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二章 信長様がお好きなのは、私ではない?

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「どうぞ、お方様。粟おこしでございます」
 
 侍女のまつが言った。

「ありがとう」

 粟おこしは、煎って膨らませた粟や米を飴で固めたもので、サクサクした歯触りがおいしい。現代でも食べられている。

「おいしい。珍しいわね」

「今日はお祭りなので、おこしにしたんですよ」

 おこしは「起こす」だから、縁起が良いお菓子だと言われている。
 じいやさんも、身を起こしてくれるといいのだけど……。

 お葬式で、信長様が、お棺に向かって抹香を投げつけるという暴挙に出てから、平手は病気になってしまった。
 もう三ヶ月ぐらいになるのかしら。ずっと寝込んでいて、那古屋城に出仕することもない。

 宿下がりしたかえでが看病しているそうだけど、かえでもお腹が大きいはず。心配だわ。

「ひろ、このお菓子、かえでと平手に差し上げてほしいの」

「かしこまりました。同じお菓子を平手殿の下屋敷に持って参ります」

「お方様、お茶をもう一杯お持ちしましょうか?」
 
 侍女のまつが聞いた。
 かえでの代わりに雇った侍女で、目立たない人なのに、よく気がついて有能よ。
 今日はお祭りだから、みんなソワソワしているのに、まつは落ち着いている。

「ありがとう。お願いね」

 ふすまががらっと開いた。爽やかイケメンの青年武士が立っていた。
 誰?

「帰蝶、祭りに行こう!」
「信長様! その格好はどうなったのですか?」

「お化け(仮装)だ。似合ってるだろう?」
「はい。とてもお似合いです」
「早く来い!」

 どうしたのかしら? 信長様、テンションが高いわ。こんな信長様、はじめて見た。

「信長様お待ちください。お方様もお化けされたほうがいいでしょう。お姿を整えます」
「であるか」
「ありがとう!」

 信長様とデートよ。
 うれしいような、くすぐったいような、気恥ずかしくてムズムズする。

「信長様、邪魔ですっ。出ていってくださいましっ」

  信長様が廊下に追い出されてしまったわ。
 侍女たちがきゃあきゃあと騒いでいる。

「私の小袖は……地味ですね」
「私のをお貸しします」
「髪も結んでしまいましょう」
「帯は低く結ぶほうが今風ですよね」
「お方様は美しくていらっしゃるから、髪を上げるのもお似合いですね」
「髪にお花を飾りましょう! 私、採ってきます」

 侍女たちが私を下級武士の姫という感じにしてくれた。化粧も落としてさっぱりしている。身軽でいいわね。

「信長様、お方様のお姿が整いましてございます」

 侍女たちの手でふすまが開かれる。
 廊下に所在なく立っていた信長様が、私を見てびっくりしたように目を見開いた。

「信長様。どうですか? 変じゃありませんか?」

 姿見がないので(この時代、鏡は貴重品なのよ)、自分を鏡に映して見ることはできない。心配して聞くと、信長様は笑みを浮かべた。

「綺麗だ」

 照れて目をそらしているところがかわいい。

「そのほうは、何を着ても似合う」

 綺麗だと言われるとうれしい。
 でも、信長様が褒めているのは、私じゃない。
 信長様が好きなのは、帰蝶さんなのよ。
 胸の奥がぐるぐるする。
 この気持ちは何なの?
 疎外感? 嫉妬? わからない。

「平手が病気なのに、お祭りなんていいのでしょうか?」

 動揺のあまり、つい無粋なことを言ってしまった。コールセンターOLは、感情を抑える癖がついている。

「良い。行くぞ」

 信長様は私の手を引くと、廊下を走り出した。

「信長様は私には手を触れないはずでは?」
「祭りだから特別だ」

 ひろが慌てた。

「お待ちを。供をします」

「供など良い」

「危険です」

「帰蝶は私が守るゆえ安心しろ」

 ドキッとした。帰蝶さんは強い。薙刀は無敵だし、柔術でもけっこう強い。油断している男なら、帰蝶さんひとりで倒せるだろう。
 なのに信長様は、私が守ると言ってくれた。
 繋いでいる手が熱い。ドキドキが止まらない。
 この人は私より10歳も年下だし、好かれているのは私じゃないのに……。

「そのほうらは祭りを楽しむと良い」

 侍女たちがわぁっと歓声をあげた。
 みんなお祭りに行きたかったのね。
 まつだけが静かに笑みを浮かべている。

******

 私たちは、徒歩で城門を出た。

 門を守る武士の前を通るときはドキドキしたけど、何にも言われなかった。
 そりゃあ、この爽やかイケメンが信長様だなんて、信じられないでしょうね。

「こっちだ」

 信長様は私の手をぐいぐいと引っ張っていく。

「えっ? 信長様、どこに行くのですか?」

 武家屋敷通りまで来た信長様は、ある屋敷の前で足を止めた。

「失礼する」

 ズカズカと屋敷の中へと入っていく。

「信長様っ。お方様もっ」

 かえでがびっくりした声を上げた。お腹が大きくてしんどそう。

「じいや、見舞いに来たぞ」

「かえで。久しぶりね。彦八郎はどうしたの?」

良人おっとは堺です。火縄銃を量産するんだって言ってがんばってますよ」

「お腹の赤ちゃんは元気?」

「はい。産婆さんは、安産だろうって言ってます。つわりも治まったんですよ。今、お茶を淹れますね」

「お茶なんかいいのよ。座っていて」

「じいやはどこだ?」

「若殿。ワシはここです」

 声のするほうに行くと、窓際の部屋に布団が敷き述べてあった。
 平手は布団から身を起こそうとして顔をしかめている。やつれたわね。あんなにかくしゃくとしていたのに。
 平手はもう長くない。そう感じた。
 信長様も同じことを考えているのか、泣き出す寸前の顔をしている。

「そのままで良い。じいや。元気になってくれ。じいやの叱る声がないと、私は寂しゅうてならぬ」

 じいやさんの手を握りながら言う。
 寂しゅうてならぬ。
 信長様がそんなこと言うなんて。

「若殿、今日はなかなかの男ぶりですな」
「お化けだ。祭りだからな」
「若殿がいつもそのような格好をされたら、ワシは元気になりますわい」

 信長様が袴をきちんと着て、爽やかイケメンに装ったのは、平手を安心させるためなのね。

「わかった。装束ぐらい、いくらでも整えてやる。だから早く元気になれ」

*******

 お見舞いのあと、私たちは無言で歩いた。
 武家屋敷は静かだった。みんなお祭りに行っているのね。遠くから、歓声とお囃子の音が聞こえてくる。

「私は二歳で那古屋城の城主になった」

 信長様が問わず語りに話し出した。

「母上が私を嫌ったせいだ。二歳の子供に城主などできぬが、じいやがすべてやってくれた。じいやは私を育ててくれた。武芸に読み書き、箸の持ち方。じいやは師であり、身内でもあった。帰蝶との婚儀を整えてくれたのもじいやだった」

「はい」

「なのに、なかなか見舞いに行けなかった。なんというか、弱ってるじいやをみたくなかったのだ」

 信長様がテンションが高かったのはそれでなのね。
 祭りだって自分に向かって言い訳をして、勢いをつけないと、お見舞いに行けなかったんだわ。

「父上が亡くなり、じいやまでも病気になって、私を守ってくれる人がどんどん減っていくなぁ……」

「私がいます。信長様! 私が信長様をお守りします!」

 私は信長様の手を取った。

「帰蝶は信長様の正室です!」

 顔が熱い。恥ずかしい。
 喪女なのに。
 感情を抑えるのが仕事の、コールセンターOLなのに。
 
「私は殿をお慕い申し上げておりますっ」 

 心の底からの言葉だった。
 転生した日にも同じようなことを言ったが、あれは演技だった。

 私は、信長様が好きなんだ。

 スパダリでイケメンで。暴君で破天荒で。
 サイコパスで頭が良くて。豪快なのに繊細で。
 帰蝶さんにベタボレで。
 弱いところやかわいいところがあるこの人が、私は好きなんだ。
 
「帰蝶が道三殿の姫でなければよかったな」
「道三の娘だから、殿をお守りできるのです」
「であるか」

 抱き寄せられた。
 がっしりした身体が密着し、背中に信長様の手が当たっている。
 息苦しいほど抱きしめられて、ドキドキが止まらない。
 
 信長様の綺麗な顔が近づいてきた。
 キスされる。
 私は目を閉じた。
(続く)
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