どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 サガルの帰りは遅かった。
 寝台に凭れながら、コルセットの締め付けに慣れてきた頃、酒の臭いを漂わせながら、部屋に入ってきた。
 リュウはすぐに水瓶から水を運んできた。

「いらないよぉ……」

 舌ったらずに拒否して、出て行けと手を振る。リュウは私に水が入ったコップを押し付けると、命令通りに退出してしまった。
 ぐったりと床に突っ伏し、もぞもぞと動く姿は知っているサガルの姿とはかけ離れていた。
 髪は乱れ、スーツに皺が寄っている。顔は赤らんで、酒飲みらしくふやけていた。
 それでも見惚れてしまうほど美しくて、魅入ってしまう。
 ゆっくりと睫毛にかかる髪を払う。蕩けた瞳が焦点が合わないまま見つめていた。
 ふいにサガルが何かを言った。唇に視線を向けて、恥ずかしさに蹲りたくなる。
 この唇と私は重なったのだ。
 しっとりとした味わいを思い出してしまう。甘い唇に吐息ごと呑まれた。
 いけないことだ。許されないことだ。
 サガルの肩を揺する。手を添えて、顔を上げさせる。

「サガル。せめて寝台の上で寝て」
「カルディアだあ……。ねえ、ぼく、もううごけないよ」
「飲み過ぎよ。どれくらい飲んだの?」

 お酒はそれほど弱くなかったはずなのにべろべろに酔っている。

「ラム酒を二十杯のんだだけだよ……おいしかったなあ」
「二十も飲んだの!? どうしてそんなことしちゃったのよ」
「あはは」

 笑って誤魔化すつもりなのか、サガルはそれ以降、何も言わずに寝てしまった。リュウは呼んでも来ない。仕方がないので私が寝台まで運び、介抱した。
 それから数日間、サガルは同じ失態を繰り返した。浴びるように酒を飲んで帰ってくる。正気をなくし、逃げるように寝て、私が起きる前に部屋から出て行く。
 相変わらず部屋からは一歩も出られない。
 正気がじりじりと削られていくようだった。
 だが、私と比例するように、サガルも正気をなくし、酒に耽溺していく。室内にはいつも酒の臭いが充満し、香水を振りまいてもすぐに臭いが戻ってしまう。
 この日、サガルはいつもよりも酔って帰ってきた。赤らんだ目元で、ゆらゆらと足どり悪く寝台に倒れこむ。
 上向きで寝転びシャツのボタンを上から順に開けて、脱いでしまった。シャツを拾おうとしたところ、ぐっと腕を取られ、ひきづりこまれる。

「悪夢ばかりが続いて困る」

 滑舌はしっかりとしていたが、酒臭いがきつい。脂ぎった不快な臭いだった。張り付くように熱い腕にがっしりと掴まれ身動きが取れなくなる。サガルの胸板に手をつく。
 首元を中心に赤い跡が残っていた。さきほどつけられたばかりなのか、色濃く、指で擦っても消える様子はない。

「サガル、どうして……性行為を続けるの? やらなくてもいいでしょう」

 酔眼が向けられる。
 ゆっくりと桃色にほころんだ唇が動いた。

「僕のお仕事だから」
「仕事……? サガルの仕事は社交でしょう?」
「だから、社交をしているんだよ」

 それでは性行為が社交ということになってしまう。
 本来ならば、サガルは政治的な課題に頭を悩ませる立場だ。だが、政治も言ってしまえば社交だ。上の階級で方向性を決め、清族達や役人が中身を詰めて、この国の政治はなりたっている。

「社交はつまり、人気取りのゲームなんだよ。僕はこの体で男も女も籠絡してしまえる」
「サガルならば、見ただけで人を従わせられるでしょう?」
「それだけでは満足しない奴らも多い。欲深い奴らが多いんだ。僕達の元である男神がそうだったのかもしれない。独占して、唯一だと言わせたがる」

 サガルを独占したい。独り占めしたい。その感情はよく分かるような気がした。誰の目にも触れさせないところに隠して、自分だけが覗ける穴に潜んでいて欲しい。
 サガルは目を惹く美しい容姿を持っている。美しいという理由だけで執着されるのは、恐ろしいがあり得る話だった。

「この世で最も強い感情を知っている? カルディア」
「怒りかしら」

 苛烈で、激しく、止めることが出来ない感情だ。私も抱いたことがあり、決して抑えきれない。

「――性欲だよ」

 サガルの目の色が変わった。

「どんな生物にだって存在する悍ましい欲求は、人間が名前をつけた言葉の中で最も激しいものだよ」
「私は、分からない」
「そうか。まだ、処女だものね、お前は」

 かっと怒りのような羞恥で真っ赤になる。サガルはそれがさも幸福なことのように頬を緩ませて笑っていた。

「ねえ、カルディア。僕と今すぐ一緒に死んでくれる?」

 サガルは私をぼんやりと見つめながら言った。体が強張り、サガルを跳ね除けようとした。だが、サガルはびくともしなかった。人形のように抱きしめられてしまう。

「そうしてくれたら、僕は世界で一番幸せ者なのに」

 錆びれた刃を擦るように儚い声だった。
 思い出したのは薄汚れた『塔』の部屋だった。寝台もなかった。床に寝そべって、二人で抱き合って眠りに落ちた。寒くて、熱かった。お互いしか分からなくて、ほかの人間もろくに知らなかった。
 死ぬまで蔦のように絡まって死ぬのだと思っていた。骨になっても、土に埋められることもなく、水に流されることもなく、本棚に囲まれたあの部屋に住み続けるのだろうと信じて疑わなかった。
 童話が好きになったのは、サガルと『母』が読み聞かせてくれたからだった。私の世界は、ちっぽけで、今よりずっと狭かった。
 私が死んで、サガルが生きるならば、怖いけれど、もしかしたら死ぬことを承諾したかもしれないとぼんやりと考えた。
 生きたいという気持ちは中核にあるのに妙な心地だった。
 けれど、サガルは一緒に死んでくれという。
 変わりに死んでくれではないのだ。
 サガルの肉体を抱きしめた。
 生温かくて、寂しい、柔らかな肌に触れた。ぴくりとどちらかの体が跳ねる。サガルはますます私を強く抱きしめた。

「……大丈夫、お前を守ってあげるからね。僕だけは、お前を殺したりはしないよ。これだけはずっと約束する。だから、僕が何を言ってお前を殺そうとしても、聞いてはいけないよ」

 いつのまにか、サガルの頬は濡れていた。頬に手をあてて、その涙を拭う。

「僕はお前のことが、殺してしまいたいほど憎くて、可愛らしいと思っているんだ」

 癇癪がおさまるのを待つように、じっとサガルを見つめていた。彼は瞼を落として、喉を軽く鳴らすと、髪の中に顔を埋めた。
 そして、急に酔いが覚めたと言わんばかりに立ち上がる。
 シャツを拾い上げて部屋を出て行ってしまった。扉が閉まった後に、ドアノブに手をかける。
 内側からは開かなかった。
 しばらくして、聞きたくないと思っていた声がまた聞こえ始めた。耳に蓋をしてしまいたい。
 太陽のないこの部屋は塔を思い出させる。
 だが、ここには童話はない。正気のサガルもいない。じわじわと理性が消えていく。
 監獄のような場所だ。ハルの代わりに、私は罰を受けている。だが、これはサガルが行われてきた仕打ちでもあるのだ。この部屋でサガルは寝起きして生きてきた。鳥籠のような寝台。家具もろくにない部屋。
 膝を抱えて抱き込むように丸くなる。寝台の上で眠るのは嫌だ。
 頭がどうにかなってしまいそうだった。
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