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3 資料探し
しおりを挟む途中医局によってマスクとゴム手袋を準備し、シイナはシロウと共にドーム中央のエレベータを使って二階から六階の資料倉庫へと向かった。
資料倉庫は入り口こそ六階にあるが、研究区のその階全てが倉庫として使われているため、とても広かった。
しかも、天井も高く、中はずらりと並んだ対面式の棚の他に、両端に中二階へと上がる階段も備え付けられている。
初めて倉庫の中に入ったシロウは、その資料の膨大さに暫し唖然としていた。
「これら、全てですか――」
「そうよ。中二階の奥が一番古い年代のものよ。入り口に近いものがこの中では一番新しいわ。それ以降のものは全てデータ化してメインコンピュータに取り込んでいるから」
「年代の近いものからスキャニングしてデータ化することをお勧めします。それなら、クローンにもできる作業です」
「いいアイディアだわ。でも、それは後でよ。今は目的の資料を探さないと」
「ええ。分担した方が良さそうです。博士はリストの上段からお願いします。僕は下段から探していきます」
「ええ」
マスクと手袋をつけて、シイナは左端の階段を上った。
階段の上には移動用カートが置かれ、階段のすぐ脇には業務用の昇降機もついていた。
資料の持ち運びにはこれを使うのだ。
シイナは移動用カートを押して、一番奥へ向かう。
膨大な資料ではあるが、一応年代の古い順から奥の棚に分類されている。
ファイリングされているものもあれば、無造作にクリップで留めたままのものもある。
リストをもとに、シイナは目的の資料を探す。
ファイルに項目が書いてあるのは背表紙だけでわかるが、中には何も書いていないファイルもあり、そんなときは中を開いて確認しなければならない。
一番上の棚から始まっているため、備え付けの梯子を使って登っては、少しずつ位置を変えながら資料を探す。
根気の要る作業だが、シイナには苦にならなかった。
クローニングに関する技術は、シイナにとっても専門分野の内だ。
以前もここの棚からクローニングに関する資料を探し出し、読みふけったのだ。
リストにある年代から、次々と目的の資料を見つけ出し、カートに積む。
時折、下からも紙を捲る音やファイルの抜き差しされる音、キャスターのついた梯子が動く音が聞こえる。
作業に没頭していたシイナは、階段を上がる足音に気づく。
「シロウ?」
「博士、下は終わりました。僕はこちらから逆に探します」
棚の端から顔を出したシイナは、右端の階段のすぐ脇の書棚からファイルを抜き取るシロウを見て驚いた。
「あなた、こんなに早く下を終わらせたの?」
「これは、僕の専門分野です。博士より遅かったら立つ瀬がありません」
短く言い切り、シロウはまるで、どこに何があるかわかっているかのようにファイルを抜き取り、中身を確認し、必要なものは取り分け、不要なものは戻していく。
その仕事の速さに、シイナは感心した。
やはり、知能の高さは作業量の向上にもなるのだと思い知る。
許されてはいないが、同時にシロウのクローン体を量産出来るのなら、もっと研究の効率も上がるのではないだろうか。
クローニングに関する規制の一つに、同一のクローンを同世代内で存在させることがあってはならないというものがある。
生命の倫理に対する最低限の礼儀とされているが、クローンを産み出すことこそが、生命の倫理からすでに外れているのに、都合のいい線引きにシイナはいつも可笑しさを禁じ得ない。
誰のための、何のための規制なのだろう。
今更クローンを思いやって、彼らがそれを喜ぶとでも――?
そのような感情さえ、持てなくしたのは、我々人間であるのに。
棚の奥へと移動するシロウに、シイナは小さく頭を振ってその考えを追い払う。
そして、自分も残された資料を探す作業を再開した。
棚の最後を終えたところで、向かい側の棚を終えたシロウと出会う。
「これで終わりかしら」
「僕はここまで終えました」
マスクを外したシロウが持っているリストを指さす。
シイナは、そこで3つ資料が抜けていることに気づく。
「1世代分抜けているわ。私はここまでしか探せなかった。この棚で丁度終わったもの」
「? 僕は向かいの棚を終えましたが、どうやら1世代分資料が棚から抜けているようですね」
「おかしいわね。まるごと抜けるなんて……」
「まあ、今日のところはよしとしましょう。就業時間が終わりに近づいています。残りは明日探せば済むことです。カートを貸してください。下へ運びます」
シロウがシイナの探し出した資料を積んだカートに、自分の見つけた分を乗せていく。
「――」
どうもすっきりしなかった。
1世代分の資料が丸ごと抜けるとしたら、一体どこへ?
年代を見る限りさして重要なクローニングが行われた年代でもない。
いくら紙媒体でも、勝手に処分することはできないのだ。
もう一度、シイナは自分が探した最後の棚を見た。
「順番が入れ替わっていたなら、気づいたはず……」
そうして、向かい合わせの棚のずっと奥に目をやる。
その時、ふと、視界の右上――丁度棚の上に、何かが上がっているのに気づいた。
シイナは、はっとすぐ左上の棚と右上の棚の上部を見比べた。
右の棚の上だけに段ボールが上がっている。
奥まっているので最初は気づかなかったが、よく見れば年代も書いてある。ちょうど自分達がないと言っていた年代が端から並べられていた。
「シロウ、あったわ!!」
叫ぶと同時に梯子を動かして登り、もう一度年代を確かめる。確かにこれだ。
シイナは段ボールに手をかけて、勢いよく引き寄せた。
だが。
「!?」
段ボールは長い年月の末、劣化しており、資料の重みとシイナの引き寄せる力によって、呆気なく両端が破れた。
破れたところから、僅かに引き寄せられ、横積みに重ねられていた中の資料がバランスを崩して滑り落ちてくる。
「きゃあぁぁぁ!!」
「博士!?」
咄嗟に下を向いて頭を庇ったが、雪崩のように次々と滑り落ちてくる資料は、シイナの上に降り注ぎ、シイナは為す術もなく資料が全て自分の上を滑り落ちていくのを待つしかなかった。
最後の書類がばさりと下に落ちた音がした。
シイナは片手で頭を庇い――あまり役には立たなかったが――もう片方の手で梯子の手すりにしがみついたままの姿勢で、控えめなシロウの声を聞いた。
「は、博士……大丈夫ですか?」
「ええ……何とかね……」
ようやく答えた後、盛大に咳き込む。
マスクの間から埃が入ったらしい。
咳き込みながらも、梯子を下りる。
シロウが気を利かせて梯子の周囲の散らばった書類を寄せていた。
咳き込んだ拍子に滲んだ視界で、ようやくいまだ埃の漂う場を離れ、マスクを取った。
「資料を劣化しやすい段ボールに詰めたままにしておくなんて……」
ようやく咳も治まり、顔を上げると、シイナは奇妙な顔をして自分を見つめるシロウに気づいた。
「シロウ?」
「――博士、大変申し上げにくいのですが、頭が、埃と蜘蛛の巣だらけです」
至って神妙な顔つきだが、どこかぎこちない。
頭にそっと手を当てると、薄いゴム手袋越しにも綿埃と蜘蛛の巣の感触がわかる。
鏡がないので見ることはできないが、これは相当ひどい状態のようだ。
シロウにもう一度視線を戻すと、手を口元にやって、笑いを堪えているようにも見えた。
シイナは呆れたように言った。
「笑いたいなら、笑ってもいいわよ」
視線を逸らしたまま、シロウは、
「いえ、不敬にあたりますので」
と、辛うじて答えた。
しかし、その態度がすでに不敬だと言おうとして、シイナはふとクローンも声を出して笑うことがあるのかと不思議に思った。
笑いを堪えるシロウが、実際に笑うところを見てみたかった。
「笑ったからといって、あなたを罰したりしないわ。おかしいなら笑えばいいのよ。許可してあげるわ」
「本当に?」
あくまで視線を逸らして問うシロウに、シイナは呆れつつも頷く。
「いいわよ。どうせここには私とあなたしかいないんだから」
そろそろと、シロウはシイナに視線を戻した。
きっとシイナの頭についた埃の固まりと蜘蛛の巣を見ているのだろう。
大げさに吹き出したりせずに、あくまで控えめに声を殺して笑うシロウを見て、シイナも何だか堪えきれずに、笑ってしまった。
久しぶりに笑ったと、思った。
にこやかにシロウはシイナの髪についた埃や蜘蛛の巣を払いのける。
あまり気持ちのいい作業でもないだろうに、上機嫌のようにも見えるから不思議だ。
「これで大丈夫です。落ちた資料は明日片付けましょう」
「そうね。ありがとう」
「いえ。大変貴重な経験をさせて頂きました。僕の方が感謝しなければ」
「私の頭の蜘蛛の巣を払うことが貴重な体験なの?」
「ええ。あなたの笑った顔も見られた。とても可愛らしく見えました」
その言葉に、シイナは奇妙に顔を歪めた。
「シロウ、あなた目が悪いの?」
「は? いえ、視力はよい方ですが?」
「いいえ。絶対に視力がおかしくなっているわ。私を見て『かわいらしい』なんて。研究のしすぎで機能低下しているんだわ。明日すぐに医局に行きなさい」
真剣に言うシイナを見下ろしながら、シロウは暫しぽかんとし、それからまた、笑いを堪えるように口元を手で覆った。
「シロウ?」
「いえ――すみません……博士、あなたのそのような言動は人間であろうとクローンであろうと可愛らしく映るものです。ましてや、あなたは女性体、我々クローン体はそのほとんどが男性体ですから。そのように思うことぐらいは許してください。害はありません」
シロウの言葉に、シイナは驚く。
「クローンにとって、私は恐怖の対象でしょう。お世辞にも優しいとは言えないもの」
シイナの言葉に、シロウは納得したように頷く。
「まあ、確かにそうでしょう。ですが、それはあなたに限ったことではありません。『人間』は皆、僕達クローンをそのように扱う。それは、当たり前のことだからです」
「ずいぶん客観的なのね。あなたはその扱いをどう思うの?」
シイナの問いに、今度はシロウが驚いた表情をする。
「どう思うか? それは無意味な問いです。思うことなどありません。僕らはそう生まれついたのです。そのような思索などクローンには無縁です」
確かにと、シイナは納得した。
クローンは人間として扱われることはないが、それを不満に思うことなど無いのだ。
そのような感情を持ち合わせないのだから。
それはそれで幸せなのかも知れない。
現状に不満を抱くことなく、そうである自分を嘆くこともなく。
少なくとも、自分のように怒りや絶望を感じずに生きて、死んでいけるのなら、その方がずっといい。
「もう、戻りましょう。取りあえず、これで1週間は資料と格闘出来るでしょう」
「ええ。ありがとうございました」
シイナは探し出してより分けた資料の中から、端に寄せていた自分の読みたい分を両手で抱え、歩き出す。
すでに書類を運び終えていたシロウは、前を行くシイナに声をかける。
「博士」
「何?」
振り返らずにシイナは答えた。
「クローンがあなたを恐怖の対象として見ているのだと思っているなら、それは勘違いです」
その言葉に、シイナは足を止め、振り返る。
「勘違い?」
「ええ。それは恐怖ではありません。畏敬なのです」
意味を知ってはいても、聞き慣れない言葉に、シイナの表情が微かに歪む。
「『畏敬』――?」
「あなたの傍にいるクローンは、あなたを敬いながら、期待に添えられぬことを畏れているのです」
「――」
返す言葉を探せないシイナに、シロウは微笑む。
「今度、クローン達に話しかける時は、目を見てあげてください。仕事が終わったら、ねぎらいの言葉をかけてみてください。それだけで、彼らには喜びとなるでしょう」
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