婚約者達は悪役ですか!?

夏目

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本物の悪党

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「アベルに手を握らせたというのは本当ですか?」

 オペラハウスの前に馬車が止まる。
 昼間のオペラハウスは、静まり返っており、時たま役者や大道具係らしい人が裏口へと消えていく。
 馬車から降りたジュディは大きく息を吸い込んだ。工場の煤けた煙の臭いが肺いっぱいに入り込んでくる。
 ジュディと同じように馬車から降りてきたカインは、おずおずとジュディに尋ねた。

「え? ええ、そうだけど……」

 少しだけ眉を顰め、カインが黙り込む。迎えに来た時からずっと挙動がおかしかったが、それを気にしていたのだろうか。
 アベルとのデートは終わった。
 アベルだけ狡いと不平を述べたカインにジュディは王都をデートしようと提案した。顔を赤らめやったと喜ぶカインには悪いが、ただデートをするためにやって来たわけでなかった。
 それがばれたのかと肝を冷やしていたが、そうではなく、ただアベルへの不平があっただけらしい。


「ジュディとのデートは初めてで、なにからしたらいいか困ります。手を繋ぎたいが、アベルがやったことはやりたくない」

 青い瞳が拗ねたようにジュディを見つめた。

「そうだ。ジュディ、刺激な体験をしてみるつもりはありませんか?」
「どこにいく気?」

 カインはオペラハウスの目の前にある見世物小屋を指差した。

「あそこを観に行ってみませんか?」

 カドックが言っていた見世物小屋だ。不具者や醜女、醜男が見世物になっていると言っていた。もちろん、ジュディは足を踏み入れたことがない。

「で、でも、あそこは怖いところなのでしょう?」
「貴族だってお忍びで通う場所ですよ。それに人間の不思議を余すところなく見れます。王都にいるならば一度は目を通しておかないと」

 気乗りはしなかった。いくら芸を披露するという構造がオペラと同じだとしても、人を見世物として観に行くのは良心が咎めた。

「さあ、行きましょう」

 促されるまま、結局、ジュディは見世物小屋に入ることになった。
 料金を払い、天幕がかかった小屋の中に入る。オペラハウスの半分ほどの大きさで、意外にも清潔だ。昼間だというのに人がいて、中心ではすでに見世物が始まっていた。
 ホッキョクグマを飼いならした妖艶な曲芸師が鞭をしならせ、合図を送る。すると、ボールを加えて、クマは戻ってきた。
 すかさず次の人間が現れる。
 背中を反らせて、自分の足首を掴むゴム男。
 体にいくつも蛇を巻きつけた青年。
 腰ほどの身長しかない女性。
 顔が毛に覆われた犬男。体が繋がった姉妹。
 声を上げる暇もないほどジュディは魅入ってしまっていた。彼らは一人一人が美しく、稀有だった。ひとりひとりを目で追って、視線が合うと、恐々と逸らした。
 現実とはひとつも思えなかった。
 立ち込める怪しい香の香り。煙ったなかに明確に現れる異形の形。その奇妙な姿。恐ろしくも見つめていたくなる美の輪郭。
 同じ血肉があるとは思えない。骨も、筋肉も、臓器も、同じものはひとつもないように思われる。
 隣にいるカインの袖の端をぎゅうぎゅうと掴む。何かに触っていなければ飛び出して彼ら一人一人に笑いかけ、話を聞いて回っていたかもしれない。

「楽しんでいるようでよかった」
「ええ。この世界は凄い……」
「でしょう? 人を惹きつけるものがある。ほら、次が始まった」

 照明が落とされ、ドラムロールが聴こえてくる。
 真っ暗闇のなか、一人の侍女が躍り出た。どうやら、オペラのように劇をやるらしい。

「お嬢様は毎日毎日、お顔ばかり気にされるの。鏡をみては、ほら、ここに皺が。ここに染みがと大慌て。この世の宝石は自分を輝かせるためだけに存在する、なんて大言壮語を吐いて回るくせに!」

 小人の女性がのそのそと現れる。彼女もまた侍女姿だった。

「白粉をはたいて、着飾ってみても、気に入らない。可愛くない。綺麗じゃない! 獣のように吠えたてて、お化粧も、お洋服も初めからやり直し。ああ、もう、うんざりよ」

 二人は手を取り合って、軽く手を揺らす。逃げてしまおうとどちらともなく口にした。だが、次の瞬間、暗転して、叫び声が轟いた。
 ごめんなさい。ごめんなさい。許して。許してください。お嬢様!

 再び照明が着くと、先ほどの侍女は手足がなくなっていた。突起のようなものが長方形の体についているといえばいいのだろうか。尻でもぞもぞと動いている。
 頬を涙で濡らし、おいおいと命乞いをしていた。

「お嬢様、お許しください。お許しください……」

 いつのまにか舞台上には風呂に入った女がいた。水音をたてながら、浴槽から出てくる。裸は真っ赤に濡れていた。
 浴槽の中身は、水ではない。血だ!

「命乞いが心地いいわ。ほら、見てみて。ああなりたくはないでしょう?」

 そう言って視線を上に上げる。そこには鳥籠のなかに入った小人の侍女がいた。鳥籠のなかは棘だらけで、小人が動くたびに、血を滴らせている。血を全身に浴びながら、うっそりとお嬢様が微笑んだ。

「私に命乞いをしてみせて。とっておきの醜い、滑稽な奴がいいわ」

 哄笑を上げ、女は笑った。腹がよじれるほど、大声で。

「次は誰をいたぶろうかしら。いないならば、補充しなくては。攫ってこなくては。女が一人もいなくなっても、私が娘を産んで、その血を浴びるわ!」

 背筋にぞっと悪寒が走る。気がつけば、隣にいたカインの腕に縋り付いていた。
 彼女は拷問している。血を絞り、女達を惨めに玩弄して、愉悦に浸っている。
 正さなくてはと焦燥感に駆られた。こんなことは許されない。許されてなるものか。

「これは昔々、ある貴族の女性が行った凄惨な殺人事件を忠実に再現したものです」

 ピエロ姿をした男がおどけたように現れた。
 四肢がない女を指差して、尚続ける。

「彼女には正義の鉄槌が下りましたが、終わったと思っちゃいけません。今世紀の恐怖の殺人鬼は貴女のすぐ側にいるかもしれないのですから」
「――――!」

 恐怖に体が竦む。これは昔、本当にあったことなのか? 
 こんなにも残虐な振る舞いを、貴族がしたというのか。

「それを証拠に、ある領土で娘ばかりを攫った事件が起こっているそうで。事情を知っている領民は口々に言うのです。あのお嬢様に生き血を抜かれているのだってね!」
  
 意味のある言葉だと思いたくなかった。ただの音であれば、ジュディをこんなにも乱さない。
 ジュディの世界はカインとアベルの淫らな行いのせいで歪み、捻られ、おかしくなってしまったのではないだろうか。そうでなければ、そんなに残酷な仕打ちが世界に溢れているわけがない。

「家にある、宝石全て捨てなくっちゃ……」

 鏡も叩き割ってしまおう。着飾るドレスももういらない。いっそのこと、燃やして、灰になるところを見送ろうか。
 あの女のようになってはいけない。
 貴族階級に甘え、人に暴虐の限りを尽くしてはならないのだ。悪い人間は罰を受ける。それが世界の常識なのだから。

「ジュディ、落ち着いて下さい。彼女はジュディのことではありませんよ」

 耳打ちをしてくるカインの声は深い親愛の情を含んで温かい。

「そ、そうね。……けれど、知らなかった。私、何も聞いたことがなかったの」
「俺もここで聞くまで忘れていました。何代も昔のことなので」
「この貴族のことを知っていたの?」
「古い話ですから、寝物語程度に聞いただけですが。 何百という女が死んだそうです。傲慢の限りを尽くしたせいですね。家畜のように人を殺し、血を浴びて美を保った」

 両親はそんな話一言だって聞かせてくれたことはなかった。
 強すぎる階級意識が女を獣にした。いや、美に対する執着がだろうか?
 老いたくない。惨めになりたくない。醜くなりたくない。
 自己愛が行きすぎてしまった。誰も権力を持った女を止めなかなった。誰も正そうとしなかったのだ。
 正義の鉄槌が下ったというが、本当だろうか?
 きちんと罰を受けたのか。その時、彼女は何を思っただろう。なぜ誰も救ってくれないのかと嘆いたか。
 自分が乞わせたように、命乞いをしたのだろうか。

「もう出ましょうか。ジュディの体も震えている」
「ええ……」

 よたよたと倒れそうになる体を支えて、カインがジュディを出口まで案内する。

「油断してはなりません。本物の悪党は、可憐な女性の姿をしているかも知れないのですからね」

 ピエロの叫びが心の深い部分に突き刺さった。

 ――本物の悪党は、可憐な女性の姿をしている。

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