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第七章 幸わう神々
6 密やかな幻想
しおりを挟む美咲と慎也がパーク内に入ったのは、ほとんど開館と同時だったので、アトラクションはそう混んでいなかった。一番人気のジェットコースターに並んで、待っている間にマップを確認して、次のアトラクションを決める。
平日の午前中は、こんなものなのか、それとも建速達の特別な計らいなのか、待ち時間も少なく、あっという間に時間は過ぎていく。
学生時代にも友人達と来たことはあるが、慎也とのデートは新鮮で、全くその時の楽しさとは違っていた。
何を見ても、何をしても、楽しかった。
アトラクションが終わった後、互いの感想を言い合うのも面白い。
合間合間の移動では、必ず指を絡めて手を繋ぐのも嬉しい。
ショップのウインドウの売り物をひやかすのも楽しい。
他愛ない会話なのに、初めてのデートのせいか浮かれまくっている自分に内心自重するほどだ。
ふと顔を上げれば、そんな自分を慎也が見つめている。
「どうしたの?」
「美咲さんを見てる」
「どうして?」
「可愛いから」
臆面もなく言われて、頬に血がのぼる。
「……どうして、人前でそういうこと言えるかな……」
「誰がいても関係ないよ。美咲さんは、いつでも、どこでも、可愛い。こんな可愛い美咲さんが俺のものでいてくれて嬉しい」
繋いだ手を持ち上げて、慎也は美咲の指先にキスをする。
「こらっ!!」
「大丈夫、誰も見てないよ。大体、俺、制服じゃないから美咲さんと並んでても誰も変に思わないし」
「あ……」
そうだ。今日の慎也は私服だ。
図書館では常に制服だから、否応なく年の差を意識するが、外ならば誰も年齢がわからない。
加えて、長身で大人びた雰囲気の慎也は、ぱっと見大学生でも通用するだろう。
自分も、仕事ではないからかっちりした服ではなく、カジュアルなものを意識して選んだ。
自分達が並んで歩いていてもおかしくはないはずだった。
楽しそうに笑う慎也に、美咲はもう一度周囲を見るが、確かに、好奇の目を向けている者は誰もいない。
ほっとするが、今日は特別なのだ。
この調子でいつもこんなことをされたら、美咲の神経が保たない。
「今日、ここでだけよ」
「卒業するまでは、ね。了解。もうすぐお昼だから、何か食べようよ。店がいい? それとも外にする?」
いろいろ追求したい答えであったが、話題をそらされたので、美咲も諦める。
国津神達のおかげで、外はそれほど暑くない。
ならばと、外にしてみた。
フードコートとなった一角に行ってみると、様々なファストフードや屋台が賑わっている。
パラソル付のテーブルと椅子がほどよい間隔で設置されていて、そこで買ったものを食べられるようになっているのだ。
慎也は美咲の食べたいものを確認すると、先にあいているテーブルに向かい、美咲を座らせる。
「ここで待ってて。すぐ戻るよ」
「自分の分は、自分で――」
「ダメ。デートなのに。俺がとってきてあげる。離れるのやだけど、今日は国津神達が見てるはずだから、変な虫は寄ってこないでしょ」
そういって、慎也はテーブルから離れる。
甲斐甲斐しい慎也に、美咲は嬉しくもあるが複雑な心境だ。
普段は甘えたな慎也だが、こういうところはさっと動いてくれる。
年上の自分が、全部お任せというのはどうかとも思うが、こういうことは任せるべきなのだろうかと疑問も浮かぶ。
勿論、慎也はそんな美咲の気持ちなど気にしないのだろう。
国津神達のように、美咲のために何かすることを喜んでいるのだから。
異性と付き合ったことのない美咲には、年下なのに年下に見えない慎也との付き合いは、少々ハードルが高すぎる。
慎也は自分のことには無頓着だから気づいていないかも知れないが、十分格好いいのだ。
その上、背も高いし、頭もいい。
これで女子の扱いが上手いなら、文句のつけようがない。
山中だって言っていた。
何にも目をくれないが、密かにファンクラブもあるのだとか。
興味のないものはほとんど無視状態だから、話しかけられなくとも憧れる女子は多いだろう。
そんな彼が、自分にはべた甘なのは嬉しいけれど、あからさますぎて素直に喜べない。
懐かない猫のようだと言うが、美咲にしてみればひたすら飼い主にまとわりつく忠犬である。
「どうして、同い年に生まれなかったのかしら……」
いつも思うそれを、また口にしてしてしまう。
もう四年、どちらかが早いか遅いかで、こんな葛藤を抱えずにいられたのに。
それとも、自分が引いてしまうから、慎也もあのように甘えてくるのだろうか。
それも違うような気がする。
どちらにせよ、一途な想いを自分も困っていながら嬉しく思っているのだから仕方がない。
今まで生きてきた中で、こんな想いは初めてだった。
慎也を見ると、いつでも胸がときめいて、嬉しいのに切なくなる。
いつだって、傍にいて、声を聞いていたい。
そんな気持ちでいることを、慎也はわかっているのだろうか。
その繋がりが、刹那的なものなら、今もこんなふうに胸が苦しいほどに愛おしく想わないだろう。
記憶がなくても、互いを愛しく思うのは、魂が、憶えているからなのだ。
全て思い出せなくても、きっと、何度でも好きになる。
きっと、巡り逢えば何度でも恋に落ちる。
それほどに、恋い焦がれるのは、いつでもただ一人だけ――
不意に、涙が零れる。
慎也のことを、すごく好きだと、思う。
同じように想われて、幸せなはずなのに、どうしてか泣きたくなってしまう。
どうして、こんな風に思うのだろう。
「あの、」
物思いに耽る美咲の横合いから、躊躇いがちに声がかかる。
そちらを向くと、ハンカチを差し出す見知らぬ女が立っている。
美咲とそう年の変わらぬ二十代前半の女だった。
「どうぞ、お使いください」
心配そうに自分を見下ろすその言葉がやけに丁寧で、美咲は気づく。
国津神だ。
神気を抑えてはいるが、身に纏う雰囲気は、みな似通ったものがある。
泣いている美咲に気づいて、来てくれたのだろう。
美咲はハンカチを受け取り、涙を拭いた。
「あ、ありがとうございます。すみません」
「いえ。お気になさらずに」
美咲が気後れしつつも笑いかけると、本当に嬉しそうに咲い返す。
こんなことぐらいでと思うが、それが、国津神なのだ。
自分が笑えば、喜ぶ。
ただ、それだけ。
何て純粋で、愛おしいのだろう。
いつも思われている。
見護られている。
こんなに愛されている自分が――それが、とても嬉しかった。
戻ってきた慎也が美咲の分のトレイをテーブルに置く。
美咲にハンカチを差し出した国津神はすでに人混みに紛れていた。
「今の、誰?」
「わからないけど、きっと国津神ね」
慎也が隣に座りながら怪訝そうにする。
「ちょっと目を離すとすぐに寄ってくるなぁ。黙って見てるはずなのに」
「泣いてたから、心配して来てくれたのよ」
「泣いてたって、何で?」
心配そうに自分を見る慎也。
そんなところは国津神と一緒だと、慎也は気づいてもいない。
愛しさが溢れてくる。
だから、真っ直ぐに見据えて、美咲は言った。
「一緒にいられて、嬉しいから。こんなふうにデートできるなんて思ってなかったもの」
「美咲さん――」
驚いた顔で美咲を見つめる慎也――そんなくるくる変わる、美咲の前でだけは甘えたがりで表情豊かな慎也がすごく大切に思えた。
「憶えていてね。すごく、嬉しいってこと。私を見つけてくれてありがとう。大好きよ」
その言葉に、慎也が眉根を寄せる。
それから、大きく息をついてテーブルの下の美咲の手をとる。
「美咲さんこそ、何でそんな嬉しいことここで言うかな……今すぐ押し倒したいぐらい可愛すぎる」
「――それは駄目」
「だよね」
美咲の即答に、肩を竦めて笑う慎也が愛おしい。
いつでも、どこでも、光の雨が降る。
それは、自分の喜びでもあったのだ。
ライトアップされた中で行われるパレードがこのパークの売りでもある。
めぼしいアトラクションをあらかた制覇した美咲と慎也は、パレードを見てから帰るつもりだった。
パレードの前に夕食をとろうと言う慎也に、美咲は頷くが、一つ提案した。
聞いた慎也は、驚いてはいたが、嫌そうな顔はしなかった。
「仕方ない、少しは譲歩してやるか」
そう言って携帯を取り出すと、登録してある建速を呼び出す。
「美咲さんが、みんなでご飯食べたいって。どうせ、久久能智と石楠も近くにいるんだろ。声かけといて」
さすがに人混みにいる時に、目の前に顕れたりはせず、建速と葺根は近くの店の影から出てきた。
遅れて、喜び勇んで久久能智と石楠も顕れる。
「母上様、一緒に食事をしていただけるのですか」
「嬉しいです」
美里と莉子の顔で無邪気に咲われると、美咲もつい笑い返してしまう。
「何が食べたい? 好きなものを選べ」
慎也がすかさず問う。
「建速のおごり?」
「当然だろう」
「じゃあ、ここ」
慎也が地図を指さす。
そこはディナーをコースで食べさせてくれるフレンチイタリアンの店だった。
つい最近オープンしたばかりで、予約がないと入れないはずだった。
「葺根」
「お任せを」
荒ぶる神の一言で葺根がすぐに動く。出てきた店の影に戻っていく。
「俺達は歩いていこう。そのころには準備もできているだろう」
荒ぶる神が歩き出すのに、美咲達もついていく。
「た、建速、予約がないと入れないんじゃ」
「俺達には関係ない」
「――」
「美咲さん、ここは甘えとこうよ。その方が建速も嬉しいって」
「そうだ。朝も言ったろう。美咲が喜ぶなら、それでいい。それとも、嫌なのか?」
「い、嫌じゃないんだけど、何て言うか……」
「なら、喜ぶだけでいい。得をしたと思え。普段、こんなことはできないんだからな」
咲う荒ぶる神に美咲は諦めたような笑いを浮かべた。
店に着くと、葺根がすでに待っていた。
仕立ての良いスーツを着た店員に個室に案内される。
洋風の室内は、アールデコ調の美しい幾何学模様のガラスのランプが灯されており、明るすぎず、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
個室のチャージ代もかかるのではと危惧したが、そこら辺は上手くやってしまうのだろう。
なにせ神様なのだから。
色とりどりの前菜が綺麗に盛りつけられて運ばれてくる。
久久能智と石楠が主に会話を進め、美咲と慎也が答える。
建速と葺根はそれを聞きながら時折二人で話している。
本格的なコース料理だが、それほど緊張もせずに楽しく食べられて、美咲はほっとした。
それにしても。
日本の神様が美しい作法で洋食を食べている。
これはシュールなのか、ファンタジーなのか。
美咲の内心を余所に、違和感もなく楽しく会話しながら食事は進んでいく。
美咲にも完璧なテーブルマナーはわからないが、一つ一つの所作が美しければ、何をやっても様になるということはわかった。
これは真似すべきところだと、食事をしながら美咲は神々の手の動きをよく見て真似ていった。
食後のデザートには、フルーツとシャーベットにタルトがこれまた綺麗に盛られて出てきたのに、石楠が思いの外喜んだ。
シャーベットをすくって食べる時は、満面の笑みを浮かべていた。
「石楠は、シャーベットが好きなのね」
美咲の言葉に石楠が咲う。
「私ではなく、憑坐が好きなのです。我々は食べずとも人間のように死にはしませんから。憑坐に入ると、その嗜好はやはり左右されますが」
「母上様は豊葦原に降られた際には、よく人間達の好むものを食べておられました」
久久能智が言う。
「そうなの?」
「酒造りにも興味を持っておられました。現世でもそうなのですか?」
酒と言うことは、日本酒なのか――いや、製造方法が違うからポピュラーな清酒ではなく濁酒に近いか。
考えるが、記憶のない美咲にはさっぱりわからない。ビールは飲めるが、そんなに美味しいとは思わない。日本酒は、あまり飲まない。どちらかというと甘めなカクテルや酎ハイなら大学のコンパで飲んだのだが。
「ご、ごめんなさい。何も憶えてなくて」
謝る美咲に、久久能智と石楠がきょとんとする。
「母上様、何故謝られるのですか?」
「私達は、この豊葦原で、母上様と父上様がご一緒におられるのを見ているだけで幸せなのです。この時をずっと待っていました。思い出せずとも、貴女様は我らの大切な命です。私達にはそれがわかります。だから、ただ此処に、豊葦原にいて、お幸せであれば、よいのです」
「母上様は、今お幸せですか?」
その問いに、なぜか胸が痛む。
無条件に肯定したい。
幸せだ。
こんなにも思われて。
なのに即答できないことを、心の何処かが感じている。
このままではいられない。
どれほど願っても、時は過ぎゆくのだ。
それでも。
「……幸せよ、すごく」
それ以外の答えを探せない。
「ならば、我らも幸せです。貴女様から分かたれた命は皆、そう思うのです」
咲う神々。
そこには、偽りがない。
そして、それこそが神々の神々たる所以なのだろう。
だとしたら、人間の記憶を持ち続ける自分は、神にはなれない。
同様に、死なぬ神々は、記憶をなくさぬ限り人間にはなれない。
――それが、定められた理なのだ
心に沸き上がる思い。
その理の前には、たとえ神々といえども、抗えない。
ならば伊邪那美は、この豊葦原で何を望むのか。
神の記憶を持たぬまま、幸せになることか。
「――」
「美咲さん?」
テーブルの下で手を優しく握られて、美咲は我に返る。
その温かさに、先ほどまでの不安が消えていく。
確かな現実に、安堵する。
美咲は黙って微笑み返した。
パレードは美しかった。
花火が上がり、電飾に彩られた馬車を囲んでの様々なパフォーマンスを見ながら、美咲は慎也に寄り添いそれを見ていた。
特別な時間の、創り上げられた幻想の光景。
それでも、本当の神々と過ごす美咲には、何処か現実的な光景だった。
本当の幻想は、自分達のすぐ傍に在る。
静かに、この上なく密やかに。
美しい世界。
そこに現象する神々。
そして、一番に、いつでも逢いたくて傍にいたい人。
愛おしい想いが溢れて、胸が痛い。
この時間が、永遠に続けばいいのに。
そう願わずにいられない。
理由などどうでもいい。
記憶など、なくていい。
此処にいたいと願ったのは、自分なのだ。
ここが、紛れもない自分の場所。
それを許してくれる愛しい存在。
欠片のようなばらばらの記憶しか持たなくても、彼らを愛おしいと想う心は紛れもない。
それでいいのだ。
パレードが通り過ぎ、花火が終わっても、美咲は密やかに降りしきる金色の雨を見ていた。
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