どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 小鳥達が遠くで飛び立ち、空へと逃げ去っていくと皿が割れるような音が響いた。太陽がのぼり、森の中に光が差す。
 こぼれ日に虫が驚き地面へと潜っていくと、フォード王立学校の校舎が木々の隙間から見えた。
 ありえないことだった。森から校舎は見えない方角にある。
 空には目玉が浮かび、じっと私達を見下ろしていた。いつの間にか結界が破れたのだと、そこで分かった。
 うぉぉん、うぉぉん。
 野蛮な鳴き声が響く。近づいてきている。
 車が沼にハマったように沈んでいった。車体を飲み込み、満足したように大地はぷくりと気泡を浮かべた。
 ふいに鳴き声に甘えるような声が乗った。くうん、くうんと犬のようになにかを求めて声を上げている。

「ヴァニタスだ」

 ヴィクターは恐慌に陥ったように悲鳴を上げる。

「ヴァニタスが天帝様を呼んでいる」
「どうして?」
「神に成り代わろうとしているんです。誘い込んで殺すつもり。あの腐った犬の悪臭がする」
「近くに、いるの」

 木がざわざわと揺れると、空気が変色し始めた。毒沼のような紫色の煙が立ち込め、あたりは肉が腐ったような悪臭が漂う。
 からんからん、ランタンの揺れる音が森の奥からした。誰かが奥からやってきたようだった。男だ。大きな唾帽子をかぶっている。
 顔を上げるとその異様さに眉根が寄った。
 男は骸だった。虫が眼窩から突き出てうにょうにょ動いている。

「ヴァニタスの先触れ……」
「なあに、それ」
「狩りを得意とする犬なのだそうです、ヴァニタスというのは。前を取られた。後ろからやってきます」
「私達を追いやる狩猟犬というわけね」

 リストが刀身を抜いた。

「よくよく躾けられたものだな。死後の世界で犬にこき使われるとは難儀なものだ」
「この男を倒して前進した方がいいの?」
「森の奥へと入らなくてはならないのは確かです。ですが、足を潰された状態ですので」

 車を見遣り、ヴィクターは眉根を寄せた。大仰にため息をこぼしてあーあと口を尖らせる。

「最高級車だったのに」
「ヴァニタスの先触れとやらに賠償して貰えばいい。金を持っているかは微妙だが」
「通貨という概念すら知らなさそうだけれど。……ヴァニタスは倒せないのでしょう? コレは倒せるの?」
「天帝様しか知らないことです」

 ハルーー天帝に視線を向ける。両肩の位置がズレている。明らかに、骨が突き出ていた。体が崩れはじめているのは傍目から見ても明らかだった。

「……我が君?」

 ヴィクターも動揺しながら彼を見つめている。

「……やはり貧民の体では……。ここは僕が時間を稼ぎます。天帝様は、はなおとめとともにお進みください」

 ふるふるとハルの首が震える。首がすっぱりと切れてしまっているように変な動きだった。

「天帝様」

 ヴィクターの声が聞こえているだろうに、天帝は一切彼を見なかった。軽く腕をふると、ランタン男が吹き飛んだ。木に引っかかるように腕がぶら下がっている。

「天帝様、いけません。残られるおつもりなのですか」
「ど、どうして? さっさとここから逃げるべきなのではないの」
「わ、分かりません。お言葉を下さらない」

 ばいばいと手を振って天帝は、森の奥を指差した。
 足が勝手に動く。ヴィクターが手を伸ばすが、届きはしなかった。ハルの体が崩れていく。
 歌が聞こえた。
 ハルの、歌だ。

「僕が王様になったら、ディドゥル、ディドゥル。君をお后にしよう。世界で一番、幸せなお后に。花の雨を降らせて、二人で口づけをしよう」

 ヴィクターの指先をかすめるように、花の嵐が巻き起こる。日の光を浴びて、花が唇の色に染まっている。
 やがて花を目掛けて蝶が舞い、鳥が蝶を捕食しようと寄ってきた。木々が曲がり、空を広げる。空から、鳥が飛んできた。……いや、天使だ。燃える槍を持ち、純白の羽根を広げている。
 彼らは嵐の中に飛び込んでーー見えなくなった。
 拳を握りしめ、ヴィクターがまぶたを閉じる。
 恨み言をぶつぶつと呟き、きっと眦を吊り上げた。
 足が勝手に動く。くるくると踊っているようだった。靴に促されるように、森の奥へ。
 ハルの歌だけが聞こえる。幸せで温かな歌だ。
 ディドゥル、ディドゥル。
 幸せな花嫁。約束をしよう。永遠に愛を。離さないと、誓おう。


 童話に出てくる魔女の家にそっくりな、陰鬱な家が森の奥にはあった。熊が出てきそうなほど大きな扉の前で阿保面をして見上げる。
 ヴィクターはいまだに不機嫌で拗ねた子供のような顔をしている。

「ここが、そうなの」
「おそらく……」
「ここが」

 扉に手をかけようとしたが、うまくいかない。
 ん? と首を傾げると、ヴィクターがあわあわと慌てた。

「不用意に触れないで下さい!」
「どうして。なかに入らないことにはどうにもならないでしょう」
「なにか術がかかっていた可能性があります! リスト様も、ぼうっとしていないで、おとめして下さい」
「偉そうに命令するな」

 そう言いながら、リストは気分悪そうに額を小突いた。

「どうしたの?」
「……何でもない。さっきの奴はあそこで置いてきてよかったのか」
「よくありませんでしたが、あれが我が君の願いならば、下僕に何が出来ましょうか……。僕もできるならば残ってお力添えしたかった」
「今からでも帰るといい。俺とカルディアでこの家に入ってやろう」
「入れるならばよかったのだけど」

 そう言って二人の前でもう一度、扉に触れようとする。
 ……やはり、うまくつかめない。

「術がかけられているのか」
「そのようですね。認識阻害のようです。……簡単な術でもこの森で発動するのは難しい。よく編まれています。しばし、術を打ち消すのにはお時間を戴くことになる」
「そう乱暴になる必要はない」

 内側から、扉が開いた。
 真っ赤な髪がまず見えた。次に真っ赤で神経質そうな瞳と目が合う。伸ばしていた手を引かれた。
 貴族服は古めかしくて、襟に獣の毛皮が使われていた。金糸で縫われた刺繍は繊細で、熟練の技術を感じさせる。貴族が従者のように扉を開けていると思うと、奇怪だった。

「天帝は来れなかったか。まあいい、入るといい」

 あれと、今更のように思う。深みのあるこの声を、どこかで聞いたことがある。
 顔を見上げる。若い男だ。それに……。
 そこでやっと、私は気が付いた。
 リストだ。
 彼は、リストにとても似ている。眼差しの厳しさも、髪の毛や目の色も、そっくりだ。
 腰にサーベルを帯刀していた。掴まれた手の上に自分の手を重ねる。手の人差し指は爪がはげていた。

「お前、ザルゴ公爵でしょう?」

 彼はにこっと微笑みを私に向けた。ほとんど、その表情にザルゴ公爵の面影はない。

「どうして気がついた?」
「……当てずっぽうよ。どうして死んだはずのお前がこんなところにいるの。お前が背の皮を操ってこの世界を書き換えたの?」
「一度に二度も同じことを尋ねるべきではないな。答えるのが億劫になってくる。……入らないのか」

 私ではなく、後ろにいるリストとヴィクターに声をかけている。彼らは顔を見合わせ合い、おずおずと家の中に入ろうとした。リストが足を踏み入れた瞬間、ぶわりと扉を覆う火の手があがる。

「なっ……」

 慌ててリストを引っ張る。彼の服が焦げてしまっていた。
 皮膚が炙られた臭いが漂う。
 扉を潜ることのできなかったヴィクターが火の粉を払いながら入ってこようとした。

「やめておけ、天帝の下僕」

 ザルゴ侯爵は口を大きく開けて笑いながら言った。

「叔父のようには俺に殺されたいのか?」

 目を見開いたヴィクターに見せつけるよう、ザルゴ公爵は扉を閉じた。

「な、何の話?」
「あいつの叔父を俺が殺したという話だ。面白くとも何ともないが」
「な、なんですって?」
「ラサンドル派を迫害した原因の一端を担ったと言っている。まあそんなことは瑣末なことだ。こい。お前には見せなくてはならないものがある」
「……私に?」

 ふっと意地悪な笑みをザルゴ公爵は浮かべた。
 体がむずむずする。ザルゴ公爵らしい気品のある振る舞いではないからだ。若々しくて、荒々しいしぐさばかりが目立つ。

「オクタヴィスがお前がここまで辿り着いたら見せろと言っていた。古い友のよしみだ」
「オクタヴィス……って」

 清族の人形師、オクタヴィスのことか?
 それとも……。
 いつの間にか姿が消えていた、三つの黒子を持つ男のことを思い出す。人形師はどこに消えた?
 そもそも、なんであいつは血の塊に姿を変化させていた?
 それに、彼はひどく記憶が曖昧だった。まるで何かを誤魔化すように、質問を何度も有耶無耶にした。
 意識を飛ばしていると、スッと目の前にグラスが出された。なかを満たすのは葡萄酒だ。彼はもう一つ自分用に葡萄酒の入ったグラスを持っていた。慣れた手つきで口に運ぶと、香りを嗅いだ。

「人形師だ。世界有数の腕を持っていたが、今では頭が狂ってどうしようもないな。話すら無理だ」
「……人形師のオクタヴィス」

 やはり、人形師のオクタヴィスのことなのだ。
 だが、それでもやはりおかしい。ザルゴ公爵は人形師に背の皮を渡して死んだのではなかったのか。
 ザルゴ公爵が生きているのならば、どうして背の皮の記述が元通りになっていない?
 それとも、ザルゴ公爵は背の皮ではなかったのか。神様に選ばれた人間は別にいる?

「動くな。……リスト・ライドル。不審な動きをするようならばここで仕置きしなくてはならない」
「お前は、ザルゴ公爵ではない」
「ふ、ふふ」

 迫り上がる声を堪えきれないと言わんばかりにザルゴ公爵は笑う。

「ザルゴ公爵は死んだはずだ。――銃を乱射し、処罰された。兄上もきちんと見ていた。周りには沢山の証人がいて、お前の死を認めたはすだ」
「そうだな。だが、今更だろう。クロードももうこの世にはいないだろう? 死人の証言を真に受ける必要はない」
「…………」
「正直なところ、俺はお前達が来るか、フィリップが来るか半々だった。まさか、お前がフィリップを出し抜けるとはな」
「……どういう意味?」
「フィリップは兄弟殺しを犯した。一人も二人も、変わらない。まあ、俺がレオンを殺せと焚き付けたのだが」

 お、お前。
 声が震えた。
 フィリップ兄様が見た亡霊は、本当にザルゴ公爵ーーこいつなのか?

「なんだ、カルディア。知っていたのか?」

 彼は愉快そうに口元を緩めた。
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