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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 王宮についた頃には、もう太陽が空の頂点に昇りきっていた。結局、今日はろくに眠れもしなかった。全部、クロードが悪い。あんな状態であいつだけは普通に寝ていたので、私だけが目の下に隈をつくり、起きた時笑われた。絶対、許せない!
 悶々としながら馬車に揺られて、眠い目を擦りながら車から降りる。
 日差しを手で遮って、城を見上げた。その巨大な威光は、幼い頃見上げていたときと同じように、自分の身がちっぽけなものであることを思い出させる。
 城の中に踏み入れるのは久しぶりな気がした。本当は一年も経っていないだろうに、懐かしさがあった。
 控えていた使用人が頭を下げる。彼らのつむじを観ながら、城内へと入っていく。
 入ってまず、驚いた。飾られていたはずの美術品達の姿がないからだ。王の肖像画や王妃の横顔の絵がない。幾何学模様が描かれた壺や異国のから送られてきた精巧なタペストリーもなくなっている。
 殺風景というのか、素朴というか。質素と言ってもいいぐらい、物が少ない。
 きょろきょろと視線を動かしながら、歩く。子供のような私に呆れたのか、クロードが手を掴んだ。子供扱いに、むたとしながらクロードに手をひかれる。
 途中、双子の使用人とすれ違う。肩には貴族の家の紋章が縫われていた。
 ――バルカス公爵家のものだ。

「あの男、領地から出てきているのか」
「……バルカス公爵のこと?」
「ああ。あれはあの男の双子の従者だ。何でも、イーストンから連れてきたらしい」
「……イーストン? イーストン領から?」

 それは珍しいことだ。あそこには聖地がある。熱心な領民が多いので立派な孤児院があったり、炊き出しが毎日のように行われている。熱心な信徒ばかりなのだ。そもそも、住んでいるのが根っからの聖職者達が殆ど。
 カルディア教徒であれば不自由なく過ごせるので誰も彼もあの場所から出ようとしない。トヴァイス・イーストンがイーストンを中心にものを考えるようになるぐらいには栄えている領地なのだ。

「フィガロ・バルカスは元聖職者だからな。領主となった時、位を返上してきたが今でも従順なる女神の僕だ」
「聖職者……。そういえばそいつ、どういう男なの」

 つい吐き捨てるように口にしてしまう。
 クロードは目を少しだけ細めた。

「フィガロのことは嫌いか」
「嫌いというか……。まあ、そうね。いい気はしないわ。愛人の子なのでしょう?」
「あぁ、娼婦との間に出来た子供らしい。……しかし、そうかフィガロの記憶もないのか」
「どういう意味?」

 意味ありげに喉の奥を鳴らされた。
 不審な顔をして見上げると、クロードは知らないままでいろとどこか楽しげに囁いた。

「お前、フィガロに会うなよ」
「でも王宮には来ているんでしょう? ……どうして従者があんなところに? 普通、謁見室の近くで待っているはずじゃないの」
「確かに妙だな。……嫌な予感がする」

 嫌そうに吐き捨てたクロードの足が止まる。どうしたのと伺うと、目線で廊下の奥へ誘導される。
 カコン、コロン、カロン。カコン、コロン、カロン。
 不思議な音が響く。
 カコン、コロン、カロン。カコン、コロン、カロン。
 ぼんやりと、輪郭が浮かび上がる。身長の高さからいって男のようだった。クロードよりも、もしかしたら、身長があるかもしれない。それが奇妙な音を立てながら、ゆっくりと近付いてくる。

「ご登場か」
「え?」
「お前を呼んだ男が来たぞ」

 クロードの言葉を聞いているうちに、男はもうはっきりと見えるところまで迫ってきていた。私はぎょっと目を剥く。
 透けるような銀色の髪。左目はなく、右目は濃霧のような深い紫色の瞳だった。視線が合うと引き攣れを起こしたように皮膚が脈打つ。笑ったのだろうか。
 額から、顎まで傷口を縫い合わせるように大きな赤い糸で縫われていた。まるで恐怖の館から現れた人形だ。
 手足が動くたびにさっきから聞こえている不思議な音がする。歩き方も少し不自然だ。……義足なのだろうか。

「カルディア姫」

 彼は私に近付いてきて、深く礼をとった。手にはレオン兄様に似た優しい面立ちの金髪の人形を抱いていた。

「わたしの女神様。カルディア様ぁ」
「……オクタヴィス?」
「はぁい。貴女の従順な僕である私でぇす。王へのご拝謁がすみましたらぁ、新作童話のお話をぉ……披露させていただけましたらぁ……とぉおもいましてぇ」

 甘ったるい、語尾が伸びるような声。まるで、呂律がまだはっきりとしない子供の喋り方だ。唖然としてしまって、うめき声のような同意しかできなった。
 クロードが揶揄うように言葉をかける。

「オクタヴィス、俺は誘ってはくれないのか?」
「クロード様はぁ、きっと退屈されるとおもいますぅ」
「おいおい、そう退屈するものをカルディアに見せるつもりか」

 オクタヴィスは誤魔化すように口を上げて引き攣った表情を見せた。
 やっぱり、笑っているようだ。痛々しいと思わず目を伏せる。私の想像していたオクタヴィスとはまったく違っていた。
 こいつが、父王様の寵愛を受けているのか?


「では、のちほどお迎えにあがりますのでぇ」

 オクタヴィスは頭を下げたまま器用に後退し、曲がり角へ消えていった。
 あっさりとした邂逅だった。一、二分で終わってしまった。
 オクタヴィスが完全に見えなくなって、クロードが口を開く。

「……思っていたのと違ったか」
「え、ええ」

 寵臣だと聞いていたものだから、てっきり、財務長官のアレクセイ様のように社交的で、顔の良い男だと思い込んでいた。
 そもそも、父王様は親族以外をろくに取り立てたりしない。身内ばかりを重用する。例外なのはダンぐらいだった。そのダンも、王宮筆頭魔術師としての扱いで、取り立てて政治の世界に参加させたり、意見を聞いたりという扱いは受けていなかった。良くも悪くも自分で決める方で、意見はあまり周囲に求めない、そんな印象が強い。

「あれには度肝を抜かれるだろう。昔、戦争があったときに負った傷らしい。なんでも、爆発に巻き込まれたんだとか。それまでは清族には珍しく、清廉で裏表がない性格だったらしいが、今では見る影もないほど陰気だな。あの甘い喋り方も、後遺症のせいらしい。口が上手く動かせないようだな」
「……そう、なの」
「それで、本当にオクタヴィスと二人っきりで話すつもりか? 見ての通り、怪しい男だぞ」
「……童話の話だというし。それに、前にも何度か二人で会っていたのでしょう?」

 挨拶もあったものじゃないあの会話から私とオクタヴィスがそれなりに回数を重ねて童話の話をしていることは感じ取れた。そうでなければ、流石に挨拶が短すぎる。あんなあっさりとした挨拶でも、怒られないと確信できるほど付き合いはある、ということだ。
 クロードあしらい方だって手慣れていたし。
 ツンと口を尖らせ、それはそうだがと不貞腐れる。

「どうしてお前、そんなに童話が好きなんだ」
「……どうしてって。好きなものは好きだからよ」
「そう、か」
「何よ、その反応」

 躊躇うように何度も口を開いたり閉じたりを繰り返した。手を引かれ、歩き出す。クロードはぽつりとこぼすように声を出す。

「昔、同じように聞いたときに復讐が果たされるからだと言っていだ。悪い奴が報いを受けるから、と」



 しばらく、散歩のように城の中を歩く。クロードにとって、王宮内は自分の庭のような場所らしい。迷うことなく中庭に出る扉を潜り、薔薇園へ連れていかれた。早く、謁見室に行かなくていいのかと尋ねると、先にあの男がいるから時間を置いた方がいいと言われた。
 あの男――フィガロ・バルカス公爵のことだろう。私も、進んで会いたいとは思えなかったので、苦笑して時間稼ぎに付き合う。

「――あ」

 薔薇園には先客がいた。
 騎士だった。
 紗幕のような薄い布で顔を隠していた。
 体格からして男性だ。かしゃりと、鎧が音を立てる。腰に佩いた剣には、金の装飾がしてあった。
 一瞬、マイク兄様かと思った。背格好がとてもよく似ていたから。けれど、はらりと頬にかかった髪の色が、水色だったので違うとわかった。
 彼は薔薇に手を伸ばして、引っ込めた。まるで自分が手を出してはいけないものかのように。彼の体が私達の方へ向き直った。私達に気がつくと、ぴたりと体が固まる。

「……処刑人のイヴァンだ。耳が聞こえない」

 クロードがそう呟いた。
 正面から彼を見つめた。あ……と細い声をこぼす。イヴァンだった。音楽家のイヴァン。だけど、どこか私が知っている別のイヴァンのようでもあった。死に神の眷属であったあの男。
 視線がぴったりと合う。彼は怯えるように瞳を揺らした。

「耳が聞こえない? ほ、本当に?」
「大病の後遺症らしい」

 どこからへ去れと、クロードが手を振った。しかし、イヴァンはこちらをじっと見つめたまま、身じろぎもしない。訝しげに、クロードがもう一度繰り返すと、イヴァンは戸惑うように自分の足を見つめた。

「失礼します」

 そうゆっくりと言葉を発すると、彼は踵を返して私の前からいなくなる。追いかけたいと、衝動的な欲求が湧き上がった。
 けれど、イヴァンにとって私は元王女の一人に過ぎないかもしれない。いつもはいない人間が突然、目の前に現れたから驚いただけで、私のことなどろくに知らないのではないか。
 そう思うと、足が動かなかった。従者に引き入れ、私に初恋だと告白した男から拒絶されるのが、無性に怖かった。

「あいつがいるということは、明日、死刑囚が処刑されるのか」
「どういうこと?」
「あの男は、国王陛下より特別にこの庭の花を愛でるお許しをいただいているんだ。あいつは仕事の前日にここに来て花を愛でる。王都は明日、お祭り騒ぎだな」

 薔薇の香りが死臭に変わったような気がして、私は思わずクロードの手を取り歩き出した。
 前に、ヴィクターが言っていた。イヴァンは、王妃――あの女の拷問官でもあると。暗殺未遂を起こしたあの女を、毎日、違う拷問方法で苦しめている。
 音楽家であったあいつが、処刑人で拷問官?
 騎士の格好をして、花を愛でるのを慰みにしている?
 しかも、耳が聞こえないのだ。音楽家として、イヴァンはもう活躍することは出来ないのではないだろうか。そう思うとたまらなくなる。これは一方的な憐憫だ。感情を殺すように一度、息を深く吸い込む。

 ――あれ?

 空気を肺に入れた瞬間、前にも少し感じた違和感が膨らんだ。しこりのように胸に広がっていく。
 そういえばどうして、あの女は王の暗殺未遂などしたのだろう。あの女は愛人であった私の母を殺した。けれど、父王様を害そうとは欠片とも思っていなかったようだった。それなのに、どうして父王様を殺害しようと企てたのだろう。
 もしかして、冤罪なのではないか。あの女は本当に、父王様に危害を加えることはしなかった。姉は殺しても、夫は殺さなかった。
 だが、そうだとしたらどうして冤罪が起こったのだろう。あれでも、王妃だ。権力の中枢にいる存在。冤罪ぐらい、揉み消せるはずなのに。
 ぐるぐると、頭の中で考え続けるが、答えは出ない。ただ、むしゃくしゃとした気持ちだけが胸に折り重なっていく。
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