前世は聖女だったらしいのですが、全く覚えていません

夏目

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真実の秤

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「……しかし」

「まどろっこしいことはやめにしよう」

 シャイロックは黄金に輝く鞄を開く。領主も王女もその鞄の存在に初めて気がついたというように目を丸くした。

 それもそうだ。眩いばかりの黄金を持ち歩くなんて、普通の人では考えられない。

 中から取り出されたのは、秤だった。白銀のよく磨かれた美しい姿だ。名のある美術品と言われても頷いてしまいそうだった。

「我らがモナークの『真実の秤』だ。聖具の一つ。三つの言葉に真実を語る」

「このような高級なもの、どこで……」

 感嘆に満ちた様子で、領主が秤を見つめている。これはそれほど、高価なものなのだろうか? ドロシーも同じように見入った。

「医者とは黄金と真実を得るものだ。――何、本物だ。見れば分かるだろうが」

 そう言ってシャイロックはぞんざいに秤を投げ捨てた。
 ドロシーが慌てて拾おうとしたときには、既に、白銀は背に抱えられないほどの大きさになっていた。

「は、い?」

 領主よりも背が高くなった秤は、どちらにも傾かずに平行を保っている。

「ドロシーは見たことがなかったか。これは万民に等しく真実を知らせるモナークの秤だ。よく見ているといい」

 そういうと、シャイロックは集まっている街の人々にも見えるように、秤の横に立つと大声で宣誓した。

「これより、モナーク神の審判を始める。ここに集う民よ、モナークの僕よ。陪審員となり、結果を見届けよ」

「な、なんだ。何が始まった?」

「領主様、これは……」

「どういうことなの。こいつらは魔女なのではないの」

 声が上がる。領主は慌てた様子でシャイロックの隣に立った。

「皆よ、こちらの男性はモナーク神の敬虔な信徒である。彼の持つこの秤は真実をあらわす。この広間で起こったこの惨劇の真相を詳らかにしてくれるだろう!」

 真実? 真実ってなんだ。魔女ではないのか。馬鹿、お針子達だぞ。でも異端審問官様が……。異端審問官がやったように見せかけて殺したかもしれねえってことか。怖いわ! そんなの嘘よ。

 もみくちゃにされたような言葉の洪水に、ドロシーは慄いた。魔女だ、魔女ではない。二つの意見がぶつかり合って、意味不明な音になっている。
 暴動が起こりそうな気配を無理やり押さえつけているような危うい雰囲気があった。

「ど、どうなるのですか、シャイロック様……」

「任せておけ。『真実の秤』よ、この広間での殺害は異端審問官によるものか」

 左の天秤に泥が湧き上がる。濁流のような汚泥に、破けそうな靴が濡れた。指先までぐっしょりと泥まみれになる。
 否、否と、秤が伝えてくるようだった。

 ――異端審問官の仕業ではない。
 では、お針子達はただ殺されたのか!
 悲鳴が聞こえた。

「どうやら、浅ましき偽物の仕業らしい。なんと不敬な!」

 芝居がじみた大きな動きでシャイロックが吠える。

「では、誰が? この場に、犯人はいるのか」

 右の天秤が傾く。大きな木槌のような音が鳴る。そうだ、そうだと同意をしているように。
 街の人達からどよめきがあがった。このなかに殺人鬼がいる?
 血走った視線がじろじろとあたりを見回しているのが分かった。

 誰が、俺の妻を。娘を。魔女ではないと証明されたからか、復讐の焔を宿した荒い息遣いが感じられる。
 このなかには、きっとお針子達の家族がいるのだ。

「こ、こんなもの、何の証明にもならないわ!」

「……王女殿下しらないのか。『真実の秤』は最高裁判所で用いられるほど由緒正しきもの。この秤に看破できぬ問いはなく、公平で真実しか示さない」

「な、なんですって?」

「西の裁量権をお持ちになるボリビア卿がおわすこの場。もはや裁判の場といっても過言ではない。だが、裁判というのに被疑者がいないな? これでは裁判にならん。――なあ、王女殿下?」

 にやりと嫌味のある笑みをシャイロックは浮かべた。
 ぞっとした。狙いを定めた蛇のように狡猾だった。

「な、なにをーー」

「お聞きしたいことがある。何故、侍女を連れていない? うら若き娘がーーまして王族が。一人っきりで歩き回れるはずもない。だが、仰々しい馬車も、警護の列もない。護衛の騎士すらいないとはおかしなこと」

「何が言いたいの」

「何か事情がおありのようだ。『真実の秤』よ。王女は人を殺したことがあるか?」

 しんと、風の音さえ消えるような静寂があたりに広がる。
 秤は無常に右に傾いた。木槌が何度も何度も地鳴りのように鳴る。

 ――人を殺したことがあるか。その問いに、秤はそうだと答えたのだ。

「――う、嘘、ッ、嘘よッ!」

「ボリビア卿。卿が招いたのは、王女か、魔女か、どちらなのだろうなあ! ただの娘が悲鳴も上げず遺体を調べようとした意味も納得がいった。犯人とバレないように工作をするつもりだったか」

「なにを、バカなことを!」

「では誰を殺したと? 教えて欲しいものだなあ。なあ、民達よ!」

 王女の瞳に街の人々が映る。彼らは石を投げて大声を上げる。

「魔女め! 何が王族だ。王女だ、人殺しめ!」

「ありえないわ! マリアナ……あの子はいい子だったのに」

「おかしいと思っていたんだ。王女様が西の街に来るってんなら、パレードがあってもおかしくねェ。極秘に来たのは俺達を殺すためか!?」

「領主様! 貴方までその女の仲間なのか!? 俺達を殺すのか!?」

「俺の娘をよくも! お前こそ魔女に違いない。何が聖女様だ。この気狂いめ! お前のどこか清らかだと?!」

 ごつりと鈍い音がして、王女がくらりと体を傾ける。額に石があたったのだ。血が流れていた。

「な、なッ……何を、バカなことを! わたくしがこの女どもを殺す訳がないじゃないッ!」

「ほお? では誰を殺したと? 王族は人殺しさえ許されるのか?」

 秤から、どん、どんと地鳴りのような音がする。偽るな、虚偽を吐くなと弾劾するような激しいものだった。

 恐怖に慄いたように王女が後退る。

「ボリビア卿。このままでは貴方まで暴徒に巻き込まれるが?」

「な、何ということをしでかしたのだ! この方は、王女殿下なのだぞ! お前は今その方を罪人であると告発した!」

「告発、か。だが、『真実の秤』に誤謬はない。この女は確かに人を殺したのだ。罪があるものを、地位があるからと無罪にするのか? それは医者の道理に反する」

 ナイフのように鋭い眼差しを向け、シャイロックは首を横に降った。

「そして領主、貴方の為に助言するがこの場において不用意な行動は控えられよ。何せ、この女は人殺しだと詳らかにされた。庇えば共犯と疑われる。民の怒りを少ない手勢で丸め込めればいいが、試してみるか?」

「クソッ! 兵よ、王女を捕えよ!」

「で、ですが……」

「よい! 私が赦す!」

 怖々と近付いてきた兵士達は顔を見合わせながら、王女の手を掴んだ。暴れ回る彼女を押さえ込むように拘束する。

「民達よ、この者を尋問し、真実を詳らかにする! 故に、心配することは何もない! 殺された女性達は速やかに弔おう! どうか、手を貸しておくれ。魔女ではない、哀れな子達だ……。ああ、なんという……」

 ぐいっとシャイロックの袖を引っ張る。彼は面白い劇でも観たあとのようにニヤついていた。

 声を落として、シャイロックを責めるように彼の名を呼ぶ。

「シャイロック様、こんなこと……」

「こんなこと? 俺はただ真実を詳らかにしただけだ。だが、本当にあの女が人を殺しているとはな。何か訳ありだろうと興味本位で問いかけただけだったが、想像していたよりも愉快なことになった」

 王女は神父ではない。お針子達を殺した犯人ではないはずだ。
 シャイロックが推理した条件に当てはまらない。

「犯人は神父様の誰かだとシャイロック様が教えて下さったのに」

「俺が教えた?」

「え?」

「いつ、俺がそう推理した?」

 しまった。ドロシーは唇を噛んだ。
 シャイロックが推理を披露したのは、お針子達の仕事場でのこと。この後のことだ。広場から移動していない今回は、シャイロックがドロシーに神父の誰かだと打ち明けてもいない。

 言い訳を探す。ドロシーは馬鹿だ。こういうときに、咄嗟に言葉が出なかった。

「あ、あ……えっと。し、シャイロック様のお言葉を聞いて、そうだとばかり思っていました。ふ、普通、お針子を殺したって磔にはしませんよね?」

「そうだ。これは私怨ではなく、魔女として裁かれることに意味のある殺人だ」

「だ、だから! だから、聖職者の行いなのだとばかり。違いましたか? シャイロック様はそう言われていたのでは?」

「……違いはしないだろうがな」

 探るような瞳に汗が止まらない。
 シャイロックに死んでやり直していると打ち明けた方がいい?

 だが、もう一度、前の生のときのようになったら?
 あのときシャイロックがドロシーを死なせまいとしていたことは察せられた。
 どんな意図があったかは最後まで分からなかったが、天使が助けてくれなければあのまま大量虐殺をただ呆然と見ているだけだった。

 シャイロックにドロシーのことを打ち明けるのは危険だ。

「そ、そんなことよりも王女様は本当に人を殺したのでしょうか?」

「それは間違いない。モナークの『真実の秤』に誤謬はない。だが問題はその人殺しがお針子達ではないことだろうな。あの狼狽えようだ。犯人ではあるまい。西の領主も勘付いている。犯人は別におり、発覚していない殺人事件が別であるのだとな」

「誰を? 誰を殺したのでしょうか」

 心臓が変な音を立てる。オズの死ぬ姿が何度も頭をよぎった。

「さて。推理の材料が足りん。そもそも、この構図は不自然だ。王女は本当に付き人もなく来たのか? 普通ならば、乳母か護衛が控えているはずだが。領主の兵達しかいないのか」

「領主様のお城にいらっしゃるとか?」

「主を一人で出歩かせるものか。きな臭いな。ーーもしや、街道の封鎖に関係があるのか?」

「え?」

「魔獣が出たと言っていただろう。今代の聖騎士が討伐に出向いている、だったか」

 肉屋の亭主が言っていた。黄金に光る魔獣が出たのだと。

「黄金に輝く魔獣と聞きました。……たとえば、王女の護衛はその聖騎士様なのでは。魔獣討伐に出られているので、王女の側には誰もいないのでは?」

「何故、聖騎士と王女が一緒にいる」

「え?」

 ……違うのだろうか?

 前のときは、王女は聖騎士が来ると信じているようだった。
 西の街は王都から離れている。助けに来るとしても時間がかかるはずだ。確信を持っていた様子だったから、一緒に来たのではないかと思ってしまった。

「王女様が聖騎士様と一緒に魔獣を退治しに来られたからでは?」

「どうして王女が聖騎士と?」

「……? 王女様は、聖力をお持ちなのでは? よく、分かりませんが、聖女と呼ばれていると、言っていましたよね?」

「お前は聖女は聖騎士に護られていると、そう思うのか」

「違うのですか?」

 違うと、シャイロックは斬るような速さで否定した。

「そもそもあの王女は聖女ではない」

「あ……。聖女が男だったという話ですか?」

 六色貴族。そのなかの赤公爵家の聖女が男だったと発覚した。次男に女装をさせ、偽ってきたのだとジルは言っていた。

「……どうして知っている?」

「え? あ、え、えっと」

「お前のような孤児が、何故? これは誰もが知ることではないはずだが」

「鞭で私を打った老紳士が言っていたのを盗み聞きしました」

 ロズウェルと呼ばれていた老僧だ。ドロシーは何のことだがさっぱり分からなかったが、彼は賢人会の一人だと言っていた。さぞや名のある高僧なのだろう。

 彼ならば、知っていたのではないかと思う。
 ……ジルと一緒にいたのだし。

「どうして盗み聞きするようなことをした? お前にとっては何の意味もないことだろうに」

「たまたまです。ただ、何となく聞いてしまって」

「そのせいであのように鞭で打たれた?」

「そ、それは違います」

「違うのか? ……まあいい。次代の聖女サマは、男だった。そこで、六色貴族どもが候補者を立てることに。……ここまではいいか?」

「は、はい。そこまでは知っています。けれど、その先が分かりません。王女様はその、候補者のお一人なのではないのですか?」

「違う。王族は聖女たりえない。お前は王族を誤解している」

「誤解、ですか?」

 王女が兵士に連れられていく。彼女の金切り声がきいんと響いた。

「王族は聖女になれない。そう【年増】が決めた」

「……? 【年増】?」

「王都でふんぞり返っている女エルフだ。あの女が聖女を殺した王族を許さず、決して聖女と名乗らぬように法で縛り、呪いさえかけた」

「……は、い?」

「故に、王族は聖女を名乗れない。呼ばれている、などと西の街だから宣えることだ。あの王女サマは王都では聖女どころか、聖女候補にすらなりえん」


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