魔術師のご主人様

夏目

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 猫脚バスタブに浸かった双子は、それぞれ違う反応を示す。
 テオドールはふるふると頭を振り、水を飛ばしている。お湯のなかにいるのはリジナが髪を洗ってくれるからだとばかりに唇をつんとしていた。
 リチャードは極楽と言わんばかりに蕩けた顔をしてお湯に浸かっている。風呂が好きなのだ。
 リジナはしっとりと湿った双子の耳の毛を逆立てた。
 双子とした髪を洗うという約束を果たそうと、リジナは腕まくりをする。
 マリオといつ会えるのかな。
 国王から届いた手紙についてはもうすでに伝えてある。マリオにも、リジナと同じような手紙が届いただろうか。
 落ち込みそうになる心を押し殺し、双子を世界一ふわふわな毛並みを持つ獣人にしようと目標をたてた。

 ぴくっと耳が動くと、双子は縁に顎を置いて頭を差し出してくる。
 髪と耳の毛が混じるぐらいもみくちゃにする。
 なすがままになる姿は、最初に会った時には考えられないほど従順で可愛らしい。

「リジナ、ぼくから髪を洗って」
「リジナが一番に愛しているのは、私だもの。私から洗う」
「自意識過剰。ありえない」
「争うなら、洗わない」

 きっぱりとリジナが告げると、そんな! と四つの目が抗議してきた。
 リジナは、双子に初めて会った選定を思い出した。忘れられない、一日だった。リジナは目蓋の裏にマリオと出会って二ヶ月後に行われた、選定の日を描いた。



 ●●●

 馬車のなかは様々な香水と体臭が交じり合い、下水のような悪臭がしていた。
 リジナは縮こまり、悪意のこもった貴族達と目を合わせないように俯いた。

 選定は、魔術師達のいる魔術学校で行われた。魔術学校までは、マリオと一緒に来たリジナだったが、マリオは早々にカシスという魔術師に選ばれてしまった。
 リジナは心細くてたまらなかった。
 選定に参加出来るのは、ほとんどが貴族の次男や次女だ。長男、長女は参加できない。家長となる可能性があるからだ。

 魔術師に気に入られるために、貴族達はめかしこんでいた。上等な服を着た澄まし顔の彼らは、あらゆる手段を用いて、競争相手を蹴落とし、魔術師にいかに自分が優れているかを証明しようとした。

 幻の存在である魔術師を懐柔できれば、欲しいもの全てが手に入ると言われていた。貴族達はそれを求めていたのだ。

 何人かの魔術師達と顔を合わせたが、彼らはそんな醜い貴族達が愉快でたまらないのか、無邪気を装って競争させる。

 セドという魔術師は、特別残酷だった。
「さあ、あの靴を履かせて」と指差した靴は、魔術で高温に熱せられていた。
 セドの類稀なる美貌や魔術師の主になるという欲望に惑わされた貴族は、火傷してでも選ばれたいと奪い合った。
 やがて、殴り合いが起こり、乱闘騒ぎになった。服を引き裂き、血が流れても、セドは笑い転げて、止めはしない。
 やっと、勝負がつき、一人の男がセドに焼けた靴を捧げた。けれど、セドはその男に汚水を浴びせかけ、楽しげに歌をうたって去っていった。男は唖然として、ついには泣き出してしまった。

 リジナにとって、魔術師も、それに群がる貴族達も異郷の住人のようだった。
 どうして、そこまで魔術師を欲するのか。人を人と思わず玩弄するような魔術師が、どうしても必要とはリジナには思えなかった。


 リジナが乗る馬車は、離れで暮らす双子の魔術師に会うために用意されたものだった。
 この学校では、簡単に魔術が使われる。その気軽さは、普通では考えられないことだ。流石、魔術師達の学校だった。

 双子の住む離れは馬車での移動が必要になるほど遠いらしい。どうやら、双子は問題児らしく、隔離されているのだと、子息達が囁きあっていた。
 速さばかり追及した馬車は、それでもなぜか、リジナが王都へ来た時に乗った箱馬車よりも揺れが少ない。魔術が使われているからのようだ。魔術とは便利なものだなと、リジナは少しだけ思った。

 離れに向かう間、貴族達はお互いに探りを入れあった。そして、リジナが田舎から出てきたと知れるや否や、一斉に揶揄してきた。
 リジナは体が竦み上がるようだった。
 何をしても否定されるのではないかと、後ろ向きな事を考えてしまう。俯き、誰とも視線を合わせたくない。
 結局、双子の離れにつくまで、リジナは居心地の悪い馬車に縮こまっているしかなかった。


 双子の住む離れは、さながら美術館だ。煌びやかな調度品が丁寧に並んでいる。
 屋敷の案内をするのは楚々とした雰囲気の美女だ。他の馬車から降りてきた貴族達も加わり、屋敷のなかに通される。
 リジナは教会を模した高い天井に驚愕した。様々な動物のフレスコ画が描かれている。一瞬、剥製かと思うほど、よく出来ている。感嘆の息をこぼした。

 美女のあとにぞろぞろと列をなして貴族がついていく。大きな扉の前につくとなかに入るように促された。

 リジナはなかに入り、愕然とした。
 部屋の中央には、正方形の真っ赤な絨毯が敷いてあった。果実や軽食をのせた皿がいくつも絨毯の上にのっている。その絨毯の上で、美しい獣人の双子が、女達を侍らせ、給仕をさせていた。双子は、盃を傾け、まどろむように女性の豊満な胸に寄りかかったり、腰を抱え、近くにいる艶美な女に意味ありげな視線を送っていた。

 無意識にかあっと顔が赤らんだ。
 なぜだろう、とってもいけないものを見た気分だ。きっと、彼らが魔術師の双子なのだろう。だが、今は選定中のはずだ。なぜ、宴を開いているのか。
 他の魔術師と同じように、リジナ達を試しているのだろうか。
 思考を巡らせていたとき、盃に口を触れたままの双子の片割れと目が合った。

 一瞬、火花が散ったような錯覚に陥った。
 片割れは、急に盃を放り、胸を擦りつける女を突き放した。
 一直線に、リジナに向かって駆けてくる。
 リジナは、後ろや横を見遣った。令嬢の一人が、遮るようにリジナの前に出た。馬車のなかで、ことさらリジナを揶揄した令嬢だった。まとわりつこうとした令嬢を押しのけて、魔術師はリジナの前に立つと、いろんな角度から矯めつ眇めつした。

 片割れの顔は近くで見れば見るほど美しかった。
 整った鼻梁。薄い唇。艶のある髪。しみやニキビのない滑らかな肌。ふわりとした撫で甲斐がありそうな耳。人形のように無機質に整った美貌が目の前にあった。
 着崩した鮮やかな水色の貴族服がよく似合っている。人形の持つような幻想的な色気があった。

 魔術師はリジナの臭いを嗅ぐように鼻をひくつかせるとリジナの手を持って求婚者のように熱っぽく名乗りをあげる。

「ぼくはテオドール。名は?」
「リジナです」
「リジナ」

 怖々と答えたリジナに、テオドールは破顔しつつ名前を繰り返した。
 覚えたての言葉を繰り返す子供のようだった。リジナは何度も目を瞬かせた。なぜ、目の前に魔術師が来たのか。なにか、目をつけられることでもしてしまったのだろうか。

「リジナ、ぼくが囲ってあげる」

 リジナの手を熱心に握り、頬を赤らめてテオドールが告げた。リジナはよく意味が飲み込めず、首を傾げる。
 囲うとはどういう意味だろう。

「お待ちになって、テオドール様。その娘より、わたくしの方がよろしいわ」
「いいえ、わたくしのほうが」
「厚顔な、俺の方が相応しかろう」
「こんな田舎女より、俺の話をきいてくださらないか」

 傍観していた貴族達が、リジナや自分以外の貴族を押しのけ、自分こそがと主張し始めた。リジナは蒼ざめた。セドの時のように乱闘になるのではないだろうか。
 だが、テオドールが、鋭い一暼を向けるだけで貴族達は沈黙した。

「うるさいから、黙れ。リジナ以外、邪魔。帰れ」

 貴族達は突然、騎士のように列をつくり、一糸乱れぬ動きで扉をくぐり、部屋から出て行ってしまった。

「な、なにをしたのですか?」
「暗示をかけた。黙って帰れって。……ぼくに囲われるのだから、ぼく以外のことは考えていけない」

 テオドールは甘く叱りつけると、リジナの手を引いて絨毯の上に導いた。
 さきほどまで自分がいた位置に座らせると、周りの女達を邪魔だとばかりに追い払った。女達はそそくさと片割れの方へと移動していく。

「あの」
「なに? そうだ、酒、飲む?」
「あ、いえ。飲みません。あの、帰してよかったんですか?」
「なぜ?」
「だって、選抜をしなくてはいけないのでは?」

 テオドールはリジナの隣に座り、体を傾け、頭を擦りつけてくる。頬に、耳の毛が擦れるこちょばゆい感触がした。

「しらない。主なんて、欲しくない」
「そうなのですか?」
「うん。ぼくらはずっとこうやって遊び惚けて暮らすの。国の為に働いてなるものか」

 至近距離で、テオドールはじっとりとした熱っぽい眼差しでリジナを見つめた。じっと見られると、だんだんと眩暈がしてきた。

「リジナ、かわいい。ぼくのものになって。大切にする。ぼくがいくらでも貢いでいいと思うなんて奇妙な感じ」
「ものになるって。あなたの?」
「うん」

 なぜ、こんなことになるのだろう。
 リジナは選定されるために、ここにいるはずだ。決して、貢がれるためではない。
 それに、テオドールは主人を選びたくないと言った。ならば、リジナも貴族達のように出て行くべきではないだろうか。

「さっきから、リジナをみていると、胸が疼いて仕方がない」
「え?」
「目があうと、火花が散ったように痺れる」

 なぜだろう、さっきから口説かれているような甘い言葉ばかりだ。
 ずっときいていたら、体がふにゃふにゃと溶けてしまいそうになる。

「テオドール? 私の方にお前の女が来たのだけど」

 リジナは弾かれるように声の主に視線を向けた。テオドールと瓜二つの姿をした魔術師は、リジナの姿を認めると、目を見開いて、びくんと耳を伸ばした。

「だれ、それ」
「リジナ。ぼくのものになるの」
「リジナ?」

 肩を抱かれ、首元に顔を押し付けられる。リジナはマリオの姿を思い出して、いやいやと頭を振った。

「嫌がってるみたいだけど」
「いやなの?」

 テオドールは感情の抜けた声で尋ねた。肩に鋭い爪が食い込む。リジナは痛みに身悶えた。

「離れて欲しいって」
「リチャード、うるさい」

 テオドールは隠すようにリジナを抱え込むと、リチャードを睨みつけた。
 リチャードはゆるりと立ち上がり、テオドールの腕からリジナを奪い取ろうとした。

「なにするの」
「嫌がってるなら、私が貰おうと思って」
「はあ? 誰がやるか。リジナはぼくのものだもの」
「でも、私も欲しい」

 近づいてきたリチャードも、やはりテオドールと同じぐらい美しかった。この屋敷が美術館だとするならば、彼らは目玉の展示品だろう。誰も触れてはいけない宝石のように瞬いている。

「ぼくの女、全部あげる」
「リジナをくれるだけで、構わないけど」
「だめ。許可しない」

 双子達はだんだんと詰るような声になっていく。
 リジナは不意にマリオに会いたくてたまらなくなった。

「あの、帰らせてもらってもいいですか?」
「だめ」
「許さない」

 四つの抗議の目にさらされて、リジナは萎縮してしまった。はやく帰りたい。マリオに会いたい。そう思いながら。



 ⚫︎⚫︎⚫︎

 その後、喧嘩し始めた双子を仲裁し、双子のものになることを丁重に断った。そうすると双子は縋り付いて、どうしても自分のものにならないならば、彼らをリジナのものにしてと言ってきたのだ。
 懐かしい思い出に浸っていると、水面を叩いて双子が抗議してきた。

「リジナ、あのごみのこと考えている?」
「浮気だ。リジナはふしだらすぎる」
「テオドールとリチャードと会ったときのことを思い出していたの」

 う、うんと、双子はそろって頬に手を当てた。湯気にあてられただけではない頬の赤みが増していく。

「たくさん、女の人を侍らせていたなあって」
「そ、それは!」
「テオドールは、女の人にもたれかかってた。酒池肉林ってああいうことを言うのかな」
「リジナ、弁解させて」
「リチャードも、女の人の腰に手をやっていたし」
「リジナ、怒っている?」

 あわあわと慌てだした双子を石鹸を擦って作った泡まみれにする。

「二人とも傲慢だったよね。いまはとっても可愛いけれど」

 きゅんと胸を跳ねさせるように、双子がそわそわし始めた。リジナは今しかないと思って、優しく撫でながら猫撫で声で尋ねた。

「マリオから手紙届いているでしょう。どこに隠したの?」

 マリオは筆まめだ。リジナから出た手紙を読んで返事を書いてくれているはずだ。
 この前のように、細工しているに違いない。
 そんなの知らないとばかり顔を背けられるが、耳がなぜばれたのと正直に立っている。

「私の可愛いけものたち。言わないなら、洗ってあげない」

 絶対に吐かせてやると、リジナは覚悟を決めた。
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