上 下
207 / 315
第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

193

しおりを挟む
「無理をさせたから風邪をひいたと聞いて戻って来たがーー随分楽しそうだな?」

 寝台の上に本を広げて読んでいると、喉の奥をくつくつと鳴らしながらクロードが近付いてきた。

「それは童話か? 相変わらずだな」
「クロード!」

 本を閉じて、名前を呼ぶ。
 クロードは襟元を緩めながら膝を寝台の上にのせた。

「ああ、俺だ。お帰りの口付けは?」

 当たり前のように体を寄せてくる。うっと唸った。手を前に突き出して、距離を取ろうする。

「か、からかっているの?」
「なんだ。気分じゃない?」

 喉を指でいやらしく撫でられる。それだけなのに、体の中心が発火したように熱い。
 後ろから、カルロッタと呼ばれていた侍女が目を吊り上がらせた。

「旦那様が無茶をさせたせいで、寝台から出られなくなってしまわれたんですよ! 二、三日は駄目ですからね!」
「俺だけが悪いのか?」
「奥様はもう体調を崩されて報いを受けていらっしゃいますもの。……言っておきますけど、お医者様も安静にと言われていましたよ」
「――はいはい」
「はいは一回でございますよ。全く、カルロッタは悲しゅうございます。坊っちゃまは、ばあやのことを無碍に扱う」
「こういうときにばかり可愛こぶってばあやと自称するのはどうなんだ? ……はいはい、俺が悪かった」

 そういうと、クロードは新台の上から退いて、近くにあった椅子を引き寄せ腰掛ける。

「それで? 体調はもういいのか?」

 戸惑いながら、クロードを見つめる。彼は不思議そうに首を傾げて見つめ返してくる。

「どうした。そんな不思議そうな顔をして」
「……からかっているわけではないのよね?」
「体調を気にすることがからかっていることに入るのか? ……なんだ、そわそわして」
「……っ、わ、私はカルディアよ?」

 どうしてそんな心配そうな顔をするのか。私が知るクロードならば絶対にやらない。私のことを嫌っているのだから、やるはずがない。

「お前がカルディアなのは見れば分かる」
「お前が私に優しいのは、変よ」

 片眉が上がる。どうしたものかと言うように、クロードが顎を摩った。

「どうしたんだ、急に」
「奥様は今朝から様子が少しおかしい様子でして。お医者様は魔力にあてられて精神がおかしくなってしまわれたのだろうとのことでしたが」
「――清族が俺の知らない間に来たのか?」

 威圧するような低い声に、カルロッタは怯えながら小さく首を振った。

「滅相もありません。『聖塔』に行かれたのでしょう? その時に移ったのではと」
「……そうか。ならばいいがな。それにしてもおかしなものだな。魔力にあてられると、俺がディアのことを分からなくなると思い込むのか?」
「ディア……」

 起きる前に見た、あの夢のクロードが私をそう呼んでいた。
 頭痛がする。もしかして、あの夢とこの私は一つに繋がっているのか?
 じゃあ、あの淫らな夢は、夢ではなかった?
 唾と一緒に溢れ出そうになった声を飲み下す。
 ……これって凄くやばいのではないか?

「――私、記憶がおかしくなっているの」
「どうした、いきなり」

 面食らったように、クロードが目を丸くする。畳み掛けるように言葉を重ねる。この際、魔力のせいにしてしまって訊きたいことを訊いてしまったほうがいい。

「お前が夫だということもあまり分からなくて……本当に私とお前は結婚しているの?」
「なるほど。確かにこれはおかしくなってるな」
「お、奥様!? そうだったのですか? だから、ずっと様子がおかしかったのですか?」
「ばあや、少し席を外してくれ。二人で話したい」

 戸惑うように視線を巡らせ、おずおずとカルロッタは部屋を出て行く。何か御用ならば呼び鈴を鳴らして欲しいと言い置いて。
 彼女を見送り、クロードに視線を戻す。

「お前と俺は結婚している」
「ギスランは? ギスラン・ロイスタ―。私には婚約者がいたはずよ」
「……ギスラン、ね」

 むっと口を一文字に閉ざして、クロードは目を瞑る。苛立ちを隠し切れないのか、足が揺れている。

「どうしたの?」

 意味ありげな言い方だ。それに、態度も意味深。
 クロードが目を開く。瞳には激情が灯っていた。

「ギスラン・ロイスターは死んだ」
「……死んだ?」

 血の気が一気に引いた。ギスラン・ロイスターが死んだ? 

「い、いつ」

 声が震えて、きちんと言葉になっているのか分からなかった。

「もう何年も前だ。七年ぐらいか」
「七年!? 今、私は……」
「二十二だ」
「二十二歳!?」

 私は十七歳だ。年齢が五歳も違う。
 それに、十五歳の時にギスランが亡くなっている……?

「そこも覚えていないのか。難儀だな」
「ど、どうして死んだの?」
「病死だときいているが、詳しくは知らない。案外、毒殺かもしれんがな」
「毒殺」
「ありえん話でもないだろ。俺達、高貴なものは命を狙われる立場にある」
「……ギスランが死んだ」

 手の震えが止まらない。
 ギスランが死んだ。本当に? あの男が、私を置いていったのか。
 寝台の上で目を閉じるあいつの姿を思い出す。あいつの上に死が降り注いだ。誰も、あいつを助けられなかった。目頭が異常に熱くなる。
 歯を噛みしめて、激情を受け流そうとする。ギスランが死んだとしても、私が知っているギスランがじゃない。この世界のギスランが死んだのだ。私が助けられなかったわけじゃない。大丈夫だ。大丈夫。

「俺とお前の付き合いは今年で丁度六年目になるな。喪中が明けてからすぐに結婚したから」
「……ギスランが死んだから、お前が? でも、お前はカナリア様と結婚していたはずよ。離婚したとでも言いたいの?」
「カナリア? 誰だ。そいつ」
「は?」

 カナリア、カナリアと何度も呟いて、クロードは首を振る。

「やっぱり覚えがない。そもそも俺はお前との結婚が初婚だ。前に付き合いがあった娼婦とのことを言っているならば」
「違う! ファスティマ王国の第二王女、カナリア様のことよ。お前は確かにあの方と結婚した」
「馬鹿を言うな」

 馬鹿を言っているのはクロードだ。
 クロードとカナリア様が結婚したのは、私が十五歳になる前だった。絶対に結婚していなければおかしい。

「あの国は我が国の属国になった。俺は王族だぞ、家臣から妻を娶れるものか」
「……? 属国? ファスティマが? あそこは、アルジュナの領土になったはずよ」
「アルジュナはライドルの属国だ。それに、ファスティマはその前にライドルのものになっている。……これは大分、話が通じそうにないな」
「はあ?」

 どういうことだかさっぱり分からない。全然話が通じない。アルジュナが属国になっているって、どういうことなんだ。アルジュナは隣国だ。ライドルの下にはいない。

「少し、授業をしよう。まず、十八年前の大戦終結から。終結の際、ファスティマはライドルの属国となった。次、三年前のアルジュナとの戦争で、ライドル王国は勝利をおさめた。アルジュナは我が国の下に降った」
「アルジュナとの戦争……? 三年前……」

 つまり、この体が十九歳のときにアルジュナと戦い、ライドルは勝利をおさめた?

「戦争の原因は何なの」
「きっかけはアルジュナから来た歌姫がスパイ容疑で処断されたことだ。その後、軍部同士で小競り合いが起こったり、民間で侵略行為が多発したり、……治安維持のために清族が派遣されたら、もうなし崩しだったな」
「歌姫……? もしかして、アンナという名前の?」

 アルジュナの歌姫。サガルがエスコートしていた、女性。マレージ子爵の屋敷で黒焦げの姿で発見されたとフィリップ兄様が言っていた。

「少しは記憶が戻ったか。そうだ。二重スパイの疑いがあったらしいが、真相は闇のなかだな」
「――どうなってるの」

 私の知っている歴史じゃない。全部塗り変わっている。そもそも、アンナは死んでいるはずなのだ。そして、ギスランも、十七歳までは生きている。
 だいたい、クロードの話では私は十六歳の時にこいつと結婚していなくてはおかしい。私はクロードとなんか結婚した記憶はない。

「わ、私とお前の間には子供がいるの?」

 あの侍女二人は、私が子供を産んだばかりだと言っていた。嘘だと言ってほしくて、縋るようにクロードを見つめる。

「話が飛躍したな。もうお勉強のお勉強はいいのか?」
「からかわないで真面目に答えて!」
「……この間、三人目が産まれたばかりだろう」

 椅子から腰を上げたクロードが私の腹部に手を置く。指を掴んで引き剥がそうとする。だが、びくともしない。

「覚えていないのか?」

 ゆっくりと手が滑っていく。下の方へ、下の方へと。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

体育教師に目を付けられ、理不尽な体罰を受ける女の子

恩知らずなわんこ
現代文学
入学したばかりの女の子が体育の先生から理不尽な体罰をされてしまうお話です。

レンタル彼氏がヤンデレだった件について

名乃坂
恋愛
ネガティブ喪女な女の子がレンタル彼氏をレンタルしたら、相手がヤンデレ男子だったというヤンデレSSです。

ヤンデレ家庭教師に致されるお話

下菊みこと
恋愛
安定のヤンデレ。安定の御都合主義。 両思いだし悪い話じゃないので多分みんな幸せ。 書きたいところだけ書いたSS。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

処理中です...