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第九章 希う神々
4 畏れ
しおりを挟む遠く離れていても、荒ぶる神の神気が感じられた。
そして、天津神の慄く神気も。
恐れることなど何もないのに。
天津神にとって、建速の猛々しい神気は、恐れを呼び起こす。
確かに、あのような神気は、天津神は誰にも持てない。
創世の神より成りませる最後の貴神は、高天原にも豊葦原にも、唯一の存在なのだ。
――建速が来た。そなた達では話にならぬ。故に、私が往こう。
――ですが、尊き御身が……
――我らは三貴神。よもや建速も私に無体なことはするまい。そなた達はここにおれ。決して、私が呼ぶまで来てはならぬ。
――天照様――
思兼と宇受売は最後まで着いてきたがったが、それを留め、天照は独りでこの天之安河原へと来た。
天津神を遠ざけたのは、建速と話すためだ。
安河原には、建速が立っている。
その姿は、豊葦原で視た時のままだ。
其処に在るだけで、他を圧倒するようだ。
――建速、戻ってきたのか。
天照を視るなり、建速は訝しげに目を細める。
――何だ、天照。その格好は。
近づいて、視据えられれば、確かに隠しようもない神気と神威に満ち溢れているのがわかる。
――そなたが高天原に来て、天津神達が慄いている。だから、私が来たのだ。
――高天原で、暴れると? そんなつもりがないのは、お前と月読にならわかるはずだ。
――ああ。だが、そなたは荒ぶる神。天津神にはわからぬのだ。
天津神々を安心させるために、天照は男神の装束を身に纏っていた。
褌を履き、足結を締め、髪は髻に結い上げている。
――そのような姿は似合わぬ。
――私では、高天原は治められぬというのか……
――そうではない。お前には、男神の姿など似合わぬと言っているのだ。いっそ何も纏わぬほうがいい。
言うなり、建速が天照の頬を引き寄せ、唇を重ねる。
天照は、驚きに咄嗟に動けなかった。
我に返った時には、すでに逃れることが出来ぬほど深くくちづけられていた。
舌が絡み合う感触の心地よさに、きつく結った髻が解かれても抗えない。
初めて受けるくちづけは荒々しいのに何処か懐かしく、愛おしく思えた。
――建速……?
応えはない。
身に付けた武具が、一つ一つ落ちていく。
――何を、するのだ……?
――誓約を。
上衣の帯をほどかれ、白い肌が露わになる。
下衣の結び目もほどかれると、すでに太陽の女神は首にかけた八坂瓊之五百箇御統の他は何も纏わぬままの姿で、荒ぶる神に抱かれていた。
――誓約? 私と、そなたでか?
――そうだ。俺と、お前で。
気がつけば、周囲には何も視えない。
安河原にいたはずなのに。
深い霧が立ちこめ、全てを覆っている。
――お前の畏れを感じた。だから、来たのだ。
――畏れてなど……
――お前が、この高天原の主だ。何も畏れる必要はない。
強く抱きしめられ、初めて安堵した。
そうして、気づいた。
常に張りつめていた自分を、脅えを視せるまいとしていた自分を。
何故なら、自分は、高天原の真の主ではないのだから。
――建速、本当は、父上様は――
だが、その言霊は、建速によって遮られる。
――伊邪那岐は、お前を主にと望んだのだ。伊邪那岐の意志を継ぎ、この高天原を治めるのだ。
建速の手が八坂瓊之五百箇御統に触れると、連なる勾玉から、光と共に神威が放たれ、天照の内に入り込む。
――ああっ!!
その熱と衝撃に、天照の身体は背後へと傾いだ。
だが、霧の褥に優しく包み込まれ、自分が立っているのか横たわっているのかももうわからなくなった。
神威を受けて、身体が燃えるように熱く疼いた。
動けない身体に、優しく触れる手が心地よい。
――……建速、何をするのだ……
――交合うのだ。かつて伊邪那岐と伊邪那美が交合って、神産みをしたように。
――それが、我らの誓約か……
――ああ、そうだ。
天照の手が、建速の腰の剣に触れた。
すると、剣の神威が建速へと流れ込むのがわかった。
二柱の神の身体が、淡く輝く。
誓約の準備が整った。
――神を産め、天照。母神となりしその身は、高天原の主に相応しい。そして、お前の産む神が、次の高天原の主となる。それこそが、まさしく伊邪那岐の後継だ。
その言霊に、天照は咲った。
この誓約によって、自分は真の高天原の主となる。
そうなれば、何も脅えることなどなくなる。
何の憂いもなく、高天原に君臨できる。
――建速……
再び、唇が重ねられる。
舌を絡め合い、吐息を呑み込むように何度もくちづけを交わした。
くちづけの合間に柔らかな乳房をまさぐられ、硬く凝った先端が疼きを増す。
堪えきれずに、まさぐる手に胸を強く押しつけると、心得たように建速が桜色の先端に吸い付いた。
もう片方の先端は指で揉み込まれ、その心地よさに、いっそう身体が仰け反った。
両の乳房の先端が指と舌で交互に愛撫され、甘やかな喘ぎがますます漏れる。
いつの間にか固く閉じていた脚が割り開かれ、疼きを増して熱く潤った女陰の襞に、もっと熱いものが押し当てられる。
――あ……
気づいた時には、押しつけられた物根が女陰の襞を貫いて奥深くまで入り込んでいた。
その途端、今まで感じたことのない快楽に、天照は短く悲鳴を上げた。
女陰の内側が何度も自分を貫く物根を締め付ける。
合わせるように抜き差しが繰り返されると、あまりの快さに泣きながら身悶えた。
交合いの激しさは増し、抽挿が深くなるにつれ、互いの身体がいっそう強く輝く。
美しい光が二柱の神の姿を覆い隠し、輝きが一際強く放たれた。
その瞬間、神が産まれた。
光は明滅を繰り返し、創世の神々が神々を次々と産み出したように、二柱の神は神を産み続けた。
美しい神器の神威と貴神の神威が誓約により産み出したのは、麗しい三柱の女神と五柱の男神だった。
どれほどの時が経ったのか。
未だ視界は雲に覆われている。
視えるのは、独りだけ。
すでに互いの身体は輝きを放つのを終えているのに、今、自分を抱いている逞しい体躯は、輝くように美しい。
この腕の中にいれば、何も思い煩うことなどない。
恐れも、憂いも、感じなくてすむ。
そう思っているのは自分だけではない筈だ。
だからこそ、三柱の女神と五柱の男神が産まれ、誓約が終わっても、互いに離れがたくて何度も交合いを繰り返している。
宇受売や思兼がきっと自分の身を案じているだろう。
だが、どうしても戻る気にはなれない。
重なる肌の温かさに、触れられる喜びに、何も考えられなくなる。
時折我に返っても、思うことはただ一つ。
離れたくない。
ずっと、こうしていたい。
想いに突き動かされ、思わず縋り付いてしまう。
――どうした?
気づいた建速が、さらに引き寄せ、しっかりと抱いてくれるのが嬉しくて、口に出す筈ではなかった言霊を告げてしまう。
――私の傍に。
応えはなかった。
それを、心の何処かで安堵した。
言霊に出すまでは、往ってしまったりはしないのだから。
「美咲さん!!」
名前を呼ばれて、我に返る。
振り仰げば、自分を後ろから抱きしめている慎也の心配そうな顔が見える。
「慎也くん――」
「良かった、戻ってきた」
抱きしめる腕の温もりを感じる。
「父上様……」
美しい言霊が、慎也を呼んだ。
二人が同時に視線を向けると、厳しい表情を宿した容が、こちらを視ていた。
否、自分ではないと、美咲は悟った。
慎也を、視ているのだ。
「神代の記憶がございませぬのか……それ故、未だ母神をお求めになるのですね」
白くなよやかな腕が上がり、慎也へと差し伸べられる。
「還りましょう、高天原へ。此処は尊き御身が在る処ではございませぬ」
「何、言ってる……」
戸惑ったような慎也の声。
太陽の女神の言霊は、純粋に伊邪那岐を思う心で満ちていた。
「母上様が死の女神となられたのは、理なのです。理に抗ってはなりませぬ。母上様が在るべき処は黄泉国。父上様は高天原。記憶が戻れば、父上様も還るべきだとおわかりになるでしょう」
「黙れよ!!」
耳元近くで突然慎也が怒鳴ったので、美咲の身体はびくりと震えた。
「帰れ、天へ!! 俺達はどこにも行かない!!」
美咲を強く抱きしめて、慎也は叫ぶ。
その剣幕に、太陽の女神は、一瞬だけ傷ついたような表情をその容に宿した。
差し伸べられた手が力無く下ろされる。
「いずれ、記憶も戻りましょう。それまでは、豊葦原に留まるがよろしい。ですが、お迎えにあがるのはそう遠きことでもなさそうです」
慎也に一礼すると、太陽の女神の姿が一際白く輝き、そして、光と共にその美しい姿も消えた。
後には、再び夜の闇ばかり。
「――」
「慎也くん、痛い。少し力を緩めて」
美咲のその言葉に、慎也ははっとしたように腕の力を緩めた。
美咲が顔を上げると、慎也の顔は青ざめて見えた。
「慎也くん?」
「――」
「慎也、美咲。中に入れ。話はそれからだ」
応えずにいる慎也を庇うように荒ぶる神が言霊をかける。
それにも応えることなく、慎也はただ美咲の肩を抱くと、足早に図書館へと引き返した。
「母上様――」
石楠と久久能智が出迎える。
「何してた」
慎也の低い声が漏れた。
「慎也くん?」
「俺達を護るって言ったくせに、何してた。隠れて見てただけか!?」
荒げた声が、苛立ちを如実に表していた。
「申し訳ございませぬ!!」
「我々では、太陽の女神の御前に出でることが出来ませんでした」
石楠と久久能智が跪く。
「そんなに太陽の女神とやらが怖いのかよ」
「慎也くん」
「三貴神は別格なのです」
「我らのように父上様と母上様の交合いより産まれたのではなく、生と死の交合いによって成った至高の神霊――陰と陽の神気、生と死の神威を併せ持つ故、我々国津神は、三貴神には敵わぬのです」
「だから、建速や天照や月読は、みんなと違って、人間の憑坐を必要とせずにこの豊葦原に現象できるのね」
「左様でございます」
「天に在るはずの高位の神格が突如豊葦原に現象し、我ら国津神は皆畏れ慄いているのです」
項垂れる石楠と久久能智を庇うように、荒ぶる神が言う。
「天照が何を言っても、必ず護る。お前達を引き離したりはせん」
だが、強い言霊にも、慎也は安心できずにいるように見える。
美咲の手を掴んで、図書準備室へと向かおうとする。
「もう寝よう、美咲さん」
「え? で、でも」
戸惑う美咲に、荒ぶる神が促す。
「慎也の言う通りだ。二人とも、もう寝ろ」
荒ぶる神が言い終える前に、慎也は美咲の手を引いたまま、どんどん進んで、図書準備室から美咲のアパートへと戻った。そのまま、美咲をベッドに押し込むように寝せると、自分も明かりを消して、隣に寄り添ってきた。
いつもなら慎也の腕に抱かれて眠ると、それだけで安心できたのに、今日は違った。
他ならぬ慎也が、不安そうに美咲を抱きしめるからだ。
「慎也くん――」
「何?」
あまりの脅えように、美咲の方が戸惑ってしまう。
なぜ、慎也はこんなにも脅えているのだろう。
「約束したよね。ずっと一緒だって」
「うん」
「それなのに、何が怖いの?」
「――」
「建速も国津神もいるわ。必ず護ってくれる。今だって、ずっと一緒でしょ?」
「それでもだ」
慎也がさらに美咲を抱き寄せる。
「何度確かめても足りないんだ。いつも、美咲さんが遠くへ行ってしまうような気がする。記憶なんかなくていい。美咲さんも、もう何も思い出さないで。今こうしていられるのに、前世の記憶なんか要らないだろ」
抱きしめる腕の強さが、嬉しいのにどこか哀しかった。
慎也の不安が、現実になるような気が、美咲もしていた。
思い出さないまま、一緒にいられたらいいけれど。
多分、思い出さずにはいられないだろう。
自分の記憶は、僅かずつだが確実に戻りつつある。
それが、夢なのだ。
夢を見ながら、神代の出来事を追体験している。
全ての記憶が戻るのを、きっと止める術はない。
咲耶比売の言っていた、最後の刻――それはなぜか太陽の女神が告げたように遠いことではないように感じながら、美咲はまた夢に引き込まれた。
長く暗い、道往きであった。
繋いだ手は、自分と同じくらい華奢で頼りない。
それでも、この闇の中では唯一確かなものだ。
――母上様、此処は何故このように暗いのですか?
――怖いのですか、比売神?
――はい。何も視えませぬ。闇ばかりが続いて、太陽の光が恋しゅうございます。
――それを求めて、私達はこうして歩き続けているのです。
――この暗闇が終わる時、私達は豊葦原に戻れるのですか。
――そうよ。視て、比売神。あの炎を。
――ああ。美しい、白い炎が視えます。そして、血のように赤い炎も。どこか懐かしい光です。彼方に向かえばよろしいのですか。
――いいえ。駄目。どんなに懐かしく恋しくとも、今はあの炎から逃れなければならぬのです。
――何故ですか、母上様。
――あれは闇に属するもの。死に近きもの。彼処に近づけば、黄泉国へ戻ることとなる。比売神、私を信じて。今は私達だけで、此処を離れねばならぬのです。そうでなければ、私達の愛しい背の君には逢えない。
――わかりました。母上様。母上様が一緒なら、私も何処までもついて参ります。
そうして、永い永い暗闇の中を、歩いた。
炎が遠ざかり、やがて、太陽の光が視えるまで。
愛しい者に出逢えることだけを信じて。
今もまだ、自分はあの暗闇の中にいるのか――一瞬そう錯覚した。
しかし、今自分は女神ではなく人間だ。
傍らには、慎也がいてくれる。
背中に感じる手の温もりが確かな安心感を与えてくれる。
これは、ただの夜。
怖いことなど何もない。
もう一度目を閉じようとして、美咲は壁に掛かった時計に目をやった。
淡い蛍光塗料の数字と針が見える。
そして、違和感に襲われた。
何かがおかしい。
目を凝らして、もう一度時計の時刻を確かめる。
美咲は、その違和感に気づいた。
「朝が、来ない――」
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