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14 報い
しおりを挟む次の日の朝早く、女はキリとともに薬草を採りに行く準備をしていた。
治療院での朝の仕事をすませて、いざ行こうとしたとき、ユファに呼び止められる。
「リュシア、これから患者が来る。手伝いを頼みたいんだ。薬草取りは明日にしておくれ」
「わかりました。何人ぐらいですか?」
「五、六人といったところだろう。ただ、訳ありでね。少し、嫌な思いもするかもしれないが、頼むよ。坊主、悪いがエレを呼んどくれ。手が足りなくなるから来ておくれと。エイダは来させるな」
「わかった」
キリはあっという間に駆けていった。
「先生、嫌な思いって……?」
「今から来るのは、病に罹った娼婦達なんだよ。客に病を移されて、もう助からないし、町の医者も診たがらない。そんな見放された可哀想な女達が来るんだ」
娼婦。
身を売ることでしか稼げない哀れな女達。
男や男衆達がいなければ、自分もそうなっていたかもしれなかったのだ。
助けられることのなかった、救いの手を持たなかった女達が、最後にたどり着くのがここなのか。
ユファはどこまでも女達に優しい。
可哀想な女達を見放さない。
自分が楽になれたように、自分にも誰かを楽にできたら――そう思う。
「あたしもそうなるかもしれなかった女です。お世話させてください」
「そう言ってくれて助かるよ。二、三日忙しくなるから、ここに泊まってもらうことになってもいいかい」
「大丈夫です」
「ありがとう――」
消毒液の準備や器具の準備を終える頃にはエレが到着した。
キリには寝台の準備に行かせた。
いくら年若いとはいえキリは男だ。娼婦達の治療を見せるわけにはいかないので、丁度良かった。
比較的元気そうで、手を貸さなくとも歩ける女達には、先に湯浴みをしてもらった。
病だからと世話も必要最低限だったらしい。
身体を洗うと、女達は幾分顔色もよくなり、清潔な着替えに身を包むと、穏やかな顔つきになった。
丁寧に診察され、一人一人に薬が処方される。
迎えが来る三日後まで、彼女らはここで心穏やかに過ごすことができるのだ。
最後の一人が診療を終えようとする頃。
控えめに扉が叩かれる。
「リュシア、ちょっと」
少しだけ扉を開いてキリが腕だけ出して手招いている。
気を遣って覗き込もうとしないところがキリらしかった。
部屋の外に出ると、キリが困ったような顔をしていた。
「どうしたの?」
「なんか、外に子どもを抱いてる若い女がいるぜ。娼館の馬車に歩いてついてきたらしい」
「今の診察で最後だから、先生は見てくれると思う」
「じゃあ、連れてくるぜ」
キリが入り口の扉へ一足先に駆けていく。
戸口の影に座り込んだ女の背中が見えた。
薄汚れた衣服は、もう何日も着替えていないだろうと思われた。
髪も取りあえず後ろに結ってはいるが、ほつれ、乱れて、顔の半分が見えない。
その髪の色は、赤みがかった金だった。今は薄汚れて、くすんでいる。
東の出身か――?
「おねーさん。先生の治療、もうすぐ終わるから、中に入んなよ。顔色悪いけど、立てる?」
「……あたしじゃない、この子を診てください……お願いです」
母親はキリの腕に、抱いていた赤ん坊をおくるみごと差し出した。
その声に、聞き覚えがあるような気がした。
どこかで聞いたような声。
どこかで見たような髪の色。
どこかで会ったのか。
子どもを受け取ると、キリはこちらを見た。
女は頷いて戸口に歩み寄り、座り込む母親に手を差し伸べた。
そうして、声をかける。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
「……」
まだ若い母親は顔を上げた。
「……リュ、シア……?」
名乗ってもいないのに、自分の名前が呼ばれた。
目と目があった。
女がその顔を驚きとともに認識したのと同じに、母親も、女の顔を見て、驚愕に目を見開いた。
「……カリナ……」
女は自分の身体から血がすっとひいていくのがわかった。
そのくせ心臓は早鐘のようにどくどくと脈打つ。
どうして、こんなところでカリナに出会うのか。
カリナは逃げたはずだ。
弟に渡るはずだった金を持って。
主の妬みによって、女は奉公にでた皇族の屋敷で二年近く閉じこめられるようにこき使われた。
休みの日にも何かと理由をつけて働かされた。
弟に会えない自分の代わりに、年の近いカリナに、手紙と一月分の給金を弟に渡してくれるよう頼んだら、彼女は快く引き受けてくれた。二月に一度の休暇で自分の家に戻る際に、金を届け、弟の様子を教えてくれ、返事の手紙まで持ってきてくれた。
だから、疑いもしなかった。
最後の半年は、訪ねてもいないから、手紙とお金は家においてきたと言われても。
その当時の国内の情勢も、内乱の兆しも知らなかった自分は、三度目にカリナが返事を持たずに戻ってきてから初めて、もしかしたら弟の身に何かあったのではないかと心配しだした。
カリナはとっくに皇宮から姿を消していた。
三度目の給金をもらって、届けたふりをして女に嘘をついたあとのすぐだったと、後に侍女頭から聞き出した。
何ておめでたかったのだろう。
男が命懸けで皇宮に入り込み、弟の死を知らせるまで、自分は何一つ知らなかったのだ。
「リュシア?」
キリの声で我に返る。
ぎこちなく視線を向けると、キリが訝しげにこちらを見ている。
「――知り合いなのか?」
「――」
「リュシア?」
背後から、今度はユファの声がかかる。
「まだ診る患者がいるんなら――どうしたんだい? まるであんたが死人みたいに真っ青じゃないか」
「……先生」
言葉を探せず、どうしていいかもわからず、女は立ちつくしていた。
ユファは女と、やはり座り込んだまま動かない母親を見た。
その母親の髪の色を見て、そして、キリの知り合いなのかと問う声を聞いて、何かを察したようだ。
「坊主、その子を診療部屋へ。リュシア、着替えの準備を。母親にも湯浴みが必要だ。できるかい?」
肩に優しくおかれたユファの手が、呪縛を解いた。
優しい眼差しが自分をとらえている。
大丈夫。
そう、言われているような気がした。
「――はい、すぐに」
女は自分を立て直した。
治療の手伝いをしているのだ。
まだ終わっていない。
するべきことがある。
患者が誰かなどは今考えることではない。
女はユファの指示通り着替えの準備をしに動き出した。
赤ん坊の診療とカリナの診療を終える頃には昼近くになっていた。
あれからエレに準備した着替えを渡し、カリナのことを頼んで、自分は昼食の支度にとりかかった。
出来上がった昼食を先に来ていた娼婦達に運び、最後に、カリナのところへ行った。
湯を浴びて、娼婦達と同じようにこざっぱりとしたカリナはベッドに横たわっていたが、眠ってはいなかった。
痩けた頬と顔色の悪さは、湯浴みをしても変わらなかった。
彼女も、何か病を患っているのだと女は悟った。
「食べて。もう少ししたら、器を取りに来るわ」
寝台の横に置いてある椅子に食事の盆をのせると、女は部屋を出ようと背を向けた。
「あんたの弟、どうなった……?」
その問いが、女の足を止める。
「死んだわ――」
しばしの沈黙が流れる。
「……それなのに、どうして、何も聞かないの?」
かすれた声がもれた。
女は、ゆっくり振り返る。
「――何を聞いて欲しいの?」
その問い返しに、カリナは一瞬息を呑み、それから――諦めたように力無く笑った。
「そう――そうよね。あたしの話なんて、聞きたくないわよね。所詮言い訳だもの……」
上掛けを握りしめるカリナの手は震えていた。
さらなる沈黙が落ちる。
堪えきれずに、女は問うた。
「――あの子は、あんたの子?」
問われて、カリナは顔を上げた。
その瞳にも、表情にも、絶望しかなかった。
「いいえ。あの子は親に捨てられた子よ。あたしの子じゃない。あたしは独り。家族はもういない……」
「だって、前に家族を養ってるって――」
カリナも自分の稼ぎで家族を養っていると前に聞いていた。
だから、弟への手紙を頼んだのだ。
「ええ、養ってた。身体の弱い母親と、まだ小さい弟や妹たちを。6人の食い扶持を稼ぐのは楽じゃなかった。あの頃は物価がどんどん高くなっていて、そのくせ税は厳しく取り立てられて、一生懸命働いて稼いでも、母親の持病の薬代と全員の食事で、いつも家族は餓えてた。だから、魔が差した。あんたのお金と合わせれば、もう家族にひもじい思いをさせなくてもいいと、そう思った。みんなで国を出たの。別の国で、やり直すつもりだった――」
カリナは、唇をゆがめて、己をあざけるように笑った。
「馬鹿よね。そんな人でなしなことまでしたのに、結局は罰が当たった。あんたから盗んだ金で養ってた家族は――みんな死んだわ。報いを受けた。あたしの家族が」
「――」
「はやり風邪にかかって、あっという間だった。治療代と母親の薬代でお金はすぐ底をついた。後は、もう、身体を売るしかなかった。娼館に身売りするわけにいかなかったから、通りで、男を誘ったわ。嫌で嫌で仕方なかったのに、はした金で男に身を売った。毎晩毎晩、抱いてくれる男を捜して、稼いだ。それなのに、誰一人、助けられなかった」
笑いながら、カリナは泣いていた。
「――でも、ようやく死ねるみたい。あたしも、もうすぐ死ぬって。あたしの罪を見せつけるために、一番最後に残されたのね。苦しんで、何の救いもなく死んでいけってことかな。だから、惨めに死んでいくあたしを、最後に見るといいわ……」
そのまま、カリナは目を閉じて、背を向けた。
女は返す言葉を探せなかった。
そのまま、静かに部屋を出て、外へ出ようと戸口へ向かう。
カリナの近くにはいたくなかった。
走るように足早に診療部屋を過ぎる。
やりきれない思いがわきあがる。
カリナを憎んで、罵って、責められたら、楽になれるのだろうか。
いっそ自分の手で殺してしまえたら、この苦しみを終わりにできるのか。
いいや、違う。違うのだ。
自分が許せないのは、自分自身なのだ。
何を選んでも、何をしても、自分が間違っているような気がする。
自分を支えるものがない。
どうしたらいいのかわからない。
だから苦しいのだ。
自分が扉を開く前に、開いた。
驚く女の目の前には、男が立っていた。
険しい顔で、男が女を見据えた。
「どの女だ」
低い声が、押し殺した怒りを、女に伝えた。
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