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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 別室にクロードはいなかった。
 うろうろと歩き回る。使用人は私のことをちらちらと見てくるが話しかけてはこなかった。
 それもそのはずだ。後ろからフィガロがついてきている。
 彼は私がクロードと会うまでは離れないと言って謁見室からついてきていた。どれだけ固辞しても聞き入れてはもらえなかった。一人になって思索に耽りたい。謁見室であったことをまとめたいと思うのに、彼がいると気が散って仕方がない。ぐっと奥歯を噛み締めながら、歩き回る。
 クロード、あいつどこにいるんだ!?
 仕方がないから、使用人に声をかけて話を聞こうとしたら、フィガロが間に入ってきた。

「高貴な人間が使用人に話しかけてはいけない。品格を落とすし、何より使用人が恐縮してしまう」

 むっと眉根を顰める。じゃあ、どうすればいいんだ。このまま歩き回り、数日かけて探せとでも?

「俺の使用人に探させよう。中庭に四阿があるのは知っているだろう? そこで待つことにしよう」

 そうは言っても、今度はフィガロの使用人を探すことになるじゃないか。そう睨みつけると、首を振って否定された。

「……妖精と契約している。すでに、あの子達を探しに行かせてある」
「何ですって?」
「妖精だ。見えないかもしれないが」
「……。そうね、私には、見えない」

 この体だからだろうか。妖精の姿は本当に見ない。
 いや、見えるようになっていたのがおかしかったのだ。

「適性がない方が自然だから、気にしないでいい。それに彼らは狡賢く、悪辣だ。見えない方が幸せだろう」
「……お前も、死んだら食われるの」

 ギスランを思い浮かべながら、尋ねる。
 イルの言葉を思い出した。ギスランは心臓しか残らなかったと。

「対価は必要だからな」
「ぞっとしないの。死んだ後、食われるのよ」
「食われたところで何を恐れる? 俺はそこまで恐ろしいとは思わない。牛や羊を育てて殺して食べるだろう。同じことを妖精もしているだけだ」
「それとは全く違うと思うけれど」

 けれど、彼から妖精への恐怖は感じられなかった。痩せ我慢や強がりとは、思えない。
 フィガロの言葉通り、中庭へと靴音を鳴らしながら歩く。

「……どうして、私なんかが好きなの」
「――――」

 面食らったように彼は視線をこちらに向ける。

「何よ。さっきの口付けを、ただの衝動だったと誤魔化すつもり? そうだとしたら、もう聞かない。……でも、そうじゃないならば。情欲を含んだものならば教えて。どうして、私なんかにそうなるの」
「……自分のことが嫌いなのか」
「嫌い」
「そうか」

 もう一つ、尋ねてもとフィガロは口を開く。

「記憶はいつから、ない? ……いや、こうきいたらいいのか。いつからその状態だ?」

 唾を飲み込む。フィリップ兄様も、フィガロも様子がおかしいと気が付いていた。直接きいてくるのは、予想していたことだ。

「一ヶ月前ぐらいかしら。……クロードと結婚したことも、お前みたいなお兄様がいることも、サガルのことも、ギスランが死んだことも、覚えてはいなかった」
「……そう、だったのか」

 くしゃりと顔を歪ませ、私を見下ろしてくる。
 決まりの悪さに視線を泳がせる。こいつ、私に同情しているのか?
 苛々する。この男の清廉さは見せかけだと、さっきの行為で分かり溜飲を下げていた。何が聖人だと侮るような感情があるのも事実だ。けれど、私がこの男を侮るのと同じぐらい、この男は私を憐れむ。まるで死にかけの虫けらにでもなったような気分だ。

「お前はさぞかし俺の行為に驚いただろうな。気持ちが悪かった?」
「……気持ちが悪いというか、ただただ不思議なのよ」

 嘘だ。こいつが私に対して行った行為がただただ愉快だった。愛人の子は愛人の子なんだと、なんだかとてもすっきりとしたから。……愉快だなんて、ねじくれていると分かっている。
 けれど、私も、こいつも同じ母の血を引いている。愛人の子で、品位がない。
 そう思うと、心が弾む。私だけが底辺を彷徨っていると思わずに済む。

「私の何がそんなにいいのか。血筋というならばまだ分かるのよ。王族の一員になりたいという気持ちならば。けれど、私を選ぶ必要は? 私である理由は?」
「……理由が必要か?」
「必要ではないのならば、どんな女でもいいのではないの。唇を舐めたいだけならば他の女がいるでしょう?」
「な、舐めっ……い、いや。違う」

 顔を赤らめ、フィガロは何度も違うと首を振る。

「あ、あのときはすまなかった。本当に申し訳なく思っている。だが、……お前である、理由。説明は、難しい。俺にとって、お前が王族であることよりも女神の名前を冠している方が重要で、それよりも俺の妹であるほうがもっと重要だからだ」
「妹で、あること」
「俺は家族を知らない。聖人として育ち、市中で暮らす人とも触れ合ってきたが、塔の上から見下ろしているような気分だった。告解を聞いたことがある。母が気に食わないから殺したい。父が怒鳴るから痛めつけたい。子が言うことを聞かないから、捨ててしまいたい」

 告解――罪を打ち明けることか。
 教会の懺悔室で行われることがあると聞いたことがある。

「俺はそのようなことを考えてはならない。実行してもいけないと忠告してきた。けれど、浮ついた言葉だとは思わないか。家族がいない男が、どうして家族がいるものを諭せる?」

 その悩みは一種の超人的な気配さえ感じた。家族がいないから、誰かを諭してはいけないというのならば、どんな人間もその人ではないのだから、諭すことはしてはならないことなのではないか。

「うじうじと悩む俺にトヴァイスが教えてくれたんだ。妹がいると」
「あ、あの男、お前のことを知っていたの!?」

 だが、それもそうか。トヴァイスは、フィガロを支援していると聞いていた。
 ……この世界の私ではないが、分かる。あの男は絶対にフィガロのことを私に教えていない。お前になぜ教えねばならない? と言うあの男が目に浮かぶようだ。

「……その反応も、懐かしい。二回目だ」

 どうやら、こちらの私も、フィガロの目の前でトヴァイス・イーストンに対して怒りを爆発させようだった。あの男、本当にとんでもない男だな。
 中庭に出ると、四阿に向かう。さっき、クロードと見て回ったときに、順路は覚えていた。
 途中で、薔薇園にイヴァンの姿が見えた。また、深く沈みこむように薔薇の花を見つめているようだった。その姿は物悲しい。

「イヴァンか」
「……知っているの」
「まあね。……とはいえ、俺が知っている彼とは少し違うけれど」
「? どういう意味?」

 フィガロは私の疑問に答えずに、四阿と足を進ませた。
 納得できないと眉を顰めながら、あとについていく。
 四阿には大理石で出来たベンチがあった。腰かけると、フィガロも同じように腰を落ち着けた。
 至る所に、薔薇の意匠があった。とくに、石机に彫ってある薔薇の精緻な文様は初めてみるものだった。

「話を戻そう。俺には妹がいる。母は亡くなったが、父は存命だと聞かされた。胸がときめいたのを、今でも覚えている。人生で一番幸せな日だったと思う。それまで天涯孤独だとばかり思い込んでいたから」

 上手い返しが見つからず口を閉じる。
 私は天涯孤独だなんて思ったことは一度もない。家族がいないことを悩んだことは幸い、ない。そんな女がああだこうだと口を挟むのもおかしな話だ。

「家族がいると聞いたその日から、俺は夢を見るようになった。一家団欒の風景。妹に意地悪をして、優しく笑いかける自分の姿。怖い夢を見たと泣いた俺を母と父に抱きしめられる、そんな温かい朝」

 綺麗な宝石でも見るような瞳で、フィガロは私を見つめた。

「聖人ではない自分を思い浮かべながら、目が覚める。家族という幻想に包まれていると、不思議と俺は背筋が伸びた。聖人の器ではないと自分でも思うが、それでもそれらしくあろうと自分を律することが出来た」
「……私が妹だから、好きなの。家族だから? でも、それはお前の理想でしょう。ただ、私に押し付けているだけだわ」
「そうなのかもしれない。……すまない」
「あ、謝られることじゃない」

 けれど、それであんな行動に出るのはおかしな気がする。
 だって、フィガロが浮かべていたあの情欲の瞳は、前にサガルが私を閉じ込めたときにそっくりだった。
 錯覚だったのだろうか。でも、唇を何度も舐めるように合わされたのは本当だ。あれを、普通の家族愛で納得していいのだろうか。

「……お前のこと、私は嫌いだわ」
「そうだろうな」
「兄だと言われても、正直あまり納得がいっていない。……記憶があったときの私がサガルよりもお前に懐いていたのかと思うと目眩がするわ。たぶらかされていたのではとすら思ってしまう」

 そうかとフィガロは目を伏せ笑った。
 顔が歪む。幼い表情に、傷ついたような痛みが浮かんでいた。
 弱った蝶を踏み潰したような申し訳なさに、私の方が胸が痛くなる。

「たぶらかされてはいない。お前はきちんと彼を慈しんでいた。野獣の言葉を話すようになるまでは。――言葉が通じなくなった、だけ? それを、殺されそうになっても言えるのは驚嘆に値するが」

 本当か? とその視線は私に問いかけていた。
 確かに、私は『聖塔』でサガルに襲われた。
 ……もしかして、こちら側の私はリストがいない状態であのサガルに襲われたことがあるのか?
 唾を飲み込む。私には彼の言葉が分かった。サガルが常軌を逸していることも汲み取れた。だが、文字通り言葉の通じないサガルのことを私はどう思ったのだろう。化物だと思ったのか?
 そんなことを思う薄情で醜い女だとは思いたくない。サガルのことを疎み、フィガロにすり寄った滑稽な女なのだと認めたくない。
 そもそも、フィリップ兄様――陛下の話で既に混乱しているのに。くそと悪態をつきたくなる。

「……とはいっても俺もお前がどれほど苦悩して俺と言葉を交わしていたかは知らない。俺は妹に会えて浮かれてしまっていたし」

 頬をかきながら、そう言われると変な羞恥心に襲われた。その羞恥を感じ取ったのか、フィガロが急に話題を変えた。

「そ、そういえば、少し尋ねたい。『カリオストロ』という名前に覚えはないだろうか」
「……え?」
「さっき、陛下が言っていただろう。ザルゴ公爵が名乗っていた名前。カリオストロ・バロック。その名前を聞いてから何か引っかかるような気がしていて」
「そう言われても」

 カリオストロの何が気になるのだろう。
 こめかみをとんとんと叩きながら、困った様子で、フィガロは首を傾げる。
 私の世界では、『カリオストロ』は有名なものだった。けれど、この世界では違うらしい。きっと、異端として広まっていないのだ。それを打ち明けたところで、フィガロの足しになるとは思えない。
 ……。本当に、困ってしまう。この男に対して、どんな感情を持っていればいいのか、分からない。
 母と伯父の間にできた子供。私の異父兄妹。いまだに、こいつを侮るような感情が腹の内にある。この偏見にも似た侮蔑は、さっきまで抱いていた劣等感から来るものだと分かっているつもりだ。けれど、自分の中で折り合いがついていない。このふわふわとした現実感のない気持ちを、吐きそうなぐらいの気持ち悪さを、どう表現すればいいのか。

「――いや、すまない。奇妙なことを尋ねた」
「い、いえ。……お前の使用人はまだクロードを見つけないのかしら」
「たしかに、遅い。もしかしたら、貴族しか立ち入れない場所にいるのかもしれないな」

 腰を浮かしかけたフィガロが、視線を寄越す。自分が見て回ろうか、だが、ここに私を一人残していいものかと悩んでいるらしい。
 つんと口をすぼめて、悪ぶる。

「私は一人でここに座っていられるわ。子供ではないのだから」
「……だが」
「ここにじっと座っているから」

 彼は私を見つめていた。そして、吐息をこぼすと、腰を下ろした。

「いや、残ろう。俺の使用人は優秀だ。必ず、見つけ出してくれる」
「私は、はやく、夫に会いたいのだけど」

 子供のように席を立ってうろうろ、徘徊するとでも思われているのだろうか。
 過保護が過ぎる。本当に貴族しか出入りが出来ない場所にクロードがいるのならば、フィガロが足を踏み入れ捜索した方が早い。是非、そうして欲しいと凝然と見つめる。
 フィガロの瞳が、急に熱を帯びていく。頭でも痛むのか、何度も額を拳で小突いている。
 何をしているんだと呆れたように見つめていた、そのとき。
 聞いたことがある不思議な音がした。
 カコン、コロン、カロン。カコン、カロン、カロン。

「わたくしの女神様。カルディア様。カルディア姫」

 オクタヴィス・フォン・ロゼタイン。
 彼がゆっくり歩いてきていた。視線が合う。引き攣れを起こしたような皮膚が脈打った。

「新作童話をぉ、披露させてくださいぃ。どうかぁ、お慈悲をぉ」
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