どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 テウは助かったものの、しばらくは絶対安静になった。体の骨がいくつも折れているらしく、寝室から出ることも禁じられていた。
 一度見舞いに行ったが、私を見るなり舌を噛みちぎろうとして、清族に取り押さえられた。
 恨めしいと言わんばかりの眼差しが焼き付くように記憶のなかに残っている。
 死にたかったとテウの苛烈な瞳が私に訴えていた。

 サガルはテウの治療のあとぐっすり休み、部下達に呼ばれ帰っていった。
 そして、暇をみつけてこまめに顔を出してくれるようになった。目の下にできる隈を見ないふりしたら、とても喜ばしいことだった。
 サガルが訪れるからか、リュウも部屋に戻ってきた。しかし、もう前のようにイルと一緒に本を読もうとはしなかった。
 いつも難しい顔をして私を睨んでいる。理由を尋ねても、下手にはぐらかされた。
 サガルを連れ出したことが嫌だったのだろうか。嫌味を言わないのでリュウらしくない。
 イルはリュウが私の部屋にいることを警戒しているようだった。ハルの捜索の芳しい報告も聞かない。
 そんななか、ギスランが社交クラブに出かけ、いない時間が出来た。
 その時間を縫うように、トーマが連絡を取ってきた。捜索したいかと問うトーマにもちろんと返答する。数十分後、トーマはいつものように杖を付いてやってきた。

 いつものようにまかれたイル達に同情しながら、トーマについていく。
 今日はこの間と同じように清族の棟の近くの地下に行くらしい。この間連れていかれた食堂の廊下と大違いで、地下の廊下はカビと埃の臭いがする。湿気が多くて、肌寒い。
 絨毯に吸い込まれる靴音に、かすかに意識を持っていかれる。
 数日でいろいろとありすぎて、疲れる暇がなかった。意識がぼうっとして、体がだるい。

「――今日は、うるさくねえな」

 トーマがいきなり私に尋ねてきた。意識が上がり、体のだるさも緩和される。

「毎回、うるさくしてなかったでしょう」
「どうだか」
「お前ね……」

 立ち止まったトーマが背筋を伸ばして私を見つめた。
 誰にも踏破されたことがない無垢な雪のような衣装を身に着けたトーマは静謐な印象がある。口を開けば悪辣で、物おじしない奴だが、すっと見つめられると神聖なものに見つめられているようで緊張する。

「どうして断らない? この間、死にそうな目に合っただろうが」

 それは捜索を打ち切りたいということだろうか。
 トーマはもともと、ヴィクターの死者蘇生についての実験の証拠をつかむのに乗る気ではなかった。
 ダンの命令だから従っているだけで、積極的に暴きたいと思っていないのだろう。
 だが、そうはいかないはずだ。曲がりなりにも、清族の長たるダンがトーマに命令した案件だ。断ることは不可能なはず。

「だからこそよ。死にそうな目に合ったのだもの。ヴィクターの研究室を見つけ出さなくてはわりに合わないわ」

 トーマなりに私に負い目を覚えているのだろうか。庇ったときから、トーマは私と対話をするようになった。私を認めたからというよりも、きっと申し訳なさの方が強いのだろう。

「馬鹿女め。俺はお前が死にそうになっていても助けねえからな」
「私はお前になにかしてほしくて助けたわけではないわよ。命を投げ出せというつもりはないわ。……まあ、少しぐらいは私に優しくしてもいいと思うけれど」
「馬鹿にかける情はねえよ。さっさとついてこい」

 トーマは再び歩き始めた。目線がそれたことにほっとする。トーマの視線をずっと向けられていると、緊張が体中に走り、ぎこちなくなる。

「……前から思っていたのだけど、どうして杖をついているの?」
「やっぱりうるせえじゃねえか」
「これは、円滑な話題提供というやつよ!」

 沈黙は息苦しいと思い、声をかけてやったのに、憎まれ口を吐かれた。

「足は悪くないのよね?」
「生まれたとき、足が三本生えてた。切り取ったが、今でもバランスが悪い」

 産まれながらに、足や腕、顔など普通の人間と異なる本数で生を受ける人間のことは聞いたことがあった。そういう人間は見世物小屋に入れられ、一生を過ごすことが多い。

「ダン様には感謝してる。妹がいねえ俺を引き取ってくれたれ
「トーマは妹がいないの?」
「いない。だから、両親には捨てられた。ダン様には頭が上がらねえよ」

 近親相姦によってのみ、血を繋げていく清族において、妹がいないという状況は忌避すべきものだときく。子を産めない母親を石女と言って詰るように、妹や兄のいない清族を悪し様に罵るのだと。

「ダンのこと、大切に思っているのね」
「役に立ちたい程度だがな。美談を望んでるなら、他当たれ。俺の根本にあるのは知識欲だ。親切心や良心じゃない」
「それは知っている。だから、お前の頬を叩いたのだもの」
「あれは未だに納得してねえからな。なんで俺がお前に殴られるんだよ。ふざけんな」

 文句を言われながら、もう一階下へ階段を降りる。あたりは暗くて、壁さえろくに見えない。
 トーマはランプをどこからともなく出現させると、明かりをつけて、あたりを照らした。
 温かい光が周辺を照らすと、この階だけチェスの盤のように正方形のタイルがいくつも並んでいた。正方形の色は白と黒があり、ますますチェスらしい。馬に乗った騎士や王冠をつけた貧民、そして手もみした商人の像が対になるように配置されている。
 トーマは鼻白んだように目を閉じると、大きくため息をついた。

「ここにいろ」

 そういうと、トーマが白い四角形をしたタイルを指差した。言われるままにそこに立っていると、トーマが私の隣に移動する。

「俺は清族。こいつは王族だ。分かったら、こんな茶番をやめてさっさと姿をあらわせ、ライ」

 するりと暗闇から溶け出るように、トーマが呼んだライが姿を現した。この間、血を吐いたとは思えないほど、柔和な笑みを浮かべている。

「やることが陳腐過ぎる」
「そうかな。人は自分の見たいものをみるものだよ。この像も、それをよく体現している」

 二人は視線を絡ませ、なにか通じ合っているようだった。
 だが、全く私に分からない。

「この像達がなにかあるの? 貧民が王冠を被っているのと、貴族が乗馬しているのと、平民の商人が手もみをしている姿でしょう?」
「カルディア姫はそう見えましたか? ですが、別の見方もあるのですよ」

 ライは柔和な笑顔を浮かべたまま、それぞれの像をつるりと撫でていく。

「姫が貧民だと言われたこれは、おごれる王族の姿だ、という人もいます」

 馬に手をかけてライが続ける。

「貴族だと言われたのは、清族が馬の調教をしているのだ、と。平民だと言われたのは王族に媚を売る貴族だ、と言われることも」
「どう見るのが正解なの?」
「正解などありません。この像が、ただ王冠を被る人間、馬に乗る人間、手もみをする人間を象った像に過ぎないのです。それを見た人間の方がそこに偏った意識を重ねてしまう。人は元来見たいようにしか物事をみていないのです」
「御託はいい。なんで、お前がここにいる?」
「せっかちだな」

 嘆息を溢し、ライは私達の前で軽く会釈する。

「客人をもてなしに来たんだ。ヴィクターは今、手が離せない。案内するように言われているからね」
「じゃあ、ここは」
「そうですよ、姫。貴女たちが探していた、死者復活を目的とした研究室だ」

 地下の一階をほとんど丸々占領した研究室。
 ライは歩きながらそう説明した。

「もともと古城を改築してできた校舎だからね。迷路のように入り組んでいる。霧や惑わしの術を使って、隠してきていたから、地図を持っていても、たやすくはたどり着かない仕組みになっているのです」

 足取りに迷いわなかった。鉄でできた重そうな扉をあけて、室内に誘導される。
 部屋のなかは、講堂ほどの広さだ。十分すぎるほど広い。がちゃがちゃとした見慣れない機械がいくつも置かれている。頭上には縄のようなパイプが巡らせている。
 機械の軍団を抜けると、蚕のような形をした水槽が見えた。数十はあるだろうか。なかは水で満たされているようだ。ぼこぼこと水音が聞こえる。
 指で弾いてみると硝子が震えた。

「っ! な、なに、これ!」

 水槽のなかに入っているものが見えた。
 髪の長い女がいる。歳は私と同じか少し上ぐらいだろう。容姿は鏡に映った私の姿に似ている。だが、全体的な雰囲気は全く別物だ。私よりももっと厳格で慎しみ深そうだ。
 深窓の令嬢という言葉がぴったりだった。

「はなおとめ、お母様のお若い頃のお顔をご存じない?」

 そっと両肩に手が置かれた。
 まじまじと観察する。母の若い頃はこんなに慎ましやかだったのか。もっと普通で、平凡な顔をしていると思っていた。若さも老いも同じように感じさせない、年相応の皺やくすみがあったように記憶していた。
 ぽこりと口が動き、水泡が円を描く。
 驚いて後ずさると、後ろにいたヴィクターが笑った。

「大丈夫、人形ですよ」

 そう言うが、硝子の向こう側の母は微睡むように目を閉じたり、口を開いて歌おうとしている。まるで母が人魚になってしまったかのように液体のなかで生きている。
 だが、よく見ると手や肩に不自然な節があった。肉体に切株を切ったような直線が刻まれている。

「隣はこの間死んだばかりの人間の皮で作った人形がいるんですの。見てみます?」
「ひっ!」

 隣の水槽の中にいたのはこれもまた母に似た人形だった。違うのは肌の色だ。さきほどの水槽のなかにいた人形より浅黒い。
 顔の左右を真ん中で繋ぎ合わせた縫い目がある。痛々しい縫合の跡のせいで顔が歪に歪んでいる。何もしなくても怒っているように見えた。

「おい、こわがらせんな」
「ごめんなさい。恐ろしかったかしら。はなおとめに喜んでいただきたかったのだけど……」
「喜ぶ? 母親はこの馬鹿女のこと、身代……もが、何すんだ、ライ」
「あまり軽々に口を滑らせてはいけない。口は禍の元だからね」
「はあ? 何が言いてえのか、分かんねえ」

 トーマはライと口論し始めてしまった。口汚く言い合う二人から離すように、ヴィクターが私を誘導する。

「はなおとめがわたくしのことを探ろうとしていたのは知っておりますわ」
「もしかして、知っていて見逃していた?」

 こそこそと嗅ぎ回っていたのがばれていたのならばヴィクターの前でびくびくと怯えずに済んだのに。

「正直に申し上げると死にそうな目に合えば、この件から手を引いて下さると思っておりました。ですが、そのような目にあったのに再開された。こうなって仕舞えば、もう保護するしかございません。わたくし達のはなおとめに傷をつけるなど二度としませんわ」
「ミミズクもそうだけど、お前達はなぜ、私をはなおとめだと言うのよ」

 微笑みを返すだけでヴィクターは何も教えてはくれなかった。

「こちらをご覧下さいませ」

 そう言ってヴィクターが見せたのは一際大きな水槽だった。中に入っているのはやはり母の形をした人形だった。先ほど見てきたものと違うのは、この人形だけ口元にポンプのようなものを加えていることだった。

「この人形の中には、お母様の魂が入っていらっしゃいますのよ」
「――お前は何を言っているの?」

 母は死んだ。目の前であの女に殺された。魂は肉体に宿る。死んだ母はその肉体ごと魂も消えたのだ。土に戻った。
 なぜならば、死者の国などありはしないのだから。
 ヴィクターの言っていることは理解できる。私だって死に神と会うまでは地獄も天国も信じていた。
 けれど、その幻想は消えて無くなってしまった。残ったのは、信仰に対するそこはかとない罪悪感だけだ。
 母の魂がここにいるなどという妄言を聞きたくなかった。
 信仰は形骸化した儀式に成り果てていた。真実信じるものではなくなっていたのだ。

「呼びかけてみてはいかがでしょうか?」

 ヴィクターに促され、硝子の向こう側にいる人形を見遣る。私が視線を向けたのに気がついたのか、ぱちりと目が開いた。私と同じ瞳の色が訝しげに様子を伺っている。

「母様……?」

 そっと硝子に手を当てて、小さく呼ぶ。
 ぽわっと水泡が人形の口から溢れた。小さな口が何度も同じ動きをする。口の動きにならって声を出す。
 カルディア。そう呼んでいる。
 稲妻に打たれたような衝撃が走る。この人形は私を認識して、名前を呼んでいる。
 もがきながら私に近付いてくる。硝子越しに手を重ねられた。
 生気の灯った瞳と目が合った。親愛の情がこもった眼差しを注がれる。
 まるで、私を慈しむようだった。
 目の前にあるものが人形だとはとても思えなくなっていた。この人形のなかにはなにかが宿っている。そう思わせるほど、人形は生き生きとしていた。

「ねえ、はなおとめ、お母様だったでしょう?」

 目を泳がせ、トーマに縋る。私にはこれが母だとは到底思えなかった。根本的な問題だ。私は死に神によって、死とともに魂は消えると知っている。
 ならば、この人形のなかにいるのは、もっと別の、想像もできないなにかではないだろうか。
 トーマは目が会うなり渋面をつくり、腕を組んだ。

「これで、魂を呼び戻すことには成功したわ。次は、肉体に魂を定着させるのよ」
 ヴィクターは興奮をこらえきれないと言わんばかりに鼻息を荒くする。
 ヴィクターの興奮に乗っかるのは難しい。だって、人形に死んだ母の魂が入っているなんていう荒唐無稽な話どうやっても信じられない。まだ、機械が埋め込まれて、命令に従って動いていると言われる方が納得できる。

「これは母様ではないわ」
「……そうですわよね。いきなり信じろ、なんて無理ですものね」
「だいたい、なぜここに母がいるの? ……待って。これは死者蘇生の実験よね。そして、その研究をしているのは国で最高位の科学者である、ヴィクター・フォン・ロドリゲス」

 そして蘇らせる対象は私の母だ。これほど大きな設備にどれだけ資金が注ぎ込まれているのだろう。維持費だけでも莫大なものになるはずだ。
 母を蘇らせたくて、そして資金が潤沢に用意できる人物。
 符合するのは、国王だ。

「父王様は、母を蘇らせたいの?」
「お知りではなかったのですか」

 不思議そうに問われた。
 私にあの人考えは分からない。会って話したことなど数えるほどしかない。そのどれもが、私に対して冷たいものだった。要件だけ述べて、すぐに去る。これと呼ばれたこともあった。名前も覚えていないのかもしれない。
 少なくとも娘とは思われていないのだと思う。

「……そう。あの方のお心をわたくしはよく分かりませんが、驚かせたかったのかもしれませんわね」
「あの人は母を蘇らせてどうするつもりなの」

 母の姿をした人形は飽きてしまったのか、奥へと戻ってしまった。水槽の暗い内部は見えず、光の加減で私の顔が反射した。

「幸せな家庭を作り直すのだと言っておられましたわ」
「幸せな家庭?」
「築けなかった幸せをもう一度と言っていらっしゃった」

 泥が口に入ってきたように苦々しい気持ちになる。
 幸せな家庭の一員に私のことは勘定に入っていなかった。だから、母を蘇らせるなどという世迷言をあの人は私に打ち明けなかった。
 父の夢想のなかに私はいない。
 父の愛は母に注がれていた。歪な愛の形がここにある機械と水槽の一群だ。私が死んでしまっても、きっと父はこうやって蘇らせようとは思わなかっただろう。
 ――私は家族の一人じゃない。
 死者は蘇らない。絶対に、蘇って欲しくない。
 人形のなかに入っているものがなんであれ、壊れて仕舞えばいいのに。ぐちゃぐちゃになって原型がなくなればいい。
 父が望む幸せは叶わない。
 不幸を望むしかすべがない。私はテウのようにはなれない。名前を呼んで欲しかったと言えない。
 企みが失敗に終わり、父王がおいおいと泣けばいい。
 ヴィクターはその後も色々と施設内を見せてくれた。
 彼が私に向ける親愛の情のようななにかにはどこか落ち着かない気持ちにさせられるが、清族は王族に対して阿る傾向にある。
 居心地の悪さを感じるが受け入れるしかない。
 ヴィクターとともにライも私の隣に来て解説してくれた。
 落ち着いた様子のライはこの間血を吐いていたとは思えないほど元気だ。

「ライ、体は大丈夫なの?」
「ご心配なく。持病のようなものですから」

 干渉するなと言外に告げられる。
 心配されるのは迷惑なのだろう。実際、今は元気がよさそうだ。
 黙り込んでライの横顔を盗み見る。本当は、どうして血を吐くのか聞きたかった。もしかしたら、ギスランも同じ症状を発症しているかもしれない。
 そのあとも延々と部屋のなかを見て回った。その間、トーマは不気味なほど沈黙を守っていた。

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