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嵐の前触れ
しおりを挟む食事を食べ終わると、ゲームが始まった。
隠れんぼだ。屋敷の庭や敷地内のなかに潜む。探すのは、サーシャとローザン伯爵で、ホストをたてながら、いかに印象に残る隠れ場所を見つけられるかが来客には求められた。
普通の晩餐会では滅多に行われないものだが、マリアナが無理矢理ねじ込んだらしい。
ビジャス公爵はさっさと帰ってしまったが、マリアナ達はまだ残っている。
ジュディは帰るタイミングを見失い、二十人ほど残った来客者達と一緒に隠れることになった。
「こっちだよ」
どうしようかと迷っていたところにアベルがやってきて手を掴む。
敷地を出て、庭に出る。庭の中央には立派な噴水が設置されていた。預言者を模したローブ姿の男性の彫像の影に二人して隠れた。
膝がくっつくような距離だ。アベルは縮こまって、子供のように笑っている。
「ここなら見つからないよ」
「……アベルは楽しそう」
「楽しいよ。ジュディと一緒ならば、なんでも楽しい」
ゆっくりと指が伸びてくる。
触ってもいい? とアベルは尋ねてきた。
さっきまで触っていたのに、今更許可を取ろうとする。律儀さが変だったので、くすくす笑いながら承諾した。
子宮がぐにゅりと疼く。男を欲している淫らな体に気がつかないふりをして見つめ返した。
「俺はね。ジュディを抱いたこと後悔していないよ」
「その言い方は酷い……」
「でも、俺達のーー俺のこと男だって意識し始めたでしょ?」
その通りだ。ジュディは今までずっと幼馴染として彼らを見ていた。感覚的にはカドックに向けるものだ。家族のような親愛の情を抱いていた。
「マリアナに意識が向くようになってから、俺達の扱いはぞんざいになった。友達に夢中で邪険にしてただろ」
「そういうつもりはなかったけれど……そうかもしれない。私、マリアナと一緒にいるのが凄く好きだったの」
「だろうね。見れば分かった」
それぐらいマリアナに溺れていた。初めての友達だった。
「このまま俺達は見捨てられるんじゃないかって思ったよ。ジュディって思い込んだら一直線なところがあるから」
アベルはジュディの人差し指を軽く擦った。
「俺達のこともすぐ忘れて、見分けがつかなくなっちゃうんじゃないかって、怖くなった。母さんだって見分けられないのに。俺らを見分けられるのは、もうジュディしかいないんだよ」
「そんなことない。だって、二人は見分けがつくようにしたじゃない」
「見分けがつくように取り繕っているだけだよ。そう振舞えば、周りは納得するだろう? 実際は、二つで一つなんじゃないかって思うぐらい見分けがつかない。体も、心も、ね」
ジュディだけは、それが嘘だということを知っていた。かすかな癖が違う。同じような人間でも、目を凝らせば別人だ。
けれど、誰もカインとアベルを注視しない。二人が分かりやすく見分けがつくようにしたせいもあるだろうが、かすかな挙動より、彼らの言動の方にばかり目がいくからだ。
華やかなノーシャーク家の双子。
彼らが求められるのは人が羨むような典雅さだ。
二人は孤独だ。理解者は出来ず、世間の評判と、地位だけが重石のようにのしかかる。
本来の自分を見てくれるべき親も見分けがつかない。名前をつけたのは両親だというのに、どちらが正しい名前か、子供に指摘されなければ答えられないのだ。
「今は、満足してる。俺とデートしてくれるなんて夢みたいだ。本当を言うと、もっとデートらしいデートがしたいんだけどね」
アベルはジュディが八つ当たりのようにローザン伯爵の晩餐会に誘ったことを分かったうえで寛容だった。自分が恥ずかしくて、言葉が出なかった。
「……次は、お菓子を食べに行きたいわ」
「ダイエットするんじゃなかったの?」
「やめる。だって、痩せてもいいことなかったもの。それに食べるのは楽しいわ」
「じゃあ、美味しいパティスリーを知っているから、カインは抜きで行こう。二人っきりで、お菓子を食べに行くのは久しぶりだなあ」
人差し指を擦る指を掴む。掌をなぞり、指の股に指を通す。
子供の頃はよく手を繋いでいた。
だが、大人になれば、照れが出てできなかった。
手を触れ合わせることだって、義務が生じなければできない。
自分の膝に顔を置いてアベルがジュディを見つめた。ふやけた笑顔を浮かべている。
「俺は、心が欲しいよ。ジュディの心が欲しい。体だけじゃなくて」
「ああ、ここにいたのね! 探したのよ!」
執事にランプを掲げさせたサーシャがジュディ達を見つけた。
どうやら、二人が最後だったらしい。そのまま出て行ったのかと思ったと心配されてしまった。
ジュディとアベルは顔を見合わせて、くすりと笑い合った。
男性陣は部屋で煙草を吸いながら歓談。女性陣は部屋を移動して、サーシャのコレクションを見学することになった。
正直興味はなかったが、マリアナと一緒に回ることに気がとられて、握りしめた拳に変な汗をかき始めた。
ロングギャラリーには、数々の美術品が展示されている。
夫婦が描かれた絵画も多い。少し強調しすぎなぐらいに仲睦まじいようだ。
粛々とサーシャの自慢話に耳を傾けていた。その時だった。
口火を切ったのは、マリアナの方だった。
「いったいどういうつもりなの。ローザン伯爵夫人」
「あら、説明が足りなかった? クロイド男爵令嬢」
「さっきから、私に恥をかかせてばかり。それでよくこんな立派な家の女主人を名乗れるものね」
「あら、ひどい言いがかりだわ。ねえ、皆さま、そう思いませんこと?」
主賓であるサーシャの機嫌を損ねることはできないと何人かが追従で頷いた。ジュディを含めた残りは、どちらにつけばいいのか分からず、反応に遅れてしまう。
「言いがかりですって。ガイを連れてこいと言ったのは貴女でしょ。なのに辱めた。平民だと馬鹿にした!」
「あら、それこそ言いがかりというものよ。だれも身分で差別したりするものですか。貴賤の関係なしに人は扱われるべきですもの。卑しい性根が透けて見えたから餌食になっただけでしょう」
「なんですって?!」
「そもそも、婚約者は連れてきたくないと言った貴女の意思を尊重しただけじゃない。それを私のせいにするなんて、なんて傲慢なのかしら」
冷笑を浮かべてサーシャが強い言葉できっぱりと言い放った。
あんなに綺麗で、誇らしかった友人のマリアナがサーシャに対して怒りの感情を向けている。
すうっと熱が冷めていく。あんなに完ぺきだった友達が、毅然とした態度もとれず落ちぶれていく。新品の玩具が泥に落ちたような失望感だった。
「それを今ここで言うの!? なんて礼儀のなっていない人なの!」
「それを貴女が言うの。なら、もっと言わせてもらうわ。貴女、私と旦那様のことあることないこと触れまわっているそうね。金目的の結婚だとか、アベル様とカイン様がそう仕向けたのだとか。真っ赤なでたらめだわ」
化粧の上からでも分かるほど、サーシャは顔を真っ赤になってマリアナを責めた。
「心のない鬼のような女。私達が妬ましくてしかたがないのでしょう?」
「言ったわね、このあばずれ!」
マリアナが弾けるようにサーシャにとびかかった。
髪を引っ張り、顔をひっかいた。サーシャも応戦し、もみくちゃになりながら、二人がロングギャラリーの床で組み合っている。
ぐらぐらと綺麗な美術品が揺れている。
呆然としていた一人が、男性陣を呼びに行った。残った人でなんとか喧嘩し合う二人を宥めようと声をかける。
「何事かね!?」
真っ先に飛び込んできたのは、ローザン伯爵だった。
妻の失態を隠すように妻の肩を持つと自分の体で包み込んだ。
標的を亡くしたマリアナは発情期の猫のようにぎゃあぎゃあと威嚇音を放つ。
「旦那様、あの女が……あの女が!」
「落ち着け、落ち着くんだ、サーシャ」
「恥知らずだね。二人とも、さ」
追いついてきたアベルが意地の悪い低い声でジュディに囁いた。
「サーシャはこれで女主人としての権威を乏しめた。けど、マリアナだって、ローザン伯爵夫人を怒らせたんだ。評判を貶めた」
数日経つ頃には、ローザン伯爵邸で起こった醜聞を誰もが知ることとなるだろう。
社交シーズンの最期の話題はこれでいっぱいになるに違いない。
「ジュディの友達って、変な人だね」
茹だるような羞恥心に襲われた。
見定めるような視線を向け、いつも評定を下していたマリアナが、ジュディに見定められている。
友達にふさわしいかどうか、ジュディも品定めしなくてはならない。
いや、果たしてそうなのか。友達は、失態を演じれば立ち消えてしまうほど細いものなのか。
きっと、マリアナがジュディの立場ならば近寄らない。見向きもせず、友達だったことも忘れてしまうだろう。
アベルを置いて、マリアナに近寄った。誰も彼女の近くにはいなかった。
サーシャの隣には夫であるローザン伯爵がいる。ならば、マリアナの隣にも誰かいるべきだ。
咄嗟にそう考えてしまった。
「マリアナ」
きっとジュディを睨みつける。海のような瞳が荒波のように荒れ狂っていた。
伸ばした手を弾き飛ばして、マリアナは走り去っていく。
悪いことをしてしまった。マリアナにとって、助けるという行為は侮辱に近かったのだろう。
だが、ジュディは手を伸ばさずにはいられない。それが正しいと思ったからだ。呪いのように、体に義憤が染みついている。
「ジュディ。無理をしちゃだめだよ」
甘くアベルが叱りつける。見えなくなったマリアナの背中を探すように、ジュディはずっといなくなった方向を見つめていた。
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