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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食
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しおりを挟む肺に満ちるような緊張を飲み込み、震える唇を噛む。
この男が何もかも知っているとは限らない。下手に言葉を漏らすと不都合なことになるかもしれなかった。けれど、男は試すような視線を向けたまま艶かしく首を傾ける。
「どうしたのかな。饒舌さが嘘のように消えてしまった」
「……あの研究の成果をどうしようとしているの」
「公表するんだよ。分からないかな。幸い、俺達は『聖塔』に顔が利く。知っている? 地下新聞を刷っているんですよ。何百、何千。人が目を通すことになる」
そんなことをされたら、どうなるのかすら分からない。
少なくとも、ヴィクターの研究が広く知れ渡ればカルディア教から非難が上がるだろう。
人を蘇えらせる。それは神の業であり、来るべき審判の日にしか行われない。
国王の退位すら検討に入る。カルディア教は国教であり、生活の基盤だ。
ライドルに住む者の習慣に深く根付いており、階級だってカルディア教が広く広まっているからこそ続いていると言っても過言ではない。
宗教は文化になり、人々生活に溶け込んでいる。無意識に祈りを捧げ、困ったときに女神に縋る。
国王より女神の方が身近なのだ。
その女神を軽んじる行為を国王が行なっている。それは許されることではない。
権力は濁り、腐敗する。聖職者達が私利私欲に塗れるのは当然だ。権力者が今の力を保ち続けたいと思うのも必然。王とて、邪魔ならば排除したいと考える。だからこそ、彼らは追及の手を緩めないだろう。
浅く考えても、王政が滞ることが察せられる。
実際に行われれば、王家の危機に直面するかもしれなかった。
「私に、国家転覆の片棒を担がせようと?」
「傲慢な意見だ。王族は国じゃない。王族がいなくなっても、少し混乱するだけだよ」
「それは……そうなのかもしれないけれど」
それでも、王族達――レオン兄様達が窮地に陥るのは目に見えるようだった。
この男は、そのことを分かって教えろと言っている。決断しなければここで殺すと目が訴えていた。
「――分かった、教えるわ。そのかわり、案内をさせて。教えたらすぐに殺されたくはないもの」
「いいよ。では姫、案内を」
案内したあと、殺すとはジョージは言わなかった。だが、十中八九殺される。そのことをお互いに理解していて、そのうえで彼は私がどう出るのかを興味深そうに眺めている。まるで、実験でもされているような気分だ。
頼りのイルはいない。テウは貴族とは名ばかりの料理人。ジョージは明らかに清族だし、相手をさせるならば、トーマだろう。ならば、清族の棟に行かなくては。
壊された扉から外に出る。後ろから見定めるようにジョージがついてくる。
廊下で護衛役がのびていた。慌てて駆け寄り、息を確かめる。
幸い、ジョージの言葉通り、眠らされているだけらしい。健やかな寝息が聞こえる。
息がしやすいように、体勢を整えてやる。
不意をつかれて、術で眠ってしまったのだろう。
ギスランにあまり酷く叱られないといいけれど。
顔にかかった髪を後ろによけてやる。
ジョージは息を飲んだようだった。何か信じられないものを見るような目つきで私を見下ろす。
ついた膝を浮かせ、彼と目線を合わせた。
視線はすぐに背けられた。
こっちよと清族の棟の方へと足を向けた。
ぴりと背中に緊張が走る。
「な、なに……?」
聖堂の方から微かに音楽の音が聴こえている。もう、演奏会は始まっているようだ。
だが、それを打ち消すほどの壮絶な音が聞こえる。何かが飛び交うような、うめき声のような、恐ろしい戦禍の音。
それに外が夜だというのに明るい。警邏にしては、灯の数が驚くほど多い。外で何かが起こっている。
「知らないのか。今日、俺達が攻め居る予定だったんだ。俺も、その一つ。身体を賭けた戦いを挑んでいる最中なんですよ」
「この学校を攻め込んでいるの?!」
「この学校には国中の良家子息令嬢が揃っているんだよ。狙われるのは当然では?」
そうだ、彼は議会で決がとられたと言っていた。それは私を殺すことを含めた、この学校に攻め入る決だったのだろう。
ノアの粛清はそれほど彼らを追い詰めた。
惨たらしく仲間を殺された。ならば凄惨な幕引きをと彼らは考えたのでは。
「……姫は何度も命を狙われているでしょう。今回も、姫が狙いだ。命を狙われてどう思っているか、訊いても?」
「どうって……。意味が分からないわ」
「姫が狙われるのは、厄介な存在だからだ。妾の子で、女神カルディアの名を持つ。しかも、王は姫が産まれる前、とち狂った法を出した。産まれて来たのが男ならば、王位をその子に譲ると。王立院はそれを暴挙として頑なに認めなかった。だが、女として産まれていなければ、どうなっていたことか」
「……久しぶりに私のことを妾の子と言われたわ。何だが、そうやって言われると妙な気分」
列挙された全部が、産まれる前から決まっていたことだからだろうか。
いや、名前だけは違ったか。産まれ落ちてすぐ、イーストンの聖廟で神託が降り早馬で知らされたと聞いている。なんとも仰々しいことだが、伝え聞いた話なので実感はない。
「妙、とは?」
「どうして王族の末席を汚しているのかと。姫なんて、名乗れるものなのかどうか。……いえ、こう口にしていても、権力や姫という身分に抗い難い魅力を感じるの。強く、惹かれる」
はっとジョージは笑い飛ばした。
「それはつまり、妾の子だけど、姫という立場は心地よくて手放したくない! って話ですか」
「簡単に言ってしまうとそうね。私、人に見下されるより、見下す方が好きだから」
「明け透けですね」
「そうね。だから、狙われるのは当然なのよ。それでも生きたいと思っている。死にたくない。だって、痛いのは嫌だもの」
たとえ、どんなに惨めな思いをしようとも生きたいとそう願っている。
「……それは、そうですね。痛いのは、苦しいのは、嫌だ」
「そう訊くお前こそ、どんな気持ちなの。殺す人間にそんなことを聞いて」
意地悪な気持ちで訊いてみた。意趣返しのつもりだった。
けれど、思った以上にジョージは狼狽えて、目を彷徨わせる。えっとこちらまで戸惑ってしまう。
「いや……なんというか。王族と喋ったことがなかったので。実は感情が希薄な人非人の類だとばかり思っていて。それに、貴女は傲慢だと噂だったから」
「……かなり失礼ね。まあ、傲慢なのは合っているけれど。それで、人間には見える?」
「花の精のように見える。清らかな花の香りがするから、困る。どうしてなんです? 人をいたぶって、血の臭いでも纏っていればよかったのに」
「そんなことを言われても……。ここから、中庭が近いからでしょう。血の臭いを覆い隠してくれているだけ」
すんすんと鼻を鳴らすが花の匂いはしない。
からかわれたのかと思い、横目でジョージを覗き見る。彼は強張った顔をして、下唇を噛んでいた。
まだ言い足りなかったが、口を閉ざす。こいつが気安く話しかけてくるものだから答えていたが、これ以上の会話はお互いに良くない。
殺しに来るやつの大体は話など聞いてくれない。ジョージだって、最初はそうだった。有無を言わせず襲いかかってきた。
だが、私がこいつを動揺させ、拷問させてしまった。
いつの間にかジョージのことが恐ろしくなくなっていた。気安さを覚えるくらいには、人がいい反応を見せるからだ。どうして動揺するのだろう。少しぐらい悪役の顔を保っていられないのか。
「……いこうか」
指を優しく握られ、前を歩かれる。
ああと、頭を抱えたくなる。どうしてそんなことをするのか。
案内という体裁はどこに消えたの。
勝手に連れて行かないで欲しい。
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