21 / 25
シャイロックは笑っている
しおりを挟む「業と慈愛の神、モナークよ。僕がお前のその傲慢を打ち砕いてやる」
恐れ知らずが勝負を挑む。我らが神は玉座に腰掛け微睡むように男を見た。三柱の神が見届けるなか、勝負は確かに始まった。約定に従い、運命を紡ぐ。女は奇跡を起こし、救国をなせるか。魔王を下し、宿業を破れるか。
さて、勝負の行方は?
◾️◾️◾️
ある絶望の一幕。
天使が見せるありし日の悪夢。
聖女が死んだ。ありうべからざる復讐譚。
夥しいほどの屍の山。地に倒れ伏した兵士達を避けながら足を踏み入れるが、知らず知らずのうちに誰かの骨を砕く。それほどまでの殺戮だった。
屍の頂に座るのは一人の男。真っ白な白衣を血で汚し、黄金の鞄に腰掛けていた。何かを待つように目を閉じて、悲鳴を楽しそうに聴いている。
ジルは怖気が走った。
いよいよ、本性を表した竜は、血の雨に酔いながら恍惚としているように見えた。
聖女が殺された、らしい。
ジルは聖女がどんな人間だったかを知らない。農民だったというが、凱旋パレードで護衛をしたばかりで人となりをまるで知らなかった。
処刑されたのだと、いう。伝聞だった。ジルは東方の反乱分子を鎮圧しに行っていたのでよく、知らなかった。
だが、男のことは知っていた。魔法使いシャイロック。魔の根源に至り、人間から竜となった男。
いくら、聖女とともに魔王を討ったとしても、魔法使いであることは変わりない。モナーク神に盾突くのならば、殺すとジルは王に誓った。
その王も皮を剥がされ、王門に晒されていた。……王族達は皆、そうだった。子供一人例外はない。虐殺だった。
後ろに付き従う騎士達が絶望の声を上げる。王都の兵達を殺し尽くした竜は、ジルが駆けつける音に閉じていた瞳を開けた。
「聖騎士殿、遅かったな」
「竜、お前は何をしでかしたか分かっているのか」
「何を? そちらこそ、何をしでかしたか分かっているのか。俺のものを殺し、蹂躙した。お前達の王都を奪還し、魔王の城まで譲ったろう。恩を仇で返すとは」
「……聖女は禁忌を犯した。だから、処刑されたのだ」
そう、聞いた。黄金の魔王を復活させるため、魔法陣を描いたのだと。復活こそなかったが、魔獣が湧き、人が死んだ。
異端者は死すべきだ。魔王はこの国の半分の人間を殺した。再び蘇らせれば、この国ごとなくなってしまう。
「黄金の魔王オズマを蘇らせようとした咎のことか」
「オズマという名を呼ぶことさえ穢らわしい。オズマという名前は今後千年、呼ばれるに値しない」
「オズマはお前たちの神にも賭けで勝ったというのに、そのような物言いをするとは。無知な男だ」
「我らが主は常勝の王であり、正義の御旗である。いくら欺瞞を弄そうが、真実は変わらない。そもそも不敬だ。神はモナーク様ただお一人。御柱が誰かに負ける訳がない」
「真実! 真実ときたか。妄信する騎士よ。神を知らぬ愚蒙の男よ。お前如きではモナークの幻影を見るばかりか。……俺の聖女が魔王に心奪われたという証拠は? なぜ、自ら殺した魔物を蘇らせようと?」
大地が血を浴びて、悲鳴をあげるように揺れる。カタカタ、死体が蠢いた。
シャイロックはやおら立ち上がり、ぼさぼさの長い髪を風に流れるままたなびかせる。
前に会った時は綺麗に梳かされていたのに、とぼんやり思った。
「お前たちはこう言った。虚栄心ゆえだと、あの女は王都に凱旋したあの歓声をもう一度得るために魔王を蘇らせようとしたのだと」
シャイロックは血の涙を流していた。涙のあとが頬に黒々と残る。
「あの女が何を犠牲にしたか知っているか? 己の腕と引き換えにお前達の故郷を守った。王都を奪還し、救ってやった。あの女が何を望んだか、知っているか」
知っているかと尋ねているというのに、シャイロックはジルの答えをきいてはいなかった。
「自分の農具を貰うことだ。王に片手で使える鍬を貰おうとしていた。自分の村に帰り、田畑を耕すことしか考えていなかった。そうだとも、あの女は黄金の城さえ欲しはしなかった!」
雷が鳴り響き、雲が渦を巻く。白い稲妻が走ると、ジルの後ろに控えていた騎士達が泡をふいて倒れる。
濃密な魔力が充満している。魔王の城であった黄金城内部よりも魔力濃度が高い。
ここまでの高濃度だ、シャイロックはこの場に干渉できるはずだ。この雷も、吹きすさぶ風も、シャイロックが生み出している。
「――神だ」
絶望の色がこもった声が漏れる。
ジルとて気が付いている。シャイロックは処刑してきた魔女や魔法使い達とは強さの質が違う。
天候を操るほどの魔法使いなど、ジルは対峙したことがなかった。
「あの女が死んだ日。王族どもは貴族を呼んでパーティーを開いていた。知っているか? 聖女の千切れた指が余興で出たそうだ。魔王よりも、魔王のような真似をするとは思わないか?」
「……何を、考えて」
「さて。だが、大層愉快だったのだろうな。ドロシーは死んだあと衆愚どもに犯されて、恥辱を受けた。死体を俺が見つけた時には驚いた。目玉をカラスがつついていた。雨の中、寒そうで……」
死者を辱める行為に眉根を寄せる。
聖女はなにかの策略によって罪を着せられたのかもしれない。
そうだというのならば、我々は無辜の聖者を殺したことになる……。
シャイロックが行う残虐な行為も、理解が出来てしまう。兜がずんと重くなった気がした。
雨が降るなか、聖女を見下ろすシャイロックの姿を幻視する。
――胸がずきりと、痛む。
救国の英雄を、寄ってたかって凌辱したのか。
凱旋パレードで降らせた花弁を、彼女は幸せそうに見上げていたのに。
指を千切り、死姦したのか。無情にも?
「偉大なる聖騎士殿。俺にご教授願えないか。あの女が何をした? 世界を救ったというのに、この国を守ったというのに、あの最期こそ、相応しいと?」
答えを、ジルは持たなかった。持つはずがなかった。
「――この終わりは相応しくない。あの女のために誰一人として世界を滅ぼさないというのならば、俺が滅ぼそう。あの女にはその価値があった」
帯刀した聖剣が鞘から飛び出す。今まで一度もこの刀が抜けたことはなかった。
聖剣ベルセルク。認めた相手にのみ刀身を見せる不思議な剣で、記録では三回しか抜かれたことがなかった。一度も刀身を見ずに死んだ聖剣使いが何百人いたことか。
「下がっていてほしい」
かろうじて意識の残っている騎士達に呼びかける。聖剣が抜刀した三回のうち、使用者が生き残った記録はなかった。この聖剣は使い手さえ飲み込む最終兵器だ。
周りへの被害は計り知れない。おそらく、ジルは一振りしただけで死ぬだろう。
正義の鉄槌。モナーク神の金槌と呼ばれるこの聖剣は人には過ぎたるものだった。
「お前達が言った。ドロシーは魔王をもう一度倒し、歓喜を浴びるために復活させようとしたのだと。だが、復活させる必要はない。俺こそ、魔王になる男。あの女に討ち倒されるもの。そうとも、ドロシーは俺を殺すために蘇る」
「戯言を。聖女は死んだ」
「ああ、そうだとも。お前達が殺した! だから聖騎士殿、お前に倒されるわけにはいかないな。俺が負けるのはあの女だけだ。あの女だけが唯一お前達を救えた。救世主たる女をお前達が殺した!」
眩く光る刀身を前にしてもシャイロックは怯みもしなかった。
体が震えで揺れる。ジルはこの一振りで死ぬ。だが、この魔王は死ぬのだろうか。竜と呼ばれる所以を、まだジルは目撃したことがない。
彼は人型の姿のまま、炎を口から吐くこともない。
力を出し切っていないことは容易に想像がついた。だからこそ、恐ろしい。
それでも剣を握りしめる。この悪魔を殺すと、誓った。
星を束にしたような剣の煌めきがあたりを包む。
ああ、ジルの体が光にのまれ崩れていく。
「ドロシー、お前こそがーー」
シャイロックは笑っている……。
ただ、誰かを待つように、鞄に腰掛けて、笑っている……。
10
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説


人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろうにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています

【完】愛人に王妃の座を奪い取られました。
112
恋愛
クインツ国の王妃アンは、王レイナルドの命を受け廃妃となった。
愛人であったリディア嬢が新しい王妃となり、アンはその日のうちに王宮を出ていく。
実家の伯爵家の屋敷へ帰るが、継母のダーナによって身を寄せることも敵わない。
アンは動じることなく、継母に一つの提案をする。
「私に娼館を紹介してください」
娼婦になると思った継母は喜んでアンを娼館へと送り出して──

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?
氷雨そら
恋愛
結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。
そしておそらく旦那様は理解した。
私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。
――――でも、それだって理由はある。
前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。
しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。
「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。
そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。
お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!
かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。
小説家になろうにも掲載しています。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました
四折 柊
恋愛
子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる