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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 サガルの治療のために、清族達が忙しなく動き回っている。私は気まずそうな清族に、リストともに客室らしき部屋に案内された。
 なにがあったのかと尋ねられたので一切合切を話すと、目の前の責任者らしき清族は、空のように顔が青くなった。

「それはつまり、クロード様がどこかに行かれたということですか」
「ええ。お前達に心当たりは?」
「――いえ。い、いえ。ご心配なさらずに。すぐにお調べいたします。お待ちくださいませ」

 慌ただしく出て行った清族の顔には玉のような大きな汗が浮かんでいた。
 隣のソファーに腰掛けたリストは大きく息を吐き出し、私へ視線を向ける。

「怪我は?」
「……大丈夫。リストは?」
「俺もなんとか無事だ。……お前は屋敷に戻れ。酷い顔だぞ」
「クロードがーー」
「クロードのことは心配しなくてもいい」

 そういうわけにはいかない。目を閉じて、首を振る。ここにきたいと言ったのは私だ。クロードはその願いを叶えてくれた。けれど、ここにいるのは私だけ。クロードはいない。
 この建物の中を私はよく知らない。手当たり次第に探せば何かと障りがあるだろう。だから、一緒に探すことは出来ない。けれど、屋敷に帰るだなんてこと、出来るはずがない。

「カルディア」
「ここで待つわ。清族からの報告を受けたいの」
「この間まで妊婦だった女が何を言っている? いくら、俺が女っ気がないからと言って、気遣いぐらいはできる。ここにいることも、本来ならば眉を顰めるようなことだという自覚がないのか」
「妊婦なんかじゃ」

 慌てて、口を閉ざす。リスト言う通りだ。この体は、この間、子を産んだばかりだ。クロードからそう聞いたし、一ヶ月前に産んだばかりと医者も言っていた。

「……それも覚えていないのか」

 腕を組んだリストが怪訝そうな顔で尋ねてきた。

「取り乱した妄言だとばかり思っていたが、本当に記憶がないのか」

 リストの顔を見て、深々と頷くと、彼は問題事が増えたと言わんばかりに顔を覆った。

「じゃあ、お前の中で俺は義理の弟ではなく、従兄弟なのか?」
「……! そうよね、クロードと結婚しているのだから、お前は義理の弟ということになるのよね。……全然実感がない」

 リストは顔を覆ったまま、長いため息を吐きだした。おい、呆れるんじゃない。
 リストが義理の弟になるなんてとんでもないこと、普通考えないに決まっているじゃないか。

「お前がどういう状況なのかは今ので理解した。……だが、やはり戻るべきだ。お前の顔色、本当に悪いぞ。青を通り越して灰色のようになっている」

 鏡が見れないことをいいことに、でたらめを言っているのかと思い拳を握ろうとする。
 だが、うまくいかなかった。力が抜ける感じがする。

「屋敷に帰りたくないのか」

 そういうわけじゃない。つんと言い返すと、リストはようやく顔を覆っていた手を退かした。

「……昔、お前が過ごしていた部屋に行くのはどうだ。少しは一息つけるかもしれない」

 リストの赤い目が、腐り落ちた果実のように赤々と光っていた。ごくりと唾をのみこむ。どうしてだろう。リストの表情も、声も、思いやるような優しい労りが感じられるのに、瞳だけは、警戒を促すように爛々と酷く興奮に濡れていた。
 反応出来ず、逡巡しているうちに清族が戻ってきた。

「クロード様が発見されました。魔術の使用痕跡があり、すぐに座標を特定したところ、下手人をご自分の手で……。いま、屋敷に向かわれているとのことです」
「無事なの?」
「大事はないと。……奥様は、お帰りになりますか?」

 リストに視線を流す。さっきのことが嘘だったかのように、凪いだ瞳を浮かべて頷かれた。

「お前は屋敷に戻れ」
「リストはどうするの」
「俺はサガルのことを見届けてから自分の屋敷に戻る。……後日、お前を訪ねても?」

 頷いていると、クロードが手配したのか、家の車が到着したと清族に告げられる。リストに目配せをして部屋を出ると、見覚えのある顔とすれ違った。

「ジョージ」

 思わず声を出すと、彼の足が止まる。
 私を殺そうとした清族だ。そして、胸に穴があいて死んだ男。どうしてここにいるのだろう。確かにーー違う。死んでなんか、いない。この世界のジョージは私を殺しに来なかったのだ。

「はい?」
「あっ……」

 衝動的なことだったので、反応されると困る。ジョージは私をまじまじと見つめて、誰であるか気が付いたのか、深々と頭を下げた。

「お久しぶりです、親愛なるカルディア様。サガル様のことはお任せを。……では、急ぎますので」

 颯爽と、彼は帰っていく。目を瞬かせて、ぐっと息を詰める。この世界で、私とジョージは顔見知りらしい。しかも、朗らかに挨拶ができる程度に。
 ギスランが死んで、ジョージが生きている。私の世界とは全く違う。
 車の中に乗り込む。うるさい音を立てて、車は屋敷へ向かっていく。

 屋敷の中は蜂の巣を突いたような大騒ぎだった。
 私が帰ってくるなり、侍女が涙ぐんで、抱きついてきた。
 目を白黒させていると、湯を浴びたのか、クロードが体から湯気を出しながら階段を降りてくる。
 上半身裸だ。
 ば、馬鹿なのか、この男! どうしてそんな格好を……! どこに目を遣ればいい?
 クロードの髪や顔に目線を逃す。そうじゃないと頭が茹って使い物にならなくなりそうだ。この男、どういうつもりなんだ!?
 そんな私の悩みを気にせずに水をぽたぽたと周囲にばら撒きながら、大股で近付いてくる。
 焦りの表情を浮かべていて、目を丸くした。彼はじろじろと私を見つめると、皮肉げに笑みをこぼす。

「無事だったか」
「お前は?」
「見ての通り、命はある。幸い、軽症だ。それほど手強い者でもなかったしな。……清族だった。あまり、人を殺すのに慣れていそうな面だったしな」
「そ、そう」

 詰めていた息を吐き出す。クロードが無事ならばよかった。
 クロードがその清族を殺したということは今はあまり考えたくない。ただ、目の前の男が死んでいないことに素直に安堵したかった。

「扉に吸い込まれたのは、清族の術だったということ?」
「らしい。透過魔術と移動魔法の合わせ技だとかなんとか。よくは分からんが、王都の貧民街まで強制移動だ。あの『聖塔』から貧民街まで瞬きの間だったぞ。あいつらの術は相変わらず不気味に尽きる」
「私とクロードを引き離して何がしたかったのかしら」
「さあな。それは聞けず仕舞いだ。流石の俺でも、殺そうとしてくる相手に手加減は難しい」

 じゃあ、清族の狙いはクロードだった可能性があるのか? いや、でもそれはおかしい。そうだとするならば、清族は自分の仲間がいるところへ移動して確実に殺すはずだ。現に、クロードに反撃されている。
 移動魔法に失敗したのか……?

「お前の話もいろいろと聞きたいところだが。どうも顔色がよくないな。車酔いでもしたか」
「違うわ。気にしないで。大丈夫だから」
「大丈夫なものか」

 クロードが私の頬を指で擦った。

「……リストに会ったのだろう?」
「ええ、どうして知っているの」
「先刻、先んじてリストが電話してきた。なんでも、偶然居合わせて、お前を救ったらしいな」

 電話?

「ええ。リストが、あの部屋から私を逃がしてくれた」
「都合のいいことだ。あの場所にあいつがいただなんてな」

 棘のある言葉だった。まるで、リストがあの場にいたことが偶然ではないかのようなーーもっと言えば、リストが仕組んだのだとでもいいたげな。眉を上げて、クロードを見つめる。彼は少しばつが悪そうに瞬きをした。

「なんだ。妬いて悪いか」
「や、妬いていたの!? でも、リストはお前の弟でしょう?」
「妻が男の名前を呼ぶだけで、俺は機嫌が悪くなる男なんだ」
「は、初耳だわ」
「では覚えておけ」

 手を掴まれる。皮膚は温かくて、ふやけているのが分かった。彼は優しく、手を引っ張った。

「ほら、寝室に行くぞ。……そこで詳しい話をきいてやる」
「その前に、お前は服を着て。どこに目を遣っていいか、分からないわ」

 肩越しに、クロードが私を見た。なんだか、少しだけ悲しそうな顔に見えた。だが、すぐにクロードらしいからかうような意地が悪い笑みを見せた。

「別にどこでも見て構わんが。何なら触るか? 俺は構わんが」
「触らない!」


 寝室に戻ると、寝台に寝かせられた。服を着てくると言ったクロードを待つうちにうつらうつらとしてきてしまった。何度も目頭を指で揉んで起きていようとするが、睡魔が去らない。
 むしろだんだんと目が開かなくなってきていた。まどろみは甘い快楽だった。心地よさに抗い、重たい瞼をなんとか開く。

「ああ、どうかそのままで」

 部屋の中に、誰かがいた。クロードではないのは確かだ。彼は……いや、彼じゃない。女だ。その姿に、見覚えがあった。ニコラと名乗っていたはずだ。夏の神。マグ・メルと名乗った金髪の少女と一緒にいた。

「状況を説明するね。ここは君の夢の中だ。君は、今、夢の中で目を開いている。……夢の中の君が激しく動き回ったらきっと起きちゃう。まどろみに沈んでいるだけだからね。君が起きてしまえばこの夢幻はすぐにかき消えてしまう。どうか、そのまままどろんだままでいて。口を開いても、駄目だよ」

 彼女の声は明瞭で優しい。まるで子守歌のように耳触りが良かった。

「――そう。その調子だよ。僕の名前はニコラ。覚えていてくれていたかな。マグ・メルに言われてやって来たんだ。君は、今、とても危険な状態にいる」

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