高天原異聞~女神の言伝~

ラサ

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第二章 集う神々

2 学校の怪談

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 午後1時を過ぎて、カウンターに座りながら雑務をこなしていた美咲は、一般の利用者用玄関から初老の紳士がゆっくりと杖をつきながら歩いてくるのに気づき、立ち上がった。

「こんにちは」

「斉藤さん、こんにちは」

 美咲は笑顔で挨拶を返した。

「今日のお勧めは、なにかあるかな?」

「残念ですが、今日はお求めの本がまだ返却されてませんし――そうだ、登山がご趣味でしたよね、去年の暮れに入った山の写真集はどうですか?」

 斉藤はにっこり笑うと、

「ああ、それはいい。最近は歳をとったもんだから、足腰が弱くなって山登りもできないからね。写真で満足することにするよ。いつもありがとう」

 頭を下げて、カウンターを一歩離れる。

「いえいえ。お求めの本が返却されたら、すぐ連絡しますね」

「そうしてください。では」

 再び会釈をして、斉藤はゆっくりと美術関係の写真集のコーナーへと向かう。
 あいかわらず礼儀正しい紳士だ。
 仕立てのよい着古した上着も、杖も、上品さを際立たせている。
 この地域の利用者はみな人懐こいのか、気さくに美咲に話しかけてくる。
 利用者も今年になってから急激に増えたようで、美咲としてもたくさん本を借りに来てくれるのは嬉しかった。
 授業で利用されることもたまにあるが、この蔵書で、利用するのが学生だけでは惜しいと思っていただけに、毎日の一般の利用者と放課後の学生の学習室利用で、なかなかの盛況だ。
 斉藤のような、品のよい利用者はマナーも弁えていて、この図書館の利用者として文句の付け所がない。
 上機嫌で斉藤の後姿を見送る美咲に、

「美咲先生、ああいうおじいちゃんが趣味なんだ~」

 些か品のない言葉が聞こえた。
 声のほうに視線を向けると、この学校の女子生徒が二人、含みのある笑顔で美咲を見ていた。
 いつも本を借りに来る常連なので、美咲はとっくに名前を覚えていた。
 ショートカットの背の高いほうが坂上美里、セミロングで美里よりも頭一つ分低いほうが吉原莉子だ。
 美里が腕組みをしてニヤニヤしている。

「若い男より、年上の男か。渋い趣味だな」

「すてきなおじいちゃんだもん、あたしもときめくかもぉ」

 茶化すように莉子が続ける。

「何莫迦なこと言ってるの。いつも利用してくださってる方よ。変なこと言わない」

「愛に歳の差は関係ないのだ」

「そうなのだぁ」

 さらにふざける二人に、美咲は呆れてしまう。

「そんなことより、本を返しに来たんじゃないの?」

「あ、そうそう」

 そう言われて、二人はようやく手に持っている本に気づいたようだ。

「これ借りるね」

 そうして莉子が差し出したのは、女子高生が好きそうな今流行の恋愛小説だ。
 対する美里は、硬派な推理小説の続きだ。

「美咲先生のおススメ、ちょーおもしろかったw この作家の他のやつチャレンジするんだぁ」

「あたしも。シリーズ読破する」

「はいはい。ありがとう」

 美咲がカウンターで手続きをしている最中に、莉子が突然思い出したように声を潜めて言い出した。

「知ってる? 美咲先生。今、校内でお化けが出るんだよ」

「お化け? まさか」

「本当だよぅ。学校の七不思議の一つにあるよ。ずっと昔、旧校舎だった頃、プールで溺れて死んじゃった男子生徒の幽霊」

「そうそう。足引っ張って溺れさせた友達を探してるんだって。朝来たら机と椅子がプールの水で濡れてるって。ちょーこわーい」

「だからぁ、暗くなったら校舎に残ってちゃだめだよ」

 美里がさらに付け足す。

「普通棟は4階まで来たらしいから、次は特別棟だよ。図書館は普通棟と特別棟の渡り廊下だから、特別棟が終わっ
たら、来るかも。塩素の臭いしたらすぐ逃げてよ」

「怖いの嫌いなのに、そんな話しないでよ」

 莉子が美咲の腕にしがみつく。

「あたし達もきらーい。でも、何でか、こーいう話はみんなとしたくなっちゃうんだ」

 今時の女子高生はこんなに人懐こいものなのだろうか。
 戸惑いながらも懐かれて嫌な気分はしない。
 妹がいたらこんなものなのかと、美咲は女子生徒の好きにさせていた。

「はいはい、噂話はここまで。本を借りたら速やかに戻るか、静かに読んでいきなさい」

 司書教諭の山中がひょっこりとカウンターから右手の事務室兼図書準備室から顔を出す。

「はぁーい」

「美咲先生、またね~」

 ひらひらと手を振って、二人は校舎へと向かう渡り廊下へと消えていった。

「すみません、山中先生。うるさくしてしまって」

「いいのいいの。あの子達はただ、じゃれたいだけなんだから。藤堂さんが本を薦めてくれたおかげで、大分落ち着
いたわ。これからもお願いね、うるさいけど、根はいい子達だから相手をしてあげて」

「は、はい」

「それより、藤堂さん、書庫から資料を探してきてくれる? ここにメモしてあるから」

「はい」

「量が多いから助っ人を――お、タイミングいいな。時枝君、手伝いよろしく」

「いいですよ」

 返却本を書架へ返し終わり、戻ってきた慎也が山中からメモを受け取る。

「これ見つけてくればいいんだね」

「そう。藤堂さん一人だと時間かかるから、二人でよろしく。二人なら三十分ぐらいで終わるでしょ。昼休み終わる
までにはできるよね」

「了解」

 カウンター奥の引き戸を開けると、美咲を待つ。

「どうぞ、美咲さん」

「どうも――」

 視線を合わせないよう美咲はさっさと書庫に入る。
 引き戸が閉められると、階段を上るところで慎也が後ろに追いついた。

「何か、モテモテだね、美咲さん」

 少し面白くなさそうに慎也が呟く。

「ちょっとおしゃべりしてただけよ」

「だって、俺が話しかけると人目を気にしてそっけないくせに、他の奴らだと態度が違うじゃない。そんなんだと、かえってばれると思うけど」

 階段上りきった所で、美咲は振り返った。

「そんなにあからさま?」

「めちゃくちゃあからさま。鈍い奴でも気づくよ」

 肩を竦めて、慎也は吐息混じりに答える。

「だから、もう少し俺にも話しかけてよ」

「む、無理よ。今だって、精一杯なのに」

 慎也を見ると、目を離せなくなるのは自分のほうだ。
 目が合うと胸が高鳴る。
 熱を帯びた視線が自分に向けられるのがすぐにわかるからだ。
 軽く溜息をつくと、慎也は少し顔を下げて美咲の顔を覗き込む。

「ちなみに、うちの学校の七不思議って、本物らしいよ」

「嘘っ!?」

「ホント。音楽室の音楽家の目が動くとか、誰もいない体育館でボール突く音とかって、ありきたりな話じゃないも
の。この学校、校舎自体は新しいけど、旧校舎を順に改築していったから、そのままの敷地だし、昔の間取りも変えてないしね」

 美咲も、この学校の七不思議ならすでに聞いて知っていた。
 学校にはこの手の怪談はつきものだ。

 特別棟三階の踊り場。
 講堂。
 グラウンド手前の桜の木の下の芝生。
 職員室隣の金庫室。
 普通棟から続く体育館への渡り廊下。
 プール。
 そして、図書館の書庫。

 これら全てにいわくつきの怪談話が伴っている。
 確かに、この書庫も、古い造りだ。
 静まりかえった書庫に漂うひんやりとした空気。
 背筋がぞくぞくする。

「そんなこと言われたら、次から一人でここ来れないじゃない!」

「いいよ。ここには、俺がいつもついてくから」

 笑いながら、慎也は美咲の手を掴んで引き寄せ、抱きしめた。
 慎也は背が高いので、抱きしめられると美咲は簡単にその胸におさまってしまう。

「ちょっと、駄目、資料を探さないと」

「五分もかからずに探せるよ。だって、去年と同じだもん、その資料。山中先生は忘れてるけど、俺が探したんだよ、それ。去年も、一昨年も」

  慎也が美咲を持ち上げて、壁際の書架の上に座らせる。

「しばらくは二人きりだ。誰にも邪魔されない」

 そうして、美咲を壁に押し付けるように身を乗り出してキスをした。

「――」

 慎也とキスをすると、心では駄目だと思おうとしても身体のほうが正直に反応してしまう。
 まるで、そうすることが当然のように、抵抗できない。
 大学生だったときに、酔っぱらった男友達に迫られて無理やりキスされたことはあったが、その時とは全く違う。
 多分、慎也だけだ。
 こんなにもしっくりくるのは。
 唇が触れるといつも、泣きたいほど心が震える。
 彼に触れられるために、この身体があるように、細胞全てが喜んでいるように反応してしまう。
 乱れた吐息と舌の絡まる音が密やかに漏れる。
 身体の力がすっかり抜けたところで、壁についていたはずの慎也の手が美咲の肩から鎖骨を下りて、服の上から胸の膨らみを包み込んだ。

「……あ……だめ……」

 咄嗟に漏れた声。
 それでも、慎也は手を止めない。
 キスの合間に優しくまさぐられ身体が震える。
 美咲の吐息がいっそう乱れて、押し殺しても小さく声が漏れる。
 まさかこのまま、最後までということはありえないが、ほんの少し、不安が頭をよぎる。
 だが、その不安を呼び水に、突如わきあがる快感以外の感覚に、熱が冷えるように、我に返る。

「……」

 手を伸ばして慎也の手を離そうとするが、力が入らない。
 それでも、訳のわからない不安に駆られて、美咲は弱々しい抵抗を繰り返す。

「お願い……いや……」

「――」

 涙声で訴える美咲に、慎也は身体を離す。
 しばらく美咲を見下ろしていたが、軽く息をついてさらに一歩下がった。

「――資料、見つけてくる。美咲さんはそこにいて」

 返事を待たずに、慎也は奥の書棚へ向かう。
 美咲は何とか身体に力を入れて、書棚から下りた。
 服や髪に乱れがないか手で触れて確かめる。
 だが、それ以上動くことはできず、慎也を待つしかなかった。
 今まで感じたことのない不安に、戸惑っていた。
 まるで自分のものではないように、突如わきあがったあの感覚。
 自分だって付き合っている恋人同士がキスだけで満足するなんて思っているわけではない。
 慎也のことが好きだし、キス以上のこともしたいと思っている。
 さっきだって触れられて驚いたけれど、慎也の手はとても気持ちよかった。
 さすがに書庫で最後までというのはありえないが、初めての相手が慎也なら、きっと後悔はしない。
 だが、その後に感じた不可解な感覚は、そういった現実のこととはまるで違う感覚だった。
 不安――というより、深い嘆き、絶望、恐怖、そういったものが入り混じったようで、それまでの快感を全部かき消した。
 恋をすると、誰でもこんな風に感じるものなのだろうか。
 慎也と出逢ってから、確かに美咲の生活はがらりと変わってしまった。
 だが、それと同時に不可解なことも起こり始めた。
 自分のものではないような感情や感覚が、頻繁にわきあがり、不安定になる。
 夜は夜で、不思議な夢を見る。
 映画でも見ているかのような、不思議な夢で、目覚めた後でもその余韻に戸惑う。

 どうしてこんな風になったのだろう。

 いくら考えても、美咲にはわからなかった。




 最初に慎也が言ったように、山中の頼んだ資料は、慎也が5分もかからずに見つけてきた。
 かける言葉を捜せずに、美咲は資料の半分を受け取った。

「――」

「ごめんね、美咲さん」

「え――?」

 慎也からの謝罪に、美咲は驚いて顔を上げた。

「まだ怒ってる?」

 美咲は慌てて首を振る。
 慎也のほうが怒っていると思っていたのだ。
 美咲がそう言うと、

「怒ってるっていうか――美咲さんじゃなくて自分に、呆れてた。我ながら、がっついてるなって」

 慎也は苦笑した。

「嫌がってる美咲さん、最高に可愛かった。無理やりしたくなるほど」

  さらりと言われて、顔が赤くなるのが自分でもわかった。

「ど、どうしてそう言うこと口にするのよ!」

 慌てる美咲に、してやったりという顔で慎也は続ける。

「ちょっとした仕返し。だって、美咲さん、未だに俺をアパートに入れてくれないし」

「それは――」

「一緒に帰るのも、未だに嫌がるし」

「嫌なんじゃないわ、でも――」

「でも、内緒にしておきたいんだよね。年下の高校生と付き合ってるってばれたら困るから」

「――」

「内緒にするのは構わない。でも、卒業するまでキス以上おあずけっていうんなら、それは勘弁してほしい。そこまでは我慢できそうにないし、待ちたくない」

 最後の言葉は、おどけたようには聞こえなかった。

「――」

 昼休みの終わりを告げる予鈴の鐘の音が遠くに響いた。

「――先に戻ってるね。美咲さんはもう少ししたら出てきなよ。そんな顔で出て行ったら山中先生に疑われるよ」

 その言葉はいつものように少し軽めに聞こえて、幾分美咲はほっとした。
 一人書庫に取り残されて、考える。
 卒業まで。
 確かにそこまでは秘密にすると言ったが、自分だっておあずけなんてするつもりはない。
 けれど、自分の中の不可思議な感覚を、慎也に説明するのは難しかった。
 自分にだって説明がつかずに納得できていないものを、どうして慎也に説明できるだろう。
 大きく息をつくと、とりあえず美咲はこのことを考えるのをやめた。
 慎也に渡された資料を持って、出口へと向かう。
 気持ちを切り替えて仕事に戻る時間だった。




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