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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「やめろ」

 リストがはっきりとそう言った。頭を抱えて、眉を顰めて首を振る。

「ヴィクター・フォン・ロドリゲス。お前はカルディアをどうしたいんだ? こいつが幻聴に悩まされていたこと知らないのか。幻覚を見て具合を崩したことも。童話の世界に入り込んで抜け出せなくなったことも。自傷癖が治らなくて目玉に爪を立てそうになったことも。どうしてカルディアに妄想を垂れ流せる?」
「あ……」

 冷や水を被せられたような気持ちになった。
 リストはこれっぽっちも知らないのだ。そもそも、リストには私が別の世界のカルディアだということ自体打ち明けていない。
 天帝だの、死に神だの、神話級の話を本当の話だなんて思えないのだろう。だから、ヴィクターの語る言葉も、私が受け答えする言葉も、何もかも奇想天外な現実からの逃避に聞こえるのだ。

「都合のいい妄想を垂れ流す暇があったら、あの化物を倒す方法を考える方が建設的だろう」
「り、リスト」

 どう伝えたらいいだろうか。この男がいうことは荒唐無稽なことではないと。
 ハルの姿を見せた方が分かるだろうか。
 ハルは明らかに普通ではない。お腹から血が出ている状態で、運転をするなんて無謀だ。その無謀なことを目の前の男は脂汗ひとつかかずやっている。
 ひと目見れば異常なことが起こっていると、リストでも分かるはずだ。
 意を決して声をかけようとしたとき、前方で腰かけていたハルの肩が小刻みに揺れているのが見えた。
 ヴィクターが驚いたように、いかがいたしましたと問いかける。
 ハルの視線がリストに向けられた。そして、手が伸びた。二つの手はハンドルを握っていた。だから、……この腕はどこから伸ばされたもの?
 ぐんと伸びた手が、リストの胸に置かれる。眉を顰め、振り払おうとしたリストの胸のなかに、どぼんと腕は入り込んだ。まるで、水面のなかに物が落ちたような音だった。

「あ……?」

 なにかを掴んで、腕がリストの胸の中から這い出てくる。
 真っ赤な林檎を掴んでいた。
 どくり、どくりと脈打っている。
 ――心臓だった。

「舌にのせる言葉が誤魔化しと自己欺瞞ばかりなのは悍ましい人間の業なのか? 私は好かない。はなおとめのためと嘯くが、実際は嫉妬だろうに。さっきまで、お前のことばかり考えていたものなぁ」
「な、な、にを」
「薄汚い人間だ。自分を見ろと気も狂わんばかりだったものなあ。お前はよくよく男神に似ている」

 冷たい声をヴィクターがこぼす。冷や汗をかき、眉根を寄せる姿とは裏腹だ。天帝の言葉をそのままなぞっているに過ぎないからちぐはぐになるのだろう。

「……お前のような男に何が分かる?」
「リスト!?」

 リストは挑発的に笑みをこぼす。
 どくり、どくりと心臓は早鐘を打つように動く。

「なるほど、お前は化物らしい。死体の中に入った悪鬼だとでも思えばいいのか。それとも、そうだな。そこのヴィクター・フォン・ロドリゲスが言うように天帝だとしてもいい。だが、そんな神が俺のことを分かったように振舞うな。お前に俺の何が分かると?」
「俺が、俺がと、自分ばかりで虚しくはないのか。お前がしているものが本当に恋だと? 自己を飾り立てるために欲しているだけだ。なんと空疎な人生なのだろうか。お前の一生はお前の価値を高めるためにあるのか。はなおとめは王冠と同じだと?」
「分かった口を聞くなともう一度言わなくては分からないのか。神とはそこまで阿呆なのか? それは失礼をした。どうやら俺は全知全能という言葉の意味を正しく理解していなかったようだ。白痴であってもまだまともに受け答えができるものだがな」
「強い言葉を使ってもお前が強くはならない。むしろ、焦っているように思うだけだ。誰もお前にこうは問いかけはしなかったのか? はなおとめを乞うるその心は、本当に恋なのかと」
「馬鹿なことを言うものだ」

 な、何の話をしているのだ。
 いつの間にか、リストが私に対してどう思っているのかという話になっている。
 所有欲に似たものを、恋だと言い張っているのではないかと。
 ……そ、そんなの、知りたくない。
 どうせ、王になりたいからだ、と諦観している。
 それ以外に理由がない。私は魅力的ではないし、傲慢で人嫌いで我儘だ。癇癪もちで、激昂しやすい。愚かで勘違いばかり。こんな女、どんな人間でも本性を知れば嫌う。
 ギスランは変わり者で、クロードは情が深かった。
 けれど、リストは……。
 私を殺そうとしたことがある男だ。純粋な好意があるとは思えない。愛憎が混じった、純粋とは無縁の情動があるに違いない。

「神とはどれほど愚かなんだ? それとも、恋をしたことがないのか。だから、それがどんなものだか分からないのか。――この女に向ける感情なんてものは俺以外理解できないし、する必要もない。所有欲だろうが、憎悪だろうが、愛情だろうが、恋情だろうが、劣情だろうがそんなもの、俺がこいつを欲しているというたった一つの事実さえあればいい」

 傲慢さが滲み出る言い方だった。
 ヴィクターの顔色が蒼褪めた。天帝の言葉を代弁していた唇をわなわなと震わせる。

「――我が君」

 怯え、機嫌を取るような媚びる声だった。

「その化物は、俺を殺したいほど憎んでいるらしいな」
「分かっていながら、挑発したのですか? 心臓を抉り取られた状態で?」
「そんな状態でも俺は死んでいない。こいつは俺を、殺したいのだろうが殺せないのだろう」
「豪胆というべきか、馬鹿だと呆れるべきか。天帝様ははなおとめの前で殺生を控えられているだけです。首をへし折られていても、文句は言えませんよ」
「首をへし折るほど、意気地はないだろうよ」

 ふいとリストが車窓へ視線を向けた。それにつられて、外を見る。
 水飛沫の間に人が落ちていくのが見えた。遠くで、山なりの飛沫が吹きあがる。
 聞こえないふりをしていただけで外からは絶えず悲鳴が聞こえる。
 窓に手をつけると、車の振動が伝わってきた。扉を開けて助けてやるべきなのではないだろうか。こうやって車に乗ってどこかに逃げるよりも、やるべきことがあるのでは。
 だが、外に出てどうする?
 今までだって、どうすることもできず、ただ見ているだけしかできなかったのに。戦う
 方法なんてなくて、助けてもらわなくてはあの場から逃げるということすらできなかった。
 指の跡を拭う。
 結局、こういうとき、見ていることしかできないのだ。

「カルディア、感じるな」
「……お前、心臓を握られながら、よくこちらの心配が出来るわね」
「お前こそ、気絶しそうなのをよく耐えているな」
「その言葉、お前に直接返したいのだけど。……ヴィクター。これではきちんとした話もできそうにないわ。リストを殺す気がないのならば、心臓を元に戻して」
「僕ではなく、我が君にお伝え下さい」
「……天帝様、どうか心臓を元に戻して。話が続けられない」

 尊大な物言いだが、内心気が気ではなかった。リストはできない理由があると言ってたかをくくっていたが、私には天帝がどう出るのかよく分からない。
 慈悲深い神だとはとても思えない。知り合って間もない男の心臓を取り上げて嬉々としているのだから。
 ヴィクターの耳がぴくりと跳ねた。困ったように目尻を下げて、私を見下ろす。

「はなおとめ。我が君には思考が分かるのですよ。あまり、無下に扱わないでいただきたい」
「無下に扱われているのは私だと思うのだけど」
「……分かりました。だが、また話の腰を折られてはかなわないと、天帝様が。少しばかり、口を閉ざしていてもらいます」
「なぜ、俺が発言の自由を奪われなくては、い」

 心臓を押し込めるように手が伸びてリストの中に入っていく。それと同時に針と糸が現れてひとりでに動いた。きゅとリストの口が縫い付けられていく。
 唇を触って確かめるが、血はこぼれていない。けれど、触っても取れはしなかった。
 リストは不愉快そうに腕を組んで、背凭れにもたれかかった。

「話を続けよう。大切な説明がまだ済んでいない」
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