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馬車のなかにて
しおりを挟む息を切らしてやってきたマリアナは、じろりとアベルを睨みつけた。
「ジュディ、しっかりして。いい? 口車にのせられちゃだめなの」
「カドック君、彼女がマリアナさん?」
「そうっすよ」
アベルはへえとじろじろと見つめていた。
「ジュディ、二人とも悪人なのよ。考えてもみて、婚約者の貴女がいるのに、この人他の女をこのオペラ座に連れてきているのよ。不誠実の塊じゃない」
「……そ、そういえば!」
「悪意のある言い方しないでよ、マリアナさん。さっきも言ったでしょ、ジュディ。俺は待ってたのに、君が来なかったんだって」
「……そうね、そう言ってたわね」
カドックからの視線が痛かった。
ジュディ自身も分かっている。風見鶏のように意見が揺れている。
「そう邪険にしないで欲しいな。そうだ、よかったら握手する?」
「馬鹿にしないで、貴方たちがやったこと、私分かっているのよ」
「困ったな。君も俺とカインが暗躍していたっていう陰謀論を支持しているの?」
「本当のことでしょう。誤魔化さないで」
「困っちゃったね」
髪を掻いて、アベルは笑った。
「ジュディ、とりあえず、俺と一緒に帰ろ? あ、カドック君は一人で帰ってね。俺の馬車は二人しか乗れないから」
「いやいや俺は小さくなれるので乗せて下さいよ」
「ほんと? でもだーめ。乗せてあげないよ」
ジュディはわけが分からなくなり、マリアナをじっと見つめた。
正しいことが分からなかった。助けてと信号を送ると、マリアナはにこっと笑って応えてくれた。
「ジュディ。私のことを信じて。私達友達でしょう?」
「ええ、ええ! 私達友達だもの。大丈夫よ。信じてる!」
「なら、この人について言っちゃダメ。ジュディは騙されるところだったのよ」
「騙される……」
「そう。ひどい人よね」
迷っていたことが馬鹿らしくなってきた。友達のマリアナが言うのだから間違いない。
アベルはジュディを騙そうとしていたのだ。危ないところだった。もう少しで信じてしまうところだった。
ジュディはマリアナに尊敬に似た感謝を覚えた。
「アベル、私一緒に行かない」
「ふーん。そっか。カインの悪事の証拠もいらないんだね」
「証拠が存在するということが分かっていれば私だって探せるかもしれないもの。だから、アベルの助けは必要ないわ」
「んー。気に入らないや」
ジュディを見つめる瞳は酷薄な光が宿っている。
見つめているとのみこまれそうで、ジュディはそっと目線を逸らした。
「よし、意趣返ししちゃおうっと。今から俺がある罪人の罪を告白するね。よーく、きいていてね?」
「どうしちちゃったんすか、アベル様?」
「俺だって、悪人認定されてとっても傷ついてるんだよ。だから、少しやり返そうと思って」
カドックは首を傾げる。ジュディも同じように意味がよく理解できなかった。
「その悪党はね、自分の婚約者を殺そうとしてるんだ。病弱な婚約者に少しずつ毒を飲ませてるんだよ」
「殺そうとしているって! そんな……誰が、誰を?」
「だから、その悪党がだよ。しかも、友達面して近づいているご令嬢を騙して、貶めようとしているんだ。あることのそれこそ意趣返しでね」
「な、誰なの、その悪党は!」
「聞きたいなら、付いてきてよ。教えてあげるし、誰も死なないように、誰も貶められないように救ってあげる」
義憤の心が疼いた。ジュディは正しい人になりたいと思っていた。
カインとアベルを糾弾したのも、自分が止めなくては誰がするのだという正義感のもとだった。
誰かが殺されそうになっている。誰かが貶められそうになっている。それを見過ごせない。
心がまた揺らいできた。
肩にマリアナの手が置かれた。宥めるように何度も擦られる。
「しっかりして、ジュディ。そんな恐ろしいことはありえないわ。はったりよ」
「そ、そうよね?」
「あれ、それでいいの? ジュディ」
「本当なの?」
「嘘なんか言う必要ないよ」
怖くなって、目を閉じた。アベルは悪党だ。マリアナが言っていた。ジュディだってそう思ったのだ。
だが、アベルの言う悪党はもっと恐ろしい存在だ。カインもアベルも命を取るような悪事はしていない。
どうしてアベルは今、そんなことを言うのだろうか。そもそも、ジュディに選択権はゆだねられているのはおかしい。
そんな目にあっている人間を見捨てておけないはずだ。助けるべきだろう。
「そっか。ジュディはお友達がそんなに大切なんだね」
再び目を開けた時、アベルは悲しそうに顔を伏せて笑っていた。
「アベル、その殺されそうな人を助けてあげて」
「それは都合が良すぎだよ。一方を拒絶したなら、相応の報いを受けなきゃ」
「アベル様?」
「じゃあね、ジュディ、カドック君。それにロイドも。そして、マリアナさんもね。よい夜を!」
二人の美女を引き連れて、アベルはボックス席から去っていった。
ジュディは引き留めようとした手を引っ込めた。
マリアナは、はったりだと言っていた。その言葉を信じている。
ロイドが顔を青くしていた。具合が悪そうだった。ジュディは気持ちを切り替えて彼の隣に座って体調を確認することにした。青い唇が心配しないでくれと動くたびにジュディの心が絞られるように苦しくなった。
マリアナもジュディの隣に腰かけて、ロイドの体調をしきりに気にしている。
カドックだけが、難しい顔をして黙り込んでいた。
結局、ロイドの体調が悪化したので、それからすぐオペラ座から出ることになった。
ジュディはマリアナに手紙を書くわと言って惜しみつつ二人と別れた。
そのあいだ、カドックは長考に入っていた。
ジュディは、のんびりとしてどこか頼りない家族同然の幼馴染が、実はそんなに馬鹿ではないのだと気が付いていた。
本も読めないと言っていたが、カドックは字を読むことができるし、知識欲は高い。
ほとんど本も読まず、なにかをするとしたら遊びに興じているジュディに合わせてくれているのだ。
ジュディにはマリアナ以外の友達が出来なかった。
周りに寄ってくる人間は婚約者のカインとアベル、どちらかの妻になりたがっていたし、ジュディのことなどおべっかで持ち上げるばかりで友人として接してくれる人はいなかった。
そのせいで、屋敷にこもることも多くなった。
遊び相手としてよくカドックが一緒にいてくれた。ジュディに合わせた言動をしてくれていたのだ。
情けなくてたまらなくなる。
沢山、友達を作ることが出来れば、カドックもいずれジュディの相手役をはずされてのびのびと自分のしたいことができるようになるはずだ。
ジュディのようなどうしようもない人間に合わせず、見合った人間と過ごすことができるはず。
「お嬢?」
「なに、カドック」
「今日は疲れましたね」
「そう? 私は楽しかったわよ。マリアナやロイドと会えたし! 蝶を観に行くの楽しみね!」
「そうっすね」
カドックの表情は暗い。
ジュディは焦ってきた。カドックが言いたいことは分かっている。途中で来たアベルの言葉が気になっているのだろう。
でも、まだ、そのことに関してジュディは折り合いがついていなかった。マリアナは気にするなと言っていたが、本当に気にせずともいいものなのだろうか。
「カドックは楽しかった? オペラなんて初めてみたんじゃない?」
「そうっすね。旅の一座がよくローズマリアには来てましたけど、あんなの比べ物にならないぐらいすごかったな。歌も踊りも、会場も」
「でしょう!? 本当にすごいの。王都はやっぱり違うわよね!」
「でも、俺はやっぱりあんまり好きにはなれないっすね」
突き放すような言い方だった。
カドックはやはり、王都が好きではないからだろうか。
「……お嬢は見ました? オペラ座の前にあった見世物小屋」
「見てないわ。見世物小屋って、なに?」
「……不具者や芸のできる動物を檻に入れて見世物にするものっすよ」
「動物園のようなもの?」
そういうとカドックは深く頷いた。
「もちろん、中で働いてる奴らも生きるために金が必要だ。可哀そうだからって仕事を取り上げるのはそれこそ本末転倒だ。でも、王都はそんものばっかりで、苦しくなる」
歌って踊って、努力の研鑽を披露するオペラ座。
物珍しいものを檻に閉じ込めて見世物にする見世物小屋。
二つは全く違うようで、とても似ている。まるで裏と表のようだ。そうカドックは言った。
「自分の妻に貞淑さを求める夫は娼婦を買い漁る。優しい顔をした淑女が子供嬲り殺そうとしてる。乞食のふりをした子供は大人の財布を掏る。王都はそんなのばっかりです。もう、見たくない。ローズマリアに帰りたい。あそこにはそういうグロテスクなものは少ないから」
「カドック、どうしたの?」
「……アベル様が言っていたこと、本当なんですかね。本当に、あんなことがあるんでしょうか。誰かが毒で婚約者を殺すなんて」
「嘘よ。嘘に決まってる。……そんなこと、常人はしないわ」
「そっすね。そんなの悲しすぎる」
膝の上に乗ったカドックの手を包む。
はっとしてカドックは顔を上げた。
「駄目っすねえ。俺ってばお嬢に慰められちゃって」
「どうして? だいたい、そういう風に思い悩むぐらいなら、私に言って。相談されないとつらいよ」
「だって、お嬢、王都に長居したそうだったし。本気にとらえてくれなかったじゃないっすか」
「そういうこともきちんと言ってくれないと、伝わらないよ」
カドックの手を頭に擦りつける。小さい頃よりもずっと硬くて大きい。
一緒に成長してきたのに、いつの間にか身長も越されてしまっていた。声も低くなってしまった。
力もジュディと比べ物にならないほど強い。
それでも守るべき家族だ。ジュディより、ずっと強くとも助けたいと思う。
「……今年だけでいいんで早く帰りませんか?」
「分かったわ。お父様に話してみるわね」
「すいません」
「いいのよ。でも、その代わり、明日から忙しくなるよ。カインとアベルの悪事の証拠を捜しに行くのだから!」
「はいはい、お伴しますよ」
苦笑するカドックに笑いかける。
元気になってくれた。それだけで嬉しかった。
ぎゃあと悲鳴が上がる。外からだった。何事かとカドックが窓の外を覗き込もうとしたときだった。
強い衝撃が走った。椅子から転がり落ちたジュディの目の前には馬の顔があった。手の先には木片が飛び散っている。
馬がひいんひいんと痛そうに声を上げている。馬車が突っ込んで来たのだ。目の前の馬の下半身は燃えていた。夜道を照らすために掲げていたランプの炎が引火したようだった。
カドックの名を呼ぶ。薄暗い馬車のなかで返事のような唸り声が聞こえてきた。
「カドック? カドック!」
「お、じょ、ぶじ、っすか?」
「私のことなんてどうでもいい!」
頭を傷つけたようで、頭からは血が滴り落ちている。
馭者を呼ぶ。はやく、この場から逃げ出さなくてはいけない。そうでなければ、すぐに燃え移ってしまうだろう。カドックを病院に連れていかなくては。
頭が真っ白になりそうになった。けれど、それは許されない。
ジュディは唇をぎゅっと噛みしめて、反対側の扉を蹴り破った。カドックを引きづり出して周りに助けを叫ぶ。
「けが人がいるの、医者を呼んで! 誰でもいいの! お願いよ!」
だが、野次馬達のざわめきにジュディの悲痛な声はかき消されてしまう。
結局、カドックが助けられたのは警察がやってきてからだった。
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