どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第二章 王子殿下の悪徳

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 清族の棟のなかに入る。
 目を疑うような場所だった。魚が泳ぐ水槽に廊下が囲まれている。日光のような美しい光明が水面から射し込んでいた。
 城の貯水槽らしかった。養殖施設としての意味合いもあるようだ。
 魚が翻ると、鱗の一つ一つが星みたいに輝いた。死に神に会いに行った時のことを思い出す。
 海の下にあったあの夢のような場所は、たまに悪夢だったのではないかと疑う。
 神秘的で残酷な神の寝所にいたのだと話しても、きっと正気を疑われるだけだろう。
 硝子に手を置き、泳ぎ回る魚を観察する。手の熱で硝子が曇ると、目の前にいた魚が驚いて逃げ出してしまった。
 トーマが荒々しく私を呼んだ。バカ、と言われるのも、だんだん慣れてきていた。

 永遠と続く長い廊下の先には食堂が待っていた。百人が収容できるぐらいの大きさだ。
 長机と椅子が何十と並び、そこでおのおの好きなように食事をしていた。
 当たり前だが、私以外は清族しかいないようだった。横を通ると、ぎょっとした顔で見つめられる。
 部屋の側面には厨房があり、香辛料の刺激的な匂いと肉をじゅうじゅうと焼く美味しそうな音が聴こえてきた。

「腹減った」

 トーマは厨房のなかにいる人間に声をかけると、トレーの上に山盛りの肉と野菜を置かれた。皿はない。トレーの上に直接食品が乗せられている。
 トレーを持ったまま、トーマは足を横に滑らせ、新たな調理人に声をかける。
 すると、肉と野菜の周りを埋めるように、色々な種類のパスタが置かれていく。
 そのほかにもバケツに入ったベーコンとオニオンのスープ。グラタン、腕の長さぐらいあるバケット、魚のトマト煮込み。
 それらを器用に抱えて、長机の上に置く。

「そういえば、トーマは健啖家だったわね……」
「食べ盛りだからな」

 食べ盛りという問題ではないような……。
 だが、周りを見てみると、トーマと同じぐらい大量の料理が並べられていた。

「……座んねえの?」
「え? ああ、座るわ」

 となりに座ると、スープを私の方に少しずらした。置き場所が悪かったのだろうか?
 小柄な体に次々とトレーに盛られた食べ物が吸い込まれていく。異次元と口が繋がっているみたいだ。

「……ん、なんだよ、こっち見んな」
「私と喋ってくれるのはどうして?」
「……」

 トーマは私の言葉をまるっきり無視した。話してくれると思った途端、惨い仕打ちだ。

「俺と喋るときは無駄な会話をさせんな」
「……偉そうね」
「俺の言葉の意味が分かんねえほどばかなの?」

 この男、頬を横に引っ張って伸ばしてやろうか。生意気で、不敵な物言いだ。

「あら、トーマ。珍しいわね、誰かと一緒に食べるだなんて」
「……お前までいるのかよ」

 中性的な声がトーマの名前を楽しそうに呼ぶ。反対にトーマはげんなりと嫌気のさした顔を隠そうともしない。
 私も顔によく出てしまう性格だが、トーマはもっと分かりやすく感情をあらわにする。

「あら、あんまりな言い方ね。わたくしに会えて嬉しくないの?」
「なにが楽しくて合同研究してる奴の顔を、食事の時まで見ないといけないんだよ、むさくるしい」
「そんなこと言って。憎まれ口は相変わらずね」

 トーマが邪険にしても声の主は受け流した。
 言葉を聞いているだけでも、長い付き合いなのだろうということが推測できた。

「相変わらず、二人は仲がいいね」

 今度は渋い声が二人の間を取り持つように響く。
 私はようやく振り返った。トーマの背後には二人の男がいた。両方、手にはトーマのように大盛りの皿を持っている。
 あっとそのうちの一人と目が合い、声を上げてしまう。上げた声とかぶさるように、彼も口を大きく開けた。

「お、お前、あの時の!」
「カルディア姫ではないですの!」

 迷子になったときに道を教えてくれたあの清族だ。突然、様子がおかしくなって私を見る目つきも異様になった。トーマと知り合いだったのか!? さっき、トーマと共同研究をしていると言っていたような。それなりに有能な人間なのかもしれない。

「知り合いか」
「え、ええ。顔を知っている程度だけど」
「トーマったら、カルディア姫とデートだなんて隅におけないわね」
「……馬鹿?」

 冷え冷えとした声色で呟くと、こんな女と? と言いたげな顔で首を振る。私に対して心底失礼だという感覚は残念ながら麻痺してしまっているらしい。

「照れているなんて、トーマも年相応の羞恥心というものを覚えたのね!」
「頭バグってんの? 機械は直せるけど、人間の頭はまだ直せねえぞ」
「もう、いつもそうやって口が悪いのだから」
「俺は正直に言っているだけ。人の言葉にいちいち傷ついて馬鹿みたいに落ち込むような非生産的な奴とは付き合わなくて済むし、問題ねえよ」
「そんなことを言っているから、敵が多いのよ。ただでさえ実績を積み重ねすぎて妬まれているのに」
「馬鹿の相手をしてる暇が俺にはない」

 忠告を一刀両断したトーマはもう一人の男に視線を向けた。落ち着いた、思慮深い雰囲気の青年だ。

「ライ、髪切れたよな?」
「妹の髪は僕が切っていたからね。どうしたの? 切って欲しいの?」
「ん」

 トーマはおもむろに私の髪を掴んで、ライと呼ばれた男の前に差し出した。首筋が晒されているせいか、首筋をかすめたトーマの指がやけに熱く感じた。

「これは……ひどいな。どうしたのかな」
「こいつがどじって髪が切れた」

 ぐぬぬと唸りたくなった。合っているが、間違っている。ヴィクターの部屋を探しているときに罠にはまりこうなったのだと喧伝したい気分だが、ぐっと我慢する。

「……ええっと、初対面でおこがましいことかもしれませんが、高貴な方なのですから、御身は大切にしていただきたいですね」

 初対面のライにやんわりと心配され、窘められてしまった。
 歯痒い心配に身の置き場がない。

「気を使わせたわね」
「あ、いえ。そうだ、自己紹介がまだでした。不敬をお許しください。僕の名前はライ・フォン・ロダンと申します。清族の末席を穢す不出来な科学者です」
「謙遜が過ぎると、逆に嫌みになるわよ。姫、ライは優秀な心理学者ですの」
「こら、……お前はそうやって僕を持ち上げるけれど、カルディア姫には心理学という分野自体ご存知ないだろうし……」

 ライは恥ずかしそうに眼を伏せて、目尻を赤らめた。

「心の学問なのよね? ……あんまり想像はできないけれど」
「ご興味がおありですか?!」

 にこっと笑顔を浮かべたまま、ライが私に尋ねてきた。

「ええ、だって、心というの私にもあるものだから」
「そうなんです。人には必ず心がある。僕はその心を少しでも可視化したいんです」
「心の可視化?」
「喜怒哀楽を感じたとき、僕達は心を感じます。特に僕は、心臓が跳ねる。姫、僕の胸を触ってみて下さい」

 ん? と戸惑っているうちに、手を取られ、服の上からライの胸を触った。かあと顔が赤らむ。胸の上から分かるぐらい、心音が激しく高鳴っていた。

「今は、姫とお会いできて、緊張でどうにかなってしまいそうです。人は脳でものを考え、感じたことをうけて心臓が反応します。僕の心臓は悲しいことが起るとぎゅっと苦しくなり、喜ばしいことが起ると意気揚々と跳ねます。でも、どうしてそうなるのか、まだ詳しいことは分かっていないのです。他にも解決すべきものが多くあります。例えば、人間のなかには悲しみのあまり自分の都合のいいように現実を塗りつぶすことができる人がいます。正気を保てなくなった、と言われていますね。でも、もし、そうやっていつも現実を自分の思い通りに塗り潰すことが出来たら、それはとっても幸せなことではないでしょうか。僕は、どうやったらそうなるのか、治す方法も、罹る方法も含めて知りたいんです」

 他にも、と言って軍人の戦争体験の克服や病人の精神面での支援を上げた。使命感に燃える瞳はきらきらと発光しているようだった。

「僕は心を見たい。人が思う汚い感情も、綺麗な感情も抱きしめたい。先月、妻が――妹が死んだのですが、最期まで分からなかったんです。僕を愛していたから結婚してくれたのか、それとも清族というしがらみがあったから結婚してくれたのか」

 ライは滑らかに喋り、たくさんの情報を提供してくれる。過多過ぎて処理が追い付いていけない。妹が先日死んだという言葉も、頭を圧迫している。それ以上に、自分を愛してくれていたのか、それともそうじゃないのかの話を上げるところが凄い。
 清族は基本的に近親に伴侶を選ぶ。血が濃ゆいほどよいとされるからだ。
 愛されているかという懸念を持つのはわかる。私だって、ギスランに同じような疑念を抱いた。
 惚気話や恋愛相談を受けているような甘酸っぱい気分だ。相手は亡くなっている。なのに、悲しさというよりは悔しいという感情が多いようだった。
 だが、本人にはそういった甘酸っぱい話をしている自覚がないらしい。

「知れなかったことが悲しかった。心を見たかったんです。ありのままの彼女と接してみたかった」
「自分のことを嫌いだとしても見たいと思うの?」
「勿論です。嫌いならば、嫌いという真実を知ることが出来たということです。妹の心は分からず仕舞いですが、いつか、心の中を詳らかにして見せたいです。カルディア姫の心の中も、覗き込んで観察したいですね」

 生活と研究が一緒くたになってしまっている。渾然一体となっていて、彼を形成していた。知識欲が旺盛というには逸脱し過ぎているような気がする。
 だが、これほど求めているからこそ、成し遂げてしまうかも知れないと期待もある。

「私は心のなかを覗かれるのは抵抗があるのだけど」
「……はっ! も、申し訳ありません。つい興奮して、大胆なことをしてしまいました。ご不快でしたね……?」

 わざとかと言いたくなるほど上目遣いで尋ねられるとなにも言えなくなる。大人っぽい顔が気落ちしたように眉根を寄せると邪険にできなくなってしまう。いいえと首を振ると喜びをおさえようとして無意識に出てしまったような笑顔を浮かべられた。

「話が脱線し過ぎだろ。……で、こいつの髪、整えてくれんの?」
「その話、忘れていた。というか、だよ。姫ほど高位な方なら専用の理髪師がおられるのではないか」
「あ」
「もう、トーマったら、そんなことも思いつかないぐらい気にしていたのね」
「……うるさい」

 思った以上に気遣われていたらしい。髪の毛は些末事だと言ってもトーマは気にしているようだった。

「ライが切ってくれたら、助かるわ」
「僕が御髪に触れるなんて! まして、髪を傷つけるなんて、考えただけでもどうにかなりそうです! ご期待に沿えず申し訳ございませんが、僕ではとても無理です」
「無理を言ったわね。言われてみればそうだわ。トーマも、変に気を回してもらわなくてもいいわよ。私は王族なのだから、理髪師ぐらいすぐに用意できるわ」

 トーマは罰が悪そうにグラタンを口に含んだ。そのまま、何も言うことなく、ぱくぱくと残りの分を食べすすめる。

「御身にお会いでき、光栄でした。また機会がございましたら、お声掛けくだされば至宝の喜びです」

 頭を丁寧に下げ、ライはうきうきとした様子で離れた場所に座る清族に声をかけにいった。大量の料理を抱えてらくらくと移動する姿に度肝を抜かれてしまいそうになった。

「わたくしはご一緒してよろしいかしら?」

 中性的な顔をした清族が可愛らしい声を出して席を指差す。
 トーマは喉に食べ物を詰め込む作業を淡々とこなしていて、反応を返そうともしなかった。
 頷いて、席を勧める。トレーを机の上に置いて、真っすぐとした瞳で見つめられる。

「な、なに?」
「ご挨拶がまだでしたわね」
「……はあ?! そうなのかよ?」

 口に入った者を嚥下し、慌てた様子でトーマが私の顔を見た。

「ええ、言ったでしょう。顔見知りなだけだって」
「わたくしとしてはもっと仲良くしていただきたいのだけど」

 髪を耳にかけながら、彼は人好きしそうな表情で笑った。

「ヴィクター」
「へ?」
「こいつの名前はヴィクター・フォン・ロドリゲスだ」

 目の前にいる青年は唇を尖らせ、不平を口にする。

「もう、自分の口で言いたかったのに」

 しっとりとした肉厚な唇が動いた。

「改めまして、自己紹介させて下さいませ、カルディア姫。わたくしの名前はヴィクター・フォン・ロドリゲス。天の神たる天帝の僕ですわ」

 清族で一番知名度がある清族はゆでた小エビを指で摘まむと口のなかに放り込んだ。

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