高天原異聞~女神の言伝~

ラサ

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第七章 幸わう神々

5 正しい神威の使い道

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 夢のような一夜をともに過ごした朝。
 目を覚ますと、愛しげに自分を視つめる眼差し。
 身を起こし、居ずまいを正す。

――瓊瓊杵様……

――もうすぐ夜明けだ。すぐに立たねばならぬのが惜しい。

 夫となった麗しい男神がそう言って自分に微咲む。
 愛しさに、胸が痛む。
 これからしばらく離れるのだと思うと、もう恋しいとさえ思う。

――豊葦原を制定したら、迎えをよこす。それまで、待っていてくれるか?

――はい。お待ち致します。私のことをお忘れにならないでくださいませ。

 恥じらうように告げると、愛しさを隠さずに抱きしめられる。

――忘れることなど、できようはずがない。ああ、できることなら連れて往きたい。

――私も、ついて往きたく思います。ですが、足手まといになることはできませぬ。大業が恙なく成されましたなら、迎えに来てくださいませ。姉とともにお待ちしております。

――そなた達は本当に仲がよいのだな。大山津見殿に妻問いした際に、姉比売にともにと名乗り出られた時は正直驚いた。姉比売は私をまるで敵を視るような眼差しで睨みつけていたからな。申し訳ないが、姉比売には、天津神の中から良い男神を視つけてやろう。

 最後の言霊に、驚く。
 内密ではあるが、姉には、すでに夫がいるのだ。

――いいえ、なりませぬ!!

――咲耶?

――あれは、私を心配した姉が私のために申したのです。常々、私の相手は自分が視つけてやると申しておりましたから。姉には、まだ嫁ぐ気はありませぬ故、そっとしておいてくださいませ。

――では、私は姉比売に、そなたを娶るに相応しいかどうか試されたということか?

――も、申し訳ございません。姉は――

――よい、怒っているのではないのだ。姉比売が心配なのもわかる。こんなに愛しいそなたを何処の誰ともわからぬ男にくれてやるなど。

――まあ。天孫の日嗣の御子様が、ご自分のことをそのように仰るなんて。

――そなたの姉比売は、私が天孫の日嗣だから、許したのではないよ、咲耶。姿形がどれほど似通っていようとも、私が欲しいのはそなただけだとわかったから、許してくれたのだ。

――瓊瓊杵様……

――初めて誰かをこのように愛しいと思ったのだ。そなただけだ、咲耶……

 頬を引き寄せられて、くちづけられる。
 くちづけだけで、身体が熱くなる。
 徐々に深くなるくちづけに、昨夜の心地よさを思い出す。

――瓊瓊杵様……もう、お支度を……

――まだ早い。もう少し、このまま――

 そのまま褥に押し倒される。
 夜着の合わせを捲られて、指が内股の奥を探るとあられもない声が漏れる。
 襞の奥に造作なく入り込む指が、昨夜の交合いの名残を知らしめる。

――これなら、すぐ挿る。

 耳元で囁かれて羞恥に身を染める。
 言霊通り、抗う間もなく奥まで穿たれた。

――ああっ!!

 昨夜ほどではないにせよ、貫かれる圧迫感に身体が仰け反る。
 だが、迎え入れればそれは徐々に甘く疼く。
 優しく揺さぶられると押し殺せない声が漏れる。
 手で口を押さえて必死で耐えるが、その手を褥に押しつけられて、代わりに唇が唇で塞がれる。
 同時に律動が激しくなる。
 一際強く突き入れられ、あまりの快楽に身体が何度も痙攣し、悲鳴をあげたかった。
 実際、あげたかも知れない。
 だが、その悲鳴も塞がれた唇に、口腔内を蹂躙する舌に、呑み込まれた。

――愛しき我が妻よ、すぐに迎えに来る。それまで、この一夜を、私を、忘れないでくれ。

 激しい交合いの後、囁かれる言霊。
 優しげであるのに容赦なく、傲岸でもあるのに慈悲深い。
 惹かれ、引き寄せられ、抗うこともできない。
 天津神とは、皆このようであるのだろうか。
 否――こんなにも心震わせるのは、この方だけ。

――忘れることなど、できましょうか。一日も早いお召しを待っております。

 だから、まだおさまりきらぬ震えを余所に、その首筋に縋り付く。
 抱きしめ返してくれる腕はどこまでも揺るぎない。

 それは、天神地祇が永久に一つになる結びつきであった。





――御子様、ご機嫌ですな。

 大山津見の屋敷を去ってほどなく、神田比古が瓊瓊杵に声をかける。

――ああ。妻を娶るというのはいいものだ。神田比古も早く妻を娶るといい。

――出逢ってから、常に妻問いしておりますが、なかなか色よい返事をもらえませぬ。御子様に秘訣を伝授して頂きたいものです。

 随伴神である天之宇受売も勿論傍らにいて、神田比古の物言いに眉を顰める。

――神田比古!!

――秘訣か。断る隙を与えぬことだ。迷う暇もなければ、頷いてくれるであろうよ。なあ、宇受売。

 言霊を向けられて、宇受売は苦々しく神田比古を一瞥し、天孫の日嗣の御子に言霊を返す。

――生憎ですが、御子様。神田比古は隙だらけです。そのような男に嫁ぐ女はおりますまい。

――ふむ。では、今度は隙なく攻めてみるか。覚悟しておけ、宇受売。

――莫迦者が……そういう処が隙だらけだというのだ。

 呆れたように呟く宇受売。
 咲い合う神々。
 豊葦原の平定は始まったばかりだが、神々は皆、前途洋々としていた。





――幸せなの、咲耶?

――幸せよ、これ以上ないと言うほどに。お姉様のお気持ちが、瓊瓊杵様と出逢って、初めてわかったの。愛する方がいるというのは、こんなにも愛おしくて、切なくて、喜ばしいことなんだと。

――幸せそうなそなたを視られて嬉しい。これなら、大丈夫ね。愛しい方と、いずれ産まれてくる御子と、幸せに生きていける。

――ええ。ですから、お姉様もどうか、愛しい方とお幸せに。何処であろうと、愛しい方といられれば、そこは幸いとなるでしょう。

 幸せな比売神。
 言祝ぐように、美しい花が咲き乱れ、降り注ぐ。
 寄り添い合う二柱の比売神は、今が盛りとばかりに艶やかに美しかった。

 ああ。
 妬ましい。

 豊葦原で、愛する夫とともに生きられる比売神が。

 この身は未だ黄泉に在るというのに――





 目覚ましの音がなる前に、目を覚ますのはもう習慣だった。

「――」

 だが、一瞬、美咲は自分が今いるところがどこなのか混乱した。
 自分を覗き込んでいる慎也の顔を見つけたからだ。

 これは、夢の続きか。

「何、見てるの……」

「美咲さんの顔。可愛いから」

 言われて、はっと寝返りをうって顔を隠す。
 寝起きの顔など可愛いも何もあったものではない。

「何で隠すの? 今更」

 今更だろうが何だろうが、それは女心というものだ。
 そんな美咲の心中を余所に、慎也は美咲の肩を引き戻し、覆い被さるように抱き寄せる。

「慎也くん、もう、朝だから」

「朝だろうが、夜だろうが、美咲さんはいつでも可愛い」

 慎也の手が脇腹を撫で上げると、ぎょっとして押し退け、ベッドの端によって身体を起こす。

「駄目、駄目駄目駄目!! 朝から、不健全すぎる!!」

 あからさまに押し退けられて、慎也は不満そうだった。

「だって、部屋にいるなら、すること限られてるじゃん。それとも、美咲さん、俺と出かけてくれる? 美咲さんと手を繋いでデートしたい」

「却下」

「はやっ」

「誰に見られるかわからないのに、そんなことできないわよ。卒業するまで秘密にするっていったくせに」

「だって、もうバレバレだし――って、美咲さん」

 慎也が身を乗り出す。

「な、何よ」

「要は、バレなきゃいいいんでしょ?」

「――そう、だけど」

「じゃ、バレないようにデートしようよ」

 そう言うと、慎也はベッドから飛び降りて自分の携帯を掴み、電話をかける。

「ちょっと、こんな朝早くに誰にかけるの? 失礼じゃない?」

「建速だし、構わないでしょ」

「え? なんで――」

 聞き終える前に、建速が電話に出たらしい。

「建速、頼みがあるんだけど、すぐ来れる?」

「珍しいな。何だ」

「!?」

 すでに部屋の中に荒ぶる神が立っている。
 神威はこういう時に使わないで欲しい――美咲は内心で思う。
  だが、次の慎也の言葉で、美咲は、切実に痛感することになる。

 神威は、日常では決して私的な目的で使わないで欲しいと――






「――」

「美咲さん、降りないの?」

「本当に、大丈夫なの……?」

 高速に乗って約1時間半ほどのアミューズメントパークの駐車場の前で、美咲は降りるのを躊躇っていた。
 まさか、慎也とこんな娯楽施設に来ようとは、思ってもいなかった。
 逢うのはいつだって図書館か自分のアパート。
 年や立場を考えて、自分達は人前に堂々とは出られないのだ。
 自分達が付き合っているのがバレたら、まずいのだから当然だ。
 駐車場には、すでに何台もの車が止められており、それだけで、美咲は不安になる。
 しかも、夏休み最後の週なので、平日とはいえ、結構な盛況ぶりだ。
 誰に会うかもわからないのに降りたくない。
 いっそこのままアパートに引き返したいのが本音だ。

「安心しろ。使える神々は総動員したから完璧だ。知り合いがいても、決してあんた達には気づかん。寧ろ、視知った顔に会ったなら、それは国津神の憑坐だ」

 助手席から振り返ってあっさり言ってのける荒ぶる神が恨めしい。

 神威を使って、自分達が外でも気兼ねせずいられるようにして欲しい――それが、慎也が荒ぶる神に頼んだことだった。

 我が儘にもほどがある。
 そんな慎也の我が儘を容易いことだとあっさり聞いてしまう建速も建速だ。
 なぜ止めないのだ。
 いい年をした神のくせに。

 こんなことに、神威を使うのは許されるのか。

「敷地内には、結界を敷いた。闇の遣いも入っては来られん。安心しろ」

「そういうことじゃなくて」

「では、何を躊躇う? 俺達の神威を疑うのか?」

「こんなことに神威を使うって、おかしくない? いいの?」

 意外だとでもいうように荒ぶる神と運転手の葺根が顔を視合わせる。

「美咲、おかしいどころか、国津神達は喜び勇んでいるぞ」

「どうして!?」

「あんたは現世に戻ってから、決して俺達に頼み事をしないだろう? 久久能智や石楠が手伝いを申し出てもちっとも喜んでない。国津神達は傍にいるのに役に立てないともの足りずに嘆いてる。慎也は慎也で国津神達が視界に入るのを嫌がる。せっかく今生で現象しても神代の時のようにあんた達を喜ばせられないのは、国津神達にとっては不幸なんだ」

「……そうなの?」

 それこそが意外だ。
 美咲には、何でもやってもらうことの方が申し訳なかったのに、国津神にはそれが不満だとは。
 だが、神様なのだ。
 してもらうというのは正直気が引ける。
 だからといって、別に国津神達が傍にいるのは嫌ではない。
 傍にいてくれるだけでいいのに、それ以上がしたいとは、美咲にとっては贅沢すぎる。

「時折、その姿が視界に入っても、咲いかけてやるといい。美咲が咲えば、国津神達は喜ぶ。図書館以外で楽しそうにしている美咲を、皆が視たがっている」

「そうです、母上様。楽しんでいらしてください」

 葺根も嬉しそうに告げる。
 彼にしてみても、美咲達を乗せて車を走らせるだけでも喜びなのだろうか――否、きっとそうなのだ。バックミラー越しに見える目元は、いつも上機嫌に見えるのだから。

「行こうよ、美咲さん、俺も今日は国津神が近くにいても許すから」

 慎也が言った途端、光の雨が降ってくる。
 国津神達が喜んでいる証だ。
 美咲は、小さく息をつくと、慎也に頷く。

「やった。じゃあ、早く行こう!!」

 慎也が後部座席のドアを開けて、外に出る。
 そのまま、美咲が降りてくるのを満面の笑みで待つ。

「ご、ごめんね、建速。じゃあ、行ってきます」

「何を謝る。楽しんでこい」

 気にした風もなく咲う荒ぶる神。
 車外に出ると、まだ八月も半ばだというのに、暑くない。
 日差しは強いが、じり突くような熱を感じない。
 すぐ傍を、爽やかな風が過ぎてゆく。
 そう言えば、今年の夏は過ごしやすかった。
 これも、もしかして国津神のおかげなのだろうか。
 車を振り返れば、建速と葺根が咲っている。
 過保護なほどの扱いを、美咲は申し訳なく思いつつも有難く受け入れることにした。

「行こう、美咲さん」

 慎也が手を伸ばす。
 嬉しそうな慎也を見ていると、自分も彼のために何かしたいと思う。
 だから、差し伸べられた手を握りかえした。
 そうだ。
 今なら、此処でだけは、年の差も立場も気にせず、普通の恋人同士でいてもいいのだ。
 絡めた指先が心地よかった。
 幸せだと感じると、また、光の雨が降ってきた。



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