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第一章 夜の女王とミミズク
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しおりを挟む森と言っても、王都の開拓ができていないわけではない。東棟よりも更に東に、貴族用の森があるのだ。貴族の男は社交として狩りを学ぶ。授業になれば獲物となる動物を放ち、それを銃で射抜く練習をするのだ。
植林に成功した森には、人に害のない野生動物が飼われている。家畜とは別に、非常時に食べることができるよう、準備されているのだ。
日の光がでこぼこな木々の天井からさしている。ざわざわと人の心を浚う意地悪な木々のざわめき。魔獣が出てくるぞ、と言われても否定できない陰鬱さだった。
こんなに森は暗いものなのか。まるで怪物の口のなかにいるみたいだ。
一人で、森のなかに入るのははじめてで、害のある生物はいないとわかっていても、緊張してしまう。
きつく縛ったコルセットの紐をドレスのなかで弄る。人目があればこんなことは出来ないが、誰もいないから大胆になれた。緩ませ、息を落ち着かせる。
それから数分、森のなかを歩いた。真っ直ぐ歩いていたはずなのに、だんだんと自分が斜めに歩いてきたような気がしてきた。後ろを振り返る。私の足跡がきちんと残っていた。足跡は私まで真っ直ぐ伸びている。
それからまた、数分経ち、辺りを見渡す。木の影が色濃く、自分の影と混ざっている。見えないわけではないのに、すべて見渡せるほど、明るくはない。そのことが奇妙なほど恐ろしかった。
私は、この森から帰れるのだろうか。
ふと、足元を見下げた。
足跡がどこにもない。私は這い蹲り、自分の足跡を探した。五本の足の指の跡を、土のなかから見出そうとした。でも、どこにも見当たらない。
顔から血の気がひいた。
どうしよう。顔を上げ、愕然とした。私が今までどちらの方向を向いていたのか、わからなくなっていた。
きょろきょろと見渡す。けれど、四方八方、同じような景色だった。額から冷や汗が垂れた。
どうしよう。途方に暮れていたとき、急に草木をかき分けるような音がした。
この森は人に害を及ぼすような生き物はいないはずだ。なのになぜか、頭のなかには鳥人間が浮かんでいた。油を撒き散らし、こちらへ歩み寄ってくる。
無意識に体が硬くなる。音のする方向を注視した。
「待ってって」
顔を出したのは、貧民だった。一気に緊張していた体が弛緩する。もっさりの髪の毛をさらにもっさもさにしている。手には私が脱ぎ捨てた靴があった。
貧民は私の姿を認めると、大きくため息を吐き出した。
「あんた、馬鹿なの!」
近付かれ、至近距離で睨みつけられた。
「ありえない。ミミズクを追って森に入るなんて。死にたいの?」
「なんて口の利き方なのよ!」
「無礼だって思うなら、あとで鞭打ちでもなんでもやれば! でも、言葉に制限なんかないんでしょ。この言葉、あんたが言ったんだからね」
眼光の激しさに戸惑う。
目を逸らしたくなるような激しさがあった。
「この森は、人に危害を加える生き物はいない。でも、磁場が狂ってる。羅針盤も上手く働かないから、迷いやすいんだ」
持っていた靴を差し出される。
裸足のせいで、足にはいくつもの切り傷が出来ていた。靴を履くとぴりりと傷口がしみた。途端に理性が戻ってくる。私、なにをやっているんだろう。なにを必死になっているんだろう。
「ミミズクがそうしてるって俺たちのなかじゃ言われてる。だから、お貴族様が狩りの真似事をするときは、必ず、捜索できるように清族がつく」
一人は無謀だと目が語っていた。
居心地が悪く、視線を逸らす。
「なんか、事情がありそうだけど、ミミズクには会えないよ。ミミズクは魔の生き物だから。賢くて、人嫌い。同胞にしか微笑まない。魔力を持っていないと、人を惑わせ、からかう」
「お前も、からかわれたことがある?」
「俺ら貧民は、森の見回りもするからね。仲間の何人かが数日戻んなかったことがあるし」
貧民は手を服で何度か擦ると、おずおずと差し出してきた。
「帰ろ」
「どこへ?」
無意識に貧民を睨みつけていた。
八つ当たりだった。どこへ帰ればいいんだろう。部屋に帰りたくない。死にたくない。行き場のない感情がぐるぐる迷路を彷徨っていた。貧民に言っても仕方がないこと。戸惑う貧民を見ていると後悔が生まれてきた。
こいつのせいじゃないのに。
差し出された手を握る。おかしかった。貧民の手より、私の手の方が汚い。這い蹲り、土を触ったせいで、手が土塗れだ。
「綺麗な手ね」
労働するものの手だ。骨ばっていて、硬い。目を凝らすと爪のなかに砂利が入り込んでいた。
この手が、あの美しい花園を作っているのだ。どうやったら、あんな美しいものを作れるのだろう。全く同じ部位だと感じない。むしろ、なぜか、私の手だけが肥溜めに浸かったようにぷんと悪臭を撒き散らしている。
呆気にとられたような顔をした貧民が、くしゃりと顔を歪めた。
「俺の手は綺麗じゃない」
「いいえ、綺麗よ。きっとお前が私の瞳で見れば分かる」
「じゃあ、あんたの目が濁ってるんだ。貧民の手が綺麗なわけないよ」
「服で擦らなきゃいけないと思うほど、汚い?」
森の奥の方へと進んだせいか、日の光は遠く、木々の夜空のなかに浮かぶ星のようだ。
いっそう、魔獣が現れそうだった。
貧民は、卑屈な色を浮かべて笑った。
なぜか、悔しくなった。喉の奥から、滾る熱が襲いかかってくる。
「そのまま、お貴族様に触れられるような手じゃない」
この貧民は、卑屈さを持っていないわけじゃない。それを巧妙に隠しているだけだ。あるいは私がみようとしていなかったのかもしれない。私が都合がいいように、貧民らしくないと思い込みたかっただけかも。
きっと貧民らしい貧民だったら、私は興味を持てなかった。見下すだけで終わっただろう。
この貧民のことを面白いと思ったのは、貧民らしさが見えなかったから。本当の貧民に親近感を感じていたわけではない。
私のなかでの価値基準は、変わったわけではない。貧民は差別され、王族は讃えられるべき。
この手が綺麗だと感じるのに、優越感がある。この手を綺麗だと思えれば、私の手はもっと綺麗だ。そう、悪臭を嗅ぎ取りながら思ってしまう。矛盾した思いだ。私はこの手が汚れていると思うのに、一方で美しく、何者にも汚されず綺麗だと思っている。詐欺師の心のように、嘘でこの身が出来ているようだ。
汚いものが綺麗で、綺麗なものが汚い。
どうやったら、嘘塗れの心を綺麗に洗い流せるのだろう。
「……あんたは、帰る場所がないの?」
「なぜそう思うの」
「『夜の王とミミズク』は浮気された王様が、戻る場所がなくて、ミミズクを頼る話だから」
無言を貫く。その通りだった。
「帰りたくなくて、ミミズクを追いかけたなんて、尊い貴族がやることじゃない」
尊いって、一体なんなのだろう。
王族は崇められる存在だ。この世の春を独占し、金銀で身を飾り、羊の肉を食べて、温かな寝台と湯船を用意される。望んだものは与えられ、望まぬものも貢がれる。男神の聖なる唇から生まれし、高貴な子孫。
貧民の顔を見つめる。
貧民と私になんの違いがある?
硝子を杖で叩いたような衝撃が体を流れた。
目を閉じれば、とくりとくりと手の先から生き物の声がきこえる。
汗ばった肌も、理性を失わぬ瞳も、言葉を紡ごうとする唇も、私にも貧民にも備わっている。
もし、身を整え、同じ格好をしたら、私と彼に寸分の身分の差を見出せないのではないか。
私ははじめて、この目の前にいる貧民を貧民ではなく男として見た。
同じ人間の男として。
もちろん、振る舞い方や背筋、考え方は全く異なる。だが、そんなもの、時間をかければ矯正できるものだ。私も幼い頃からそうやって王族として育て上げられてきた。
貧民は家畜だ。家具にしていい、貶めても構わない。鞭を打ち、罵倒を浴びせ、どんなに矮小な存在か叩き込まねばならない。人間のかたちをした家畜だと。知のないけだもの。女神の慈悲をかろうじて賜る低俗な。
だが、どうだ。彼らはものを考え、差別を理解している。体ではない。心で。
鞭で叩き込まずとも、説き伏せ、教え込むことができるのではないの。
彼らは私達と同じ、人間なのではないの?
杖が硝子を叩き割った。
破片が散らばり、身体中、破片が刺さる。
醜く縋ってきた、王族という地位はなんなのだろう。
私達の椅子に、貧民は座れる。
だって、同じ人間なんだ。
雲の上にいるみたいに、気持ちがふわふわしている。決していい気分ではない。下を見れば、どれだけ自分が危険なところに立っているのか。
貧民が、本当になり変われるとは思ってはいない。この国の制度では貧族階級が王族になるのはありえないからだ。
だけど、いつか、この国も王政が廃止される。大統領制、そんな多数決の原理で物事を決めるようになるのだ。
そうなったとき、私とこの男は平等に扱われる。
弾音のような慄きが走った。ぶるぶると背筋が震えた。妙に泣きたくなり、顔が強張る。
平等という言葉を、私は軽んじていた。
不可能だ、現実的な話ではないと、考えることをやめていた。目の前にある現実から目を逸らし続けていた。どうしよう、彼らは人間なのだ。
「……ねえ、大丈夫?」
「お前は、家畜ではないのね」
手に力がはいった。瞬きをして、貧民が当惑の眉を顰める。
「知らなかったの。俺、人間だよ」
「そう、人間なのよね」
ほうと吐息を漏らす。ますます貧民の眉が寄った。
「とりあえず、森を出よう。このままじゃ、夜が来る」
ぐいっと引っ張られた。たたらを踏む。
手を弾きそうになる。だが、そうする前に不審な音が聞こえてきた。
低い声だった。
貧民にも声がきこえたらしい。辺りを見渡す。
「誰かいる?」
あちこち視線を投げて、声の主を見つけた。
そこにいたのは、ミミズクだった。
目を瞑ったミミズクが、近くの木の枝に止まっていた。
嘴が動いているから、寝ているわけではないらしい。
貧民と二人して、そのミミズクを食い入るように魅入ってしまう。
なんというか、拍子抜けというか、不思議というか。
人嫌いなんじゃなかったのか。すんなり見つかったぞ。迷ったから、逆に見つかったのか?
「ミミズクだ」
「ええ、ミミズクね」
「ミミズクって」
「人嫌いなのよね」
「うん、魔力持ってないと、会ってくれないはず……」
「お前、清族の血が流れてるの?」
「そっちこそ」
二人して、魔力は保持していないのに、なんで現れるんだ、ミミズク。
今ならば、捕まえられそうだぞ。
ちょっぴり心配になりつつ近寄る。すると、はっきりと言葉が聞こえてきた。
「ーー次の話は人の成り立ち。五つのまがいものに、五つの階級。人の優劣。貴賎のうまれ。女神の嘆きを、男神のお隠れを、話そう。夕暮れの慰めに。天帝様の治世となる前に」
お互いに顔を見合う。
物語が始まっている!
舞い上がりそうになる。私は夜の王のようにミミズクの語りを聞ける!
ミミズクの声は低く、重厚だ。手に汗握る冒険の語りというよりは英雄が倒れる戦記譚を語るよう。
ミミズクが語る話は、童話や神話とは少し違っていた。男神が死の神に死を与えられてから、物語が始まる。
「女神が言った。どうしてかの神は死にたもうたのか。なぜ、わたしをおいて、黄泉へとおちたのか。死に神は女神の悲嘆をきき、河を干上がらせた。せめてその問いだけでも、解いてあげようと。水は大地と黄泉とを繋ぐ門だ。門番であるミミズクを眠らせ、地下へ進もう」
ライドル王国には、国を縦断するファミ河が流れている。ファミ河が干上がると、死者が蘇るとされている。
水は死と密接な繋がりがある。
なぜならば、我がライドル王国は水葬が基本だからだ。ファミ河は黄泉と繋いでいる。ファミ河に遺体を流すことで、死者は黄泉へと送られる。水は遺体にとっての黄泉への案内人であり、聖なる鎖。魂は、そこで死の神の審判を受け、天国と地獄の扉を開ける鍵をもらう。
そう、聖書にはかかれていたはずだ。
「女神は地下へと潜った。盲人の世界を憂いた。唇のような雲が重なっても、ここまでの闇夜は訪れまい。怖々と、よちよちと、女神は下へ下へ、そして辿り着く。黄泉の世界へ! 慈愛の女神よ、ここに歴は定まった。終焉を招こう。恋とは絶望の始まりのことだ」
ミミズクの声が冷徹な声色へと変わる。
淡々と、詩を朗読するようなのに、耳を傾けずにはいられない。
「女神は見た。薄暗い土の下。死した骸の送られる場所。そこで、男神は息絶えていた。身体から、五つの出来損ないが産まれた。天帝のように顔が一つしかない。手足は四つ。微睡むように茫然とし、倒れたままの男神をじいっと虫が這うような陰湿さで眺めている。女神は絶叫した。愛おしい男神が神としての死を迎えたのだ。ばらばらになった女神の心を、五つのうちの一つが食べた」
頭のなかに、五つの人間が生まれた。
側には女神がいて、真っ青な顔をして男神を見ている。
「それでも女神の心に嘆きの雨が降り注ぎ、そのことに意識を向けない。泣き続けた女神を、三つは慰め、一つは相変わらずぱくぱくと心を食べていた。そして、残りの一つは、心を食べるその一つを食べようと企んでいた。三つのうち、一つは背中を撫で、一つは手を取り、一つは女神の唇を塞いだ。女神は、これら五つを地上へと連れていった。五つに役割を与え、慈愛を注いだ。だが、あるとき二つと三つで争いが起きた。これが、原初の争いである」
剣を持ち、五人が争い始めた。痛みを与え合い、奪い合った。人がいれば、争いが起こる。傷付け、自分の望みを押し通そうとする。
五つの人間が己のために、蛮勇を競う。
「二つが負けた。女神の心を食べ、その食べたものを食べようとしていたものが、敗者となった。弊衣を纏わせ、侮蔑で満せ。勝利の杯に注ぐは財と優越。三つはまた、そのなかで争おうとした。女神がこれ以上、争わぬようにと、唇を塞いだものを一番、背を撫でたものを二番、手を取ったものを三番とした」
三つのうち、それぞれ人間の顔が浮かび上がってくる。
一番がリスト、二番がギスラン、三番がダンだ。王族、貴族、清族。
五階級の成り立ち。
聖書に書かれていることとは違うが、なぜだか作り話だと一蹴することができない。
「また、二つのうちでも諍いが起こった。女神は憤った。優劣をつけねば、これらは争い合う。二つのうちでも、順位を決めた。心を食べていたものを四番。食べていたものを食べようとしていたものを五番とした。するとどうだろう。五つは順列に恭順し始めた。一番を王として栄え始めたのだ」
玉座に座る人間の姿が、リストから私に変わる。
苺のように転がり落ちた首。男が私の近くに傅く。人喰い絨毯を踏み付けて、悦楽に浸る。
ふるふると首を振る。なんだ、今の光景は。
「女神は栄華を掴んだその生き物を人間と名付けた。繁栄を、栄光を、世々にと願って。さあ、次は人世を語ろうか。妖婦に裏切られた愚王の話? それとも、月に恋した貴族の話? 王と貧民が入れ替わる喜劇を? 怪物を創り出してしまった博士の話をしようかーーああ、でも七日経とうとも、決して語り尽くせぬ。愚者よ、王よ、貴族よ、声をきけ。老婆よ、女王よ、下女よ、耳を澄ませ。舌がなくとも、語ってやろう。この世の終わりまで、死が訪れるまで」
ミミズクの瞳が開いた。
満月のように黄色い果実が瞳のなかで実っている。その果実が私を映した、気がした。
「ーーああ、傍聴人よ。麗しのはなおとめよ。きみがききたいことは、知っている。この世の終わりの話だね? 死者が生者となるさかしまな世界。天が荒れ、水が溢れ、飢餓が起こり、疫神が降りる。暴動で国は騒ぎ、水の中にきみが沈む。終わりは近い。天帝様が嘆く。きみが死んだと。この世を嵐に埋める」
いや、勘違いではない。
ミミズクは私を見ている。
私が水の中に沈む? どういうことだ。
死ぬということか!
それに、天が荒れる? 暴動? 飢餓?
ミミズクが予言を告げるのか。
そういえば、ミミズクは王に意見するほど頭がいいと。ならば、これは、未来の話か?
いやいや、だとしたら、死者が生者となるさかしまな世界ってなんだ。童話ではないのだから。
「それって、どういうこと?」
私のかわりに貧民が尋ねた。
その声に驚いたように、ミミズクが体を揺らす。目が覚めたような仕草だった。ぱちぱちと瞬きをして、くるりくるりと頭を捻る。そして、ぱあっと瞳を輝かせた。
翼を広げて私と貧民の周りを飛ぶ。
「はなおとめ。どうしてここにいるの?」
さっきの声とは似ても似つかない幼い子供の高い声だ。たどたどしく、つたない。なんだ、なにがおこった。
ぱたぱたと羽を広げ、ミミズクは私に飛んでくる。でも、ちょっと、待って。思ったよりも大きいぞ、ミミズク!
わーいとじゃれつく感じでこられても、顔よりでかいせいで体当たりのようだ。
ミミズクってこんなに大きな生き物なのか。知らなかった。
「ね、ね、あそぼ、あそぼ」
止まり木のように肩に乗られた。爪が鋭いので痛い。しかも、微妙に重たい。
「それとも、男神様と一緒にいる?」
男神?
ぷくりとミミズクの体が膨らむ。
暖をとれるぐらい温かい。しかも、月みたいに丸いきらきらした瞳をもっている。
「男神様は、いつも、はなおとめと一緒。でも今日は違うね。天帝様が起きるまで、まだ少しあるよ」
天帝様って、あの『花と天帝』の、か?
男神と一緒にいるってことは女神カルディア?
女神と私を勘違いしている?
名前が同じだからだろうか。
「あれ。天帝様と一緒にいるの?」
ミミズクの視線は貧民へ向けられていた。
こてんと貧民が困ったように首を傾げる。
真似をするようにミミズクの首がこてんとまわる。
天帝様って、こいつが?
ぼけぼけミミズクめ、この貧民が天帝に見えるのか。私より目が悪いな。
「はなおとめはやっぱり天帝様が好きだねぇ」
徐々に顔に近付いてくる。毛を擦り付けてくる感じだ。なんでこのこのって感じでつつかれなきゃならないんだ。
それに髪の毛を引っ張るな、毛繕いのつもりか?
「あんた、ミミズクに好かれてんの?」
貧民の胡乱げな眼差しに口元がひくつく。ミミズクは人嫌いだって話はどこに消えたんだ。
「お前のことが天帝に見えるミミズクよ。どんだけぼけたミミズクなの」
「さっきと言葉遣いも違うしね」
私の髪を弄んでいたミミズクが髪から顔を上げて、喉を鳴らし始めた。木の幹と幹の間を睨みつけ、私の肩から浮き上がる。
あのミミズク、私の頬をぱしぱし叩いていったぞ、嫌がらせか。
「だれかいる。ここはよみのそば。しんせいな場所なのに」
木々の隙間を縫うようにミミズクが飛んで行く。
この森に人がいる? ミミズクが、人を迷わせると言っていた。ならば、その人も迷ってしまうのでは。
貧民の手を引っ張る。驚く貧民に、走るのを急かす。
だが、踵の高い靴を履いているせいで、うまく走れない。見兼ねた貧民が私を抱え上げ、ミミズクを追いかける。
いきなり抱え上げるなんて、お前はギスランかと怒鳴ってやりたくなる。
「走れるわ!」
「黙って。舌噛むよ」
「下ろしなさい」
「あんた、ろくに走れないくせに。のろまだから俺が運んでやってんの」
「なんですって?」
のろまって!
非難しようとしたが、舌を噛み、痛みに悶える。
ふふと無礼な貧民が意地悪く笑う。
さっきまで私に追いつけなかったくせに。
悪態を放ちそうになる口をおさえ、なるべく貧民が走りやすいように体を密着させる。
どうしてか、汗と泥の臭いがしなかった。
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