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親愛なる
しおりを挟む「もう、なにがなんだか分からないわ!」
屋敷に戻り、開口一番そう叫ぶと、目を擦りながらカドックが現れた。
「お嬢、今何時だと思ってるんすか」
「ご、ごめんなさい」
「寝るの邪魔されて、こっちは怒ってるんすよ」
よく見れば水色の子供っぽい寝間着を着ていた。カドックの母親が手製で作ったものだ。
「でも、しかたないから、部屋まで送ってあげます。ああ、俺って優しい」
「自己申告だとありがたみが薄れるわね……」
ゆったりとした足取りでカドックが先導する。
体は今のところ異常はなさそうだ。本来ならば寝台の上にいて欲しいが、体が鈍ると言ってそうそうに仕事に戻ってしまった。働いて、その倍以上怠けるのが癖になっているせいか、支障はないようだ。
「それで、なにが分かんないんです? お嬢は頭あまりよくないんですから、うじうじ悩むだけ無駄ですよ」
「それもそうね。ねえ、カドック。私、さっきまでローザン伯爵のお屋敷に行っていたのよ」
「出ていく前もそういって出て行ったじゃないですか。流石に忘れてませんよ」
「サーシャはアベル達に無理やりお嫁に出されたと聞いていたの。だから、アベルがいけば意趣返しが出来るんじゃないかと思っていたのよ」
ぴたりと前を歩くカドックが歩みを止めた。合わせてジュディも止まる。
「……なんの意趣返しですか?」
「へ? ……あ、ああ、言い間違えた。ほら、証拠集めするって言ったじゃない。それよ」
「なんだ。俺はてっきりお二人になにかされたものだとばかり思いましたよ」
勘のいい男だ。
恐々となりながら、再び歩みだしたカドックの後ろに続く。双子にされたことをいうつもりはなかった。ばれたら、姦通罪で処罰を受ける。受けずとも両親に話がいけばややこしい自体は避けられない。
「サーシャはカインとアベルからはなにもされてないって言っていたわ。それに、あんなに嫌そうだった癖に今では仲睦まじくて、子供までいるのよ」
「そりゃあおめでたいですね!」
「そうね! 今から贈り物を考えなくちゃ! ……って、違う! サーシャはあの凶悪双子のことを恨んでなかったの!」
「じゃあ、恨んでなかったんですね」
「ちょっと、きちんと聞いている!?」
カドックの背中に手を当てて、後ろから力を入れる。
痛い痛いと言いながら、動きにくそうに歩んだ。
「矛盾してるわ」
「どこがです? そもそもお嬢はサーシャって女の気持ちを直接聞いたわけじゃないんでしょう? アベル様とカイン様がやった。二人を恨んでるって聞いたこともないはずだ」
「言われなくても見ていれば分かるわよ。サーシャはカインとアベルをとても好きだったようだし、結婚式の日は青ざめていたのよ」
「恋は熱病。すぐに熱くなって、治ったらけろりと忘れる。それに結婚式は気鬱に陥りやすいとか。結婚を墓場だと言う人間もいますしね」
「でも、マリアナは……」
そのマリアナが言いふらしているとサーシャは言い返していた。
言葉が続かず黙り込む。マリアナは間違っていないはずだった。けれど、蓋を開けて中身を取り出してみたらマリアナの主張は簡単にひっくり返えされてしまった。
マリアナを信奉していたジュディは困惑するしかない。彼女の意見は、少なくとも当事者であるサーシャにとっては的外れな意見だった。
「真実はこうです。最初、サーシャ様はカイン様とアベル様にぞっこん。彼ら以外と結婚なんかしないと主張していた。けれど、政略結婚をするはめに。ひとまわりは歳が離れたおじさんのことを嫌ったサーシャ様、結婚式で青褪める」
カドックはすらすらと口に出した。
「ところがどっこい。結婚したらローザン伯爵は金持ちで優しくて自分に甘い! もうぞっこんになっちゃった。愛する彼のこと悪く思ってたなんて私のばかばか! 最初からいいなと思って結婚したってことにしようっと……そう言うことです」
「どう言うことよ!?」
カドックが裏声を出してサーシャを演じ始めたところから、ジュディはそっちに気を取られてしまっていた。
振り返ったカドックが頬を膨らませ、腕を組んだ。
「だから、サーシャ様が自分の都合のいいように記憶を捻じ曲げたってことです。お嬢もよくやるでしょ? 俺のせいにしてお菓子を食べてる」
「あれはカドックが食べろって言うから!」
「言ってません。俺が作ったのを盗み喰いしたのはお嬢です」
そんなはずはない……と否定したいがおし黙る。ジュディは簡単にお菓子の甘い誘惑に負けてしまう。すると、他人のせいにして、両親やカドックからの追求を逃れてしまう狡い自分がいることを知っていた。
サーシャをジュディのようにバツが悪くなり、誤魔化すために嘘をついた?
そうだと信じ込んだのか?
「サーシャ様は狡い奴ですが、今は仲睦まじい夫婦なんでしょう? 指摘するだけ野暮ってもんですよ」
カドックの瞳は優しいものだった。
「俺ってば、学がないのになかなか良い推理なんじゃないですかね」
「そうね……。カドックの言う通りならば、誰も悪くない。サーシャは悪いけれど、責め立てるべきじゃない」
「そういうことです。これですっきりしたでしょう? ほら、もう寝てください。農作業するには遅すぎる」
「ここは王都よ、カドック」
そうでしたと笑いながら、カドックは道案内を最後までしてくれた。
カドックを見送り、自室の扉を閉める。
カドックが語ったのは夢物語だ。ジュディを納得させるための誰も傷つかない落とし所。
騙されるほど子供ではない。カドックの好意を無下にも出来ない。
本当は誰が嘘をついているのか、ジュディには分かっていた。けれど、それを認める余裕が今はない。
友達はーーマリアナの言うことは正しい。
ぐらぐらと正しさが揺れる。罪の重さを天秤にかけられるべき罪人は一体どこにいるのだろう。
昼食を取ろうと食卓につくと、先にジュディの母親がスコーンを口にしていた。
真っ赤なジャムを塗りたくって、唇につけている。
挨拶をかわして、席につく。沈黙が落ちる。今日の王都は少しだけ蒸し暑く、絹の寝間着の下はじっとりと汗ばんでいた。
家族関係が悪いわけではない。ジュディは両親のことを敬愛していたし、同じように両親からの愛情を貰っていること知っていた。けれど、その愛情は、渇いていた。
ジュディにとって家族愛は砂のようなものだ。さらさらとしていて、手に残らない。
家族の情というものに関して、この家は不感症なのだと言ったのは、母だった。
他国の貴族だった彼女が嫁いできたとき、希薄な夫婦関係、親子関係に驚いたらしい。
ローズマリア家の人間は代々、非情さを兼ね備えている。母も、やがて慣れて染まってしまった。
だから、ルクセンブルク公爵に息子達を差し出しても泣きもせず、宝石の数を部屋で数えていた。
「そういえば、ジュディ?」
「はい、お母様」
「お前のマーシャル兄様はね、今海軍のお仕事をお手伝いしているらしいわ。ルクセンブルク公爵のご機嫌取りをしているにしても妙よね」
「お兄様だけですか?」
ジュディにはマーシャルという兄ともう一人、三歳違いのシャークと兄がいる。ぐんぐんと若木のように伸びて、いまや大木と変わらないのではないかというほどがっちりとした逞しい体つきをしている。それに比べ、上の兄は女みたいに嫋やかだ。
海軍の仕事をするにしても、上の兄ではなく、下の兄がしそうなものなのに。
「ええ、ええ。あの子、女と間違って襲われてないといいのだけど」
「……そう、ですね」
「わたくしはもう行きますからね。貴女もゆっくりと昼食をとるのはいいけれど、きちんと交流を深めるのよ」
母は上機嫌で席を立って行ってしまった。愛人とデートするのだろう。
役者や医者見習いの何人かを母は愛人としている。父はそれを知りながら黙認していた。
「お嬢、大好きなホットケーキですよ」
「シロップがこんなに! 生クリームも沢山だわ!」
「ほらほら、温かいうちに早く食べて下さい」
さきほどまで母が座っていた椅子に、カドックが腰かける。使用人としてどうなのだと思いつつも、甘いホットケーキの匂いにほだされて許してしまう。
「今日はカインのところに行って来るわ」
「興奮しないで、お嬢。袖にクリームがつきますよ」
ホットケーキを切り分けて、口に運ぶ。甘さが口いっぱいに広がった。
眩しそうにジュディを見つめるカドックに、自然と顔は緩む。胸がとくりとくりと優しく穏やかに心音を刻む。
「カドックも食べる?」
「くれるんですか? 実は気になってたんですよね」
口を大きく開けて、待ち構えている。態度が大きいとくすくす笑いながら指摘する。
「いいじゃないですか。昨日お嬢のために夜道を警護したでしょ?」
「屋敷のなかだけじゃない」
体を伸ばして、パンケーキの刺さったフォークを伸ばす。銀のフォークごと白い歯で噛みしめて、もぐもぐとカドックは咀嚼した。
フォークを離すと、ぺろりと上唇を舐めとる。
「甘い」
「美味しいでしょう?」
「そうですね」
甘い甘いと笑い合う。こんなに穏やかな昼食はいつ以来だろうか。当たり前のようにあった日々を失っていた。カドックがいなければ、ジュディは一人寂しくここで食事をとっていただろう。
カドックとの間にある情は砂のようにさらりとしたものではない。もっと温かく、優しいなにかだ。
アベル達に向けるものもそれと同じだった。
けれど、アベルはそれでは気に入らない。男として見て欲しかったと言っていた。
だが、アベルを男としてみれば、親愛の情が別のものに変じてしまう。
子宮の疼きを思い出す。二人に嬲られた時に上げた嬌声が幻聴として聴こえてくる。
あれは愛情ではなく、欲望だ。淫らな欲求を満たそうと暴れまわる獣だ。
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