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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む謁見室を出ると、そこは廊下に繋がっていた。けれど、おかしい。この道は中庭へと続く廊下だ。謁見室の横にあるものじゃない。
それに一面、白い景色が広がっていたはずなのに黒々とした角を持った一団がいた。ぎょろりと横広い瞳孔がこちらにはむけられる。鼻は突き出ており、目は大きい。額に広がる角は、植物が太陽を求めるように上に伸びていた。
――山羊だ、と初めてそこで気がついた。
彼らは鼠を一つ一つ丹念に踏み潰していた。
「ルコルスの血族達の粛清だ」
「……は?」
「罪なき者に、食らったからか? 法の番人たる奴らだから、許せなかったのか。そもそも、鼠どもには煮湯を飲まされていただろうしな」
「今更? もう、どいつもこいつも食われて死んでいるのに?」
自分でも驚くほど、嘲りの声が溢れた。
「罰? 嘘ばかり。食われた人間のことなどどうでもいい癖に。貧民が死のうと、心なんて痛まないでしょう。罪がないこいつらの同胞を殺したのでしょう」
「そうだが」
カリオストロは苛立たしそうに眉を上げた。
「アハトが殺されてるからな。貧民達の仕返しは貧民達がするだろ。まあ、上手くいくとは思えないけど」
「……あの犬を見殺しに、お前がした」
「アハトだ。名前を呼べ。お前の騎士だ」
「私に騎士なんていない」
喉の奥から搾り出すような低い声を出す。どうして、こうなるのだろう。カリオストロは化物だ。あの犬も、人間ではない。けれど、だからと言ってどうしてそんなにも、クロードやその他の人間達を貧民だと嘲ることができるのだろう。心ない対応を取れる?
私は、あの犬に対しても憐れみを持った。彼を心配したし、置いていくのかとカリオストロに尋ねたはずだ。だが、カリオストロからの同情は得られない。人の形をとっている奴らを目の敵にしているのならば、どうして、私に対して親切でいるんだ。
私が、こいつの知っているカルディアという女と似ているから? でも、そうだとするならば、そいつだって、ただの人じゃないか。
はなおとめ。
はなおとめ。はなおとめ。
後ろから、呼ぶ声がする。
誰もいないはずなのに、ずっと。
恐ろしくなって、聞こえないふりをしている。この声が何なのかを知りたいとは思えなかった。
「いいや、アハトはお前の騎士だ。騎士は、姫を守る。死ぬまで、誓いは守られる。あいつは勇敢で、偉大な騎士だった」
「そんな偉大な騎士様を、お前は見殺しにしたというわけね。……私に、強要しないで。お前は、私の何でもないし、あの騎士も、私にとっては誰でもなかった」
「誰でもないならば、俺はお前をこんなに守ったりするものか。その貧民は、俺が持ってやってもいい」
首を振る。それが譲歩案だと、この男は本当に思っているのだろうか。
ちっと舌打ちをして、カリオストロは山羊に視線を移した。悍ましいとまでは思わないが仰々しく突き出た角だ。角の方が、顔よりも遙かに大きい。彼らは、蹄で鼠を潰している。きゅい、きゅうきゅうと、鼠達が鳴きながら、真っ赤な血と臓物の塊に変わっていく。
燃やされるのと、踏みつぶされるの、どちらが苦しいのだろう。
鼠達が、逃げ惑う。足元に、絡みつく。蔦のように、ひっかかってこけそうになった。
「ルコルスはどこにいる」
「…………」
山羊達は何も喋らなかった。ただ、顔の向きを、廊下の先へと向けただけ。カリオストロはその不十分な案内だけで満足したのか、足元の鼠を燃やしながら、歩き始めた。クロードを抱えなおし、廊下を歩き始める。
中庭に続いていたはずのそこは、ギャラリーになっていた。花瓶の上には、首が乗っている。羊、狼、魚? 鴉、カエル、昆虫。人のものもあるが、血は出ていない。熊、獅子、豹……。
カリオストロは速足で歩いていく。
この異様な光景が不気味に思えてならなかった。だって、ここには、なぜか鼠の姿がなかった。私の足にまとわりついていたやつらも、瞬きした瞬間、消えていた。
目蓋を閉じた首だけの飾り物に見送られながら、ギャラリーを進む。
「カリオストロ様」
「カリオストロ様」
振り振り返ると、そこには山羊の顔が二つ並んでいた。
すっきりとした貴族服を身に着けている。首元をリボンで結び、白いひげを一つにまとめていた。二本足で立っている。蹄には、磨かれた蹄鉄がはめられていた。
「双子か」
「この先、ルコルス様がいらっしゃる」
「この先、我が主がいらっしゃる」
「あいつに会いたいって言ったら合わせてくれるのか」
二人はお互いの顔を見つめ合った。長い睫毛がばさりばさりと落ちる。瞬きで話し合っているみたいだ、と思った。
「イヴァンがいる」
「騎士様がいる」
「イヴァン?」
こめかみを指の先で押しながら、カリオストロは繰り返した。
「イヴァン・ランカンか? あの名ばかりの騎士がこの先にいるって?」
「そう」
「話していらっしゃる」
「どうして、お前達はついていかなかった? ルコルス、あの傲慢男め。どうして自分が非力な存在だと認められない? あいつが、あの騎士に敵うわけ――――」
あ? とカリオストロは声を出して、首を傾げた。
イヴァンと言ったか? あの処刑人が、この先でルコルスというヤツと会っている? どういうことだ?
もしかして、処刑人がこの化物達を招き入れたのか?
「どうしたの、カリオストロ様」
「カリオストロ様、お連れの方はどなた?」
山羊達の月のような黄色い瞳が私に向けられる。彼らは何度も瞬きをした。ばちばちと音が鳴りそうなほど。
そして、にやりと笑みを浮かべた。
「カルディア姫様!」
「姫様、姫様!」
「お戻りになられた!」
「蘇られた! 我が主がおっしゃった通り!」
「ルコルス様は、六回首を斬られれば許してやると言っていらっしゃいました」
「いいや、三回だよ。三回だけでいいだなんて! 我が主は譲歩されています。三回の死で元のあの蜜月に戻れると言われるのですから!」
な、なにを言っているんだ、この山羊達は。
三回、首を……?
「お前達は、お前の主よりも偉いのか?」
「え?」
「ど、どうしたんです、カリオストロ様」
怯えたように二人は、カリオストロを仰ぎ見た。彼は腕を組み、はっと、鼻を鳴らす。
「それでよくもカルディアに死ねと言えたものだと思ってな。裁定は、ルコルスから聞く。お前達は壁に頭を付けて、反省していろ」
「ま、待って!」
「あんまりだ!」
指を鳴らすと、二人の体は人形師に操られるように、壁に頭を擦りつけた。ごめんなさい、ごめんなさいとうわ言のように繰り返している。
――そういえば、フィガロは双子の従者を従えていた……。
現実逃避をしたくなり、そんなことを思い出した。
「あの騎士を、ルコルスが殺していようが構わないが、ここで待たされるのも癪だ。さっさとこの先に進むとしよう」
「あの双子……双子なの? はいいの?」
「あいつらのことは放っておけ。どうせ、ルコルスに叱られて外に出されていただけだ。あいつらは、ルコルスの信を得ていない。裏切り者だったんだろ――ああ、そうだ、裏切り者だったんだ」
「どう、したの?」
カリオストロが一瞬だけ、とても悲しそうに顔を顰めた。
「どこか、怪我を」
「偽善者」
歌うように、責められる。唇は挑発的に吊り上がっていた。
「さっきまで、俺を責めていたくせに、今度が俺に媚びるのか? あの双子を操ったから? それともいつもの、慈悲の心か。気まぐれか」
「いつもというほど、私はお前を知らない」
「だけど、俺はお前を知っている。誰にでも心を配り歩いていた。その癖、卑屈で人の気持ちを確かめたがる。容赦がなくて、愛情深く、それでいて薄情だ。他人を愛する自分が好きなのではないかと思ったことが何度もある」
「な。なぜ、こんなところで悪口を聞かなくてはならないの!?」
「悪口ではなく、事実だろうが」
カリオストが遠ざかっていく。慌てて、背中を追いかけた。
こいつこそ、酷く残忍で、人の話を聞かない。貧民だと言って誰も助けないし、そのくせ私にだけは優しさを見せる。
そういうところが、怖い。恐ろしい。泣きそうな顔を見せるたび、憎悪が肺を犯す。そういうとき、私は自分が悍ましい何かになった気がする。正しさを忘れた獣、憐れみが欠けた怪物、そういうものに成り果てたような気になるのだ。……こいつのような、ものになった気がする。
悲しい顔を見せる奴を、たとえ憎んでいてもその顔を見るのは嫌だなと思うことは傲慢だ。それでも、私は声をかけてしまった。カリオストロが偽善者だと罵るのも、何だかしょうがない気もする。
だが、苛立つのはしょうがない。だって、明らかに私を傷つけてやろうとしている。
「俺を利用するなら、利用しろ。慈悲の心をかけると、こっちの判断力が鈍る」
「どう言う意味……?」
「お前にいいところを見せたくなって、らしくもなく善良ぶりたくなるって意味。――俺の機嫌は取ってろよ。それで、お前の生存率もあがる」
「……さっきのは、お前のご機嫌取りのために言ったの」
それでいいと言うように、カリオストロは頷いた。筋道を立てられた場所を歩くような感覚がした。誘導されたのだと、流石に気がつく。この男が分からない。
視線を逸らして、進む。
扉を開くとそこは大広間だった。舞踏会が開かれるときに主だった会場となる場所だ。シャンデリアの下にいたのは、大人二人分はありそうな大男だった。――いや、大山羊だというべきだろうか。
体と同じぐらい大きな角が二つ、シャンデリアにあたりそうなほど伸びていた。彼を黒衣の山羊が周囲を囲んでいる。
なにかを持ち上げ、ぽたぽたと床を濡らしている。
――あれは、首?
水色の清流のような美しい長い髪が床に垂れる。その床には、紗幕のような薄い布が落ちていた。金の装飾がある剣が、無造作に落ちている。意識の表面が棒でつつかれたような衝撃は走る。あれは。あの髪、は。あの剣、は。
山羊が、振り返る。
檸檬色の瞳が私をじっと凝視した。
ぞくりと、背筋が凍るほど美しい生物だった。
「――床で楽しむことを覚えないで下さい」
口から、ぽろっと言葉が出てきた。確かに、言われたのだ。
どこで? 夢の――夢の、なかで。
低くて、心地の良い声だった。私の爪には真っ赤なマニュキュアがしてあって、獣人と人魚のタペストリーが敷いてあった。
「お、お前は、誰?」
山羊は驚いたように瞬きを繰り返して、腹の底から響くような大笑いをし始めた。
「ハ、ハハハッ! 誰? 誰って、酷いですね、貴女の従者を忘れてしまった?」
隣に立ったカリオストロが訳が分からないと言わんばかりに私を見下ろした。こっちだって、意味が分からない。覚えのない記憶が、突然降ってわいたように頭を乗っ取って口を動かしていた。さっきの記憶は、いったい……。この山羊を、私は知っているのか?
「ルコルス・カロナール」
カリオストロが、隣で呟いた。
「お前の幼馴染の従者だ」
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