どうやら私はバッドエンドに辿りつくようです。

夏目

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第一章 夜の女王とミミズク

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 とりあえず、ミミズクらしき少年も避難させることになった。
 シエルは突然現れた少年に最初こそ驚いたが、小柄なのが妹と似ていると妙な親近感を覚えたようだ。背負って私達と一緒に避難させるつもりらしい。
 足元が隠れるほど花冠まみれになっていた。もう、水溜りさえ消えていた。歩くたびに花が解れて、宙に舞う。月光が射す夜。祝福されたように輝いている。
 自分が歩いている場所が絵画の世界に思えたのは初めてだった。

「なにが起こったのか、理解できないのですがね。解析はあとで清族に任せたほうがよさそうだ」
「それにしても、やまないわね。この花の雨」

 天を見上げる。雨のかわりに花冠が落ちてくるなんて、どうなっているのだ。

「天帝が求婚しているのかもしれませんね。我が乙女よ、私は君に家臣のように跪こう。故に愛を注いで欲しい、と」
「熱烈な求婚ね。童話では、天帝が花に求婚しているとされているけれど。今回は誰に求婚しているのかしら?」
「我らが姫にでは?」

 シエルは安心させるように微笑んだ。

「天帝に攫われぬようにお気をつけください」



 しばらく歩くと花園の終わりが見えてきた。校舎の東棟がよく見える。貧民達と助け合いながら、校舎に逃れようとしたのが、思わぬ人物と出会った。
 花園の入口付近に荷物を脇に抱えた男がいたのだ。
 がっしりとした体つき。この場所にいる誰よりも体格がいい。胸板は厚く、肌は日焼けしている。労働者特有の肌だった。

「カンド?」

 口のなかを湿らせて、恐る恐る名前を呼ぶ。
 巨漢の男は、歯を見せて笑った。

「よお、こんな夜に何をしているんだ?」

 安心して、歩み寄ろうとした。だが、シエルに遮られる。
 シエルは鋭い眼光で、カンドを睨みつけていた。

「……こちらの台詞よ」

 シエルの反応に、安心感が警戒心へと変化する。そもそもイルが探していたカンドがなぜここにいる?
 行方不明になっていたのではなかったのか。
 それにどうして、カンドは校舎に入らずにいたのだ?
 私達の姿が見えたから、出てきたのか?

「嬢ちゃん、俺はあんたに用があるんだよ」
「……どういうこと?」
「どういうことだと思うよ、お姫様」

 心臓の変な音が立てた。
 お姫様と、なぜ知っている。

「ハルから、私のことをきいたの」
「まさか。会った時から、分かっていたに決まってるだろ? イルも気が付いていただろう。それと同じさ。 金に苦労したことのない奴には独特の臭いがある。満たされて、安心しきった幸福な香りだ。初めて会ったとき、俺が考えていたことはわかるか?」

 心が石を投げ入れた湖面のように大きく揺らいだ。
 カンドの質問の意図がわからない。

「なにを、考えていたと?」
「あんたの体を堪能したあと、誰に身代金を請求し、誰にあんたの死体が高値で売れるかだよ」

 悪質な冗談だと笑い飛ばしてしまいたい。
 私は、貧民達の家で家族の温かさを見た。あの記憶だけは、誰にも侵されない優しさで包まれている。あのときほど私が平等を肌で感じたことはない。
 あの家で親しげにハルに話しかけていたカンドと、目の前の男が合致しない。彼は誰だ。
 いや、違う。私はカンドの何を知っていた気になっていたのだ?
 私とカンドが喋った時間は微々たるものだ。
 私は理想の貧民像を重ねて、何も見ていなかったのではないか。ただ、こうあって欲しいという希望を通して彼を見ていたのではないのか。

「黙れ、薄汚い鼠め。卑しい罪人が、口を開くな」

 シエルの地を這うような声が、カンドに絡みついた。
 カンドは大きく手を広げ、楽しげにシエルを見つめ返した。

「誰かと思えば、愚鈍な軍人殿達ではないか。贈り物はどうだったよ。俺の部下は優秀だろ? あんた達の嫌がることを弁えていただろう」
「……黙れ、出来損ない。まともに統率もとれない能無しが」

 シエルは、いつの間にか背負っていた少年を花の上に横たわらせていた。
 剣を抜き、カンドに突きつける。剣先が月光に反射し、凶器の形を鮮明にした。
 ぶるりと背筋が震えた。人を殺す道具が、シエルの手の中におさまっている。

「そんなに魔薬を俺らに横取りされたのが気に入らないのかよ? それとも贈り物が気に入らなかったか? だが、あんたらだって俺の仲間に拷問しただろ? お互い様だって」

 ギスランの言っていた空賊の捕虜の話か?
 カンドは空賊だったのかと遅れて気がつく。
 ロスドロゥ国に運ばれるはずの魔薬を軍人達の手から強奪したのは空賊達の一員だったのか。サラザーヌ公爵令嬢が盗んだのではなかったのだ。おそらく、麻薬と同じように仕入れは空賊から行なっていたのだろう。
 シエルの言い方からすると、カンドは空賊のなかでも上層部に位置していそうだ。
 ギスランがリーダーは捕まっていないといっていたが、まさか、カンドのこと?

「……下衆が。貴様の身柄を拘束する。投降することを推奨するが?」
「はっ、俺と勝負したら負けるから、投降しろってか?」
「交戦の意思を確認した。さっさと構えろ。武器を構える時間だけはやる」

 シエルの視線がカンドの脇に抱えられた荷物に向かう。
 カンドはにやにやと笑いながら脇に抱えたものを私達に見せるように晒した。
 まるで勲章のように掲げられたものをみて、目を見開く。

「どういうことだ!」

 それは人間だった。頭から血がだらだらと流れている。豪奢な紳士服には見覚えがあった。今日、見たものだったからだ。

「サラザーヌ公爵!」

 喉から悲鳴のような声を上げる。
 シエルと同じように混乱した。なぜ、カンドがサラザーヌ公爵を抱えていたのだ、
 次の瞬間、私の体が力強く横に引っ張られた。
 突然のことに、体がぐらりと傾く。
 引っ張った相手に体を難なく受け止められる。それと同時に首を腕が締め付けた。
 背中に人の体温があった。首に巻き付いた腕は皺くちゃのシャツから生えていた。
 冷たい刃先が喉元に押し付けられている。
 シエルが私の方を振り返り、呆気に取られた顔を見せた。
 ――嗅ぎ慣れた花の香りがした。



 一瞬だった。シエルが目線を外したほんの数秒でカンドが臨戦態勢に入った。
 部下達の声で前を向いた時には遅すぎた。拳がシエルの顔に叩き込まれた。
 顔を上げたシエルの鼻からは血が出ていた。
 カンドは構わず、距離をつめると三回、シエルの腹を蹴り上げた。
 体をくの字に曲げたまま、よろよろと後退したシエルへ更に、剣を奪って追い打ちをかける。細身の体が花壇に転がった。カンドはシエルの体を何度も踏み付ける。

「動かないでよ。あいつを助けようなんてしたらお姫様の喉を搔き切ることになる」

 部下達を脅す声に目眩が起こった。
 馴染み深い声だった。
 なぜこの声が私の後ろから聞こえるのだろうか。
 カンドは私を見据え、シエルの顔に靴を置いた。

「さて、お姫様。あんたの護衛は役立たずになっちまったなあ?」
「剣を地面に置き、手を顔の後ろに組め。十秒以内に。じゃないと、この女の首を搔き切る」
「ハルぅ! 一発ずつ殴っていいだろう?」
「……カンドの好きにすれば? 俺はあんたの部下なんだから、従うまでだよ」

 信じたくない自分が悲鳴をあげて彼の名前をかき消そうとする。現実逃避しようとする心を引っ掴んで、なんとか現実に引き戻す。
 未だに喉が彼の名前を呼ぶことを拒絶していた。
 ハルが空賊と繋がっていると可能性を示唆されたのだ。それなのに、ハルが非力な女である私を人質にしないとでも思っていたのか。
 いつまでお気楽な女でいるつもりだ、私は。

「じゃあ二発ずつにしよう。おっと、そんな怖い顔で睨むなよ。お前らへ贈ったものは原型を留めていなかっただろう? 流石にそこまではしてる余裕ねえしな」
「後ろにいる貧民達はさっさと逃げればいい。義理立てすると、顔の形が変わることになるよ」

 カンドが部下の一人の腹部を蹴り、蹲らせた。
 頭を掴み、拳で殴りつけた。骨が折れる音がした。
 貧民達はお互いに顔を見合った。部下達が、逃げろと叫んだ。三人がカンドの横をすり抜けて校舎へと走り去った。けれど、他は立ち去る素振りを見せない。それどころか、部下が捨てた剣に視線を注いでいた。

「やめとけ。俺に勝てるわけねえだろ」

 カンドが目敏く見つけて警告する。二人が怯んだが、残りは貧民達に闘志を漲らせる結果に終わった。
 カンドが深くため息を吐いた。

「加減しねえぞ」

 カンドは部下の捨てた剣を拾って、刀身を抜いた。
 冷たい殺意が空気を凍りつかせた。カンドは殺す気だ。
 私は何をしているんだ。
 ただ、人質として声も出せずにいるか弱いお姫様のつもりか?
 自分の非力さを嘆くだけの存在になるつもりなのか。
 私は誰よりも偉い。ここにいる誰よりもだ。この血に流れるものこそ、私の誇るべきものではないか。

「第四王女、カルディアが命令します。私の手足となり、援軍を呼びに行きなさい。誰一人として、私の許可なく死ぬことは許さない」

 ここに残った貧民達は、部下達に雇用関係以上の思いを持っていたのか。
 だからこそ、ここで彼らのために戦おうとしたのだろうか。命を捨ててもいいと思えるような何かが彼らにはあるのだろう。
 だが、目の前で人が死ぬなんて二度とごめんだ。絶対にあってはならないことだ。
 じっとりと刀へと注がれていた視線が、ばっと私を見た。
 逃げろという言葉は時に残酷だ。戦うことを放棄することが死ぬよりも辛いことがある。助けられないことを心の奥底から後悔することがある。けれど、ここで死なれるのは嫌だ。
 どうしてという掠れた声を黙殺する。
 強制して、従わせる。やはり、彼らとの関わり方はその方がいいのかもしれない。
 自分の命を捨ててまで守られるなんて、考えたくもない。情を排斥して、打算だけでつながれば、誰も巻き込まずに済むのではないだろうか。

「抗戦よりも医師を。戦いでは誰も救えない」

 彼らは月に背を向けるようにカンドとは反対方向に走っていく。
 カンドは追わなかった。ただ、憐れなものを見るように、貧民達の背中を見つめていた。



「カンド、さっさとこの学校を出よう。突然の転学命令にみんな混乱している。そのうちにね」
「わかってるよ。待っとけ」

 カンドはそう言うと、剣の柄で部下達をいたぶった。目の前で行われる暴力に失神してしまいそうだった。
 生々しい音が響くたび自分の体に痛みが叩き込まれているようだった。意味もなくごめんなさいと謝りたくなる。
 やめろと騒ぎ立てても無駄だった。
 貧民達とは違い、カンドは私の声に耳を貸さなかった。
 痛ましくて、見ていられない。けれど、ハルがそれを許してはくれなかった。ずうっと後ろから私の顎を固定して、目を瞑るなと低い声で囁き続ける。
 初めて聞く荒んだ声だった。その声は治安の悪い街を思わせた。嗄れた声の老人や痩せ細った子供、怪しい目をした大人達。そんな風景を連想させるどこか危うい声だった。
 ハルのことを全く知らなかったのだと、今更ながら痛感する。
 一面だけを見てハルのことを気に入っていた自分の底の浅さに吐き気がしてくる。

「殺さないの?」

 カンドの凶行から意識を逸らしたい一心で、ハルに尋ねた。長い沈黙。そのあと、ハルが感情を殺した声で返した。

「カンドが言っていたの、聞こえなかった? あんたを犯して、王族に身代金を払わせたあと、死体を高値で売りつけるって」

 首筋にあたるハルの吐息は熱い。
 首筋のナイフ以上にぞっとする言葉だった。上下の歯を噛み締めていないと泣き出してしまいそうになるほど。
 そこまで、恨まれていたのか。絶望が体を暴れ回った。苦鳴を上げそうになるのを堪える。

「……空賊の人間とは思わなかったわ。ねえ、私を第四王女だと知っていて、近付いた?」
「……そうだって言ったら、納得する?」

 最初に会った時、花が痛むと怒られた。その後、水遣りの機械が壊れたのだ。あれを人為的だと言われれば空賊の一人が第四王女に近付きたくて辿った細い道が見えてくる気がした。
 ミミズクを追った馬鹿な私を助けてくれたのも、貧民の家に連れて行ってくれたのも、歌をうたってくれたのも、私に取り入るための工作だったのだろうか。
 ハルのことを信じたいのに、信じられるものが何もなかった。今、私にナイフを突きつけているということだけがたった一つ、信頼できる事実だった。
 胸が張り裂けそうなほど痛んだ。あれだけ一緒にいたのに、信じられるのはこの瞬間だけだ。
 こんなにも信頼は儚いものだっただろうか。まるで、花のようだ。咲いてすぐに散ってしまう。そんなものを、永遠だと思って信じていた。

「どうして、こんなことをするのよ」
「……どうして? こいつらが邪魔だからだよ。それに、仲間を何人も痛ぶられてる」
「盗みを働いたのでしょう? ならば、罰は必要だわ」
「そうかな。俺はそうは思わない。空賊はあんた達より金の使い方が有意義だ。自尊心を満たすためじゃなく、貧しい奴らに施している。お貴族様から金品を盗んで、ばら撒くんだ。胸がすくよ」

 義賊そう讃えられる面もあるのだと、シエルが言っていた。
 聞けば、確かにそうなのかもしれない。
 彼らは義賊で、貧民達にとっては英雄なのだろう。けれど、目の前の暴力はなんだ。これが英雄たる証なのか。至る所血塗れになりながら笑っているのが、勇ましさの象徴なのか。
 けれど、ふいに恐ろしくなる。
 この暴力こそ、私達が誇ってきたものでは。
 彼らが誇るのは、私達の影を見ていたからなのではないのか。
 理不尽で、気まぐれで、暴力的。唐突に牙を剥き、恍惚に浸る。拳を振るい、権利を誇示してきた。蛮行を勇猛と履き違え、ここまでやってきてしまったのでは。
 私の足元にまで血が飛び散る。
 部下の一人が口からダラダラと血を流して咳き込む。小さな白い塊を吐き出した。歯だった。
 恐慌し、狼狽した。カンドの暴力に成すすべがない。私に向けられたらひとたまりもない。それぐらい無慈悲で強力だった。
 恐怖から目を逸らすために、サラザーヌ公爵を見遣る。
 サラザーヌ公爵は死んではいないよな?
 恐々と捨て置かれた公爵を見るが、ここからでは気絶しているのか、死んでいるのかわからなかった。それがなおさら、恐怖を駆り立てた。
 ギスラン達は間に合うのだろうか。
 間に合わなければどうなるのだろう。リストのように誘拐されるのか。さきほど言われたように最悪の恥辱を受けて死ぬのか?
  断固拒否だ。死にたくない。
 だが、どうする?
 ハルもカンドも私の力ではどうすることも出来ない。
 逃げることだってかなわない。シエル達を置いてはいけない。
 私がハルに捕まりさえしなければ。
 自分の不甲斐なさにいらいらする。

 カンドが最後の一人を殴り終えてこちらへ近づいて来た。
 好色な視線にさらされ体が軋むように痛む。
 胸や腰をじろじろと見られていた。
 顔が赤らむ。あからさまに性的対象にされたのは初めてだった。

「ハル、お姫様を借りていいか? 興奮して、たまんねえ」
「……ここからはやく退散するはずでしょ、カンド。幸い、ギルの花は置いてくれていった。これを持ってさっさと退散するに限るよ」
「へいへい。じゃあ、ハルがそのお姫様を連れてこい。俺がお貴族様を連れてく」

 カンドはサラザーヌ公爵を拾いにいく。その道すがら、部下達の顔を踏みつけた。ぎゃあと短い呻き声が上がる。

「どこにいくの」
「さあ。あんたに教える必要、ある?」

 冷たい声に体の芯から冷める。
 ハルの体温を感じるのに、その熱は私を温めてはくれない。
 ハルが私の顔を覗き込みながら、無表情になった。

「あんたは知らないんだろうね」

 口だけを滑らかに動かして、ハルは鼻で笑った。

「貧民街には死体が山のように転がってる。カンドがやってることがお遊びだと思えるぐらいに荒廃している。理不尽と暴力の巣窟だ。がりがりに痩せた子供の死体、梅毒に犯された娼婦の死体、そんな死体から肉屋の亭主が内臓を抜き取っていくなんよくあること」

 ハルが私の表情をつぶさに観察しているのが分かった。
 顔の筋肉が強張る。ハルの視線が恐ろしい。

「この学校に来て一番驚いたことは、天帝に祈らずとも済むということだ。天の神は気まぐれで、俺達に神罰のような大雨を降らせる。けれど、ここは楽土のよう。毎日が温かく幸せに満ちている。食うものに困りもしなければ、着る物にも不自由しない」

 まるで、熟しきった果実の放つ甘い異臭のような声だった。

「そのことを幸福だと思いもしない傲慢さにはほとほと呆れたよ。他にも驚いたことがある。金持ちどものお気楽さと阿呆らしさ。それになにより、無知だということ。特にあんたには目を見張った」

 矢で射られたように、心臓が鋭い痛みを発している。私が責め立てたあの時、ハルはこんな風に打ちのめされたのだろうか。

「貧民である俺に懐いた。そんなに俺が魅力的だった?」

 ぎこちなく微笑む。
 ハルは気持ちが萎えたように、眉を寄せた。

「お綺麗なお姫様、俺とあんたじゃ生きる場所が違う」
「……見ている世界も違う?」

 イルが言っていた。見ている世界が違うのだと。でも、私は話し合えば、視座を共有出来ると思っていた。
 でも、無理なのだろう。いや、私が無理にしてしまった。
 私の願望が反映された結果なのだろうか。ハルの顔が苦悶の表情を浮かべた気がした。
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