306 / 317
第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
291
しおりを挟む着いてこいと言われて中庭にある四阿に向かった。
椅子に腰掛けると、クロードの侍女が紅茶を持ってきた。注がれて湯気が上がったカップに触れることなく、クロードは私を睨みつける。
「それで? どういうつもりだ。この剣奴のこと知っていてまだ護衛にしているのか」
「……それは」
「不義理だとは思わないのか? リストに対して申し訳ないとは思わないのか」
正論で責め立てられて言葉を失くす。リストを殺そうとしたイルを護衛にするのは確かに間違っている。だが、今まで私はイルに助けられてきた。今更、護衛がこの男以外になるのも嫌だ。
「……お前に、私の護衛のことをああだこうだという権利などないはずよ」
「……そうだな。俺にはない。憎たらしいことに」
「リストに害を与えたとしても、イルを護衛から外すことはないわ。こいつは、私を何度も助けてくれたし、実力も申し分ない。お前は気に入らないでしょうけれど」
「リストの気持ちは無視するのか? どれほど、暗殺者が恐ろしいか、お前とて分からないわけじゃあるまい」
胸をナイフで貫かれたようだった。
わかっていたことだが、他人の言葉で聞くと、どれだけ残酷なことかありありと分かり情けがなかった。
クロードはイルを処分して欲しいのだろう。
護衛を辞めさせ、罰を受けさせたいのかもしれない。それを私に主導させたいのだろうか。
リストの気持ちを考えろというのは、責任を取れということだ。
「……お前に何が分かるというの」
「お前が非人間であるということは分かる」
「私のこともよく知らないくせに。強い護衛を手放したくないと言って何か悪いの? リストが直接私に変えろと言ってもいないのに?」
「お前は! ……くそ、いやいい。こんな不毛なことで言い争っても無意味だ。そもそも、この男はギスラン・ロイスターのものだしな。お前がどう言おうと、護衛をやめるなどと言わないだろう」
「……そうですね」
イルは挑発するように笑ってみせた。
「ギスラン様の命令でないと俺という男は動きません」
「……剣奴が会話に混ざるな。吐き気がする」
「申し訳ございませんでした」
慇懃無礼な態度にクロードは眉を上げるがそれだけだった。
鞭を打つから跪けとは言わなかった。
「お前のことを聖女だと言う頭の湯だった奴らの気がしれない。お前は自己中心的な女だ。誰よりも自分が可愛い」
「……当たり前よ。お前とてそうでしょう? 人間は他人を尊重出来ない。自分というもの以外のことなど、どうでもいいのよ」
「そうだな。露悪的に見せているのではなく、お前のそれは本心だろう。結局、誰もが我が身可愛さだ」
「そうね」
じりじりと頭が痛む。
気を抜くと、エンドに味合わせれた痛みを思い出す。
頭を貫く杭の痛み……。
苦い血の味。は、と息を吐き出す。世界を元に戻したのも、私が望んだことだ。だから、クロードからこうやって責められるのも仕方がないことだ。
でも、誰でもいいから私の痛みを知って欲しいとも思ってしまう。あののたうち回るような痛みを乗り越えてここにいるのだと。
「でも、だから悪いと? お前だって、その紅茶を飲もうとしないでしょう」
「何の話だ」
「自分の侍女の淹れたものでも、警戒している。お前とて、我が身が可愛いのでしょう?」
イルが跪いて私の紅茶を啜った。クロードは目を見開きながらそれを見つめている。熱いですよと言いながら、イルは私の手にカップを持たせた。
カップに口をつけると、ごくりとクロードが唾を飲み込んだのが分かった。ごくりと嚥下するまでクロードは穴が開くほど私を見つめていた。
「……」
クロードは一度、取っ手に手を滑り込ませたが、持ち上げることはなかった。
やっぱり、飲めないのだ。
――お前と同じだ。食事に毒を盛られて以来、食が細くなった。お前みたいに吐くまではないが。食事は一日に一回だけでいい。ーーそう言っても、腹は減るんだがな。
クロードが食事中に教えてくれたことだ。
飄々とした彼がこぼしたどろりとした感情。
毒を盛られた。
……。
――珍しい話でもないだろ。俺達は死ぬまで命を狙われている。毒を盛られるのも、王族の責務みたいなものだろう。とはいえ、流石にもう自分が生死を彷徨うのは二度とごめんだが。
そう言っていたが、そもそも、誰に毒を盛られたのだろう。
いや、分かっていることを、疑問に思うことはやめよう。
私は誰がクロードに毒を盛ったのか分かっている。わかっていて、それでも認めたくないから、分からないふりをしていた。
「……お前に毒を盛ったのはレオン兄様、なのでしょう?」
持ち手から指を離して、クロードは顎の下に指を滑り込ませた。品悪く頬杖をつきながら、ぼんやりとした様子で私を見遣る。
「いつから気がついた?」
「……今」
「嘘をつけ。それにしては動揺がない。お前、レオンに殺されかけたことがあるのか」
「レオン兄様にはないわ」
答えを聞くと、明らかに気まずそうに目線を逸らされた。
驚いた。こいつ、私に気を使っているみたい。
さっきまで、怒っていたのに。
「……はあ。王族同士は面倒だ。血で血を争う真似はしたくない」
「だから、レオン兄様のことも殺さないの」
「殺されかけたからと言って暗殺者を差し向けてどうなる。そもそも、レオンはこっちに劣等感があるのだろうが、俺にはない。あいつは馬鹿で愚かで優柔不断ではあるが、悪い奴じゃない。ただどうしようもなく……、どうしようもなく、頭の悪い奴なだけだ」
クロードディオス。父王様の名前から一部名前を譲られた子供。従兄弟で自分よりも要領がいい男。
レオン兄様は自分とは比べずにはいられなかっただろう。
ただでさえ、王と王妃の仲は最悪で、愛人を囲うほどには険悪だった。王妃は王を繋ぎ止めるために何度も何度も妊娠し、レオン兄様に構う暇もなかった。嫌われた王妃が産んだ王子に、父王様は王座を約束しなかったのかもしれない。
第一王子で、王太子。
どれだけプレッシャーがのしかかったのか、想像することしか出来ないが、生半可なものではないだろう。一つ一つを他人に評価され、比べられた日々。
弟達も優秀で、父王様は愛人に夢中。
正統な地位であるはずのに、いつもぐらぐらと揺らぐ足元。
「レオン兄様のことが憎い?」
「お前はどうだ」
「私は……、沢山助けていただいたわ。私が恨む理由なんて、ない」
「本当に? 本当に、そうか?」
「何が言いたいの」
引き結んだ唇を小さく開けて、言葉を吐き出そうとしてクロードはやめてしまった。
やめてしまったのを見て、ひっそりと安堵する。
「リストの話とは無関係になったな」
「……話したいことがあったのではないの」
「俺はお前がリストに残酷なことをしているから責めたかっただけだ。俺の個人的な私情を挟むつもりはない」
「そう」
空気が一気に乾いて、クロードとの間にあった共犯めいた感覚がなくなる。あるのは、ただ、無粋な沈黙だけだった。
「ね、ねえ」
「……」
思わず声をかけてしまった。クロードは促すように手のひらを向けた。
「イルを殺したいと思う?」
「殺していいのならばな」
「私のことも?」
突然、頭からぽたぽたと雫が垂れた。目の前にはカップを持ったクロードがいて、中身は空になっていた。
紅茶をかけられたのだと思った時には、既にイルが動いた。服を掴んでやめさせる。戸惑ったような彼が私をじっと見つめた。
「カンに触る女だ。良かったな。俺を怒らせることに成功した。……ほら、隣のやつを使って俺を殺さないのか?」
「私もお前と同じように王族同士で殺し合うなんて無意味だと思っているのよ」
「よくいう」
ナイフの鈍いきらめきがイルの服の隙間から見えた。
イルは明らかに苛立ち、興奮している。クロードはそれをわかっていて煽っているようだった。
「お前のその姿、いい様だ」
クロードの姿が見えなくなるなり、イルは侍女を呼びつけて部屋を用意させると替えのドレスとタオルを用意させた。侍女に丁寧に髪を拭かれて、着付けを手伝われる。
急遽用意されたからか、ドレスの色は真っ白だ。あまり着たことのない色だったが、銀のボタンがアクセントについていて気に入った。少しだけ、ギスランみたいだと思ったのは心の底にしまっておく。
着替えて、外で待っていたイルの姿を捉えて口を開く。
「あれは私が挑発したのだから、クロードのことをギスランに報告しないで」
「……そういうわけにはいきません」
「あいつは私に対して正当な怒りを抱いていたわ。あれで済んだのをありがたく思わなくては」
むしろ、クロードがまっすぐな奴で助かった。紅茶をかけるだけにとどめてくれたのだから。あまり、熱くもなかったし。にこにこと笑って、手を出されずに済んだ方が恐ろしかった。直接的な手に出てくれて良かった。
「こういうと、自惚れのようですけど、俺のせいですよね?」
「お前をそばに置きたいと思ったことの何が悪いの? 悪いのは、あいつに……リストに誠実ではなかった私の方でしょう。クロードは私に怒っていたのよ」
「庇うべきでした。申し訳ありません」
貧民達の家でイルのことを初めて見たときのことを思い出す。
学者風の男だったから、剣奴だと言われてちぐはぐに思えた。
実際イルは強かった。私が預かり知らぬところでこいつは戦って勝ってきているのだ。いつだって、守られてばかりだ。
「お前が庇わなくて良かった」
イルは少しだけ責めるように私を見つめた。
大切なものを道のどこかに失った子供のような悔しいような、悲しような複雑な表情だった。
こいつは死ぬとき、ギスランに一瞥だって欲しくないと言っていた。理解ができなかった。そんな悲しいことをどうして誇らしく言えるのかも、分からなかった。
だから、きっと私の気持ちも分からないのだと思う。イルのことを気に入っている。口うるさいし、生意気だし、反抗的だけど、こいつは私を守ってくれる。傷を負っても何も言わず、命の危機もない紅茶だって庇っていれば良かったと苦悩する男。
私はずっとこんな人間に守って欲しかった。絶対に死なず、私を恨まないで側にいてくれる男に。
私の行為は打算的なものだ。賞賛されてはならない、馬鹿げた矜持だ。
「お前が紅茶をかぶらなくて良かったわ。その眼鏡が汚れなくて良かった」
ギスランの剣奴だ。私のものじゃない。
0
お気に入りに追加
400
あなたにおすすめの小説

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

目が覚めたら男女比がおかしくなっていた
いつき
恋愛
主人公である宮坂葵は、ある日階段から落ちて暫く昏睡状態になってしまう。
一週間後、葵が目を覚ますとそこは男女比が約50:1の世界に!?自分の父も何故かイケメンになっていて、不安の中高校へ進学するも、わがままな女性だらけのこの世界では葵のような優しい女性は珍しく、沢山のイケメン達から迫られる事に!?
「私はただ普通の高校生活を送りたいんです!!」
#####
r15は保険です。
2024年12月12日
私生活に余裕が出たため、投稿再開します。
それにあたって一部を再編集します。
設定や話の流れに変更はありません。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる