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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 それから、ヴィクターに夢のことを少し詳しく話した。ユリウスが出てきた夢が中心だ。あいつはうんうんと頷いて聞いていた。話を聞くのがかなり上手いので、拙い説明なのに、ヴィクターはよく分かって上手い質問で引き出してくれた。
 説明するのが楽しいと思えて来たぐらいで、昼を告げる鐘が鳴った。

「あら、もうこんな時間ですの」

 ヴィクターが指を振ると、掃除を終えて休憩していた箒と雑巾が消える。

「困ったわ。はなおとめともっとお喋りしていたいのに、この後予定がありますの」

 涙の跡が出来ている。そのことにヤキモキしながら、こくりと頷いた。

「寂しがっていただけない? わたくしは、寂しいのに」
「大切な用事なのでしょう? 箒達もなおしてしまった」
「はなおとめはわたくしより箒達に夢中でしたものね」
 
 くすりと笑われ、顔の中心に熱が集まる。仕方がないだろう。箒達は愛らしかったのだから。

「ユリウスという魔術師のこと、調べておきますわね。何か情報を掴み次第、ご連絡します」
「ええ、よろしくお願い」

 礼をして去っていくヴィクターを見送って、破れて中身が見えるクッションの上に落ちる。埃が舞って、触ると髪がざらざらした。やっと一息つけた。
 こんなところでヴィクターに会うだなんて。しかもトーマのことを沢山聞いてしまった。胸が苦しくなるような嫌なことも。全てを受け止めるには、今日はいろいろなことがありすぎた。

「サガル兄様と一緒にいた時とあまり変わっていないわね」

 さっき箒達の手によって掃除されたので、綺麗になっているがそれだけだ。湿っぽい空気も、埃の匂いも安心するぐらい昔のまま。脚と腕を伸ばす。背中が温まってきて、だんだんと眠くなってきた。眠い目を擦りながら、横に転がる。
 本が落ちていた。
 あれと思考が止まる。さっき箒について回ったときには確かになかったはずだ。
 腕を伸ばした。掴めると思って。
 しかし、私が掴む前に、焼けた肌の手に奪われた。
 体の芯が震えた。さっきまで、誰もいなかったはずだ。足音だってしなかった。ここにいるのは私だけのはずだ。

 ――ならば、誰が本を取ったのだろう。

 見上げるのが恐ろしかった。固まったままの私に、頭上から声が落ちてくる。

「どうして転がってるんですか」

 低くて、心地よい男の声だった。

「全く、イヴァンと遊ぶのは結構ですが、床で楽しむことを覚えないで下さい」

 伸ばした手の指をよく見るとおかしかった。綺麗な赤いマニキュアがしてある。私はそんなことをした覚えがない。
 それに、ここはさっきまでいた『塔』じゃなかった。
 床に騎獣に乗った獣人と人魚のタペストリーを敷いていた。兄様に貰った遺品だ。精巧な出来を、褒めていた至極の一品。

 ――待て。兄様?
 誰のことだろう。兄様、兄様。そう、もういない兄様だ。あの男に殺された。醜いあの、男に。

「全く。この本、『女王陛下の悪徳』ですか?」

 大好きな童話の一つだ。けれど、どうしてその本がこんなところにあるのだろう。本棚から落ちたのだろうか。あたりを見渡す。けれど、本棚らしきものは見つからなかった。そもそも、寝台と綺麗なタペストリーしかない部屋だ。机も椅子もない。まるで寝台だけが必要なのだと言わんばかりの部屋。

「こんなの好きでしたか? ……あれ、僕が知っている内容じゃないな。偽物を掴まされましたね」

 偽物? そうなのだろうか。
『女王陛下の悪徳』の偽物?
 それを渡してと手を伸ばす。彼は跪いて、私を覗き込んだ。
 心臓が跳ねる。山羊の顔が、人間の体についていた。
 黙り込んだ私に、不思議そうに山羊頭は首を傾げている。

「ちょっと、どうしたんですか。セックスのし過ぎて脳が溶けてしまったんですかね」
「なっ……」
「えっ、なんで顔を赤くしているんですか! 貴女とあろう人が!」

 私が、なんだって? セックスのし過ぎ?
 意味が分からない。これは私じゃない。誰だ。誰なんだ?

「カルディア姫!」

 弾かれたように顔を上げる。サリーは私を心配そうに見つめていた。どうしてここにと言おうとしてぞっとした。ここは『塔』じゃない。部屋を出て階段を降りていた。私がサリーの元に戻ってきたのだ。

「大丈夫ですか? なんだか、ぼおっとしていらっしゃいましたが」
「え、ええ……」

 腕に鳥肌が立っていた。摩りながら、頷く。
 頭がぼんやりとする。まるでまだ夢を見ているようだ。
 ……さっきのは夢で間違いないよな?

「暑さのせいですか? どこかで涼みますか?」
「い、いいの。でも疲れているのは確かだわ。どこかで休みたい。――あれ?」

 廊下の奥を見知った人間が通り過ぎていく。声を上げる前に、視線が合う。眼鏡の奥の瞳が嬉しそうに細くなった。

「テウ、どうしたの。王宮に何か用なの?」
「お姉さん、やっと見つけた」
「私に用? 何か緊急事態があったの?」
「うん。これ、持ってきた」

 これと言いながら持ち上げたのはバゲットだった。中身を開けると、サンドイッチがつめられていた。ぐうと素直に腹が鳴る。くすくすとテウがそれを笑った。

「よかった。お腹は減っているみたいだ」
「誰に頼まれて来たのよ……」
「それはあとで。ねえ、どこか食べられる場所はない? 王宮はあまりきたことがないから分からない」
「私もそこまで詳しい訳ではないのよね」

 食堂は知っているが、使用人が使う場所だから紛れ込むわけにもいかない。だが、中庭はお茶会の片付けが終わっているか怪しい。誰か使用人を呼んで部屋を用意してもらおうか。そう思っていた時だった。テウの後ろから男が現れた。身長がある、鍛えられた男。顔は神経質そうだ。顔つきがライドル民ではないように見える。異国風の顔立ちだ。

「テウ様、あちらにご準備をしておきました」
「そっか。お姉さん、そういうことらしいよ。ありがとう、ラドゥ」
「いえ。ご案内させていただきます」

 ラドゥ? この男の名前か?
 不思議な響きだ。アルジュナの名前の響きに似ている。ラドゥと口の中で何度も唱える。どうにも聞き覚えがある。
 テウの後ろについて行きながら、記憶を辿る。
 ラドゥという軍人一家があったはずだ。アルジュナの前の代の国王の時代、四番目の美姫を娶り寵愛された一族。
 現当主は子供を四人産み、どれも男の子だったという話だった。
 ちらりとラドゥと言われた男を覗き見る。
 アルジュナっぽいと言われればそれっぽい顔つきだが、判然としない。テウの従者なのだろうが、信用していいものなのか。
 考え込んでいるうちにラドゥが設置したテーブルに案内される。客室のテラスだった。大きな噴水が見える、景観の良い場所だ。
 清潔感のある白のシーツに、瑞々しい向日葵が飾られた花瓶が置かれていた。
 磨きあげられたナイフやフォーク、お皿もある。椅子に腰掛けると、ラドゥが日傘を後ろからさしてくれた。

「アボカドとエビのサンドイッチとカニ味噌をソースに使った山羊肉カツのサンドイッチ。どっちがいい?」
「どっちも美味しそうだけど、お前はどちらがいいと思う?」
「アボカドとエビの方かな」

 オススメされたものを手に取って口の中に運ぶ。
 目元がふにゃふにゃに溶けていきそうになる。本当に美味しい。濃厚なアボカドとぷりっとしたエビの組み合わせがあっている。
 サリーが紅茶をいれてくれた。毒味をしてくれたあと、差し出される。喉に通すと、やっと一息つけた。久しぶりテウの料理を食べた気がする。

「美味しい」
「ならよかった。イルに頼まれて来たんだ。長らく食事を取っていないからって」

 あいつ、そんなことを。サリーに引き継いでからテウのもとに行ってくれたのだろう。感謝するしかない。帰ったらきちんとお礼を言わなくては。

「来てくれてありがとう、テウ。とても助かるわ。迷惑でなかったらいいのだけど」
「ううん、俺も安心した。お姉さんとしばらく会えていなかったのに、連絡がなかったから。カツの方も食べてみて。自信作なんだ」

 もう一つの方もほっぺが落ちるほど美味しい。苦いのに旨味があるカニ味噌とさくさく衣のカツがお互いを引き立てあっている。
 テウ以上の料理人はなかなかいないのではないかと思うほどだ。毎日でも食べたい。

「心配をさせた?」

 口の中のものを呑み込んで、恐々問いかけると苦笑された。

「お姉さんは無茶ばかりするから。……顔色あまり良くないよ」

 机に肘をついて、テウは私を見つめてくる。
 じいっと見つめられると羞恥心が這い上がってくる。口元を隠しながら咀嚼する。なんだか、テウの視線が唇に寄っている気がした。

「そうだ、ラドゥを紹介しないと。俺の執事。アルジュナの人間らしい」

 後ろを振り返ると、苦笑したラドゥが頭を軽く下げる。

「お初にお目にかかります」

 唐突な紹介に戸惑っている様子だ。あまり付き合いが長いようには見えない。テウの出自のことを考えると、貴族に返り咲いたあと、出会ったのだろう。

「不躾な質問なのだけど、お前アルジュナのラドゥ家と何か関わりがある?」

 遠回りしても仕方がないと意を決して問いかける。ラドゥは目を丸くして口元を手で隠した。

「驚きました。ご存知だったとは」
「とても嫌味な男が教えてくれたのを覚えていただけよ。アルジュナのラドゥ家。軍閥の筆頭よね。アルジュナ内での地位も高い」
「お察しの通り、ラドゥ家と少し関わりがございます。とはいえ、現当主が女中に産ませた庶子なのですが」

 うっと言葉につまる。探るつもりが軽はずみな質問でラドゥの心を抉るような質問になっていたのではないだろうか。

「ああ、お気になさらず。当方と致しましては何というか雲を掴むような話でして。母の妄想の話ではないかと思っていた時期もあるのですよ」
「……認知はされなかったの?」
「勿論でございます。母は侍女を解雇され、娼婦に身を落としました。ですのでラドゥという名前だけがかの家とこちらを繋ぐ唯一のもの」

 個人的な事情に踏み込み過ぎた。深く聞き過ぎたことを謝ると、それぐらい警戒心がある方がよいものですと断言された。

「テウ様はあまりにも無防備でいらっしゃる。初めて会った時もろくに素性を聞かれず、驚きました。普通ならば紹介状がなければ危なくて雇えないものです。この方はすぐのたれ死んでしまうのではなかろうかと思いました」

 主人に対して物凄い物言いだが、本人のテウはのほほんと笑っているばかりだ。案外こういう関係だからテウと上手く行くのかもしれない。唯々諾々と従う相手ではテウの面倒は危なっかしくてみていられないだろう。

「ならばテウがのたれ死んでいないことをお前に感謝しなくてはね。……どうやって知り合ったから聞いても?」
「リストという人に紹介されたんだよ」
「リストに?」

 テウとリスト、どこかで接点があっただろうか。そう思っていると、テウが首を振った。

「リスト様じゃなくて、同じ名前の別人。四十代のようなのに、徐々に若返っていった気がする。今思うと清族だったのかもしれないな」
「知り合いではなかったの?」
「うん」

 よくそんな人物から紹介された人間を雇おうと思ったものだ。危機感のなさに呆れる。こんなのんびりとしていて大丈夫なのだろうか。ラドゥの懸念も頷ける。

「わたくしから言うのもどうかとは思いますが、紹介者は歴とした貴族階級の方です。リストというのも彼自身の本当の名前ではありますので」
「国内の貴族の名前はあらかた知っているつもりだけど、リストという名前はいなかったはずよ」
「……他国の貴族の方ですので、覚えがないのも仕方がないことかと」

 そうならば私が知らなくても不思議ではない、か。
 突っかかるものを感じる。だが、その違和感を飲み込むようにサンドイッチを咀嚼した。


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