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第四章 服わぬ神々
9 取引
しおりを挟む「須勢理様、何をお怒りですの」
木之花知流比売が声をかけると、須勢理比売は不機嫌さを隠しもせずに睨みつけてきた。
建御名方と事代主は須勢理比売の傍らに控えているが、どちらも木之花知流比売を硬い表情で視ている。
禍つ言霊で事代主を縛っているのだ。
無理もない。
だが、妹にした仕打ちを考えれば当然のこと。
呪詛で縛っているだけなのだから、優しいものだ。
「日嗣の御子だ。手足の一本でももいでやろうと思うたに、父上様の神威が働いてちらとも傷つけられぬ」
記憶がないせいか、自分は日嗣の御子ではないといい、父に何を吹き込まれたのか、こともあろうに自分は伊邪那岐の黄泉返りなどと抜かした。
神威も神気もなくとも、忘れるはずがない、あの御霊は天孫の日嗣の御子だ。
自分達から豊葦原を奪った憎き天津神。
策を弄して建御名方を捕らえ、命と引き替えに事代主に國譲りを誓わせた。
間違えるはずもない。
だが、神威を放っても、自分達の神威は容易くはじき返されてしまった。
剣で傷つけようとも、身体に触れる前にはじかれる。
「守護がついているなら、程なく荒ぶる神もこちらに来られましょう」
「どうするのだ!! 父上様の神威には太刀打ちできぬ。このままでは日嗣の御子をみすみす取り返されてしまう」
殺すこともできずおめおめと返すつもりはない。
それは、この場にいる誰もが思っていることだった。
木之花知流比売はうっすらと嗤った。
「荒ぶる神が、決して追えぬ所へ連れ去ればよいだけのこと」
「父上様が、決して追えぬ場所……?」
「黄泉国です」
「!?」
言われて、三柱の神は驚く。
確かに、荒ぶる神でも、黄泉国まではさすがに追えないだろう。
往ったことがないのだから。
そして、闇の主もそれを許すまい。
「闇の主とは知己でございましょう? 呼び出して頂きたい。交渉は私がします。それまでに須勢理比売は――荒ぶる神が来たら時間を稼いでいてください」
「――恐れながら」
背後に控えていた事代主が声をかける。
「――許す。申せ」
木之花知流比売が事代主にそう告げたとき、ちらりと建御名方と須勢理比売は苛立ちが募らせた。
建御名方は大事な異母弟を、須勢理比売は子飼いを、堕ちた比売神に奪われたように思い、面白くない。
「闇の主をお呼びするのは私にお任せを。兄上も母神も煩わせることはございませぬ」
「よかろう。案内せよ」
「事代!!」
建御名方が異母弟を呼び止める。
その眼差しは不安げに揺れていた。
「大丈夫です。兄上。すぐに戻ります故、こちらでお待ちください」
安心させるように微咲み、つと事代は須勢理比売に目を向け、すぐに目を逸らして一礼して木之花知流比売に従ってその場を去る。
「日嗣の御子のいる部屋へ」
「うむ」
部屋に入ると、捕らえた日嗣の御子は結界の紋様の上で横たわり、死んだように眠っている。
「騒ぐ故眠らせました。傷つけることはできずとも、深い眠りに誘うことは言霊で事足りました」
木之花知流比売は美しい容を怒りに歪ませつつも、冷ややかに眠る男を視下ろす。
妹を無惨に死なせた憎い男の黄泉返り。
決して許さない。
無傷でなど、決して返すものか。
そのためには、荒ぶる神を出し抜かなくてはならない。
「闇の主を呼べ――」
「その必要はない。すでに在る」
美しい声が響いて、はっと容を上げると、事代主の前に美しい黄泉神――闇の主が立っていた。
闇よりもなお濃い長い髪と長い衣がよく似合っていた。
「そなたが、黄泉神か」
「さよう。お初にお目にかかる。堕ちたとはいえ、さすがに国津神の幸わいとまで謳われた比売神――美しい」
木之花知流比売は、長く美しい指を持つ手が、自分の手をとり甲にくちづけるのをじっと視ていた。
「戯言など聞いている暇はない。取引を。そのために呼んだのだ」
「日嗣の御子の身柄を私に差し出すのか? 何が欲しい?」
「差し出すのではない。一時、この身体を黄泉国で預かってくれればよい。視返りはそちらが望むものを」
「我の願いはただ一つ――伊邪那美だ」
「よかろう。ことが終われば豊葦原を探し出し、伊邪那美を引き渡そう。この男はこともあろうに私の妹と太古の女神を視誤った。我ら国津神が探せば間違いはない。これでよいな」
「よかろう。美しき女神には逆らえぬ」
揶揄するような闇の主の物言いに、木之花知流比売は挑むように睨みつける。
「では、言霊に誓え。さもなくば信じられぬ」
「私が、裏切ると?」
「男など容易く裏切る。そこの日嗣の御子のようにな」
その言霊に、黄泉神は咲った。
その場に相応しからぬ美しさで。
「何がおかしいのだ」
「いや。裏切りは、果たしてどちらにあったのか……」
黄泉神が詠うように語る。
つと伸びた指先が、木之花知流比売の額に触れた。
咄嗟に、比売神はその手を振り払った。
「何をする、無礼な!!」
だが、黄泉神は今度は美しい顔を歪めるように嗤った。
背筋を凍らせる、冷たい嗤いであった。
「愚かな比売神。そなたにも過ぎ去った過去を視せてやろう。そなたの愚かさがもたらした、真実の物語を――」
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