どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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 空に魚が浮かんでいる。
 比喩でも何でもなく、本当に空を飛ぶ鱗を纏ったものが見える。雲だと自分を誤魔化すには、流石に量が多すぎた。
 何匹も、まるで死に神と会う前に見た水の中のような光景だ。
 ジョージが立ち止まり、私を振り返った。
 魚、魚、魚。どうして、空の上を飛んでいるのだろう。まるで、世界の終わりみたいだった。
 つい、口が滑りジョージに話しかけてしまう。

「……ねえ、あの魚を見てお腹は空かない? 清族って、大食漢が多いときいたの」

 トーマは魚を本当に食べていた。学校の上にいる魚は不気味だ。一匹ぐらい食べて片付けてくれないだろうか。
 無視すればいいものを、ジョージは律儀に言葉を返してきた。

「あれを見ながら言うのは勇気があるな」
「……もしかして、あれもカリオストロの信者達なの?」

 ならば、人なのか。軽口を今更ながら後悔する。人が魚に変化している。
 魚の一つが、落ちていく。花びらのように、簡単に。
 地面に何かが落ちた衝撃は感じなかった。

「いえ、あれはカリオストロの信者ではない。けれど、人ではありますよ」

 ジョージは指先で魚達がいる空をなぞった。
 手をひかれたときにも思ったが、皮と骨だけの砕けてしまいそうな指だ。

「東洋には、輪廻という概念があるのはご存知でしょうか。六道輪廻。魂は流転し、六つの道の一つに辿り着くという。この道というのは世界とも、境遇とも言われている。我が国に置き換えれば階級でしょうか? 六つのうち優劣が決まっており、徳を積むと来世、素晴らしい世界に身を置けるとか」
「……? 天国や地獄はないの?」
「あるよ。だが、天国も地獄も六のうちの一つとされている。比較的ましな三つの道のうちの一つが天道、天国。三つが唾棄すべき悪所の最下層が地獄。人は六ヶ所を立場を変えながらぐるぐる回るだけ」
「最期の審判は?ずっと、ぐるぐると回るだけではないでしょう?」
「いいえ、ありませんよ。ただ、前世の悪行を今世で償い、来世に期待を寄せるだけです」

 私達が来世と口にするとき、それは審判が下されたあとを指す場合が多い。天国と地獄に振り分けられ、かたや健やかな安寧を、かたや永劫の苦しみを味わっているときだ。
 だが、彼らの宗教はそんな永遠すらないのか。日々努力を繰り返し、何度も訪れる苦難の繰り返しを行うのか。

「彼らはそんな繰り返しの救いのない日々に、光明を見出します。何だが、分かる?」
「分からない……。死んでも次が来る。それは救いのようでいて、酷い罰のようだわ」
「六道輪廻から抜け出すこと。彼らは解脱と呼ぶ。六つの世界、どれからも外れた境地に辿り着くことです」
「どこからも外れた……境地」
「ええ、幸せになることも、不幸せになることも、一切の煩悩を払い、執着を捨て、愛も、友情も浄化し無に達する」

 えっと声を上げる。
 徳を積むことではないのか。善行を成すことではない?
 感情を忘れ、何も考えないことが救いか。人間らしさを失くした、恐ろしい存在になることが?
 ジョージの視線が魚達に戻る。

「魚達はある男の手によって人間という皮を脱いであそこにいる。強制させるわけではありません。ただ、救いの手を差し伸べ、手に取ったものがあれになる」

 どうして、そんなことを。
 人間をやめて、人道の外へと飛び出す。それが救いだというのは虚しいことだと思う。

「魚の姿になれば人間だった時の苦悩や快楽はあの状態だと抑制されるらしい。記憶が薄れ、自らをほんとうの魚のように思うのだとも。頑張っても報われぬ。徳を積もうとしても世は無情だ。豊かなものが、より豊かに富むだけ。恩恵は巡ってなど来ないのですよ。ならば、魚に変ずるのもまた一興です」

 まるでそれがいいことのようにジョージは続けた。

「彼らの考えが正しいとは思わないが、間違っていると断ずることも出来ません。六道輪廻がないと、死んだこともない俺が断言できないように、彼らは魚になりたくてなっているのです。感情は剣であり、弓だ。人に傷を負わせる武器だ。心など無い方がいいと思うことは罪ではない」
「でも、魚になることで解脱にはならないのではないの」
「ええ、解脱ではありません。ただ、あちらには『夢応の鱗魚』という話があるそうで。不可思議な小話です。ある坊主が危篤状態になり、弟子達は皆慌てました。幸い、助かったが、坊主は豪農の元へと赴き、皆で魚をさばこうとしていただろうと言い当てた。どうしてと、皆が問うと坊主はその魚こそが自分だったのだと言いました」
「えっ、魚となり、さばかれようとしていたから、危篤状態に?」
「そう。まあ、なのでどんな命であっても殺生は控えるべきという教訓なんだとか。そういう話を聞くと、どうして彼らが魚の姿をとるのか、なんとなく腑に落ちる気がする」

 腑に落ちるだろうか。
 わからないと顔に書いてあったのだろう。ジョージは堪え切れないと言うように苦笑した。

「誰しも、殺すよりも、殺される方にまわりたいもの。正当防衛を主張したいものだ。夢応の鱗魚に出てくる坊主はやり返さなかったが、殺されそうになったのだから、やり返したのだと殺しても文句は言えないはずだ。魚とはいえ、自分をさばこうとしたのだから」

 くすくすと陰鬱な笑い声を上げた。

「案外、あの魚になっている連中は皆、人を何らかの形で殺したことがあるのかもしれませんよ」

 まあ、ただの妄想ですがと捨て置いてジョージが再び私の手を引いて歩き始めた。

「ねえ、本当はお前、何か理由があってカリオストロにいるのではないの」
「……どうしてですか」

 何かがあるというわけではない。ジョージはそう言わなかったし、何かを感じ取ったわけでもない。ただ、そうであればいいなという願望があったのだ。それに、この男が握る手から、少しでも意識を遠ざけたかった。

「その……。なんとなくよ。ただ、お前は元々、こういうことをする人間ではないのではと思って」
「何か誤解しているようだけど、カリオストロは表立って行動したことは殆どない。派閥があり、過激派もいるが、本来の成り立ちは生まれつき異形の定めを押し付けられたもの達のコミュニティだ」
「戦闘を繰り返すような集団じゃないの?」
「当たり前。でも、穏健派を一掃したのはそっちで……ああ、もう! 俺だとて、こんなことやりたくはないですよ。だが、中立だと傍観も難しかった。姫がこの学校に来たからです。出入りが制限されているため、刺客として俺が選出された」

 ジョージは選ばれたのか。だから、決がと言っていた。彼自身はやはり、この騒動に懐疑的なのだ。敵討ちはしたいが、こんなことで何になるのかという諦観があるのだろう。
 そもそも、ジョージが私を殺せたとしてどうするつもりなのか。彼は護衛を殺さなかった。顔を見られた可能性や術の形跡を残した可能性があるにも関わらずだ。

「俺はこれでも、非情な男なのですよ。罪人達にメスを入れ、弄くり回す。けれど、けれどだ。罪なき人々を玩弄するような真似は決してしたことがない。何十、何百と人を殺した主犯のみを苦痛のある方法で実験動物にしてきた。してきたはずだった」
「お前は」
「ええ、それも傲然とした主張だと言われればその通りだ。自己満足の偽善者。結局はただの研究狂い。そうだとも、でもなあ、血溜まりを見たいとも、屍を踏み越えたいとも思ったことは一度もない」

 やはりなのか。
 この男は、どの道死ぬと分かっている。私を殺せても、殺せなくても、死ぬと知っている。
 握る手が汗ばみ、滑りそうになる。回廊にある美術品達はいつもと同じ麗しさで楽しませてくれるのに、心が一つも動かされない。まるで凍ったように、冷ややかな痛みがあった。

「……さて、聞きたいことは聞けた? それとも、幻滅した? まあ、どちらでも構わないんですけどね。どう思われようが関係ない」
「……私はさっきから、間違ったことばかりお前にしているわね。ごめんなさい。無神経に質問なんかするべきではなかった」
「どうして? 謝る必要はない。答えたのは俺だから。俺が、答えたいと思ったんですから」
「でも……。お前にそういう顔をさせたくなかった」
「どんな顔?」

 そう言いながら、ジョージは無理矢理笑ってみせた。
 こちらまで顔が歪む。この男に少しだけ情を傾けそうになっている。そして、おそらく、ジョージも同じだ。

「……ああ、言わなくてもいい。俺も、姫にそんな顔をさせたかったわけでは。ままならないね。このようなことにならなければ会うこともなかっただろうに」
「そう、ね」
「案内して。どっちに行けばいい?」

 案内してと言う癖に、ジョージは私を見なかった。切なく、やるせない。
 どんなに言葉を重ねても彼は敵でしかない。


 長らく続いた意味のない言葉の応酬は呆気ない幕引きを迎えた。
 女が立っていた。回廊の奥、隠れるように。
 不思議な女だった。目立たないのに、目を惹く、凛とした佇まい。
 貧民だと遅れて気がつく。なぜ、こんなところにいるのだろう。
 ジョージの手は少しだけ震えていた。彼が気がつき、手を離すまでしっかりと恐怖が伝わって来た。

「――カルディア姫」

 恐ろしいことに、女は私をきっと殺気が篭った眼差しで睨みつけた。

「本来ならば、この姿、見せることさえ許されぬ身ですが平にご容赦を。緊急事態につき、加勢します」

 慇懃無礼な態度で私にお辞儀をすると、ジョージに視線を移した。
 私は憎まれているようだった。だが、なぜか私を殺すつもりではないようだ。

「どこの飼い犬だか知らないけど、邪魔をするならば容赦はしない」

 硬質な声を落としながら、ジョージが私を腕の中に捕らえる。

「淫売め」

 低い、掠れるような声が女の口から溢れた。
 明らかに私に向けての言葉だった。

「いっそここで殺したいですが、我が主は貴女様に骨抜きにされているので口惜しいです。いや、本当にいつか殺す」
「……俺よりも殺意が高い。今からでも立場を帰 変える?」
「………………いえ。本当は大きく頷きたいところですが」
「正直過ぎる! どうせ、お前、ギスランのところの者でしょう!? お前みたいな凄い奴もいるのね!」
「ギスラン様と呼べこの淫婦めっ……」

 あたりがきつ過ぎる。こいつに何かした記憶はないのだが。
 いや、ギスランのところのものということはあいつに絶対服従しているわけで。そういうことを考えるとギスランを眠らせ、痛めつけた私を憎む気持ちも分からなくはないか。

「……ん? ちょっと待って。そういえばお前の顔、何処かで見覚えがあるわ。昔、私にどうやってギスランに取り入ったのかと執拗に尋ねて来たわよね?」
「ちっ……覚えていましたか。イルの予想通りで苛々するわあ」

 入学当初。使用人と令嬢達の区別が希薄だった頃のことだ。こいつが恐々と紅茶を口に含む私の前に現れて高速でそう捲し立てていった。目を白黒させているうちに消えてしまったので、思い出すまでに時間がかかってしまった。

「わたしの名はロディア。ギスラン様の忠実な僕にして、第一の腹心にして、ライドル一、ギスラン様の御心に意識を傾けるもの。つまりは姫よりギスラン様を知るもの。お分りですか?」

 ……いやほんとに何なんだろう、こいつ。



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