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おおかた学生の敵であるべき『現実』から逃れるために、いつも通りの何気ない生活になんとなくアクセントを入れるとするならば、一体僕たちは何をスパイスとするのだろうか。
僕の場合、それは漫画だ。描き始めて五年目にして、ようやく掴み取った週刊連載の機会。これをアニメ化に繋げることが僕――世柊舞の夢なのだ。
と、軽い僕の自己紹介を兼ねたモノローグをしていると、なにやら僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
「舞世ー。起きなさい」
「……んぁ?」
「やっと起きたわね舞世……アンタここ最近毎日寝てるわよ。なーに? 私の授業はそんなにもつまらないかしら?」
「あ、いや……」
眠い眼をこすって、せっかくのモノローグが邪魔されたことに若干へそを曲げる。
「つ ま ら な い か し ら ?」
ニッコニコの笑顔で、現国の教科書を手に携えた先生は言う。だがほんの少しばかり殺意が垣間見えるのは……気のせいということにしておこう。花継井英理(レベル29)。艶やかな紫色の髪や、元モデルの美貌はアラサーになっても衰えることはない。むしろ、コクが増して色気やらがプンプン出ているように感じる。……まぁこの人の場合、出ているんじゃなくて、出してるんだろうが。
「……あー、いやそんなことは……」
黒のレーストップスに、ミニスカートを合わせた悩殺コーデは教師にあるまじき服装だよほんと。ボディライン強調しすぎだろ。……でも待てよ? 明らかな男目当てすぎるこの服、見れば見るほど……これ、もしかして漫画に使えないか? 何気に僕が創ってこなかった年上お姉さんキャラ……こ、これは……。
「すごく、いいです……」
「そう、ならちゃーんと起きてなさいよ」
「いてっ」
デコピンでおでこを軽くツンと叩かれた。
しまった。僕としたことが漫画のキャラが一つ浮かんだことにうつつを抜かしてしまったようだ。え? 本当は服装に欲情していただけじゃないのかって? ふ、重度の二次元オタクの僕を舐めないでもらいたい。現実にはラブコメなんてものは存在しない。期待するだけ無駄だということだ。いつも同じ電車に乗ってる彼女が好意を持ってくれることはないし、雨の降る日にたまたま相合傘をする彼女も存在しない。それらは全て、一次元下の世界でしか起こりえない。それを深く理解している僕だからこそ、現実の女性に欲情なんてしないのだ。決して。しないのだ。
「……アンタ、どこ見てんの」
「胸です」
しないのだ。
「……この服、やっぱエロい?」
生徒が思わずこぼしてしまった本音に対する答えは本当にそれでいいんですか先生。
「ものすごく」
「……もうちょっと具体的に言いなさい」
「……そうですね、ボディラインが美しいです」
「……ふ、ふふふ。これで今夜は勝ち確ね。ありがと♪」
そう言ってウインクしてくる先生は恐ろしいほど上機嫌。何がとは言いませんが頑張って、先生。
「はーい、じゃあ仕切り直して……って、恋歌……アンタもなのね」
授業を再開するべく教壇に戻ろうとした継井先生は、またか……と言わんばかりにやれやれと肩を落とし、僕の隣の生徒の頭を小突く。
「あいたっ……あっ。すす、すみません微生物夜新城です……」
なんだその起き方。
背中を丸めて、見事な猫背で周りから自分を断絶する彼女――夜新城恋歌は、ライトブルーの髪を自信なさげにいじっている。頭のてっぺんから出ているアホ毛はみょーんと垂れ下がる。水色の瞳の焦点は定まらず。この環境が居心地よさそうには見えない。昨今の言葉で言い表すのならば、きっと彼女は『コミュ障』と呼ばれるのだろう。
「まったく……アンタたち放課後生徒指導室よ……まったく何回呼べば気が済むのかしら」
「え、僕も?」
「ア、アンタの方が……重罪じゃない……」
やけに色っぽい声でそう言って、先生はいやらしい魔の手から逃れるかのように体をよじる。
アンタさっき喜んでたの忘れたんか……とツッコんでやりたかったが、これ以上無様な姿をさらすと外野が黙っていないのでやめておいた。
「じゃ、今度こそ仕切り直してっ。教科書は――」
ようやく教壇に先生が戻ったタイミングで、やはり僕の予想は当たった。
「なぁ……」
「ああ、二大陰キャがまた呼ばれたな、ははっ」
ほーら、始まった。毎度のことながら、僕にもその声が筒抜けなの分かっているのか? いや別に気にしてないからいいんだけどさ。
「『陰湿ナメクジ』と『限界ぼっち』が二人揃って呼び出し……こりゃまたいいネタになるな」
「はははっ、あいつらほんと懲りねぇよな。居心地悪くないのか?」
その言葉は、継井先生には届かない。聞こえないくらいの声で話しているのだろう。だが僕には聞こえている。そして、同じように隣の彼女にも――。
「……」
無言のまま、夜新城はさらに俯き、スカートをぎゅっと握りしめた。それはまるで、なにか理不尽な攻撃から耐えるようにも見てとれた。
まあ、きっと彼らも『現実』に億劫だったのだろう。人を蔑んで自分の地位を保つのは、人間なら誰しもが無意識にやってしまう、本能のようなものなのだろう。
だから僕は、はなから他人に期待はしていない。けれど、こういうことに慣れていない人に対しては話が違う。
僕は後ろを振り返り、モブ男たちを眺める。
「あー……」
「えっと……」
僕の視線に気づいたのか、二人は気まずそうにお互いを見て縮こまった。
ふっ、大人の女性の胸をガン見できるほどの度胸もない奴が陰口なんて百年早いわ。
僕は体を前に向き直し、別に大して興味はないが久方ぶりにちょっとだけ授業を聞いてみた。
「それでこの文章、『彼女は奉仕活動を行うとともに』の前後の文から分かるのは――」
継井先生の言葉が耳に入る。奉仕……そういえば明日から住み込みのメイドが来るんだった。はじめさんに感謝しなくちゃな。昔から良くしてもらってる上に格安でメイドを紹介してくれるだなんて。はじめ大明神万々歳である。
はじめ大明神はさておき、メイドには是非ともあの劣悪な環境を整えてほしい。まったく誰だよあんなに部屋を汚くしたのは()。みっちり調教してもらわなきゃならん……待てよ? 調教、か。そういえば僕の漫画にその路線のキャラはいなかったな。よし、そうと決まれば明日メイドに調教プ――。
――日は流れ翌日。インターホンが鳴って、来たるメイドを出迎えにドアを開ける。
「あ、メイドの人ですか。今日からお願いし……」
「きょっ! 今日からメイドとして来た、よっ!! よよ夜新城恋歌と申し上げます……!! あ、あのえっと……。いっ、生きててごめんなさいぃぃぃ!」
願ったはずの光景をいざ目の当たりにした僕はこう返した。
「えっと……うちは、そういうサービスお断りしてるんで」
僕の場合、それは漫画だ。描き始めて五年目にして、ようやく掴み取った週刊連載の機会。これをアニメ化に繋げることが僕――世柊舞の夢なのだ。
と、軽い僕の自己紹介を兼ねたモノローグをしていると、なにやら僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
「舞世ー。起きなさい」
「……んぁ?」
「やっと起きたわね舞世……アンタここ最近毎日寝てるわよ。なーに? 私の授業はそんなにもつまらないかしら?」
「あ、いや……」
眠い眼をこすって、せっかくのモノローグが邪魔されたことに若干へそを曲げる。
「つ ま ら な い か し ら ?」
ニッコニコの笑顔で、現国の教科書を手に携えた先生は言う。だがほんの少しばかり殺意が垣間見えるのは……気のせいということにしておこう。花継井英理(レベル29)。艶やかな紫色の髪や、元モデルの美貌はアラサーになっても衰えることはない。むしろ、コクが増して色気やらがプンプン出ているように感じる。……まぁこの人の場合、出ているんじゃなくて、出してるんだろうが。
「……あー、いやそんなことは……」
黒のレーストップスに、ミニスカートを合わせた悩殺コーデは教師にあるまじき服装だよほんと。ボディライン強調しすぎだろ。……でも待てよ? 明らかな男目当てすぎるこの服、見れば見るほど……これ、もしかして漫画に使えないか? 何気に僕が創ってこなかった年上お姉さんキャラ……こ、これは……。
「すごく、いいです……」
「そう、ならちゃーんと起きてなさいよ」
「いてっ」
デコピンでおでこを軽くツンと叩かれた。
しまった。僕としたことが漫画のキャラが一つ浮かんだことにうつつを抜かしてしまったようだ。え? 本当は服装に欲情していただけじゃないのかって? ふ、重度の二次元オタクの僕を舐めないでもらいたい。現実にはラブコメなんてものは存在しない。期待するだけ無駄だということだ。いつも同じ電車に乗ってる彼女が好意を持ってくれることはないし、雨の降る日にたまたま相合傘をする彼女も存在しない。それらは全て、一次元下の世界でしか起こりえない。それを深く理解している僕だからこそ、現実の女性に欲情なんてしないのだ。決して。しないのだ。
「……アンタ、どこ見てんの」
「胸です」
しないのだ。
「……この服、やっぱエロい?」
生徒が思わずこぼしてしまった本音に対する答えは本当にそれでいいんですか先生。
「ものすごく」
「……もうちょっと具体的に言いなさい」
「……そうですね、ボディラインが美しいです」
「……ふ、ふふふ。これで今夜は勝ち確ね。ありがと♪」
そう言ってウインクしてくる先生は恐ろしいほど上機嫌。何がとは言いませんが頑張って、先生。
「はーい、じゃあ仕切り直して……って、恋歌……アンタもなのね」
授業を再開するべく教壇に戻ろうとした継井先生は、またか……と言わんばかりにやれやれと肩を落とし、僕の隣の生徒の頭を小突く。
「あいたっ……あっ。すす、すみません微生物夜新城です……」
なんだその起き方。
背中を丸めて、見事な猫背で周りから自分を断絶する彼女――夜新城恋歌は、ライトブルーの髪を自信なさげにいじっている。頭のてっぺんから出ているアホ毛はみょーんと垂れ下がる。水色の瞳の焦点は定まらず。この環境が居心地よさそうには見えない。昨今の言葉で言い表すのならば、きっと彼女は『コミュ障』と呼ばれるのだろう。
「まったく……アンタたち放課後生徒指導室よ……まったく何回呼べば気が済むのかしら」
「え、僕も?」
「ア、アンタの方が……重罪じゃない……」
やけに色っぽい声でそう言って、先生はいやらしい魔の手から逃れるかのように体をよじる。
アンタさっき喜んでたの忘れたんか……とツッコんでやりたかったが、これ以上無様な姿をさらすと外野が黙っていないのでやめておいた。
「じゃ、今度こそ仕切り直してっ。教科書は――」
ようやく教壇に先生が戻ったタイミングで、やはり僕の予想は当たった。
「なぁ……」
「ああ、二大陰キャがまた呼ばれたな、ははっ」
ほーら、始まった。毎度のことながら、僕にもその声が筒抜けなの分かっているのか? いや別に気にしてないからいいんだけどさ。
「『陰湿ナメクジ』と『限界ぼっち』が二人揃って呼び出し……こりゃまたいいネタになるな」
「はははっ、あいつらほんと懲りねぇよな。居心地悪くないのか?」
その言葉は、継井先生には届かない。聞こえないくらいの声で話しているのだろう。だが僕には聞こえている。そして、同じように隣の彼女にも――。
「……」
無言のまま、夜新城はさらに俯き、スカートをぎゅっと握りしめた。それはまるで、なにか理不尽な攻撃から耐えるようにも見てとれた。
まあ、きっと彼らも『現実』に億劫だったのだろう。人を蔑んで自分の地位を保つのは、人間なら誰しもが無意識にやってしまう、本能のようなものなのだろう。
だから僕は、はなから他人に期待はしていない。けれど、こういうことに慣れていない人に対しては話が違う。
僕は後ろを振り返り、モブ男たちを眺める。
「あー……」
「えっと……」
僕の視線に気づいたのか、二人は気まずそうにお互いを見て縮こまった。
ふっ、大人の女性の胸をガン見できるほどの度胸もない奴が陰口なんて百年早いわ。
僕は体を前に向き直し、別に大して興味はないが久方ぶりにちょっとだけ授業を聞いてみた。
「それでこの文章、『彼女は奉仕活動を行うとともに』の前後の文から分かるのは――」
継井先生の言葉が耳に入る。奉仕……そういえば明日から住み込みのメイドが来るんだった。はじめさんに感謝しなくちゃな。昔から良くしてもらってる上に格安でメイドを紹介してくれるだなんて。はじめ大明神万々歳である。
はじめ大明神はさておき、メイドには是非ともあの劣悪な環境を整えてほしい。まったく誰だよあんなに部屋を汚くしたのは()。みっちり調教してもらわなきゃならん……待てよ? 調教、か。そういえば僕の漫画にその路線のキャラはいなかったな。よし、そうと決まれば明日メイドに調教プ――。
――日は流れ翌日。インターホンが鳴って、来たるメイドを出迎えにドアを開ける。
「あ、メイドの人ですか。今日からお願いし……」
「きょっ! 今日からメイドとして来た、よっ!! よよ夜新城恋歌と申し上げます……!! あ、あのえっと……。いっ、生きててごめんなさいぃぃぃ!」
願ったはずの光景をいざ目の当たりにした僕はこう返した。
「えっと……うちは、そういうサービスお断りしてるんで」
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