どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第三章 嫌われた王子様と呪われた乞食

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「自己紹介がまだだったね。僕は道鏡。極東の地にて、経を読み、人々を導く焔たる役目をしている神様だよ」
「ドーキョー。言いづらいったらないねえ。それで、その極東の田舎者が、この王都に何用なわけ? 『カリオストロ』に司祭はいるけど、こんな頭のネジが足りない奴、幹部にはしないでしょ」
「そもそも、『カリオストロ』に自分は神だって言うやばい奴いるわけない。あそこは腐っても女神排斥派。神殺しを行おうという思想があるだろ」

 イルは跳躍し、頭上の魚達の背びれを掴む。
 チョウチンアンコウのように目の前に触覚をぶら下げた魚がいた。触覚の先端には、ぶらんぶらんと少女の死体がぶら下がっていた。
 頭にいくつも顔が浮かび上がった醜悪な顔つきをした魚もいる。
 他にも、奇怪で、見るに耐えない醜悪な姿をした魚達の集まりだ。
 頭を振られ、叩き落される。上手く体を捻り、衝撃を逃す。手には引っぺがした鱗。やはり、魚なのは間違いない。

「酷いなあ。僕と彼らの利害は一致してる。だから、組んでいるだけだよ」
「……利害関係で、ね」

 国教であるカルディア教を廃し、自分の教えを植え付けようという考えなのだろう。ちゃちな考えだが、ひりりと背がひりつく。カルディア教は階級と結びついている。だが、彼らはどうだろう。階級があるのか。
 ライドルのように厳格に?
 あるかもしれない。だが、ないかもしれない。その希望が人々の心に入り込み、種を植え付ける。天国への招待状の変わりに、あくせく働き、女神に祈る。階級を尊び、罪を犯さず清貧でいる。
 厳しい現に、甘い蜜を与えられたらどうなるか。分からないわけではなかった。外の知識は毒になる。

「ここをおさえて、あの男の子を殺せばライドルの土地半分僕のものにしていいって言われてるんだ」

 勝手に土地の権利を譲るな。流石に憤りを覚える。愛国心はないが、統治する人間に愛着はある。こんな意味のわからない男に主導権を握らせるものか。
 こいつは『カリオストロ』と利害が一致する信仰宗教の教祖。
 どうしてこんな面倒な男を仲間に引き入れたのか。『カリオストロ』は人手不足なのやもしれない。
 人が良さそうな顔をしているから余計にむかっ腹が立つ。

「勝手にライドルを手中に治めるな。全部、サガル様のものだってばぁ」
「いや、何言ってるの? ギスラン様の土地もあるから。勝手にとって領土を主張しないでくれる?」
「はあ? 何言ってるの? サガル様は王族だよ?」
「そっちこそ、何言ってんだよ。王族といえども出来ないことがある。ギスラン様のものを取ることがその一つ」
「二人とも喧嘩し始めるなよ! 今どういう場面か分かってる?!」

 ふいと顔を背ける。
 ハルには悪いが、主人のこととなるとむきになるのが従者というものだ。
 しかし、『カリオストロ』の事実上のトップはサンジェルマンだと思っていたが、違うのだろうか。
 交渉が出来るぐらいには上はまとまっているのか。
 あるいはノアの攻撃によって幹部が死んでいって、独断でこの道鏡と組んでる男がいる?
 知りたいことが山ほどあるが、体に聞いて教えて貰えるかどうか。拷問がきくとはとても思えない。
 致命傷を与えても、平然としているのだ。
 身体中から油のつんとした臭いがする。さっき降り注いだ油のせいで、足を踏み外しそうになる。

「……取り敢えず領土の割り振りはあとで決めようねえ」
「ふざけたこと言ってるとまじでここでぶっ殺すよ」
「本当ナイフ取り出したりすんなって! 敵! 目の前に敵がいるの見えてる?」
「その敵の名前、リュウだよね?」
「違うって。二人そんなに仲悪かった?」

 本気でおろおろし始めたハルが可哀想なので、私怨は一旦、打ち切る。
 サガル陣営に対する恨みは深い。ギスランを殺しかけた罪は銃で頭を百回撃たれなければ晴れないが、堪える。流石に今が復讐の時とは思わないからだ。

「取り敢えず、俺はトーマ様の護衛にまわる。リュウ、これ乾かしてよ」
「はあ? ……ちっ、あとで金請求するからね」

 瞬きの間にとはいかないものの、十秒後にはイルの油まみれの服は乾いていた。乾いたといっても、まだ油の臭いがする。火をつければよく燃えるだろう。だが、ぐっしょりと濡れているよりは格段に動きやすくなった。

「ええー。眼鏡君は僕の相手してくれないの?」
「貴方はあんま強くないのに余裕あるよね。……何か狙ってる?」

 さっきから直接的な攻撃はない。
 イルから見ても、戦闘で強いという人物じゃない。搦め手を使う、扱いにくいタイプだ。

「どうだろう。でも、僕はただここであの子を倒せとしか言われてないからなあ」

 相変わらず穏やかな表情を湛えたまま男が断言した。

「イル! 来ますわよ!」

 ヴィクターの声が響く。空から大きな魚が、トーマ目掛けて落ちてきた。

「万物斉同。道は屎尿にあり。天倪を用意しても無意味だよ。人は等しく天の前に無力だ」

 トーマが生み出している球体にぶつかる。破片が飛び散り、トーマの体が吹き飛んだ。腹に穴が空いている。どくどくと血がこぼれだす。

「不味いですわ、このままではトーマは出血死してしまいます」
「はい?! どういうことですか、ヴィクター様!」

 追撃しようとする魚を追い払い、見ているだけのヴィクターに聞き返す。

「トーマはあの球体の中でないと術が発動しませんの。肉袋に傷を移すことも出来ません」
「イル、正面に敵が流れ込んでる! 応戦してるけど、このままじゃ……」
「あぁ、もう! トーマ様、死なないで下さいよ。この魚は俺が駆除しますから」

 トーマからの返事はなかった。喘声が聞こえる。もしかしたら、トーマはもたないかもしれない。

 飛び出しながら、ヴィクターに話しかける。トーマの代わりは出来るかと。
 冷たい静寂のあと、ヴィクターは悲しげな声で断言する。
 トーマの代わりは誰にも出来ない。


 イルが殺した魚は小さな男の子になった。黒い羽織に、灰色をしたズボン。足は白い靴のようなものを履いていた。事切れた姿は同情を誘うぐらいに哀れだった。
 一匹倒すだけでも、息が切れる。肌の下の血管が膨れ、毛穴から汗が噴き出す。硬く、大きい。人間相手とはわけが違う。
 熊や巨大な魔獣を相手にしている感覚が似ている。一筋縄にはいかない。

「トーマ様、やりましたよ」
「っ! っーー!うっせえ。こっちは……っ、腹に穴あいてんだぞ。くそがっ」

 呻きながらも、トーマは立ち上がり球体を作り出した。襲いかかってくる魚達はイルが追い払う。想定通り、道鏡は積極的に攻撃を仕掛けてこない。空を泳ぐ魚達に指示を出しているだけだ。
 ハルは肉袋を守っている。幸い、敵は肉袋を狙ってくる様子がなかった。

 ――何かがおかしい。

 汗を拭いながら、空を見上げる。一斉に攻撃しないのは何故だ。物量で押せば、この人数だ、制圧は容易いはず。
 道鏡は時間を稼いでいるのか。トーマを殺すことが目的ではない?
 とんでもなく馬鹿なことをしている気分だ。
 トーマの球体が割れる。元どおりのトーマが姿を現わす。痛みを誤魔化すためにまた薬を服用している。
 加減され、弄ばれていると感じる。落ち着かせるために眼鏡を上げた。
 そのときに気が付いた。

 ――カルディアの姿をまだ見ていない。

 聖堂に向かったはずだ。サリーだって付いている。問題はないはずだ。
 自分を納得させようとするが無理だ。焦燥感が拭えない。時間稼ぎのために、児戯のような遊びを繰り返している。

「眼鏡君。大当たり」

 首筋にぴたりと指が張り付く。
 顔を傾けると道鏡がイルを覗き込んでいた。
 いつの間にと払いのけようとしたが、体が動かない。

「大切な大切なお姫様。君には救えないよ」

 目の前が暗くなる。体の感覚もない。
 踠いたら足元から落下していく。自分の体の輪郭も分からない。
 道鏡の声だけが響く。優しく、包み込むような慈愛の声。蕩かされていきそうな愉悦を感じる。

「煩悩無量誓願断。この本質は貪欲、瞋恚、愚痴、三毒を断ち切ることにあり。執着は心の垢。功徳を積み、四方を照らすべきである。我ら未だ涅槃には至らず、解脱も出来ず。故にただ一心に祈るのみ」

 命よりも大切な眼鏡の重みが消えた。

「俗世を離れ、蓮の花へと戻ろうか。慈愛で包もう。苦も楽も、人の身には余りある。一時の午睡だと受け入れて」

 眼鏡を探したいのに、指一つ動かない。ギスランに貰った大切なもの。肌身離さず持ち歩いている。それが、今、どこかにいってしまいそうなのに、男の声ばかり傾聴してしまう。

「ほら、僕に見せてごらん。本当の君を」
  
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