが出て行く。
昨日の今日で、こうも完璧な書類を作成するとは、自分はクローンを侮りすぎていたのかも知れない。
いいや――その判断は性急すぎる。
書類が完璧に仕上がっていたとはいえ、明日からの配置換えでは、何か問題が起きるかも知れない。
だが、シイナの心配は杞憂に終わった。
二週間の配置換えは、問題が起きるどころか、研究区内の仕事の効率を急激に上げた。
ミスやシイナへの報告も減り、この分では、シロウが言っていた倉庫の紙媒体の書類のデータ化にクローンを割り当てることも可能になった。
そちらも、作業を分担することで、日常の業務には支障なく進められるよう計画が立てられた。しかも、クローンによって。
正直、シイナは驚いた。
作業を得意な者に任せ、分担させるだけで、こうも効率よく物事が進むとは思ってもいなかった。
配置換えされた部署へ視察に行ってみたが、どの業務にも滞りはなく、寧ろ黙々と作業を進めていたクローン達の表情が生き生きとしているようにも見えた。
そして、何より、シイナを見つめる表情が違っていた。
以前は、叱責を恐れてか、まともに視線すら合わず、受け答えも明確ではなく、苛立つことも多かったが、やはり、自分の得意な分野に関することには自信を持って答えられるのか、こちらがする質問にも淀みない。
シロウのように、真っ直ぐにこちらを見て受け答えるクローン達の目には、恐怖がなかった。それどころか、シロウの言っていた『畏敬』という感情を思い知らされる。
期待に応えようという意志が、どのクローンからも伺えるのがありありと感じられた。
それは、奇妙な感覚だった。
何処に行っても、視線をそらさず見つめられ、挨拶をされる。
以前なら自分とかち合わぬように隠れる者までいたというのに。
そんなクローン達のあからさまな変化が鬱陶しく、煩わしかった。
慕って欲しい訳ではない。
そんなつもりで、優しい振りをしたのではない。
ただ、恐怖で脅えて仕事の効率が下がるよりはいいと思っただけなのだ。
確かに効率は上がった。
だが、それに付随して、明らかにクローン達の自分を見る目が変わった。
崇めるような目で見られるのは嫌だった。
そんな感情を向けないで欲しい。
まるでフジオミのようだと錯覚してしまう。
畏敬の念など、まるで愛情のようではないか。
愛してなど欲しくない。
愛など要らない。
自分が欲しかったのは――そんなものではないのだ。
「――」
一人になりたかった。
まとわりつく視線にはもううんざりだった。
視察を終えると、シイナはついてきたクローン達にも仕事に戻るよう言い置いて資料倉庫へと向かった。
丁度、探そうと思っていた資料があったのだ。
データ化は、すでに計画が立てられたが、それは配置換えが完全に終わってからなので、まだ、倉庫には誰もいないはずなのだ。
倉庫の中は、案の定誰もいなかった。
今回の目当ては、比較的年代が新しいものなので、上に上がらなくていい。
真っ直ぐに、シイナは奥の棚へと向かう。
資料はすぐに見つけられた。
一人きりの、静かな時間。
ほっとして、シイナは作業に没頭した。
そうして、しばらくして、シイナが見つけた資料を読みふけっていると、不意に、室内の明かりが消えた。
「?」
停電か、それとも、誰もいないと思ってクローンの誰かが気を利かせて明かりを消したのか。
「誰か、明かりを消した?」
声をかけてみるが、返答はない。
見ると、非常時に点くはずの足下の非常灯も点いていない。
資料倉庫のため、明かり取りの窓もなく、完全な暗闇だった。
まさか、本格的な停電か。
シイナは手持ちの資料を持ったまま、入り口へと向かう。
棚づたいに行けば、さして困難もない。
暗闇の中、シイナはゆっくり進んだ。
「――」
不意に、誰かの気配がした。
ここには、シイナ一人しか居ないはずなのに。
同時に、背後から抱きすくめられた。
「だ、誰!?」
返答はなかった。
体重をかけられ、床に膝をつかされる。持っていた資料が床に落ちた。
背後から自分を押さえつけていた手が、胸を覆ってまさぐった。
その感覚に、恐怖を憶えた。
その腕から逃れようと身体を捻る。
前のめりになったところへ、さらに体重がかかり、床に倒された。
すかさず、仰向けにさせられ、暴れられないように自分より大きな身体がのしかかってくる。
暗闇に慣れた視界でも、相手の顔は見えない。
真っ黒な影が襟元を開いて、胸元が露わにされる。
「やめなさいっ! どういうつもりなの!?」
制止を聞かない乱暴な動作が、シイナの行動の自由を奪う。
首筋に触れる唇。
押しつけられる身体。
無造作に施される胸への愛撫。
シイナは激しい嫌悪で背筋を震わせた。
「いやっ!!」
押し退けようと手をのばすが、相手の身体はびくともしない。
悪寒が止められない。
こらえきれない嘔吐感が襲ってくる
顔を背けたシイナの視界に、床に転がったペンの鈍い銀色が辛うじてとらえられた。
シイナは無我夢中で手を伸ばし、掴み取ったそれを相手の腕に力をこめて突き立てた。
「!!」
悲鳴はあがらなかった。
ただ、苦痛に息を呑む音が聞こえた。
だが、影はすぐにシイナから離れ、そのまま身を翻し、消えた。
すぐに扉が開く音がした。
「……」
身体が震えて力が入らない。
それでも、シイナは無理に身を起こし、乱れた衣服を整え、よろめくように扉へと向かった。
扉が開くと、暖かな光が暗がりになれたシイナの瞳を刺した。
目を閉じて、刺激に耐える。
それから、目を開けた。
廊下には誰もいない。
その気配もない。
今のは、一体――?
不意に、フジオミの顔が脳裏に浮かんだ。
いや、違う、フジオミではない。
そうだ。
彼がこんなことをするはずがないのだ。
では、一体誰が。
そこで初めてシイナは恐怖した。
フジオミでないのなら、当然犯人は別にいるのだ。
このドームの中の、誰かが。
自分を、襲おうとした。
「シイナ」
突如かけられた言葉に、シイナは驚いて身を竦ませた。
振り返ると、フジオミだった。
訝しげな視線を、シイナに向けている。
「どうしたんだ?」
思わず彼女はフジオミの腕を見た。
が、何処にも傷跡はない。
それらしき気配も見せない。
「顔色が悪い。気分でも悪いのかい」
「いえ。違うの。そうではないの――」
やはり、フジオミではない。
そう確信し、シイナは安堵した。
「……」
「シイナ!?」
身体が傾いだのが、シイナにもわかった。
フジオミの腕の中で、彼女は意識を失った。
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