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第三章 禍つ神々
6 荒ぶる神
しおりを挟む風と一緒に飛び込んできた水は、カウンターで美咲を磔にしていた闇へと向かった。
鋭い水の刃が、美咲を傷つけずに闇の枷を両断する。
斬られはしたものの、闇は質量を増してカウンターから退き、不格好な人型を次々と造りあげる。
人型は全部で七体。
その間に水は立ち上る壁となり、美咲を護る。
開かれた窓の前には、美しく、強い――荒ぶる神が立っていた。
人型がゆらりと荒ぶる神へと向かう。
「九十九神如きが、俺を出し抜けると思ったのか。この中つ国で」
荒ぶる神は嗤った。
揺らめく神気。
満ちる神威。
ただそこに在るだけで、大気が震える。
それを神と呼ばずしてなんと呼ぶ――それほどの、存在。
すっと長い足が前に出た。
優雅にはらった手に、湧き出でるように美しい十拳剣が現れた。
「禍事、罪、穢れを、祓い給え、清め給え」
腕が大きく動く。
剣の刃先が完璧な弧を描いて、
「失せろ!!」
強き言霊とともに、空を一閃した。
無音とともに闇の人型が弾き飛ばされる。
神気が身体からだけではなく、握る剣からも陽炎のように揺らめいている。
荒ぶる神。
そう呼ぶのが相応しい。
無造作に伸ばした髪。
逞しい体つき。
長い手足は俊敏に、それでいて優雅に動いた。
猛々しい神気でありながら、完璧な美しさだった。
「さて――」
荒ぶる神が、床に膝をつき呆然とこちらを見つめている血塗れの男に目を向ける。
「神域に穢れを持ち込むとは考えたな。内側から結界を破られたせいで、気づくのが遅れた。四三の神数――言霊を操るそなたに相応しい小細工だな、事代主」
「何故御身が女神を護るのですか!? そも、この女は御身のお捜しの女神とは――」
「神去るお前が知る必要はない」
「!?」
ゆらりと荒ぶる神の神気が揺らいだ。
ゆっくりと剣が上がる。
その時。
「弟をお許しください!」
必死の声が、荒ぶる神を止める。
「兄上、来てはならぬ!!」
「代わりにこの方をお返しします。傷つけてはおりませぬ。ただ、気を失っているだけです」
大柄な男神が腕に抱えているのは慎也だった。
鋭い眼光が、兄神を射抜く。
忽ち、兄神は身体を竦ませた。
「神逐いされた国津神が、黄泉神と手を組んだか――」
恐怖に震える。
荒ぶる神の神気に、兄弟神は耐えられない。
何という神気。
何という神威。
これが、荒ぶる神の怒りなのか。
太刀打ちできない――この貴神の前では、自分達など塵芥のような存在だと、思い知らねばならなかった。
「慈悲を……」
震える声で、弟神は言霊を絞り出す。
「御身の血を継ぎし女神の末に慈悲を……私の身一つでお許し願いたい」
「事代!? ならぬ!!」
兄神が弟神を庇う。
「兄上は残らねばならぬ。血の濃き故に――さもなくば堅州国の母神に顔向けできぬ」
最後の言葉に、荒ぶる神は息をつく。
「あれは未だ、豊葦原を恋うるか――望むものを違えるのは、神代の頃から変わらぬな」
剣を下ろし、庇い合う兄弟神を一瞥する。
「あれに伝えろ。俺の邪魔をするなと――根の堅州国で大人しくしているがいい。女神にこれ以上関わるな。豊葦原はそなたのものにはならん。それはすでに、神代から定められたことだからだ」
兄弟神の神気が揺らぎ、神威が満ちた。
闇に溶けるように、兄弟神の姿は消えた。
同時に、荒ぶる神の神気が消える。
「そなたたちも戻るがいい。穢れを祓えば神域は黄泉神を受けつけぬ。今まで通り、女神は安全だ」
その言霊に、風は大気を巡り、闇の名残を払拭する。
水は神域を穢す原因となった七冊の本を包み込み、水圧で切り裂いた。
風と水が飛び込んで来たときのようにうねりながら窓から出て行く。
同時に、開いていた窓が一斉に閉まった。
じっ、と音がして、館内の明かりが点いた。
荒ぶる神は兄神がおいていった慎也に近づく。
気を失ってぐったりと床に倒れている慎也の胸に手を当て、神気を送る。
びくりと身体が震えて、目蓋が開いた。
「――」
「気がついたか」
見下ろす見知らぬ男を見て、慎也は眉根を寄せる。
外にいたはずの自分が図書館の中にいるのを怪しんでいるのが表情から見て取れる。
「あんた、誰?」
「建速と呼べ。敵ではない。お前と美咲を護る者だ。惚れた女を護りきれぬところは、神代と変わらんのだな」
「? ――美咲さん!?」
美咲の名前に、慎也は飛び起きる。辺りを見回す。
「カウンターだ。お前が意識をなくしている間に闇の遣いに襲われかけた」
「!?」
慎也がカウンターに駆け寄る。
「美咲さん!?」
美咲はカウンターに身体を投げ出した状態のままだった。
両手足は磔られた時のまま投げ出され、上衣ははだけられたまま、白い肌が露わになっていた。
慎也が裂かれたシャツをかきよせ、胸を隠す。
「美咲さ――」
気を失っているのだろうと美咲の顔を見た慎也はぎょっとした。
美咲の目は、開かれたままだった。
虚ろな眼差しで、天井を見上げていた。
涙が、止めどなく流れ、唇がわずかに言葉を紡いでいた。
「美咲さん?」
耳を寄せ、言葉を聞き取ろうとした。
美咲は小さく繰り返していた。
違う、と。
「美咲さん、美咲さん?」
頬を軽くたたき、美咲を正気づかせようとしても、美咲は虚ろに泣きながら、違うと繰り返すのみ。
「どけ」
低い声が、慎也の背後から響いた。
大きな手が美咲の顎を掴み、覗き込む。
舌打ちが聞こえた。
「悪しき言霊を吹き込まれたな――」
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