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ゼロ章-4話
リステイア・コルト
しおりを挟むリステイア・コルト
「ちょっと‼いくら妹だからと言っても言って良い事と悪い事があるのよ‼」
「何よ、いつも大人しいのに今日は妙に突っかかって来るじゃない」
『な………何だ?夢……だよな、これ』
「待て待て、姉さん達何があったんだよ、ヘスティア姉さんが怒るなんて珍しい…ヘラ姉さんいったい何をしでかしたんだ?」
「ゼウス‼人聞きの悪い事言わないでくれる?私はただ姉さんは流石処女の女神だけあって男知らずの初心ねって言っただけなのよ?」
不思議な夢だった。でも凄くリアルで……。内容は三女のヘラが長女のヘスティアを侮辱した事が原因なのだが、あれは流石に言い過ぎだとは俺も思った。末っ子のゼウスが仲裁に入ったが姉同士の喧嘩を末っ子が止められる訳もなく困ったゼウスは父親のクロノスに相談したが首を左右に振り「無理」を強調させていた。事は全く収まる様子はなく見兼ねた母親のレアは創造神に相談に行った。何でも普段からヘラは神にそぐわない行動をしていて皆困っていたらしい。創造神は解決策として再びヘスティアと顔を合わせても同じ事の繰り返しと判断。今回の件はヘラが悪いので普段から素行の悪いヘラに罰を与えると言い出し異世界の監視役として転移させ隔離した。当然ヘラは抵抗するも相手は神の頂点である創造神、抵抗虚しく転移させられてしまった。でもそれで大人しくしているヘラじゃなかった。
創造神の結界を突破する事が出来ないヘラは何か出来ないか試行錯誤する。そして姿を変えれば下界に行ける事を発見した。とは言っても小動物に姿を変えなくては行く事が出来ないし、神の力も殆ど使えなくなっている。更に移動の際は力の消費が激しく長くは下界には居られない。そこで移動の際に力を抑えるためのドアを作り長時間滞在できるようにした。
「この姿が一番可愛いし愛くるしい。それにこのドアも中々センス良く出来たし気晴らしに下界に行きますか」ってな具合だったんだがここで急に昔の俺の記憶に移り変わった。あれは小学校低学年の頃、学校の帰り道で真っ白く綺麗な毛並みの猫がバイクに跳ねられそうな所を助けた。猫は無事だったが俺は見事に跳ねられてしまってその時の記憶は曖昧だった筈。だけど……跳ねられた俺は十数メートルも吹き飛び傍から見たら即死と言ってもおかしくないほどだ、血も沢山出ている。助けたお礼なのかそんな俺を心配してくれているのか真っ白な猫は俺の頭に前足を乗せ「にゃぁ~」と一鳴きしている。ライダーはかなりテンパってはいるがしっかりと通報していた。そんな矢先突然俺は起き上がり何もなかったかのように家へと歩き始めた。
『まったく馬鹿な人間よ、これは仮の姿だから怪我などせぬのに……だが気に入ったぞ、我を助けたその気持ちに応えおぬしに我の力の一部を与えてやろう』
力の一部?それは加護ってやつか?……その後すぐ場面が変わって今度はゼウス視点になった。神様って言うのは下界を覗けるらしい。異世界に転移したヘラの様子を伺っていた。
「はぁ……ヘラ姉さんは異世界に飛ばされても全く反省していないじゃないか」
どうやら姿を変えて地球に移動している事がバレてしまったようだ。更にヘラは余程ヘスティアに対して頭に来ていたみたいで、異世界から何か仕掛けている。
「ちょっと待ってくれヘラ姉さん‼それは禁忌の呪いじゃないか」
呪いって神様がかよ‼
その後はごちゃごちゃしていて良く分からなかったが要するにヘラが送った呪いを封じようとしたゼウス。2人の力がぶつかった事で異世界と地球に歪が出来てしまった。その歪に巻き込まれてしまった者は転移してしまうらしい。変な夢だ、でもこの夢には続きがあった、俺は加護を受けてしまった事でヘラを異世界から解き放ってしまう恐れがあるみたいなんだ、そこでヘラは俺に接触するためにまた何かやらかすかもしれない。そう判断したゼウスはヘラが移動に使っていたドアを俺に与え様子を伺う事にしたって夢だ。
俺……最近色んな事が多かったから疲れているんだよな。だからあんな変な夢を見ちまうんだ。でも………あの事故からなんだよなぁ色んなものが見えるようになったのって。
事故の次の日からその変化は起こった。まず朝学校に行くのに外に出る、そうしたらいつもと違う感じがした。上手く説明出来ないが空気の流れが見えるって感じで、澱んでたり流れが速かったり。それから暫くして人の身体から僅かに流れ出ている「氣」みたいなのが見えるようになった。そのお陰で患者を治療するのが楽なんだけど。後は定番の霊体や時空の歪みなんかも見えるようになった。最近じゃ異世界人も見えるようになった。
しかし何でこんな夢を見たんだろう……昨晩サーシャに告られてしまったからか。それで現実逃避をしたいから……多分それだろう、だからあんな変な夢を見たんだ。うん、納得納得。
「先生、早くしないと遅刻…です」
「ん?あぁ……お、おはようサーシャちゃん」「ちゃん……気持ち悪い、いつも通りでいい…です」
「はい…………」
とは言ったものの午前診はあっという間に過ぎ昼休憩になってしまった。
「蘭すまないが今日も店番を頼むね」
うん大丈夫任せといて。それに午後からはお母さんが変わってくれるから」
「そうだったね、それと肘を痛めているんだから無理はしないようにな」
「分かった。行ってらっしゃい、気を付けてね」
私の名前はリステイア・コルト。リステイア・オルバノ伯爵家の次女として生まれたが、訳あって今は花咲蘭として生活している。
私が元いた国には町の管理者3伯氏がいる。ロテ伯爵家・リステイア伯爵家・ラクセル伯爵家。その上には3つの町を纏める侯爵家と王族の公爵家だけ、伯爵家となるには国に大きな貢献を齎した功績が積み重なりその地位を与えられる。母フランは私の話は聞いてくれるがそれだけの人、何かをしてくれる事は一切無い。姉のネリネは性格がひん曲がっている。父親は娘2人と言う事で跡取り欲しさに長女である姉を溺愛、私の事は家の使いの者達に任せっきりにして殆ど会話をした記憶が無い。姉はそんな私を幼少の頃から敵対視し、何かにつけて嫌がらせをして来る。成長と共に嫌がらせも酷くなり成人を迎えた十五歳の年に死を決意するまでに追い込まれてしまった。
当然ながら姉は自らの手を汚すような直接の嫌がらせはやって来ない、召使達に実行させ自身は命令役。その手口は子供の頃は突き飛ばして転ばさせたり、私だけ冷めた食事を出させる程度だった。その後成長と共に嫌がらせも酷くなり服を隠されたり、湯あみの時には湯では無く水であったり。そんな事を父親に止めさせるように嘆願しに行っても会ってさえくれない、ならばと母親に言ってもニコニコと笑顔で「そう、それは困ったわね」だ。でも私にも心の拠り所があった、召使の1人でテレサ。家名は無いみたいだけど進んで私の担当を申し出てくれて何度も私の愚痴を聞いてくれていた。時には泣く事も…………。
テレサは毎度私に言い聞かせて来た
「ネリネ様はコルト様に嫉妬しているのですよ」
私は成人したら早く結婚しこの家を出るために沢山の書物を呼んで学んだ。だがこれが悪かった……あらゆる知識を得た事で子爵や男爵から相談を受けることが多く父親でも解決出来ない案件も解決した事もある。でもそれで褒められた事など一度も無い、それどころか父親はその功績を溺愛しているネリネの知恵だと公表している。気にならないと言えば嘘になるが出来るだけ気にしないようにして来た。当然ネリネは恨んで来る「まぁどうせ私はこの家を出るのだからどうでもいいんだけど」って楽観視していた。
十五の誕生日に1人で食事をしていると珍しくネリネが話し掛けて来た。
「アナタこの間ドルゴ子爵の問題を解決していたみたいだけど詰めが甘いわね。あの話はお父様ではなくロテ伯爵家が一任する事になりましたわ、お父様の顔に泥を塗るまねをして良く平然と食事などしていられること」
なるほどそう来ましたか…………。
先日ドルゴ子爵から平民の商売トラブルについて相談を受けたのだがドルゴ子爵はロテ伯爵家の管轄。なのでリステイア家が直接口を出してしまうと大事になってしまう、そこでその旨をロテ伯爵に相談しアドバイスを伝えロテ伯爵に問題解決して貰ったのだ。今まではこんな事は無かったのだが、先日3伯氏の一角であるラクセル伯爵が戦争での失態を理由にその地位を返還、自ら男爵までの降格を願い出て受理されたのだ。そのためラクセル伯の管轄をロテ伯とリステイア家が分割する事に、ドルゴ子爵は元ラクセル伯の管轄だった。私を信用して頼って来てくれたのは嬉しいが秩序を乱す訳には行かない、そこであく迄もロテ伯にお目通りを図ると言う口実にし今後はロテ伯に相談するようにしたのだった。
そんな事は露知らずネリネは嫌味を言って来たのだが、その日からだネリネの嫌がらせが酷くなったのは…………。
普段なら気にも留めるような事ではなかっただろう、もしも気になったとしてもいつも通り召使に何かやらせればいい。だが先日ネリネはロメロ侯爵家との婚姻を破棄されてしまったのだ。表立った理由は侯爵家の長男ロメロ・ラインハルト様が武学の為に国の最高施設である騎士学校に入学するためだ。
騎士学校とは国を守る騎士になるために作られたエリートしか通えない学校で、ここの卒業生の中にはあの騎士師団長ロテ・グラッセン様も居る。
ラインハルト様は私とカトレア様の計画通りネリネとの婚姻を破棄した後すぐに私の下に来てその事を知らせて来た。計画では7日後に私に婚姻を申し込む予定になっていたのだが余程待てなかったのかカトレア様との約束を守らずに婚姻を申し込もうとして来た。
流石にそれをしてしまうと事が大きくなってしまうので私は婚姻破棄当日に同家の者に婚姻を申し込むのは良くないのでは?と告げた。ラインハルト様は言葉を濁していたが何かを察知した素振りを見せいそいそと帰って行った。きっとカトレア様に同じ事を言われていたのを思い出したのだろう。
一昨日は母に貰ったお気に入りの靴を焼却された。昨日はテレサが少ない給金でプレゼントしてくれたブローチを壊された。そして今日、貴族が集まる社交界に着て行く予定で用意したドレスがズタズタに引き裂かれている。仕方なく体調が悪い事を理由にネリネだけ出席する事にしてもらった。この日はネリネが周りにどのような事を言ったのかは分からない、召使達の酷い言動や父親からの罵倒。更には普段物言わない母親からも嫌味を言われてしまった。そして私に取って一番キツかったのはテレサからの一言だった。
「コルト様、例え質が落ちるドレスであっても社交界には行くべきでした。そんな事だからいつまでもネリネ様にいい様にされてしまうのですよ」
分かってる……テレサは私の事を思って言ってくれているのは。でも…………。
私は家を飛び出した。何も考えていなかった。いや、もう生きているのが辛かった。
自然と噂に聞いた「神に会える龍の角」に向かって走り出していた。神に会えるなんて事は嘘だと分かっている、でもそう信じて飛び込むしか無いんだ。
龍の角の先端に立った私は覚悟を決めていたはずなのに一つやり残したことを思い出してしまった。それは平民の住む町にある一角の花屋の女性の事だ。年は私より少し上だろう、でも平民にもかかわらずその対応や仕草は上流貴族に相応しい立ち振る舞いだ。容姿も整っていて訪れる人に自然と癒しを与えている。そんな彼女に憧れていた私はいつしかお近付きになれたらと思っていた……だけど伯爵家令嬢と言う立場がそれを拒んでいた。
「あぁ……こんな事なら一度でもお話しをしてみたかった」
両の頬から涙が流れ瞼を閉じた私はその事を後悔しながら飛び降りる決意を固めたのだ……………。
そして再び目を開けると見知らぬ地で花咲蘭になっていた。
私には二つの記憶がある。花咲蘭とリステイア・コルトとしての記憶だ。コルトの記憶は正直思い出したくもない事ばかりで楽しかった事や幸福だった思い出など一つもない、いやもしかしたらあったのかもしれないがあまりにも不幸な思い出しかなかったから思い出せないだけなのかもしれない。対照的に花咲蘭の記憶には幸福に満ち溢れていた、どうしてこんな状況になってしまったのか理解出来ないが恐らく彼女は何らかの原因で死んでしまいその体に私が乗り移ってしまったのだろう。他に理由が思い付かないのでそれで納得するしかない。
とにかく私は花咲蘭として生まれ変わった事に心底満足している、なにせ両親はとても優しく温かい。学校も友人が沢山いて楽しいし家業が花屋である事も最高である、それは憧れていたあの人と同じ仕事が出来るからだ。記憶にある花咲蘭はあまり店番をする事はなかったようで私が進んで店番を申し出たら両親共に驚かれてしまった。
店頭に立ち、訪れたお客さんにあの人と同じ振る舞いをする。こちらの世界でも共通だったらしくとても好評だ。喜んでくれる笑顔がとても心地よい、ついお客さん以上に喜んでしまう。ただ花咲蘭の記憶の一つに気になる事があった。
それは……………。
彼女の記憶に一人の男性がいる。年は割と上で兄妹では無いようだがお付き合いしていると言う訳でもなさそうだ。不思議な感覚で愛や恋とは違う。でも共にいる時には心が凄く温まる。名は山田太郎、同じ商店街の鍼灸整骨院の店主だ。また花咲蘭は彼の誘いで剣術の道場に通っている、そう言えば先日父親に暫く顔を出していないのだから顔だけでも出しておいた方が良いと言われた。休んでいた原因は稽古中に左肘を痛めてしまった。山田太郎が状態を診て暫く安静にして、それでも痛みが引かなかったら診療所に来るように言われている。でも今の私はその時の花咲蘭ではない、だから彼とどう接して良いのか分からなかった、だからいつも会釈だけで済ませてしまう。
今日は雲一つない晴れた天気で朝から気分が良い、夏の暑さはこっちの方が少し厳しいと感じた。学校は長期休みだけど夏の暑さに負けじとテンションを上げて店を開けたのだが珍しくお客さんが一人も来ないまま昼になってしまった。午後からは母親が代わりに店番をする事になっているので何をして過ごすか考えていたらこの世界には居てはならない者が現れた。
「花咲蘭……リステイア・オルバノ伯の第二子女、リステイア・コルトですね」
『動揺してしまい言葉が出ない、だがそんな私にお構いなしにエルフは話を続けて来た。
「会わせる人がいる。だから時間を作って…です?」
『何故疑問形?』
大凡の見当はついた、多分花咲蘭の記憶にある山田太郎と言う人の事だ。でも…………
「おま…アナタは蘭の記憶がある、だからもう分かるでしょ?」
『駄目だ、この人の前では誤魔化しは出来ない』
そして彼女は名乗るのが遅れた事を詫びてから何故私の所に来たのかを説明してくれた。
彼女の名はサーシャ。何故自分がこの世界に来てしまったのかは分からないらしい、でも山田太郎に知り合ってから少しだが転移の事が分かったと言う。と言うか私って転移していたんだ。
私は転移の絡繰りを聞き理解したうえで山田太郎に会って欲しいと頭を下げられたのだが………ちょっと待ってよ‼確かロテ・ヒステイア伯爵から聞いた話を思い出したんだけど、「闇に潜む悪魔」それは攫われた同族を助ける為に関わった全ての者を抹消する世界最強の暗殺者。その主人公って確かエルフ族のサシアだって。サシア……サーシャ……嘘でしょ?ま、まさかねぇ……そこで私は態と名前を間違えて呼んでみる事にした。
「あ、あの…サシアさん」
突然全身に鳥肌がたち身体中の毛が逆立ったような感覚に見舞われた。咄嗟に彼女を見ると顔つきや雰囲気が変わっている、鋭く突き刺さるその視線だけで私は死ぬのだと確信した。
「オルバノ伯爵の娘…忠告だ、今後平穏に暮らすならサシアの名二度と口に出すな」
『うわぁ………本人だった』
死を覚悟していた私は何度も頷く事で二度と口外しない事を約束したのだった。そして彼女に言われるがままに私は山田太郎の居る鍼灸整骨院に向かった。
コルトとしては初めて中に入るが不思議だった、花咲蘭はここに何度も出入りしていた筈。でもどんなに記憶を探っても入口までしか記憶が無い、だけど山田太郎との思い出は沢山ある。この診療所の中、つまり山田太郎の仕事風景だけが記憶に無いのだ。
「やぁ久し振り…いいやコルトさんに会うのは初めてか、俺は山田太郎。花咲蘭とは彼女が幼い時からの知り合いでね」
「わ、私は」
何て云えば良かったのだろう。リステイア・コルトとして挨拶するべきなのだろうか。でも今私は花咲蘭として生きている。でも彼はそんな私の心を読んでいたのかコルトとして話がしたいと言って来た。
彼の話は意味が分からない事ばかりだった。元の世界でリステイア・コルトは生存している?家族と仲良く暮らしている?って事はネリネとも仲良くですって‼そんな事は有り得ない。だから私はコルトとして生きて来た全てを彼に話した。
「なるほど、確かにそんな事があれば君が取った行動も理解出来なくはない。だが冷たい言い方になるかも知れないが……君は自分の気持ちをしっかりと相手に伝えたのかい?なまじ理解力があるから周りの者も自分と同じ理解力を持っていると思って何も言えなかった…いや言わなかっただけじゃないのか?相手が納得するまで話し合うと言う選択はあったはずだろう」
何も言えなかった、その後彼は私を諭すように沢山の事を言っていたが自身の愚かさを痛感した事で、ただ泣き続けるしか出来なかった。
「頭がキレるってのも考え物だな」
「先生言い過ぎ…です。まだ子供、言い方考える…です」
サーシャさんが庇ってはくれたが山田太郎の言っている事は正しい、だけど私の苦悩を理解してくれる人なんて居るとは思えない。私は山田太郎に花咲蘭の記憶を話した、こんな幸せに暮らしていた彼女だったから向こうでも上手くやって行けているのだと。突っかかるように言ってしまったが私の主張は間違っていない、なのに何故山田太郎はそんな悲しい顔をするの?
「確かに蘭ちゃんは明るくて人付き合いもいい。だけどそう言う性格になれるように努力していたんだよ」
「え?」
私は混乱した、何故なら花咲蘭の記憶にはそんなものは無いからだ。そんな私に彼は言い忘れていたと言って転移後の記憶について話し始めた。
「君は向こうでの記憶は辛く悲しく苦しいものしか無いよな?そして蘭ちゃんの記憶は楽しい事や嬉しい事つまり幸せだった思い出だけだ」
「は、はい……何故それ………ま、まさか」
「あぁ、出逢った転移者達に共通している事なんだ、転移前の記憶は不幸だった事だけで、入れ替わった持ち主の記憶には幸福だった記憶しか無いって」
愕然とした、自分だけが不幸だったと勘違いしていたのだ。そして彼は花咲蘭の苦悩を語り始めた。子供の頃から発育が良すぎて苦労した事、大人しい性格が災いして誰にでも追い詰められる事、容姿が整っていた所為で同性から酷いイジメを受けていた事。そんな彼女を子供の頃から見て来た彼は、自身が通う剣術の道場に通わせた。その甲斐があり花咲蘭は心も強くなったのだと。
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フッ……笑ってしまう。こんな事を言っても無駄なのは理解しているのに、だけど言わなければ過去の私を全否定してしまう。そんな私であったとしても頼って来る人はいた、だから私はその人たちのためだけに………。
「同情は出来ない君は賢いんだ。何か考えれば解決策はあったはずだからな。まぁそんな余裕がなかったのだとしたら同情はする、でも今の君ならもう大丈夫なんじゃないか」
また黙ってしまった。言い返せない、全て見透かされているような感じがした。でも彼の言う通り今の私ならこっちの世界では上手くやって行ける。
彼は私の表情が良くなってよかったと言い痛めている左腕を見せるように言って来た。そう言えば花咲蘭の記憶の中にこの事で彼と話していたような。私は袖を捲り彼の前に突き出した。彼は両手で私の痛めている肘を調べ始める。
「コルトさん、まず前に真っ直ぐ左腕を挙げて肘を少しだけ曲げて拳を握って甲側に手首を曲げて」
「こ、こうですか」
「俺がコルトさんの拳の甲に触れて手の掌側に力を入れるからそれに抵抗してね」
「分かりました」
「行くよ、1・2・3」
彼はグっと力を入れて来たのでそれに抵抗する。
「肘に痛みは無いかな?」
「はい、ありません」
「コズンテストは陰性」
『一体彼は何をしているんだろう』
「次は肘を真っ直ぐに伸ばして拳は握ったままでさっきと同じ事をするよ」
「1・2・3」
「痛っ‼」
思ってた以上の痛みがして思わず声を出してしまった。
「悪い、痛かったね」
「トムゼンテストは陽性か」先程から何を言っているのかはさっぱり理解出来ないが彼はそんな私に気も留めず花崎蘭と書いてある紙に色々と書き込んで行く。
『肘の痛みだけでこんなに色々と調べられるの?』
「じゃぁ治療の前にもう一つ、こちらに手を伸ばしてもらって手の掌を下に向けて指も真っ直ぐビ~ンと伸ばす。そうそうそんな感じ」
「今から中指を曲がる方に俺が押すから抵抗してね」
「1・2・3」
「痛‼……また同じ場所が痛いです」
「有難うゴメンね」
「中程度の外側上顆炎だね。いわゆるテニス肘だ」
「やっぱり原因は剣術の稽古だろうな。剣道と違って竹刀よりも重い木刀を相手に対して寸止めするから正しい姿勢で止めないと指や手関節伸筋群に大きな伸張性収縮が加わるから起始部である外側上顆つまり肘の外側に負担が掛かるんだよ」
「特に女性の場合は生まれつき肘の関節が柔らか過ぎて過伸展って言って肘が内側に反る人がいるんだけど蘭ちゃんの身体は内反肘過伸展気味だからな」
『過伸展?内反肘?』彼は自分の肘を伸ばし私の伸ばした肘と比べる。
『太い……鍛えた腕だ、美しさを感じる。まるでロテ・グラッセンの様だわ』
「コルトさん分かる?俺の肘に比べてコルトさんの肘反ってるでしょ」
「は、はい」
『私は何を考えていたのだろう、少し焦ってしまった。余計な事を考えていないで治療に集中しなければ』
確かにこの人の言う通り私の肘は内側に反っている。このような状態に名前があるなんて………。この世界の知識って一体………。
「痛むのは短橈側手根伸筋、長橈側手根伸筋の炎症だね」
「じゃぁ治療して行くからね」
『相変わらず彼が何を言っているのか分からない。骨は理解できる。でも靭帯?花咲蘭の記憶を辿っても意味が分からない』
彼は線が繋がったヒヤッと濡れたスポンジを肘の内側と両側に付けてバンドでそれを押さえつけ低周波電気治療と言うものを始めた。ピクピクして変な感じだ。
次に超音波と言う機械を当てて行く、肘にヌルっとした液体を塗り電極を当てて自分で先端に金属の付いている線の繋がった棒を肘の上で自分で動かして行く。
「常に痛みのある辺りで動かしていてね。そうしないと超音波の振動で熱が発生して血液や体液に泡が出来て火傷みたいになるから」
「そ、そんな事をして大丈夫なのですか?」
私は驚きながら聞くと
「大丈夫大丈夫ちゃんと動かしていればね」
彼は笑いながら言った。
その後も彼は治療をしながらまじないのような言葉を言い続けている。
次に彼は私の肘から手首にハーブの香りのするクリームを塗り親指でグッと押しながら肘から手首へとスライドさせて行く。
………ゴリゴリゴリゴリ
「痛ああぁぁぁ~っ‼」
「ふふふちょっと痛かったね」
「ちょっとじゃないですぅぅぅ」
『滅茶苦茶痛かったのにこの男は私のリアクションを楽しむように笑うなんて………』
「ゴメンな、筋膜リリースって言って筋肉を包んでいる膜をこうやって緩めてやると痛みがマシになるんだよ」
そう説明しながらも彼は申し訳なさそうな顔をしながら遠慮なく私の左肘から手首へ何度も親指をスライドさせて行く。
元居た世界では考えられない……怪我をすれば神殿で神様にお祈りすればやがて聞き入れてもらい怪我は治る。そんな事が当たり前だった私の、いいえ私達の歴史が根本から覆させられた。
私は彼の言う事にただ頷いて聞いている事しか出来なかった。
「最後にテーピングして、どう?肘を曲げたり伸ばしたりして」
驚いた…彼が色々と施した後は肘の痛みがかなり和らいだ。これが本当の治療…だったら私達が行っていた事って一体、神への祈りって…………。
「痛みがマシになったからって完治した訳では無いから今後は幹部をしっかりケアして2週間は安静にしている事だ。それと道場の方には俺から説明しておく………どうする?怪我が治ったらまた道場に通うのか?」
確かに道場で稽古を付ければ身を守る術は身に付く、でもこの世界では身を守る必要は無いに等しい。だったら今更通っても……
「今の君は当時の蘭ちゃんではない、姿はあの子であったとしても中身はコルトだ。だからこれからの生き方は君自身が決めるといいだろう。蘭ちゃんが残してくれた幸せを有効に使いこっちの世界では楽しく幸せに暮らして欲しい」
「あ、あの‼花咲蘭はあっちの世界では」
「安心する…です、蘭はたくましい。新しい人生満喫してる…ます」
『サシ……サーシャさんとも面識があるんだ。………たくましくか』
治療も話も終わりお礼を言って診療所を出ようとした。サーシャさんが家まで送ると言って来たのだがすぐそこだからと言ってお断りさせてもらった。誰が好き好んで闇に潜む悪魔と2人きりになるって言うのよ‼って私の心が読めるの‼サーシャさんが鋭い目つきでこっちを見てる……違うわね、きっとサシアの事を決して口外するなと言う警告を目で伝えて来ているんだわ。はぁ……分かっていますって。折角の新しい人生をもう終わらせたくはないので絶対に口外なんかしませんよ。
私の意図が通じたのかサーシャさんは笑顔を見せ小さく頷いて来た。
「コルトさん。多分こんな話は今回で最後になるだろう……だから一つだけ聞きたい。元に戻る手段が分かったとしたら君はどうするんだい?」
「あんな世界に未練の欠片も御座いません。わたくしはこの世界で今度こそ幸せな人生を送りますので心配はご無用で御座います。それとあちらの世界でも治療を施していると仰っていましたが…アナタが行っている事はとても素晴らしくともあちらの世界では異端。ですから気を付けて下さい、真の敵は教会とそれを厚く信仰し教会を利用する中級貴族。リステイア・コルトとしての最後の助言ですわ。それでは失礼させて頂きますわね……ごきげんよう」
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