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第一章 夜の女王とミミズク
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しおりを挟む久しぶりに寄宿舎の廊下を歩く。ピカピカに磨かれているこの廊下では学内で惨劇があったとは到底思えなかった。
ひとまず解散することになった。いつまでもリストの部屋につめていたところで事態は好転しない。また、明日集まることになり、部屋までの案内人をギスランが買って出た。ギスランは最初、私を抱きかかえて連れて行くつもりだったようだ。それはきちんと拒絶した。足に怪我があるだけで歩けないわけではないのだ。
私の手をひくギスランは、新しく私の部屋を用意したと言った。前の部屋は荒れて、使い物にならないらしい。
随分と酷く荒らされたのだろうか。部屋にあった本はどうなったのだろう。
本の心配をする私に、ギスランは拗ねた。
「カルディア姫ったら、多情です」
ギスランの戯言を聞き流し、案内された部屋につく。前の部屋とは正反対の場所だ。リストの部屋から遠い。逆にギスランの部屋には近いかもしれない。
扉の前でギスランと向き合う。
ギスランの体をじろじろと眺める。
なぜか、たじろぎ始めるギスランの手を握る。ぱっと少女のように眉尻を赤く染め、ギスランがひたむきな眼差しを寄越した。
観察し、ちろりとギスランを見上げる。
とろけるような微笑をかえされた。こいつ、ご機嫌だな。なぜだ。
「怪我は?」
「しておりません」
「どこか痛いところは?」
「カルディア姫の方が重症です」
足に怪我をしたぐらいでどこが重症だ。命を失うことに比べたら、軽すぎるぐらいだ。
じろじろと観察して、言葉が偽りでないか探る。血の臭いはしないし、本当に怪我はしていないらしい。ひっそりと安堵した。
「ギスラン、よくやったわ」
「はい」
どうしてそう、蒸気が出そうなほど顔を赤くしている。もじもじしているし。
呆れる。成長したようで、変わらないようなおかしな男だ。
「なにかわかったら私に報告すること、いいわね? 今後、私を慮る必要はありません」
「……はい」
あ、こいつ、誤魔化して頷いた。
今後も、きちんと報告しないつもりなのか。
それはそうか、ロイスター家にとって必要なのは、私の命だけだ。生存を優先させるに決まっている。下唇を噛む。私一人ではきちんと生きられないことが悔しかった
「亡くなった貴族令嬢達の親族には私が謝りにいきます。ギスラン、六人の令嬢が誰なのか教えてちょうだい」
「いけません、カルディア姫。そのようなこと、私がします」
「そのようなことではないでしょう。きちんと礼を尽くすべきだわ」
困ったのか、眉を下げてギスランが言う。
「カルディア姫本人が礼をされるべきではありません。利用しようとするものや軽んじるものが出てきます」
王族を軽視することは階級社会を軽視することに繋がる。それは許すことはできない。
それにと言い淀みながら、ギスランは続けた。
「貴族を刺激する結果になりかねない。子を失って、カルディア姫を害そうとする者の存在も否定できません。先ほどは文句を言うものは黙らせてしまえばいいと申しましたが、それでは貴族の反感は避けられない」
「……そうね」
その可能性を考えていなかったといえば嘘になる。でも、せめて遺族に謝るべきだと思った。たとえ、本質的な原因が私にないとしても。罪悪感は残るのだ。
胸のなかでそれが残ることが恐ろしい。粘つく感情を浄化したかった。すこしでも、気持ちを楽にしたかった。そのことさえ、自分ではできない。
王族という身分も、カルディア姫という私も、邪魔だった。私は手足を千切られたようになにも出来ない。
「ギスラン、お前だったらとりなせる?」
「カルディア姫のためならば」
ロイスター家の安泰がかかっているものね。
悪態をつきそうなる口を閉ざし、手をぎゅっと握る。ギスランの瞳が潤み始めた。蒸気が瞳をけぶらせているように。
朱をさしたようなまなじりが、じわじわと色味を深くする。
「私のためにやりなさい。貴族の機嫌をとって、娘の死は名誉なことだったのだと思い込ませなさい。次に会ったとき、恍惚と私を賛美するほど」
「はい。私の女王陛下。万民が貴女様に傅きましょう」
「……ええ。くれぐれも上手くやりなさい」
高圧的な言い方をしなければ、泣いてしまいそうだった。口の端を下げて、必死に表情を取り繕う。
「なにかありましたら、このギスランをお呼び下さい。いつでもお側に」
手を揺らして答えるとギスランがはにかむ。
ギスランに背を向けて扉のなかに体を滑り込ませた。扉が閉まる寸前、挨拶を交わす。
「おやすみ、ギスラン」
「おやすみなさい、カルディア姫」
部屋の中は、たくさんの贈り物とぬいぐるみでいっぱいだった。ギスランが用意したものらしい。
寝室には、本棚がずらりと並べられている。いれられているのは全て童話だ。
ここは元の部屋の姿のまま。そのことに安心する。
本の一つを取り出す。
『豚と羊』という童話だ。詩人王イシュメールが書いた稀覯本。この世に写しを含めて六冊しかない。
市民が食する豚と王族しか食べることを許されない羊の優劣を競う童話だ。
破損しているところや傷がついているところはなかった。よかったと安堵しながら、本を元の位置に戻す。
次に手に取ったのは『王様と乞食』。王と乞食の魂が交換してしまう話だ。
その次は『夜の王とミミズク』。女性不信な王様がミミズクに物語をねだる話。
『誰が女神を殺したか』。これは、宗教色が強い。王様に聖職者が教えを説いていく。
『花と天帝』。『月と貴族』。『女王陛下の悪徳』。『盗賊王の七つの秘密』。
手当たり次第に損傷を確かめたが、特に傷をつけられてはいなかった。本には手を出さないでくれたらしい。
同じ列に並べられていた『無辜の怪物』を手に取る。
六つの物語のなかの一つ、博士と鳥人間のページをめくる。
ーーああ! なんと恐ろしいことだろう。
私は怪物をつくってしまった。この世で最も醜悪で女神の慈悲も届かない、ただただ、醜いだけの生き物を精製してしまった!
ーーそれは決して人間ではなく、また魔物でも同じくなかった。人間の穢れなき唇が、どう変化すれば鳥の嘴をつくり、うじのわく肌が雄々しい角を生み出すのだろうか。
ーーこの化物には、小石程度の重さしかなかった。それは、魂の重さだった。この化物は魂が肉体を動かしている。空っぽの、皮だけの肉体を。私は畏怖とともに歓喜した。私は魂を呼び戻すことに成功したのだ!
鳥人間を作り出してしまった博士は、あるとき募り続けた恐怖から鳥人間をすててしまう。鳥人間は復讐にかられ、博士の側にいる人間を襲い始める。
最後は掃討しようとする騎士達を倒すものの、清族に足が弱点だと見抜かれ、呪詛を撒き散らし、泥と変わる。
やはり、この本と同じように、あの化物は作られたのだろうか。
だとしたならば、あの化物も創造主の側の人間を殺していった?
本を元の位置に戻して、寝台に倒れこむ。
体が重い。声も出せない。
なのに急に大声で叫びたくなった。
首を絞められた。死ぬかと思った。ギスランがこなければ、死んでいた。それでも私は被害者ではなく加害者だ。貴族令嬢を六人も殺した、殺人鬼だ。
どうして、六人も死んでしまったの。どうしてあんな醜悪な化物を作ってしまったの。
私が殺したわけではない。そう思わなければ、心に闇が訪れて、息もできない。
私が生きていることがおかしかった。六人のうちの一人が、なぜ私ではないのか。
なぜ、彼女達なのか。
どれだけの人が、亡くなった彼女達を惜しむだろう。きっと、私が死ぬときより、多くの人が嘆くに違いない。ならば、私が死んでいれば。
目が重い。内臓を焼くような熱さが喉の奥までせりあがってくる。
私が第四王女カルディアだから、こんな目にあうのだろうか。
それとも誰もが自分が招いた死を背負わなくてはいけないのか。
普通の平民だったら、こんな悩みは抱かない?
いつの日かあった、元気に溢れた少女の夢見がちな声が蘇ってくる。
法のもと、王も貴族も平族も貧族も清族も、平等。
そうなったら、どれほどいいのだろうか。
化物に襲われることも、頭のおかしな侍女に狙われることも、ごめんなさいと、死んだ彼女達の遺族に頭を下げることができるだろうか。
はっと嘲りが溢れた。
そんなこと、できるはずがない。
私は誰かに見下されたり、貶められるのはまっぴらだ。王族に生まれた以上、私はこうやって生きていくしかない。
寝台から落ちて、床に転がる。
打ち付けた頭が痛い。
私は、あの化物のように醜悪な声で叫んだ。耳に何度も誰かに謝る声が聞こえた。醜く、恥ずべき痴態だった。
喉が裂けて仕舞えばいいと思った。そうすれば、ごめんなさいと言葉を出せなくなる。
私はその日が終わるまで、理性を持たない獣になった。
その夜、罪深い夢を見た。
父王の首がショートケーキの上から転がり落ちた苺のように投げ捨てられた。首の断面から血が溢れ、落ちていく。
よく見てみると、床には見覚えのある貴族の頭がごろごろ、山のように積まれていた。その中には私と同じ髪型をした令嬢達もいた。
男はその肉塊を踏み潰し、玉座の下に傅いた。
玉座の下には血の色をした絨毯。
『盗賊王の七つの秘密』に出てくる、人食い絨毯みたいだ。
しげしげと眺めているうちに、自分がこの絨毯を堂々と踏みつけ歩いてみたいと思った。
欲望に負けて、一歩を踏み出す。そうすると、急に別の欲望が疼いた。
私があの玉座に腰掛けてみたい!
子供のような好奇心で、玉座に腰掛ける。
玉座からの眺めは絶景だった。見えるもの全て、灰色だ。全てが価値のないもののよう。父王の死体も、うるさい貴族の死体も価値がない。私のかわりに死んだ令嬢達にも。
この世で価値があるのはただ一人、私だけだ。
高笑いしたくなった。それぐらい、気分が高揚していた。
気がつくと、彼と目が合った。言葉なき交歓だった。
彼は私の手をとり、手の甲に口付ける。
甘美な支配欲に満たされながら、彼の名前を呼ぶ。ああ、この男を私は支配している。この男は私の為ならば、王さえ手にかける。私こそが王であり、絶対服従の主人であり、唯一無二の存在だ。
名前を呼ぶと、はじかれるように私を見上げ、満たされたように無邪気に笑った。
「女王陛下」
猫のように喉を鳴らして、男は私の靴に唇を落とした。
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