どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「えい」

 ジョージが指をぱちんと鳴らした。
 すると、饒舌に喋っていたロディアが食べ物を口に詰め込まれたように押し黙る。

「俺でも知っているけれど、あの方は底の見えぬお方では? そもそも、知っていると言う感情自体傲りでは。その身なり、剣奴だろう? 貴人の心は己のものと過信した?」

 投げられる言葉の礫にロディアは目を潤ませ物言いたげに歯軋りした。だが、声は出ないようだ。同じように、体を動かすことも出来ない模様だった。

「さて、俺は小物を相手にしたいわけではない。術にすら対抗できぬものを殺めるのは、清族の名折れだ。よし、進みましょう。この女は見なかった。いいですね、姫」
「えっ……。わ、分かった」

 そそくさとジョージがロディアの横を通り、先へ進もうとした。懐におさまったまま歩いているので、どうにも動き辛い。左右の足を動かして、つんのめりそうになったところをジョージに後ろから腰に手を回され、助けられる。

「気をつけて。ペンギンのように歩かなくては、転んでしまうから」
「……ありがとう」

 どういたしまして。
 ジョージの口がそう動いたときだった。
 ロディアが、ジョージの首筋に食らい付き、噛みちぎった。

「ばーか、ばーか、わたしはギスラン様より、術に対抗する魔石をいただいている」
「っ貴様!」

 顔にジョージの血が飛んできた。目の前が赤くかすむ。出血点を抑えて唸る。だが、血が止まらない。
 気を失って倒れそうになる。ロディアが口から肉片を吐き出した。

「油断した奴が悪い。人の物をとってはならないと教わらなかったのかなあ?」
「ははっ……、犬は犬でも、狂犬か。いや、耳を切り落とされたのか。首輪が外れていると見える。野犬に戻された?」
「忌々しい口、噛みちぎってあげようかあ?」
「出来るのならば」

 どろりとジョージの形がチョコレートのように溶けていく。そして、溶けた泥のような塊が再び立ち上がる何かの形を象る。二足で立っているが、人間ではない何か。
 嘴と羽がついた姿は鳥のように思えるのに、決して鳥ではなかった。醜悪な角のようなものが首と耳のあたりから生えている。それに、目が片目しかない。瞳は大きく、横長で、獣の瞳孔だった。
 だらりと肩に唾液がこぼれてくる。どろりとした粘着質な体液に、震えが走った。

「ジョージ……?」

 正解と言うように、髪を嘴で喰まれる。仕草がミミズクとそっくりで、喉の奥に息がつまった。
 これがギスランが言っていた『乞食の呪い』なのか。

「化け物め」

 ロディアの声を合図に戦闘が始まった。
 懐から、ナイフを取り出したロディアが頭から足までまとめて切り裂くように振りかざした。だが、ジョージは指を鳴らして大きな火の鳥を生み出すと、ロディアを指差して襲わせた。
 ロディアはひとたまりもないと言った様子で逃げ回るが、鳥の隙をつくようにナイフを投擲してくる。無茶苦茶な軌道を描いたのだが、効果があった。毛で覆われたジョージの顔に鈍色の血が溢れたのだ。
 どうやら肌を掠ったらしい。
 ジョージは穢れたものが流れたと言わんばかりに目を細め、威嚇する。ロディアはげらげら笑いながら、火の鳥を殴り飛ばした。

「化け物が人の皮を被るな、烏滸がましい。化け物は化け物らしく、人に倒され滅ぶといいよお」

 鈴の音が鳴る。シャンシャンと高く、耳障りのいい音。風が舞い上がる。美術品がぐらぐらと揺れて、床に落ちた。破片が風に乗って浮き上がった。くるくる渦を巻いて、かけら同士がぶつかっているのか、きぃんと陶器同士が当たる音がしている。
 体が硬直する。頭で、蠢くような何かを感じる。
 何故か朝の陽射しを思い出した。
 誰かが呼んでいる。

 在りし日の川のせせらぎを思い出す。
 牧場の匂い。乳の匂い。花を捧げてくれた、愚直な剣士。また会おうと約束して、彼は身につけた陶器の飾りを打ち付けて音を出した。
 きぃんと音がした。とても、綺麗な音だった。
 あめつちよ、人の世よ、神の名の下、大いに栄えよ、満たされよ。歌うように彼が寿いだ。
 言葉は祝なのだと言う。神がこぼす言葉は人を咲かすのだと。花のように、色鮮やかに、美しいものにさせるのだと。

 ーーああ、だがこれは誰と何の約束だっただろう?

 壁の上から人が落ちる。
 これは儀式なのだ。皆が口にする。これは儀式。罪を浄化するための神聖な行い。
 神よ、人を許したまえ。

 ――白い服を着た男が、飛び降りた。ぐしゃりと生々しい音がした。

 瀆神がばれた。
 花が枯れ、地に疫神が闊歩する。動物達は侵され、死にゆく。だから、人を捧げるのだ。人を、神はなによりも好む。特に女を好んだ。年若き、花も恥じらうような清らかな娘。
 けれど、そうだ。
 誰しも己が育てた娘を生贄にはしたくない。

「――カルディア!」

 腕をぐっとひかれ、現実に戻ってくる。
 意識が連れさらわれていた。見知らぬ場所を懐かしいと思い、見知らぬ言葉に郷愁が高まっていた。ぱちんと膨らんだ思いが弾け、腕の熱に顔が熱くなる。感じたことのある温度だったからだ。

「ハル」

 物陰にひきづりこまれる。
 声と熱だけで誰だか分かった。
 微かに血の臭いがする。
 どこか怪我をしているのかとあちこち触ってみるが、ハルが怪我をした様子ではなかった。ただ、背中にべったりと血が染みている。誰かの血を受けたのだ。
 でも、何故背中に?

「こんなところで何をしてたの?」

 ちらりとロディアとジョージの戦闘に一瞥をくれる。すると、ハルはその視線だけで事情を察したのかはあと長いため息をついた。誤解していてはいけないと、簡単に説明する。
 説明を終えると、ハルは頭が痛そうに頭を抱えた。

「イルは何やってんだよ。ともかく、逃げるよ」
「で、でも……」
「まさか、情が移った? 殺そうとした相手に?」

 吐き捨てるようにハルが詰め寄ってくる。驚いて仰け反ると、逃げられないように顎を掴まれ引き寄せられた。

「どうしてあんたはそう……。俺の時も思ったけど、簡単に情を持たないで。俺自身のときは優越感も抱いたし、心地よかったけれど。他の奴だと、むずむずするし、苛々する」

 それはと流石に黙り込んでしまう。悋気というやつか。ギスランの過激なものとは違う、ちりちりと胸を痛ませる。だが、悪くない心地だ。
 いや待てと頭を振る。冷静になるべきだ。ハルの言うことはもっともだ。
 ジョージは敵で、逃げられるならば逃げるべきだ。

「ハルの言う通りね。……でも、お前こそここで何をしているの? 外で皆が戦っているのは何となく分かっているのだけど」
「俺は避難を。トーマ様が気を失っていて」
「っ、トーマが!?」

 死角になるような壁の隅にトーマが隠すように置かれていた。全身赤黒く、顔はべったりと血で汚れている。鼻で息をすると、ぐわんと頭が揺れそうになる程酷い死臭がした。

「ひ、ひど、酷い怪我をしている……なの?」
「少しね。でも、出血が酷いわけじゃないらしい。術なんだって」
「そうだとしても、早く清族に見せないと」

 いっそのこと、ジョージが見てくれないだろうか。そうすれば、今回のことは不問に付していい。カリオストロはどの道、ノアの手によって壊滅に追い込まれる。ならば、ジョージだって生き残る道を選んだ方が賢明なのではないか。
 彼の意思を無視した意見なのは分かっている。ジョージはそんなことを望んでいないことも。だが、それ以外に道があるのか?
 争い続けて、何の意味があるのだろう。ジョージは私に明確な殺意があるわけではないのに。

「もうリュウがみてる。命に別状はないって。巻き込まれる方が大変だから、運んでる」
「ハルの背中の血はじゃあトーマの」
「そうだよ。あんたも来て。危険がないところに移動しよう」
「どこに行くってんです?」

 後ろからまろやかな声がした。一瞬、ジョージの声とは分からず、無視しようとしてしまった。

「酷いな、姫は。他の男が来たらそちらに夢中に?」

 振り返って、すぐさまハルが私の頭を抱え逸らしてくれた。そうしてくれなければ、悲鳴を上げていたかもしれない。ジョージはいつの間には人の姿に戻っていた。だが、戻った姿が問題だ。裸だった。

「な、なななっ、なんて格好をしているの!」
「仕方がないでしょう。服は溶けてしまうのだから。それよりも、どこに? 俺とともに秘密を暴きに行くはずでは?」
「残念だけど、それはない」
「困ったなあ」

 床にロディアが投げられた。げほげほと咳をして、起き上がるのも辛そうだ。
 手助けしたいが、ハルがギチギチと音を立てそうなほど私を抱き締めて離さなかった。

「……カルディア、行こう」
「でも、ロディアは」
「っるさい! いいからさっさと行けっつうの。人がせっかく人身御供になろうとしてんの分かんないかなあ?! この淫乱女!」
「なっ! さっきから、お前何なのよ、本当に!」

 罵倒される言われはないと目を吊り上げると、ロディアは泡を飛ばして私を罵った。

「ギスラン様はお前の為に糞みたいな女どもの機嫌を取ってたんだぞ? なのにお前は男と見れば尻尾を振る尻軽女。好意を悪意で返しやがって、本当にありえない!」

 頬を思いっきり叩かれたような気分だった。
 尻軽なんかじゃないと怒鳴り返してやりたい。何故お前にそんなことを言われなくてはならないのか。
 人を批判できるほど優秀なのか?
 ギスランを知っている? 
 私とあいつの関係を覗き見でもしていたというのか。
 そもそも、ギスランのことを引き合いに出しているが、本当はただ私が憎いだけだ。何か理由をつけて、私を罵倒して、鼻っ柱をへし折りたいだけ。自尊心を無茶苦茶にして悦に入りたいだけ。
 それなのに言い返せなかった。
 ロディアが泣いていたからだ。

「それなのに、この惨めさ! ギスラン様に歯牙にもかけられないわたしの気持ちが分かる!? 香水が嫌いだと聞いたから臭いを消した。化粧が嫌いだと聞いたから何一つ顔に塗っていない。それなのに、視線すらない。心が刻まれるよう。わたしは女ではなかった。色香だけが取り柄の女になればよかったの?」

 こんなに直接、ギスランへの気持ちをぶつけてくるのはサラザーヌ公爵令嬢ぐらいのものだった。
 嫉妬と苛立ちの間のような怒鳴り声。一途さにくらくらと目眩が起こる。私を責めるのはお門違いだと知りながらも、責めずにはいられないのだ。

「早く逃げなよ。走って、走って、ギスラン様に泣きつくといい。女らしく媚びてみればいい」

 心底軽蔑すると言いたげな声を聞いたまま、ハルの体の強さに引き摺られ、じわじわと後退していく。
 言い返さなくてはならないと自尊心が悲鳴を上げている。
 この女は、ギスランに相手にされなかった。
 サラザーヌ公爵令嬢と同じだ。私に優越感を抱かせる存在。この女が傷つく言葉が無数に浮かんだ。いくつも言葉を投げつけて、心を血塗れにしてやりたいと思った。醜い思いだ。お互いに、泥を塗り合うように汚れた感情が交錯している。

「ああ、わたしも女になりたかった……!」

 もう駄目だと言ってハルがトーマを抱え上げ、私までも肩に巻きつかせ走りはじめた。
 ジョージは楽しそうに高笑いをした。狂ったように笑っている。
 逃げ去る私の耳に、なにかを砕く音が届いた。

「聞くな!」

 ハルが怒鳴りつける。
 あれは、骨が折れた音だ。



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